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2009年9月 5日 (土)

熊野大社につきお勉強(の前振り(の前振り))

>「熊野大社」という場合、よく知られた紀伊和歌山のそれではなく、島根県にある熊野大社を指すそうなんですね。えぇ?そんなの知らんかった!!

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このことがどうも気になっている。
全く知らなかったなんて。紀伊の方があれだけ有名なんだから、ちょっとぐらいはかすってたってええじゃないか。(己の無知を恥じることを知らぬツルであった)

実はここらへん、あまり明るくない分野。特に、全国に分布する神社、例えば●●稲荷や八幡宮などが一体どんな神様なのかというのは気になる。熊野神社また然り、関東圏では氷川神社も広く見られるし。
天満宮も全国に数多いけれども、これは非業の死を遂げたあるいは不遇のうちに死んだ実在の人物を神として祀った、という由来がはっきりしているから、ちょっと別物か。ただ、北野と太宰府のいずれが総本宮なのかという疑問は感じているけれども。

というわけで、熊野大社のこと、一からお勉強。自由が丘熊野神社例大祭に合わせまして、というほどのものではありませんが。
蘊蓄じゃなくお勉強だから、浅く広く。どこらへんに着地できるかわからないけど・・・
Special thanks to Wikipedia.(おいおい)

「祭神」の問題が込み入ってるのはなんとなくわかってきたので、まずは手始めに「古さ」から。
社伝に頼っていても、あっさり「創建は神代」とか謂われてしまいそうなので、もう少し客観的なものはないものか。

「熊野大社」(島根の)の名前が初めて文献に登場してくるのはなんと出雲国風土記!いきなり恐れ入る。
出雲国風土記(733年:諸説あり)といえば、古事記(712年)や日本書紀(720年)とほぼ同時代。確か諸国の風土記の中で唯一完本に近いものが残り、記紀には記載のない「国引き」などの神話も出てくるはず。いわば平城遷都(710年)だってついこないだのことでしょ。「せんとくん」も真っ青。この時代に既に「大社」と見られていたわけだ。
と思っていたら、実際、日本書紀に出てくる厳神宮/いつくしのかみのみや(?)というのが熊野大社のことだという説があるらしい(出雲大社に比定する説もありとか)。

もう一つ、「規模」というか「勢力」も気になる。いま現在「●●大社」だって名乗っててもはあそうですかって感じだけれども、歴史的にどのくらいのものだったのか。

こうなるとやはり、「延喜式」に拠らざるを得まい。
延喜式は、平安期に編纂(905〜927年:施行はなぜか967年)された、律令(≒法律)を補完する格式/きゃくしき(≒施行細則)の一つ。平安時代に関する書物などを読んでいると、まず間違いなくこの名にぶつかる。
しかし編纂を始めたのが、菅原道真を讒した藤原時平だったとは知らなんだ。漢才の道真に対して和才の時平、てとこもあったのだろうか。

全五十巻のうち、巻九・十は「神名帳/じんみょうちょう」と呼ばれる全国の神社一覧。いくらかのランクづけとともに、3千社近くがリストされている。ここに記載されたものこそ、延喜式のうちにありとして「式内社」と呼ばれる神社であることよ。

で、同社は出雲国意宇(おう)郡のトップに「熊野坐神社/くまのにますじんじゃ」の名前で記されている。
名前だけ見ると「大社」からちょっと格落ち感があるけれども、ランク的には「名神大/みょうじんだい」と呼ばれる、式内社の中でもいっとう高い社格。
「名神」は霊験あらたかな神様の意味、「明神」と同じなのじゃないかな。「大」がつくのはすなわち「大社」のことである。
ちなみに「坐」は延喜式に多く見られ、神社の名称として「〜に居ます」の語は一般的だったのだろう。

あれ?ということは当時出雲に「熊野」の地名があったということではないか?(確認できていないが。)これは少なくとも熊野社の紀伊→出雲説を否定する根拠になりはしまいか。

To be continued...

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