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2012年3月11日 (日)

祇園祭につき一言

八坂神社と言えば毎度不思議に思うことが一つ。

祇園祭って、なんで八坂神社のお祭りなの??あんまり関係なさげじゃん(無知&不躾)。

そりゃ、住んでたんだからそれなりには知ってるつもりですよ。祭は山鉾巡行の後も二週間ほど続き(「後の祭り」の語源とも)、このため一般には六月晦日に行われる茅の輪くぐりの夏越の祓が、一月繰り延べられることも。また本来の中心行事は山鉾巡行ではなく神輿渡御であることも。そしてご神紋に切り口の似たキュウリ食べちゃダメってことも!

でも。メインの神社がまるで登場しない(ようにみえる)祭って、他にあるのだろうか?(ま、あるだろけどさ)

例えばこれが葵祭すなわち賀茂祭なら、御所→下鴨神社→上賀茂神社と進む行列(路頭の儀)だけでなく、神社境内での儀式(社頭の儀)も執り行われる。
また、同じ祇園会でも、博多祇園山笠だと、クライマックスの「追い山」は、各山が櫛田神社の境内からスタートして街なかを駆け抜ける(なんとタイムレースで!)。

これが京都の祇園祭だと、確かに神輿渡御では宮入りするけれども、よく知られた宵々山や宵山ではあくまで各山鉾を出す町内が祭の場であり、屏風やらなんやらほんやらのお宝を家うちに飾って道行く人々に見てもらったりするわけだ。屏風祭と言われる由縁。
(はてどこかのお祭りにも同じ風習があったような・・・?と思って調べたら、山陰あたりに分布する「一式飾り」だった。島根県平田市の平田天満宮祭で行われる「平田一式飾り」、鳥取県西伯郡南部町の「法勝寺一式飾り」など。家々で、いろいろな日用品を使って何かの「見立て」を造形するというもので、例えば竹ざるや巻簀で鎧武者を作ったり、自転車部品で巨大伊勢海老を作ったりといった趣向。)

八坂さんの境内に足を踏み入れることがないのは山鉾巡行にしても然り。(これを「しゃちほこじゅんぎょう」と読んだ友人がいて、総ツッコミ入れられてたっけ・・・)
巡行の順番は、年毎に籤引きで決められるが、長刀鉾(ほか数基)は「籤取らず」で常に変わらないことはよく知られた話。
巡行は、「籤取らず」で毎年先頭を勤める長刀鉾に乗った稚児が「吉符切り」を行う(ちなみに籤取らずで順番が決まっている山鉾は長刀以外にも数基ある)ところからスタートするけれども、この時ですら、長刀以下並み居る山鉾は四条通の烏丸通あたり(?)の路上に東を向いて陣取っている。そして、まっすぐに延びた都大路の果てには・・・八坂神社!

前にテレビで見て印象的だったのは、祇園祭のお稚児を勤めた経験のある(中年)男性へのインタビュー。曰く「四条通の向こう、東山から差し上った朝の陽の光を受けながら神刀で吉符を切った瞬間、眼下の人波が扇の形に左右に分かれてゆくのが、子供心に何とも緊張感に満ちた中にも誇らしく、そして鉾がゆっくりと動き出し・・・」云々。こう聞くと確かに一度は経験してみたいものだなあと思う。長刀鉾の稚児を勤めるには2,000万円ほどもかかるらしいから(+_+)、ツルなど縁無き衆生ではございますが。

つまりは、祭における神社の役割が薄いというよりも、京の町衆が育てた祭としての性格が強いと言いたかったわけでして。
歴史から言えば、平安京遷都以前から行われていたという貴族の祭、賀茂祭の方が古いにせよ、現在最も親しまれている庶民の祭だからね。
869年に御霊会の形で始まって以来、応仁の乱やら東京遷都やら第二次世界大戦やらによる中断が結構あったとはいえ(200年ほど絶えてたこともあるらしい)、千年続けるのはなまなかなことではなかったろう、いくら京都が連合国軍の攻撃の対象から外されていたとはいえ。底力を感じます。

・・・やはり祭りごとというのは、執り行わなければならないものと、なのじゃないだろうか。たとえ、凄惨な地震が来ようとも、です。

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