« 八王子 − 五男神にこだわってみた Part II | トップページ | 八王子 − 三女神・宗像大社・厳島神社に近づいてみた Part II »

2012年3月18日 (日)

八王子 − 三女神・宗像大社・厳島神社に近づいてみた

(承前)

> アマテラスとスサノオの誓約の時に生まれた三柱の女神は「宗像三女神」として知られ、福岡県の玄海灘寄り、宗像大社に祀られている。
-----

宗像大社って、ややマイナーな印象だけど、平安期の延喜式神名帳/えんぎしき じんみょうちょうでは「並名神大/ならびみょうじんだい」に列せられた、由緒ありかつユニークな古社。さらに遡って、大化の改新(最近では史実性が疑われているようだが)で神領を賜ったというから平伏ものです。

宇気比/誓約により生まれた八王子のうち三女神とは、古事記によれば;

 多紀理毘売命/たきりびめ(別名 奥津島比売命)
 市寸島比売命/いちきしまひめ(別名 狭依毘売命/さよりびめ)
 多岐都比売命/たきつひめ

といい、胸方/胸肩の民の信ずる神としてそれぞれ沖津宮、中津宮、辺津宮/へつみやに祀るとされている。宗像大社とはこの三つの宮の総称なんです、正確には。

日本書紀(本文)によれば;

 沖津宮:田心姫/たごりひめ
 中津宮:湍津姫/たぎつひめ
 辺津宮:市杵嶋姫/いちきしまひめ

となり、五男神同様、生まれた順番もちょっと違ってますね。「たごり」は「たぎり」の転訛したもの。注記の「一書曰/あるふみにいわく」の中には、古事記と異なり田霧姫≠沖津嶋姫=市杵嶋姫とするパターンも出てくる。

で、実際の宗像大社ではどうなのか。現在;

 沖津宮:田心姫神
 中津宮:湍津姫神
 辺津宮:市杵島姫神

となっていて、日本書紀本文と同じ。
同社のサイトには、『日本最古の歴史書とされる「日本書紀」』のことしか出てきません。まあ、天皇の勅による正史という意味では確かにそうだろうけど(苦笑)。

宗像大社の沖津宮のある沖ノ島(隠岐でも壱岐でもないよ)は玄海灘の海上約50km、本土と対馬のほぼ中間に浮かぶ面積1平方km足らず、周囲4kmの無人島(神官は常駐とか)。島そのものが御神体とされて、一般人の上陸は原則禁止。

精進潔斎して見よ、沖津宮

例外は毎年5月27日、日露戦争の日本海海戦(この近くで戦われたので、神官佐藤市五郎が木に昇って見ていたらしい)の日に行われる現地大祭の時のみで、事前申し込みによる200人限定(今も女人禁制)、前日から大島で中津宮に詣って、沖ノ島でも裸になって禊をしてからやっと上陸できるのだそうだ。荒天で漁船が港に緊急避難した時も、上陸に際して禊が求められるという徹底ぶり。

中津宮の大島(筑前大島)は本土から約6km、こちらはフェリーも通っている有人島。辺津宮は島ではなくて本土の田島の地におはします。
山岳信仰で、麓に遥拝殿、山頂に奥の院があるなんてのと同じ感じだろうか。ひょっとして、「沖」と「奥」って同系語なのかな。

ここでちょっとひっかかる。「市杵島」は明らかに「斎き島/いつきしま」つまり神聖な島のことだろう。であれば、この神様は本土の辺津宮ではなくて、海上の沖津宮か中津宮に鎮座すべきではないのか。古事記の記述の方がここはしっくりくる。
三女神の配置にも古来変遷はあったらしいし、三柱の中では市杵島姫がちょっと抜きん出ていたようだから、そのへんの集客力を狙って遷したりしたのかしらん?こんなとこが知りたいんですよ、ツルは。

そういえば湘南の江島神社にも似た名前があったような、と思ったらここも宗像三神だった!江の島の中に沖津宮、中津宮、辺津宮があるってのはややスケールダウン否めませんが、短気な江戸っ子にゃ丁度よい遊山先だったかも。ちなみに三宮の祭神パターンは宗像大社とは異なり古事記と同じ。

基本的に西の人間のツルにとっては、大きな神社に行くとだいたい「市杵嶋姫」の額を懸けた摂社末社がある感じで、これってどんな由来だろうと思っていた。
この名で思い出されるのは安芸の宮島の厳島神社。これまた宗像三女神を祭神としていて、宗像大社とはいわば姉妹関係か。ツルは今までなんとなく、厳島の神だから市杵島姫だ、これが宗像大社にも祀られたんだぐらいに思ってたけど、むしろ逆なんですね。

宗像三女神の信仰は、もともと海人族宗像氏の信奉する土着の地方神だったものが、大陸との接触が増えるにつれ国家神に転じていったものらしい。
古事記には、アマテラスが三女神に「宗像から朝鮮中国に至る海の道に下って皇統を助けよ」と命じる件りもあるし、この三社は地理的に一直線上に並んでいて、その線を延ばしていくと、対馬の北端をかすって釜山あたりに至る。微妙に怪しげな古代ミステリィロマンのかほり。

位置関係

各地の宗像神社や厳島神社はほとんどが畿内〜熊野灘〜瀬戸内海〜玄海灘に分布していて、これも大陸への航路に沿ったものだという(@_@)
となると、宗像辺りは船がちょうど日本本土を離れる最終地点だったと捉えることができる。一柱ずつ別の宮居として点在させたのもそんな旅路を手厚く守護する目的だったのではないか?事実、沖ノ島は航海上重要な目印でもあるとか。

宗像大社は海上安全のご利益をもって崇められ、秋季大祭では神輿に代えて満艦飾に大漁旗をはためかせた数百隻の漁船団が海上神幸を行うなんてのも、いかにも海人族の護り神らしいところです。
当然現代では陸上も含めた交通安全の神様となるわけで、日本で初めて自動車用のお守りを発売した(1963年(@_@))という、太宰府天満宮にも負けず劣らずなかなか算盤上手な神さんだ。福岡あたりじゃここの交通安全祈願のステッカーをつけた自動車、とっても多いです

(To be Continued...)

« 八王子 − 五男神にこだわってみた Part II | トップページ | 八王子 − 三女神・宗像大社・厳島神社に近づいてみた Part II »

文化Field:神祇」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 八王子 − 五男神にこだわってみた Part II | トップページ | 八王子 − 三女神・宗像大社・厳島神社に近づいてみた Part II »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想