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2009年9月

2009年9月27日 (日)

黄と赤、夏と秋の狭間の朝焼け

狭間の時、狭間の色

昨日の黎明、2009年9月26日午前5時12分。あまり深い意味はないけど、あまりにきれいだったので。パリのサクレ・クール寺院界隈の夜明けじゃございませんことよ。内モンゴルの草原の日の出前(-.-)y-~

うーん、sea glassにもこんなきれいな橙色のがあらまほしきことなり。もちろん、ほんとは空中庭園@下丸子からの景色です。

よし、これは蒼穹シリーズ、いや、その向こうを張って黎明編としてシリーズ化しちゃおうかな(できるのか??)。

あっっっ!!この画像、10年以上前にMicronesiaで知り合った、当時JOCV隊員として同地に滞在していた女性から送ってもらった、Kosrae島の新年の夜明けの画像に似ている!!おぉー、今気がついた、なつかしや(ToT)

黄と赤、夏と秋の狭間

すっかり涼しくなりましたねえ・・・バカボンのパパより年上だなんて・・・(花咲き 鳥の目に泪)

Lycoris aurea

黄色い彼岸花Lycoris aureaが咲いてきました。昨年は3本咲いたのに、今年は1本・・・相変わらず気難しいやつ。でも特に冴えた色で咲いたからよしとするか。あったかみのある、橙黄色ってのかな。花弁にちょっとフリルも入っててちょっとGORGEOUS。

蒼穹シリーズ第5弾

蒼穹シリーズ第5弾としても撮ってみたけど、どうにもこうにもこの黄色味をうまく出すのが難しいっす。
はて昨年はと思って見てみたら、10月7日あたりに満開になっていた。やっぱり今年は季節の移ろいが早いんかな。(の割には金木犀がまだまだ咲かない東京である)

夏前にサカタのタネで赤黒彼岸花、もとい黒赤彼岸花っつうのの球根も買ってまして。先日咲くには咲いたんだけど、写真に納める暇もあらばこそ、3日ぐらいで散っちゃった!なかなか迫力ある色の美しい花でしたが。
実は、普通の彼岸花は案外色が薄くて、濃いピンクぐらいのが多い!血のような赤、ではないのだ意外にも。人間の記憶色ってものを考えさせられたりして。

だからこの黒赤は前から欲しかったんす。彼岸花とか曼珠沙華とかいう一般的なイメージを裏切らない、まさに深紅の花。わたしゃコレでいく!
花形も、いちばん宇宙っぽくてカッコいい、普通の彼岸花のまんま。あのそっくり返り具合!雄しべや雌しべの飛び出し具合!こればっかりはaureaも敵わない。宇宙感、たっぷり。

ハイビスカス

それでもハイビスカスはどしどし咲きよります。イェイまだまだがんばれ!

でもこの時期になると、この花見てても頭に流れるのはケツメイシのSummer Days...往く夏を惜しんで。この時期の海辺ドライブにもきっと合う(-.-)

2009年9月13日 (日)

はちすの記2009 その拾八 ほか

もう終わってしまったと思いきや、蓮の花、するするっとまた咲いてきました。今度こそ今年の最後だと思います。
クリスタル・ビューティ

桔梗もますます咲いてます・・・揃いの浴衣で盆踊り(^o^)
絞り咲き桔梗

ツルの誕生日(実は今日)のあたりは夏から秋に移り変わる頃おい。夏の花と秋の花と。一抹の寂寥もありながら。(年齢のせいじゃありませんよーだ)

子供のころ、一番初めに好きになった季節は秋だったのに。小学校入る前ぐらいかな(し、シブすぎるちびっこ)。もぎたての葡萄の実の粉をふいた黒紫色と、穫れたての栗の実のつやつやした焦茶色なんである、秋は、ツルにとっては。

そういえばまだ今年は(も)金木犀が咲いてない。彼岸花はもう間もなく。

2009年9月12日 (土)

熊野三山につきお勉強 下

(承前)

もともと熊野三山は成立過程からして別々であったところ、互いの神を祀り合うようになってから一体性を帯びていったものらしい。

さらに状況を複雑にしたのが、出雲の熊野大社においては明らかでない、仏教との混淆による本地垂迹(すいじゃく)である。すなわち;
 家都美御子神(スサノオ)、
 熊野速玉大神(イザナギ)、
 熊野夫須美大神(イザナミ)
は、それぞれの本地仏とされる;
 西方極楽浄土の阿弥陀如来、
 東方浄瑠璃浄土の薬師如来、
 南方補陀落浄土の千手観音菩薩
が衆生救済のため神に化身してこの世に現れた(迹(あと)を垂れた)仮の姿、すなわち権現であるとされた。「権」は「権大納言」と同じく「仮の」の意。
かくして熊野三所権現、さらには他の祭神も合わせて熊野十二所権現が形成された。おそらく神前で読経も行われたことであろう。
神さんと仏さん、一粒で二度おいしい(古っ)このやり方、人気出るはずやわ。「蟻の熊野詣で」、今風に言えば「行列のできる神社仏閣」的地位を獲得したのであった。

このうち那智大社の熊野夫須美大神すなわち千手観音への帰依は、熊野灘の南方の果てに浄土があると信じて僧侶が小舟で旅立つという捨身行、補陀落渡海/ふだらくとかいをも生む。
ちなみに、チベット/西蔵仏教の聖都ラサ/拉薩のポタラ宮の語源も、補陀落のサンスクリット名ポタラカにあるとか。
観世音菩薩の化身なるダライ・ラマ/達頼喇嘛、本来ここにおはしますなり。現代の補陀落、主を失い今年はや丸五十年。生きてるうちに一度はこの目で見てみたい場所。

補陀落信仰は琉球諸島南部の八重山諸島にも似たものがあって、パイパティローマ(南波照間)伝説と呼ばれる(南=「ぱい」については、梅雨明けに吹く風を表す「白南風/しらはえ」など本土にも類例が)。すなわち、八重山南部の波照間島(ハテルマ=果てのウルマ≒珊瑚礁の彼方)のさらに南に楽園ありとして船で漕ぎ出し、実際にフィリピンなどにたどり着いた人々もあったらしい。どこまでも南を志向する楽園幻想。

また、前述したとおり、熊野三山で正紋とされるのは左三つ巴、琉球王家尚家の家紋もまた同じ左三つ巴、すなわち「左御紋/ひだりごむん」。巴はアジア全般において用例の非常に多い文様だから、これだけで紀伊熊野と沖縄の間に関係ありと妄りに断ずることはできないが。
しかしさらに、沖縄の神社ではほとんど熊野権現が祀られているという。どんな由来があるのだろうか。

↓熊野神社のご神紋 その2
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1228384/1247782/54783180

↓継継継 家紋夜話
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1228384/1247782/54785455

沖縄との関わりは措くとしても、なぜ、記紀神話で日向や出雲を活躍の中心とするイザナギ、イザナミ、スサノオ三柱の神々の痕跡が紀伊の随所に見られるのか。
これはもう古代史論争の範疇でもあり、出雲勢力の大和東進に根拠を求める(むしろ逆に、こうしたピースの数々をもとに大和朝廷の起源を日向・出雲に求めるというべきか)説も唱えられているということらしい。


ううう、やっぱテマヒマかかったわー、これだけのことに。もうこれ以上は深入りしませんことよ。

-----

 かぞえうた
ひとだまひとつ
ふたしてふたつ
みつめてみっつ
よつゆによっつ
いつまでいつつ
むっつりむっつ
ななしのななつ
やつれてやっつ
ここにここのつ
とおくにとお
なむじゅういちめんかんぜおん
じゅうにしょごんげん

谷川俊太郎「ことばあそびうた」より

熊野三山につきお勉強 上

>・・・しかしここまで広く浅く調べても、まだ出雲熊野と紀伊熊野との関連はあまり見出せないなあ。
やはり熊野三山に詣でるしかないのであろうか(^^)

-----

出雲の熊野大社のことを調べただけでは、やりきった感がまるで湧かないので、やはり紀伊の熊野三山のことも調べてみる。複雑すぎて、ちょっと整理ってわけにもいかなそうだけど。

紀伊国牟婁(むろ)郡の熊野という地名は、日本書紀(720年)にイザナミすなわち伊邪那美命(伊弉冉神)を葬った場所として登場する。出雲国風土記とどっこいどっこいだなあ。
ちなみに出雲・伯耆にもイザナミの隠れたとされる場所は複数存在するが。

紀伊の熊野三山で本宮と言えばすなわち熊野本宮大社。延喜式では「熊野坐神社」の名で「名神大」だった由。・・・え?つまり、延喜式では出雲と紀伊と、二つの熊野坐神社が記載されている。
主祭神は家都美御子神/けつみみこのかみ、別名、熊野坐大神/くまのにますおおかみ、熊野加武呂乃命/くまのかむろのみこと。
おっ、よくわからんがとにかく別名は出雲の方と同じじゃないか。ちょっとばかし共通項発見♪
やはり、出雲と同様、スサノオのこととされている。

こちらでも出てきたのなら、この神様のこと、も少し掘り下げてみよう。

古事記によれば、スサノオは黄泉国から帰還したイザナギ/伊邪那岐命(伊弉諾神)が日向で禊をした際に生まれた、三貴子/みはしらのうずのみこの末子、すなわちアマテラス/天照御大神(天照大神)、ツクヨミ/月讀命(月夜見尊など)の弟。

しかし、よく知られたこの「神産み」神話も考えるとなかなかに物騒な物語で。
火の神カグツチ/伽具土神を産み陰部に(!)火傷を負って死んだ妻イザナミを悼むあまり、夫イザナギは妻の死の原因を作ったこの子を殺してしまうし、その後黄泉国で約束を違えて妻の変わり果てた姿を見てしまった夫は、「我に耻/はぢ見せつ」と追い来る妻から逃れるため、黄泉比良坂/よもつひらさかに大岩を置き塞いで、「一日千人を黄泉へ送るわ」「ならば一日千五百人の産屋を建てよう」という暴力的な押し問答の末、離婚してしまう。
第二部では、亡き母を慕い泣き叫ぶばかりの末息子スサノオは仕事にも行かず父から勘当され、非行に走った末にOLを惨殺、これを苦にした姉アマテラスは引き籠りに・・・大映ドラマ版「高天原家の崩壊」かよ。まあ、タカラヅカレビューふう歌あり踊りありのHappyな大団円が用意されているのであるが(なんのこっちゃ)

本宮に対して新宮と呼ばれるのが熊野速玉大社。所在地たる和歌山県新宮市の名称もむろんここに由来する。延喜式では「大」として「熊野早玉神社」と表記されている。
主祭神として祀られるのは熊野速玉大神/くまのはやたまのおおかみと熊野夫須美大神/くまのふすみのおおかみ。前者はイザナギ、後者はイザナミのこととされている、ををー。夫婦神を祀ってたのね。

そして熊野那智大社。もともと、自然信仰に基づく修行場であった那智滝(日本三名瀑の一つ!)を神格化したもので、社殿を持ったのもいささか時代が下るらしい。
祭神は、現在、熊野夫須美大神/くまのふすみのおおかみすなわちイザナミとされている。あらっ、速玉大社と同じ。滝を神聖視したことに起源するのだから、これは後に勧請されたものではないかと思うけれども。

那智大社は、他の二社とは異なり、延喜式には記載すらされていない。このような神社を、式内式に対して式外社/しきげしゃといい、いくらかのパターンがあって;
 ①神社よりむしろ寺と見なされたもの
  (祇園社など)
 ②寺僧が管理したもの
  (岩清水八幡宮in京都など)
 ③社殿を持たなかったもの
 ④その他(大和朝廷に組み込まれぬ?)
  独自の勢力を有したもの
など。さしずめ那智大社は③(④も?)に当たるのだろう。

To be continued...

2009年9月 6日 (日)

空の色に溶けない

ここんとこ「熊野」にはまっていたために、空中庭園の方がちょっとおろそかになってました・・・
いずれにせよブログって依存性・習慣性があるのかも(笑)

青空の中に解き放たれた夏の花、てないい感じのが撮れたのでご紹介。蒼穹シリーズ第4弾、笑っちゃうほど夏やのー(^_^)y-~
オキナワン・ハイビスカス

那覇の波之上公園の植え込みから一枝くすねて挿し木したやつね(こらこら)

かと思うと、秋の花も・・・ここへきて絞り咲き桔梗が調子よく咲いてます。涼しくなった朝夕にぴったり。普通の桔梗はまるで咲いてないんだけど。
絞り咲き桔梗 絞り咲き桔梗

やっぱ、画像があるとイイっすね(^^)

熊野大社につきお勉強

(承前)

>で、ついに、「祭神」について。(これだけはやりたくなかった、まあここがキモなんだけど;苦笑)

-----

出雲国風土記においては伊佐奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂命/いざなひのまなご くまのにます かむろのみこと。
延喜式では熊野大神櫛御気野命/くまののおおかみ くしみけぬのみこと。
・・・おしまい。・・・

それじゃ話が進まんじゃないかっ。もちろんここからがややこしいんである、普通。

この櫛御気野命は古くからスサノオすなわち健速(たけはやの)須佐之男命(古事記表記)(素戔鳴尊(日本書紀表記:以下同))と同一視されたらしい。
ほお。確かに、高天原追放後のスサノオの主な活躍の舞台は出雲であるなあ。

スサノオは、イザナギすなわち伊邪那岐命(伊弉諾神)の子であるから、上記の「伊佐奈枳乃麻奈子」つまり「イザナギの愛し子」(だろう)というのは確かに辻褄が合う。

スサノオ崇拝は単独よりもむしろ他宗教と結びついた形で民間に広がっていく。その典型が祇園信仰や氷川信仰など。おお、一気にジグソーのピースがはまってきた感じ!

祇園信仰は・・・と書きかけて調べ始めたら、これがまた難しくも面白くて枝葉繁りまくり。で、詳細は次回以降に譲ることとする。
ただ、祇園社のもともとの信仰対象である牛頭天王/ごずてんのうが、どうやら災厄をもたらす神とされていたらしいことには注意すべきかと。そして、総本社(の一つ)である八坂神社の例大祭たる祇園祭の起源は、平安時代に始まった、京の都の疫病退散の行事である。

また、関東では、スサノオ信仰が、暴れ川として知られた荒川の流域にあった自然信仰と接触することにより生まれたのが氷川信仰で、総本社は埼玉の大宮にある氷川神社。「大宮」の名はこの神社に由来すると。

思うに、疫病、水害等の災厄をもたらすものでありかつ治めるものであるという役割を担っていた神仏と、猛き神たるスサノオとは相似点があるわけで、合体することにより一層の力と神威を得ようとしたものであろう。

うーん、どうせなら、最強の組み合わせとして、スサノオと、インドに起源を持つ不動明王とのカップリングなんてのはどうだろう(無謀)。
不動明王信仰も、江戸五色不動(目黒、目白、目赤、目青、目黄)など、民間に人気の高かったものである。そんな寺社はなかったのだろうか。強そー!荒そー!
あ!そう言えば、永井豪のデビルマンの主人公は「不動 明」、その永井豪が後年描いたのが「凄ノ王」・・・そーそーそれそれ、そんなもん。

話は戻って、では熊野大社の櫛御気野命も災厄神だったのか?「御気」は「御食」のことであり、食物神であったらしいから、そうとも思えないが。
あるいは逆に、スサノオを荒ぶる神としてのみ考えるのがおかしいのか、それとも「荒魂/あらたま」「和魂/にきみたま」の二面性で解釈できるということなのだろうか?(ちなみに一命四魂のうち残りの「幸魂/さきたま」「奇魂/くしたま」は本来和魂の中の分けらしいが、これ以上はアヤシそうなのでやめる。犬夜叉は読んだことなし。)

調べてみると、スサノオの高天原での粗暴な行いの数々はいずれも農耕に関わるものだとして、農耕や暴風雨を司る神と解する説があると。そうだ、ヤマタノオロチ/八俣遠呂智(八岐大蛇)も暴れ川を表すということを何かで読んだ記憶がある。妻のクシナダヒメ/櫛名田比売(奇稲田姫)も「霊妙なる稲田の神」の意味らしい。
なるほど、食物神との結びつきもなんとなく納得できる気がしてきた。

う〜ん、スサノオの性格というのも案外多面的かも。妻に対する相聞歌を詠んだりもしている。
 八雲立つ出雲八重垣妻籠に
 八重垣作るその八重垣を
ワタシがクシナダヒメだったら、「まあ素敵」とうっとりするより、「どんだけ下手くそやねん」とどついたろかい、な感じだけど、これは和歌の始まりとして古今集の仮名序 by 紀貫之にも紹介されているしなあ。


・・・しかしここまで広く浅く調べても、まだ出雲熊野と紀伊熊野との関連はあまり見出せない。
やはり熊野三山に詣でるしかないのであろうか(^^)

2009年9月 5日 (土)

熊野大社につきお勉強(の前振り)

(承前)

枝葉は繁って、式内社のうち今に残る他の名神大のことどもへ。

出雲では、名神大社は熊野大社のほかに杵築大社すなわち現在の出雲大社しかない。(熊野大社のことを調べていると、どうしてもその向こうに出雲大社の影がちらついてしまう。いずれまたこれもお勉強せねば・・・)

名神大社という格付けは平安期の制定であるせいか、さすがに山城すなわち京都には少なからず;
賀茂別雷(わけいかづち)神社すなわち上賀茂神社(北区)、
賀茂御祖(みおや)神社すなわち下鴨神社(左京区)、
松尾神社すなわち現在の松尾大社(西京区:お酒の神様!)、
平野祭神すなわち平野神社(北区:桜の名所!)、
梅宮坐神すなわち梅宮(うめのみや)大社(右京区)、
貴布祢神社すなわち貴船神社(左京区:確か海人族の系統ではなかったかと)、
伏見神社すなわち伏見稲荷(伏見区)などなど。

一方大和は;
飛鳥坐神社(主祭神は事代主命/ことしろぬしのみこと、この父が出雲大社の主祭神とされる大国主命であり、遠く離れた出雲を舞台とする「国譲り」神話には父子揃って登場する!)、
春日祭神すなわち春日大社(正確には「並名神大」)あたり。
案外少なくて、だんだん当時の政治地図やら朝廷の勢力地図も見えてくる。
しかし「あすかにますじんじゃ」とはいかにも神さびた感じがいたします。好きなネーミング!

「もう一つの熊野」がある紀伊についてはいずれ改めて述べることになろう。

関東近辺では;
浅間(せんげん)神社すなわち富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)、
伊豆三嶋神社すなわち三嶋大社(御神木は日本一のキンモクセイの大木!静岡県三島市)、
寒川神社(神奈川県高座郡)、
氷川神社(さいたま市大宮区)、
鹿嶋神宮すなわち鹿島神宮(茨城県鹿島市)など。
あ、東京は(離島を除き)ゼロ。

いちお福岡県も書いとくと;
八幡大菩薩筥崎宮すなわち箱崎宮(つまり八幡宮:蒙古襲来の際の亀山上皇揮毫額「敵国降伏」を今に至るも社頭に掲げてるのって一体・・・)、
住吉神社(ただし「並名神大」:福岡市博多区:これも全国に多い名だなあ)、
宗像神社すなわち宗像大社(これも「並名神大」:海の正倉院!国宝ザクザク!)、
高良玉垂命神社すなわち高良大社(久留米市)あたり。

いずれもいずれもソウソウたるメンバー。

さてこの辺りで話を元の熊野大社in出雲に戻して。

さらに時代がぐっと下り、明治維新下の近代社格制度では「熊野神社」の名となる、あららー。まあ、出雲といえばどうしても出雲大社に集中してしまったのだろうか。でも国幣大社にはなっている(1916年)。

近代社格は太政官布告(1871年)により延喜式に倣って制定されたもので、戦後の政教分離(1946年)まで、神仏分離・廃仏棄釈を含め近代日本の宗教観を規定した制度の一つといえるだろう。
「官幣大社」「国幣大社」等の序列化が知られるが、実はこれも延喜式に同じ名称があるらしい。
(近代における官幣社と国幣社の違いは、例祭の際、幣帛/へいはくの供進が、前者は宮内省すなわち皇室から、後者は国庫から行われたところにある。平安時代にも同様の区別があったとは思えないが。)
ちなみに、官幣大社の中にはパラオのコロール島の南洋神社なんてのもあったそうな。(ミクロネシア連邦にはなかったのかなあ)

で、上古に復する形で「熊野大社」の名称となったのは実に1977年!
は〜、そんなもん、ついこないだのことじゃ〜ん!沖縄海洋博より後じゃ〜ん(アラ?)、Stevie WonderがSongs in The Key of LifeでGrammy賞4部門獲得した年じゃ〜ん(アララ!?)、映画Saturday Night Feverの作られた年じゃ〜ん(うはぁ〜〜!?;ちなみに日本公開は翌年)

言ってるそばから哀しくなるのは何故かしら?いつの間にか30年以上前・・・平城遷都と出雲風土記編纂の間よりも隔たってしまった。
どうせあたきは70年代の少年ですよ。ああ幸せ。

社格という観点からはもう一つ。出雲で名神大社が熊野坐神社と杵築大社(出雲大社)のみだったのならば、どちらが出雲国の一宮/いちのみやであったのか?
結論から言えば、これがどちらも一宮だった由。えええ!しかしこのような例もままあったようで、山城国では上賀茂神社と下鴨神社(二座で一柱とみなすのではなかったか)、相模国では寒川神社と鶴岡八幡宮(ただし後者は鎌倉期の創建であり将軍家との結びつきからそのように扱われたものらしい)、また筑前国でも筥崎宮と住吉神社がそれぞれ一宮とされていた。

そもそも、国ごとの一宮(や二宮・三宮等)の選定に公式な基準は存在しなかったらしく、平安時代、国司の任国下向の際に巡拝した順番に起源するというのが通説。
正式な社格とは異なるものの、国鎮守として広く認知されるに至った。現在も「全国一の宮会」なる神社組織が結成されている(!)そうな。

これらは地名にも取り込まれていて、愛知県一宮市がまず思い浮かぶ。ただこの場合、尾張国一宮とは真清田(ますみだ)神社(名神大)を指しており、あの熱田神宮は意外や三宮。

神戸市の三宮(JR駅名のみ「三ノ宮」)も同じノリだとばかり思っていたら、実はそうではない。これは生田神社の八柱の神を祀った一宮〜八宮のうちの三番目のお宮のことだった、とはこれまた意外。(生田神社は摂津国にあるが、これ自体は○宮等ではなく、同国には一宮として大阪市の住吉大社があるのみ)
ちなみに「神戸」の地名は各地に様々な読み方(こうべ・かんべ・ごうと・ごうど)で存在するが、これはもともと神社の所有する人戸を意味した普通名詞であり、神戸市の場合はやはり生田神社の社領地であることを表す。

で、ついに、「祭神」について。(これだけはやりたくなかった、まあここがキモなんだけど;苦笑)

To be continued...

熊野大社につきお勉強(の前振り(の前振り))

>「熊野大社」という場合、よく知られた紀伊和歌山のそれではなく、島根県にある熊野大社を指すそうなんですね。えぇ?そんなの知らんかった!!

-----

このことがどうも気になっている。
全く知らなかったなんて。紀伊の方があれだけ有名なんだから、ちょっとぐらいはかすってたってええじゃないか。(己の無知を恥じることを知らぬツルであった)

実はここらへん、あまり明るくない分野。特に、全国に分布する神社、例えば●●稲荷や八幡宮などが一体どんな神様なのかというのは気になる。熊野神社また然り、関東圏では氷川神社も広く見られるし。
天満宮も全国に数多いけれども、これは非業の死を遂げたあるいは不遇のうちに死んだ実在の人物を神として祀った、という由来がはっきりしているから、ちょっと別物か。ただ、北野と太宰府のいずれが総本宮なのかという疑問は感じているけれども。

というわけで、熊野大社のこと、一からお勉強。自由が丘熊野神社例大祭に合わせまして、というほどのものではありませんが。
蘊蓄じゃなくお勉強だから、浅く広く。どこらへんに着地できるかわからないけど・・・
Special thanks to Wikipedia.(おいおい)

「祭神」の問題が込み入ってるのはなんとなくわかってきたので、まずは手始めに「古さ」から。
社伝に頼っていても、あっさり「創建は神代」とか謂われてしまいそうなので、もう少し客観的なものはないものか。

「熊野大社」(島根の)の名前が初めて文献に登場してくるのはなんと出雲国風土記!いきなり恐れ入る。
出雲国風土記(733年:諸説あり)といえば、古事記(712年)や日本書紀(720年)とほぼ同時代。確か諸国の風土記の中で唯一完本に近いものが残り、記紀には記載のない「国引き」などの神話も出てくるはず。いわば平城遷都(710年)だってついこないだのことでしょ。「せんとくん」も真っ青。この時代に既に「大社」と見られていたわけだ。
と思っていたら、実際、日本書紀に出てくる厳神宮/いつくしのかみのみや(?)というのが熊野大社のことだという説があるらしい(出雲大社に比定する説もありとか)。

もう一つ、「規模」というか「勢力」も気になる。いま現在「●●大社」だって名乗っててもはあそうですかって感じだけれども、歴史的にどのくらいのものだったのか。

こうなるとやはり、「延喜式」に拠らざるを得まい。
延喜式は、平安期に編纂(905〜927年:施行はなぜか967年)された、律令(≒法律)を補完する格式/きゃくしき(≒施行細則)の一つ。平安時代に関する書物などを読んでいると、まず間違いなくこの名にぶつかる。
しかし編纂を始めたのが、菅原道真を讒した藤原時平だったとは知らなんだ。漢才の道真に対して和才の時平、てとこもあったのだろうか。

全五十巻のうち、巻九・十は「神名帳/じんみょうちょう」と呼ばれる全国の神社一覧。いくらかのランクづけとともに、3千社近くがリストされている。ここに記載されたものこそ、延喜式のうちにありとして「式内社」と呼ばれる神社であることよ。

で、同社は出雲国意宇(おう)郡のトップに「熊野坐神社/くまのにますじんじゃ」の名前で記されている。
名前だけ見ると「大社」からちょっと格落ち感があるけれども、ランク的には「名神大/みょうじんだい」と呼ばれる、式内社の中でもいっとう高い社格。
「名神」は霊験あらたかな神様の意味、「明神」と同じなのじゃないかな。「大」がつくのはすなわち「大社」のことである。
ちなみに「坐」は延喜式に多く見られ、神社の名称として「〜に居ます」の語は一般的だったのだろう。

あれ?ということは当時出雲に「熊野」の地名があったということではないか?(確認できていないが。)これは少なくとも熊野社の紀伊→出雲説を否定する根拠になりはしまいか。

To be continued...

バイオテロ成功せり

街なかに投下したバイオテロ要員ゼフィランサス・シトリナ、ついに開花に成功しました!バイオハザード第1号!

しかも下丸子の(キヤノンに次ぐ?)大企業、稲葉製作所の本社の生け垣の下であることよ。一輪だけでも目立ってる・・・かな・・・?
Zephyranthus citrina むしろ儚げな風情?

朝夕いや朝晩の通勤時にチェックしてて、蕾が上がってきてからも本当に咲くまで、抜かれてしまわないかどきどきだったんですけど。事実、もう一輪はなぜかむしられて落ちていた・・・(T_T)
生めよ殖えよ地に満てよ。

空中庭園@下丸子でもまた咲いてきてます。
蕾もまだまだついてるし アップ!

もちろん、ツルの塒のマンションの植栽にも投下。これも初開花。
サツキの植栽の中に

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