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2012年3月12日 (月)

梅花に寄せて

やっと満開です、空中庭園@下丸子でも。品種不明の白梅と、鹿児島紅と。

白梅(すこうしピンク) 鹿児島紅

前者は20年ほど前、会社に出入りの業者がお年賀に持ってきた盆栽をツルが分捕ったもの。後者は数年前に九州筑後の「御座敷梅林 青輝園」で買い付けた苗木です。香りは白梅の方が高いかな。

それにしても今年は遅い。八重大輪緑萼なんてまだ固い蕾!昨年は2月11日に梅の花の記事を書いたのに。
震災の犠牲者を悼み被災者を慰めるために遅れて咲いてくれたんだ、と言ったら綺麗ごとに過ぎるだろうか。

岩手県陸前高田市で昨日、津波の到達点をつないで桜を植えるというプロジェクト「桜ライン311」が行われたと報じられています。
サイトを拝見すると、ここまで津波が来る(来た)とわかっていれば、奪われる命ももっと少なかっただろうに、という趣旨から出た地元のボランティア活動のようです。

震災の記憶を風化させず後世に伝えていくこと、そして災害に強い国土づくりに役立てていくことはもちろん賛成です。その一方で、被災者の苦痛を考えると、地震につながる様々なものを残すことに、両手を上げて賛成する勇気もない・・・。

一昨日3月10日、宮城県石巻市雄勝町/おがつちょうで、公民館屋上に乗り上げた観光バスがついに撤去された。

雪の中の撤去

同県本吉郡南三陸町では、あの日30人ほどが屋上に避難して10人だけが助かった3階建の防災対策庁舎が、昨年9月、遺族の感情に配慮して解体が決まった。

南三陸町防災対策庁舎

同県牡鹿郡/おしかぐん女川町では、6月に町が女川交番などの横転建造物を数点保存する計画を立て、募金を行っている。

横転した女川交番

同県気仙沼市に打ち上げられた大型船17隻のうち、最後に残された鹿折唐桑駅/ししおりからくわ付近の漁船「第18共徳丸」(総屯数330屯)は、6月に市が保存を打ち出している。

市街地に乗り上げた第18共徳丸

忘れるなと叫ぶ人と、逃れたいと泣く人と、皆悩んでいると思うし賛否両論の必ずある問題だと思う。遺構保存で人命は救えないという声もあると聞きます。
(1955年に広島平和記念公園として整備された原爆ドームの保存にもきっとそんな議論はあったはずで、60年代前半まで解体論も根強かったそうだ)
ツルは基本的には、人類は「負の遺産」も残すべきだという立場ですが。

でも、津波の記憶を桜に託して後世に残すというのは、正直言ってツルは納得しません。どうしてだろう。理由はいろいろ。

この国に桜はもう多過ぎる。
ツルが別に桜を好きじゃない。
この地で3月11日に桜の開花は望めない。
桜、特に染井吉野は寿命が基本的に100年程度しかない。
地震や津波と桜とに何の関係があるのか。あるいはどんな意味づけを新たにしようとするのか。

ツルの親あたり以上の世代だと(結構なご高齢ってことになるな)、桜や夾竹桃はどうしても好きになれないという人が少数派ながら必ずいます。戦時中の「咲いた花なら散るのは覚悟」という風潮をいやでも連想するとか、あの強烈な赤い花に終戦の夏、敗戦の日の記憶がフラッシュバックするとかの理由で。いたし方のないことにせよ、残念だ、気の毒だなあと思う。

ツルは植物オタクだけど、いや、だからこそ、そんな人間(じんかん)の事情なしに植物に親しめたらいいと希います。花は、ただそこに在る。
植物を植え育てる行為に特殊の意味を持たせることに、心からの賛同はできないというか。

・・・うーん、なんかそれもちょっと違う・・・

結局、負の記憶を正の記憶にすり替えることを潔しとしない心情があるのかもしれない。闘って闘って闘い抜け、自分自身と、みたいな。

ただ一本残った松の木に多くの思いが寄せられたのも、そんなところがあるのじゃないかとツルには思える。

奇跡の一本松 月下の一本松

ただ独り

そうか。あの松原の子孫を到達点に植えていくということだったらツルは納得します。
津波は7万本の松原を押し流した、でも、その達した所からまた新しい命が始まる、というのならば意味合いは全く違ってくる。

あの松の蘇生をついに断念したと発表された翌日、接ぎ木が岩手の森林総合研究所材木育種センター東北育種場で成功し、播種による発芽が住友林業で成功したと報じられたのは年末のほっとニュースだった。

材木育種センター東北育種場にて まだ幼く弱い緑だが

これらもきっと、松原再生(させるんですよね??)に使われることだろう、マツクイムシに強い新品種とか何とかと一緒に。千年に一度の大津波を踏ん張り抜いた木が最後に伝えた命は何とか元の場所に戻してやりたいよね。
もちろんそれも、地震や津波から人々が守られる、災害に強い町づくりをという目標がまずあってのこと。そのために、再び立派な松原を育てるために、まず使ってほしい。(願わくば全国からも苗木の集まることを)
でも一方、全てを流し去った津波が達した先端に、海辺の最前線で長く町を守ってきた松の子孫を植えていく、というのも復興の一つの考え方じゃないだろうか。被害の大きさを伝えるためなら、桜じゃなく。

あっという間に1年が経ち、決して復興は順調ではない。「絆」という砂糖菓子の衣も溶けてきてる。これからもっと利害対立の場面も増えてくるでしょう。被災地の復興を阻む真の理由は瓦礫受け入れを拒む我々の心じゃあるまいか。募金箱にはお金を入れて、でもあくまで対岸の火事、自分(の次の世代)に影響の及びそうなところには口を出してほしくない、というような。

そんなことを思いながら、敢えて挑戦的なことも含めて書かせていただきました、反論、反感を持たれる方もあろうかとは思いつつ。

それにしてもやっぱり涙が出てくる、直後の報道など読み返していると。

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