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2009年9月12日 (土)

熊野三山につきお勉強 下

(承前)

もともと熊野三山は成立過程からして別々であったところ、互いの神を祀り合うようになってから一体性を帯びていったものらしい。

さらに状況を複雑にしたのが、出雲の熊野大社においては明らかでない、仏教との混淆による本地垂迹(すいじゃく)である。すなわち;
 家都美御子神(スサノオ)、
 熊野速玉大神(イザナギ)、
 熊野夫須美大神(イザナミ)
は、それぞれの本地仏とされる;
 西方極楽浄土の阿弥陀如来、
 東方浄瑠璃浄土の薬師如来、
 南方補陀落浄土の千手観音菩薩
が衆生救済のため神に化身してこの世に現れた(迹(あと)を垂れた)仮の姿、すなわち権現であるとされた。「権」は「権大納言」と同じく「仮の」の意。
かくして熊野三所権現、さらには他の祭神も合わせて熊野十二所権現が形成された。おそらく神前で読経も行われたことであろう。
神さんと仏さん、一粒で二度おいしい(古っ)このやり方、人気出るはずやわ。「蟻の熊野詣で」、今風に言えば「行列のできる神社仏閣」的地位を獲得したのであった。

このうち那智大社の熊野夫須美大神すなわち千手観音への帰依は、熊野灘の南方の果てに浄土があると信じて僧侶が小舟で旅立つという捨身行、補陀落渡海/ふだらくとかいをも生む。
ちなみに、チベット/西蔵仏教の聖都ラサ/拉薩のポタラ宮の語源も、補陀落のサンスクリット名ポタラカにあるとか。
観世音菩薩の化身なるダライ・ラマ/達頼喇嘛、本来ここにおはしますなり。現代の補陀落、主を失い今年はや丸五十年。生きてるうちに一度はこの目で見てみたい場所。

補陀落信仰は琉球諸島南部の八重山諸島にも似たものがあって、パイパティローマ(南波照間)伝説と呼ばれる(南=「ぱい」については、梅雨明けに吹く風を表す「白南風/しらはえ」など本土にも類例が)。すなわち、八重山南部の波照間島(ハテルマ=果てのウルマ≒珊瑚礁の彼方)のさらに南に楽園ありとして船で漕ぎ出し、実際にフィリピンなどにたどり着いた人々もあったらしい。どこまでも南を志向する楽園幻想。

また、前述したとおり、熊野三山で正紋とされるのは左三つ巴、琉球王家尚家の家紋もまた同じ左三つ巴、すなわち「左御紋/ひだりごむん」。巴はアジア全般において用例の非常に多い文様だから、これだけで紀伊熊野と沖縄の間に関係ありと妄りに断ずることはできないが。
しかしさらに、沖縄の神社ではほとんど熊野権現が祀られているという。どんな由来があるのだろうか。

↓熊野神社のご神紋 その2
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1228384/1247782/54783180

↓継継継 家紋夜話
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/1228384/1247782/54785455

沖縄との関わりは措くとしても、なぜ、記紀神話で日向や出雲を活躍の中心とするイザナギ、イザナミ、スサノオ三柱の神々の痕跡が紀伊の随所に見られるのか。
これはもう古代史論争の範疇でもあり、出雲勢力の大和東進に根拠を求める(むしろ逆に、こうしたピースの数々をもとに大和朝廷の起源を日向・出雲に求めるというべきか)説も唱えられているということらしい。


ううう、やっぱテマヒマかかったわー、これだけのことに。もうこれ以上は深入りしませんことよ。

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 かぞえうた
ひとだまひとつ
ふたしてふたつ
みつめてみっつ
よつゆによっつ
いつまでいつつ
むっつりむっつ
ななしのななつ
やつれてやっつ
ここにここのつ
とおくにとお
なむじゅういちめんかんぜおん
じゅうにしょごんげん

谷川俊太郎「ことばあそびうた」より

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