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2013年10月14日 (月)

新田神社 破魔矢縁起(上)

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ツルの住んでるご近所、大田区矢口にある新田神社も(地元では?)「破魔矢」の発祥の地とされてるけど、これの起源を名乗る神社なんて他にいくらもありそう。
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弓矢が破邪の徴とされたのはずうっと昔からで、弓弦を弾いて鳴らし魔物を寄せつけないようにする「鳴弦/めいげん」は宮中で出産・誕生・病気・日食などの不吉事の際に盛んに行われたし(今でも誕生後のお七夜まで「読書鳴弦の儀」は行われているらしい)、源氏物語の夕顔帖でも、夕顔の女が六条御息所の生霊に取り殺される場面で源氏が随身に鳴弦を命ずる件りが出てくる。
鳴弦は、鏑矢/かぶらやを用いて実際に射る儀礼に発展する。鏃/やじりに中空の鏑をつけた鏑矢は、射ると笛のように鋭い音を発して飛んでいくところから(ツルも一度京都で聞いたことがあるけど、どこの寺社の行事だったか思い出せない)、鳴弦同様「音」に霊力を見出し、その音で邪気を祓う意味があったのだろう。
鏑矢はまた戦場でも戦闘開始の合図として射られた。物事の始まりのことを「嚆矢/こうし」というのはここから来ている(嚆矢=鏑矢)。

ええと、破魔矢の風習も、だからもっと古い時代からありそうに思ったんですけどね。でも、調べてみると、新田神社の伝承も相当箔があるんです。江戸初期の井伊直孝公と豪徳寺の招き猫の逸話にも劣らず。

この新田神社、今年鎮座655年を迎えられて、この10月5日には小雨の中、稚児行列も出てました。知名度は低いですが、創祀1358年、なんとあの金閣寺創建(1397)より古いんだぜえ。境内にはすっごく大きなケヤキのご神木があって、風格を添えています。幹の太さなんていったらもう。

新田神社

このケヤキ、社殿側から見るとまたすごいんですが、それは実際に来て見た時のお楽しみということで。
最寄りの駅は東急多摩川線の武蔵新田(むさしにった)駅、この駅名も神社に由来するものです。

御祭神は南北朝時代の武将、新田義興公(1331〜1358)。鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇方すなわち南朝方の新田義貞の次男。新田神社サイトによる縁起はこうです(抜粋:字句・表現の不具合を少し直しています)。

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 武蔵野合戦を始め各地に奮戦され、一時、鎌倉を出て越後に下り待機養兵されたが、武蔵・上野の豪族等に擁立されて再び東国に入られた。この事を聞知した足利基氏・畠山国清は大いに恐れをなし、夜討・奇襲を企てるが常に失敗した。そこで、国清は竹沢右京亮・江戸遠江守らに命じて卑怯な計略を巡らした。

 正平十三年(1358年)十月十日、江戸・竹沢らの用意した舟で矢口の渡しを渡ろうとされたところ、舟が川の中流に差し掛かると、江戸・竹沢らに言い含められていた渡し守は櫓を川中に落とし、これを拾うと見せかけて川に飛び込み、予め穴を開けておいた舟底の栓を抜き逃げた。欺かれたと気付かれた時は既に遅く、舟は沈みかけ、鯨波の声とともに江戸・竹沢らの軍勢に矢を射かけられ、終始一貫その忠儀を尽くされた義興公と従士十三人は矢口の渡しで壮烈なる最期を遂げられた。

 その後、十月二十三日悪計加担の渡し守等は多摩川にて難船水死し、江戸遠江守は矢口にて義興公の怨霊に悩殺され狂死した。基氏入間川領内には義興公の怨念と化した雷火が落ち、竹沢・畠山も罪悪を訴える者があり、基氏に攻められ諸所流浪の末死んだ。この後も義興公の怨霊が「光り物」となって矢口付近に夜々現われ、往来の人々を悩ました。そこで義興公の御霊を鎮めるために、村老等によって墳墓が築かれて社祠が建てられ、「新田大明神」として広く崇め奉られた。
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このお話は軍記物の大作「太平記」にも出てきます(山岡荘八とか吉川英治とかじゃないよ、古い方だよ)。これによると、10月10日、「名月の宴を催す」と称して矢口の渡しに誘い出したことになっている。坂東武士ながら風雅ですな。そして義興殺しから半月も経たない10月23日、江戸遠江守高良は矢口の渡し近くで雷に打たれてしまい、その場の命は助かったものの7日にわたって溺れる様を繰り返した挙げ句に狂死する。さっすが、こういうところの書きっぷりは太平記ならではです。

菅原道真の天神信仰同様、非業の死を遂げた人物が荒ぶる神として祟りをなす「御霊/ごりょう信仰」の典型(cf. 2012.02.19「天満宮につきお勉強」)。火雷神というところも同じです。
境内には敵方の者が近づくと声を発するという「唸る狛犬」があったりする。近くには従臣を祀った十騎神社(十寄神社)/じっきじんじゃ/とよせじんじゃもあって、新田神社に願を掛ける時はまず十寄神社にお詣りしてからでないと聞いてもらえないというしきたりです。悪玉の渡し守の名に因む「頓兵衛地蔵」、別名「とろけ地蔵」なんてのまで現存します。義興公の怒りでお顔がとろけているというお地蔵さま。

とまあ、ガジェットがっつり満載。つい1年ほど前にも、頓兵衛地蔵の祠が傷んでいるので寄付を募るチラシが町なかに貼られてましたっけ。

(続く)

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