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2012年3月 3日 (土)

祇園社につきお勉強(その1)

>2009/09/06
>祇園信仰は・・・と書きかけて調べ始めたら、これがまた難しくも面白くて枝葉繁りまくり。で、詳細は次回以降に譲ることとする。
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何だかずいぶん日が経ってしまったけれども・・・

祇園信仰は、仏教で天竺の祇園精舎を守護するとされた牛頭天王/ごずてんのうを本地、須佐之男命/素戔鳴尊を垂迹とする、本地垂迹思想に基づくもの。さらに、薬師如来を本地、牛頭天王を垂迹とする考え方もあるそうな。
インドの神様が仏教と融合してまた日本の神様と合体して・・・てな感じの、根っからInterracialな信仰です(^^)

しかしこの牛頭天王というのがまたよくわからない。牛の頭をして角も生えてるという異形に表され、疫病等を司る災厄神であったのは間違いないようだが、その根拠やら祇園精舎の守り神とされた理由やらにはいろいろ議論があっていまだに定説を見ない様子。
もとはインドの神だったという点についても、そのサンスクリット名は、漢名の牛頭天王からの逆成ではないかという説もあるぐらいで、何だか根拠があやふや。
もともと仏教に敵対する暴力神としての性格があったんじゃないかと思ったのだけど・・・。ひょっとすると、閻魔大王の手下の獄卒、牛頭・馬頭/ごず・めずとの混同ぐらいはあったかもしれないな。
スサノオはんもそないにようわからん神さんとくっつかいでもええのに。

話を一層怪しくするのは、陰陽師がこの信仰の隆盛に一枚噛んでいるらしいこと。蘇民将来伝説とも絡んで。
牛頭天王(または武塔天神)が、八大竜王の一人であり竜宮の王でもある沙羯羅/娑伽羅/しゃがら/さーがら竜王の娘を娶りに出かけた際、日暮れて宿を求めたところ、富裕な弟、巨旦/巨端/巨丹/古単/こたん将来はこれを拒んだのに対し、貧しい兄、蘇民将来は快く受け入れてもてなした。これに感じた牛頭天王は、願いの叶う「牛玉」を与え、以後蘇民は富貴となる。
(「うしだま」って変なの!と思ったらそうじゃなく、「ごおう」と読んで、「牛王」すなわち牛の胆嚢から取った「牛黄」のこと。熊胆/くまのいの親戚筋ですな。あれっと思って調べてみたら、熊野三山の護符で、武家や遊女の起請文、すなわち熊野誓詞にも使われた「牛王法印」てのも、もとは牛の胆汁を溶いて印を捺したものだった。祇園社の場合は「牛玉法印」と書いたのだとか)

熊野本宮の牛王法印

竜宮に赴いた牛頭天王は、紗羯羅竜王の三番目の娘、頗梨采女/波利采女/はりさいにょ(=善女/善如竜王)を妻として八年留まり、八人の子をなす。
竜宮からの帰還に際し、牛頭天王は巨旦に報復してその一族を悉く殺すが、ただ一人、巨旦の妻となっていた蘇民の娘には「茅の輪を腰に巻きつけよ」と告げてこれを目印に救い、また、疫病あらば「蘇民将来之子孫也」と唱えて茅の輪を身につければこれを免れると教えた(この時に「我は須佐之男なり」と名乗るバージョンも)。
以上が蘇民将来の伝承で、バリエーションはいろいろあるが、これを陰陽師たちが牛頭天王に結びつけて伝播していったらしい。

それにしてもヤな話だ。牛の頭をしたいかつい男に一宿一飯を惜しんだからといって、8年後に皆殺しに遭うなんて。ストーカーも裸足で逃げ出す、というよりほとんどホラーですがな。まあ、災厄神だからしょうがないか。

この話は、今も各地の神社で行われる夏越の祓/なごしのはらえの茅の輪くぐりの起源譚ともなっているし、当初は荒御霊を鎮めるための祭礼だった祇園会が、無病息災の祭りとなっていった経緯とも符合する。京都盆地も疫病の多い土地だったんでしょうな。

全国の祇園会が例外なく夏の祭りなのは、きっと夏に伝染病が流行蔓延しやすかったからでしょう。(インフルエンザはなかったのかな)
一方、冬の最中に行われる無病息災の祭りと言えば、岩手県を中心とする蘇民祭がある。その名のとおり蘇民将来のお祭りだけど、むしろ裸祭りとして知られ、代表格の黒石寺/こくせきじ蘇民祭でも、2005年までは全員一糸纏わぬ全裸というのが決まりだった(ただし参加が許されるのは男子のみ)。
奥州市の作った「胸毛の濃い裸の男性が大きく写った」黒石寺蘇民祭のポスターが、JR東日本から「女性客に不快感を与えセクシャルハラスメントに該当するおそれあり」として掲出拒否されたニュースは記憶に新しいところ(2008年)。さらに地元警察が「宗教行事であっても猥褻物陳列罪が適用され得る」(「チン列」と書いた方がいいかな?)と茶々を入れたり、一方、時の文科相まで「伝統文化に警察が判断を下すのはそぐわない」と応戦したりで、かえって全国的に知られるところとなり、この騒動の経済効果は30億円を超えたという試算もあるそうな。
まあ、その道のマニアには「チッ、これで正しい裸祭りが日本から絶滅した」とお嘆きの諸兄諸姉もおありのことでしょう(^_^;)

私見ながら、「ハラスメント(の防止)」と「個人情報(の保護)」が全てに優越してオールマイティに力を及ぼすという現在の仕組みは良くないと思います。だって社会はそこまで成熟してないもん。
これらの概念で保護されるべき法益が、他の(既存の)概念ではどうにも護られないものなのか、この概念があるからこそ護られる法益があるのかどうかが、まずツルにはまだよくわかりません。
それはまあ措くとしても、この二つの概念は特に、法益の保護を確実に行おうとするのなら同時に、本法益の限界や他法益との衝突や権利濫用制限といった問題も真摯に考えていかないと、視野の狭量な社会ができあがるだけという気がする。今はまだ受忍限度論の範疇にとどまっている、あるいは誤謬が蔓延している段階ではないのか。それに、振り込め詐欺だって悪徳リフォームだって名簿流出だって一向に減ってないじゃないか。
その意味で、個人情報保護の法制化(2003年)は拙速の謗りを免れない気がします、ツルは。

To be Continued...

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