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2013年3月16日 (土)

七五調よたび − 寮歌にツッコミを入れてみた

卒業生以外誰も知らんような歌で締め括っちゃ申し訳ないので、も少し知られたオール七五調を旧制三高の寮歌から。

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第三高等學校
逍遙の歌
 作詞:沢村胡夷(こい)
 作曲:k.y.(*)


紅萌ゆる 丘の花
早緑匂ふ 岸の色
都の花に 嘯けば
月こそかゝれ 吉田山

緑の夏の 芝露に
残れる星を 仰ぐ時
希望は高く 溢れつゝ
我等が胸に 湧き返る

千載秋の 水清く
銀漢空に 冴ゆる時
通へる夢は 崑崙の
高嶺の此方 ゴビの原

ラインの城や アルペンの
谷間の氷雨 崩雪
夕べは辿る 北溟の
日の影昏き 冬の波
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(*)作曲者k.y.には、三高から京大に進んだ澤村胡夷(つまりこの歌の作詞者)と、京都音楽界の中心人物だったという吉田恒三(「こうぞう」ではなく「つねぞう」らしい)の二人が擬せられていて、真面目な検討が加えられているのだけれど、いまだに解決を見ないらしい。元々はあるクラスの「クラス歌」(*_*)で、しかも長調のメロディだった由。

ああ、暗い歌やわ。と言って悪ければ京風にはんなりどすなあ。
三高(および後身の京都大学)では、むしろ「紅萌ゆる」の名で知られるこの歌が「寮歌」で、「七五調の呪縛」で取り上げた「琵琶湖周航の歌」が「学生歌」ではなかったかと思うけど、記憶が定かでない。どっちもあんまり元気の出る歌じゃなくて、応援歌にゃ不向きですよね。まあ、両者ともいわゆる寮歌としちゃあメジャーだってところはさすが京大という気はするが。京都で坊さんと学生さんに楯突いたら生きてかれしまへんえ。

琵琶湖周航の歌の方がよく広まってるのは、1971年に加藤登紀子(「東大生歌手」として世に出た人です)が歌って、寮歌の範疇を超えた叙情歌謡として認知されたからでしょう。「紅萌ゆる」も彼女は吹き込んでるけど。

ツルがこの歌についてぶった斬りたいのは、この歌詞そのものです。ずばり、すごく変だと思う、どこぞからクレームつきそうだけど。実際にはなんと十一番まであってダラダラ続いていくんですが、初めの一〜四番が四季を表してるというので上に挙げてみました。でも、緊密な構成ってものが感じられない、既に。

なぜ、秋・冬になって唐突にInternationalに展開しちゃうのか?春の吉田山(三高の裏山です)の情景に始まって、秋に大陸へ目を向け、冬はさらに遠く欧州に想いを馳せていくのならば、夏にはまず本朝を俯瞰しておくぐらいの根回しってもんが要るでしょうが(笑)。
寮歌にカタカナ地名というのはかなり珍しいと思うんだけど、戦時中に書き換えを余儀なくされたわけでもない(らしい)のは、同盟国ドイツの地名が入っていたためだろうか、それとも三高反骨精神のなせる技か。

「銀漢」とは月のことかと思ったら銀河だそうな。銀河って「冴ゆる」ものなんですかね・・・?「月」や「星」ならわかるけど、それぞれ春と夏に使っちゃってるんだよね。月は秋の季語だから春に用いるのはおかしい、なんて言ってるのではありませんが。

しかも、「崑崙の」と大きく出たなと思いきや「高嶺の此方」ですよ、「高嶺の彼方」ではなくて。そんなとこで引き返してちゃいつまでたってもライン川の古城には辿り着けませんて。

夏は夏で、昼なのか朝なのか夜なのかもよくわからないし、下を向いて歌っているのか上を向いて歌っているのかも定かでない。要するに、視点がはっきりしなくて情景が極めて断片的なんです。

冬の「夕べは辿る北溟の」だって、いきなり丹後半島くんだりの浜辺まで足を延ばしたんかい、それとも北欧辺りの海を思い起こしとるんなら固有名詞出しなはれとどつきたくなってくる。「溟」は海のことです、ざっくり言えば。

でも、最大のツッコミどころは、「都の花に嘯けば」でしょう。ここ、「都の春に嘯けば」でなければならないはずなんです。二〜四番には「夏」「秋」「冬」の字が入ってるのに、一番だけ「春」がない。代わりに「花」が二度も出てくる。そもそも断片的だから目立ちにくいけど、全体の意味が通らなくなっている。この問題は当初から関係者の頭を悩ませたらしくて、「都の春に」としてある資料もある。

冒頭の「紅萌ゆる丘の花」についても、「萌」の字はおかしいのじゃないかという意見が昔からある。「花が燃えるように紅い」のであって、「草木の芽が萌え出る」のではないというのがその論拠。これは「早緑匂ふ岸の色」の対句が続くことを考え合わせると確かに説得力がある。

その「岸の色」だって限りなく突飛です、吉田山にそうした池なんてないのだから。(ほんとは「龍神池」とかいう小さな小さな池があるのだけど、あまりに小さくせせこましくて「早緑匂ふ岸の色」の風情にはおよそ程遠い)

「丘」だって、「岡」じゃないのかとかいやいや「丘」が正しいんだとか侃々諤々。

そんなこんなで、今、吉田山に建つ石碑には「紅もゆる 丘の花」と彫り込まれています。

同じような問題は「琵琶湖周航の歌」にもある。
よく知られているのは、六番で「西国十番 長命寺」と歌われた滋賀県近江八幡市の長命寺が、実は西国三十三所の十番札所ではなくて三十一番札所であること。ここの一つ前の三十番札所が、この歌の四番に「古い伝えの竹生島」と出てくる、琵琶湖に浮かぶ竹生島/ちくぶしまにある宝厳寺/ほうごんじ(cf. 2012.03.19「八王子 − 三女神・宗像大社・厳島神社に近づいてみた Part II」)。長命寺へのお遍路は宝厳寺から船で渡っていたのだから、確かに琵琶湖周航には縁があるんですけどね。
実際に「西国十番」に当たるのは三室戸寺/みむろとじだけど、これは京都府宇治市だから琵琶湖とは別に関係がない。つまりは語呂のよさだけで選んじゃったわけ。
そもそもなんで京都の学校が「我は湖の子」なんて具合に滋賀の琵琶湖を詠み込んでいるのか。これがもとは三高漕艇部の部歌で、琵琶湖がその練習場所だったからです(今も京大ボート部の部歌だとか)。作詞した小口太郎も漕艇部員で、琵琶湖周航は実体験だったはず、なんですがね。

紅萌ゆるにせよ琵琶湖周航の歌にせよ、三高生、結構適当やなあ。

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