遺遺遺遺遺 家紋夜話
菊紋とは逆に、江戸期には一般人が使用できなかったのが「三つ葉葵」、そう徳川将軍家の紋所。
もとは京都の賀茂別雷神社/かもわけいかづちじんじゃ(上賀茂神社)および賀茂御祖神社/かもみおやじんじゃ(下鴨神社)の紋が「二葉葵」をベースにしていて。
上賀茂・下鴨の御神紋はいずれもこれに花を1個つけて形状や傾きを変えた展開形だけど、実際の花は超地味、だから家紋も基本的には葉だけ描かれます。
両社の間を御祭神が巡幸する賀茂祭は、輿車や髪をその神草「葵」で飾るため、後に「葵祭」と称されるようになった。京の祭りで最も歴史が古く格式が高い。
ほれ、源氏物語で、源氏の最初の正妻葵上(あおいのうえ)と愛人六条御息所(ろくじょうのみやす(ん)どころ)の一行が場所取りを巡って諍い合う有名な「車争い」の場面は、この賀茂祭見物の時のことですね。
この争いで散々に打ち負かされ恥をかかされた御息所は、その後我知らず生霊となって葵を苦しめ、ついには葵が夕霧(男だよ)を産んだ時に取り殺してしまいます。平民階級の愛人夕顔(こっちは女だ)も取り殺してしまうんだよね。
で、葵紋だけど、三河地方に賀茂社の分社が多かった所縁で徳川家の紋になったという説が。
この「葵」とは、タチアオイ(ホリホック)やらハイビスカスやらフヨウやらマシュマロ(驚くなかれもともとはMarshmallowなる植物のことなのだ)やらの入ってる、花の美しいアオイ科特にHibiscus属の植物、ではなくて。
古典観葉植物として知られるウマノスズクサ科(笑)のフタバアオイ属やカンアオイ属等の総称です。
本来「葵/あふひ」と言えばこの二葉葵や寒葵のこと。ワサビを「山葵」と書くのも、スミレの一種「スミレサイシン」の名が由って来たるところも、葉っぱがこれら本家の葵(中国名「細辛」)に似てるから。あ、タチアオイですら、名の理由は確かそこ。
さらに言うと、葵紋にはそっくりさんがいて、「河骨(こうほね)」紋。葉脈の形状が放射脈か並行脈かという違いぐらいしかない。「丸に頭合せ三つ河骨」なんて、将軍家の紋所に似せる気持ちがきっとあったはず。
というより、八代将軍吉宗あたりはこちらに酷似した「三つ葉葵」を用いていたそうな。いろいろバリエーションはあるわけです。
コウホネはオモダカと同じく水辺の植物、前者は黄花、後者は白花。葉っぱの形もちょっと似てます。
どうでもいいけど、オモダカの改良種がおせち料理に使われるクワイね。
ここら辺の「和の水生植物」、「癒し」流行りでこれからもっと人気が出てくると思いますよー。あと、ガマとかハスとかヒツジグサとかヒシとかもね。ビオトープにもうってつけだし。
おまけで「丸に水の沢瀉(おもだか)」紋も。家紋になると河骨とまるで似てないですね。
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