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2014年10月26日 (日)

屋島から日光・宇都宮・那須を念じてみた

(承前)

【その116】の八幡市観光協会からとんだ枝葉が繁ってしまったので、ここは一つ讃岐国屋島にも花を持たせてやらずばなるまい。

ご当地を舞台とした平家物語「扇の的」のクライマックスは次のとおり。

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矢比[ごろ]少し遠かりければ海の面一段ばかりうち入れたりけれども、なほ扇のあはひは七段ばかりもあるらんとぞ見えし。比[ころ]は二月十八日酉の刻ばかりの事なるに、折節北風烈しくて磯打つ波も高かりけり。舟は揺り上げ揺り据ゑて漂へば、扇も串に定まらず閃いたり。沖には平家、舟を一面に並べて見物す。陸[くが]には源氏、轡[くつばみ]を並べてこれを見る。いづれもいづれも晴れならずといふ事なし。
与一目を塞いで「南無八幡大菩薩、別しては我国の神明、日光権現、宇都宮、那須湯泉大明神、願はくはあの扇の真中射させて賜ばせ給へ。射損ずるほどならば弓切り折り自害して人に二度面を向くべからず。今一度本国へ迎へんと思し召さば、この矢外させ給ふな」と心の内に祈念して目を見開いたれば、風少し吹き弱つて扇も射よげにぞなりにけれ。与一鏑を取つて番ひ、よつ引いてひやうと放つ。小兵といふ条、十二束三伏、弓は強し、鏑は浦響くほどに長鳴りして過たず扇の要際一寸ばかり置いてひいふつとぞ射切つたる。鏑は海に入りければ、扇は空へぞ揚がりける。春風に一揉み二揉み揉まれて海へさつとぞ散つたりける。皆紅の扇の日出だいたるが夕日に輝いて白波の上に浮きぬ沈みぬ揺られけるを、沖には平家、舷[ふなばた]を叩いて感じたり。陸には源氏、箙[えびら]を叩いて響めき[どよめき]けり。
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あー、描写が華やかにカッコいいですねえ、さすがに。絵姿の美しさに加えて、様々な「音」までが聞こえてくる。ツルは日の丸の真ん中を射抜いたように思ってたんですが、扇の要の少し上に当てたんですね。
これ、誓約/宇気比/ウケヒみたいなもんではないか。若き日の藤原道長が、「わが家から帝や后が立たれるものならばこの矢よ当たれ」「自分が摂政・関白になろうものならばこの矢よ当たれ」と呼ばわって的のど真ん中を射抜き、ライバルを顔色無からしめたという大鏡の「南院の競射」の話によく似た感じ(cf. 2012.03.16「八王子 − 五男神にこだわってみた」)。那須与一宗高(宗隆とも)は実在性を否定されているようだけど、飛び切りカッコよく創作されているのだろう。

与一が念じた「日光権現」とは、修験道の霊山たる日光三山におはします神々、すなわち男体山(=二荒山)の新宮権現、女峰山の滝尾権現、太郎山の本宮権現の総称。やれやれ、おとといは常陸と下総に詣でたと思いきや、今度は下野ですかい。
権現というからには本地垂迹による神仏混淆なわけで;

男体山
権現:大己貴命/おおなむち 則ち大国主命(父)
本地仏:千手観音菩薩

女峰山
権現:田心姫命/たごりひめ(母)
本地仏:阿弥陀如来

太郎山
権現:味耜高彦根命/あじすきたかひこね(子)
本地仏:馬頭観音菩薩

女峰山は栃木のイチゴの主力品種「女峰」の名前の由来となった山ですね。田心姫の名前にも見覚えがあると思ったら、宗像三女神の一柱、すなわちアマテラスとスサノオの宇気比から生まれた五男神&三女神の内ではないか(cf. 2012.03.18〜19「八王子 − 三女神・宗像大社・厳島神社に近づいてみた」)。

日光二荒山神社

この日光権現が現在の栃木県日光市の二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)ということらしい。「日光」って、「二荒」の音読みから来ているってご存じでした?(@_@)

調べてみると、同じ栃木県の宇都宮市街にある二荒山神社(ふたらやまじんじゃ)は別の神様だというのにもちょっとびっくり。

宇都宮二荒山神社

こちらは第10代崇神天皇の皇子、豊城入彦命/とよきいりひこのみことで、毛野国(=下野国&上野国)の開祖だそうな。この御社のまたの名「宇都宮大明神」こそ、誉れの射手の唱へたる「宇都宮」にてぞ候へ。
因みにどちらの二荒山神社も下野国一の宮を名乗って張り合ってます

もう一つの那須湯泉大明神というのは、栃木県那須郡那須町にある那須温泉神社とされている。祭神は大己貴命と少彦名命/すくなひこな。少彦名はたいてい大己貴/大国主とペアになって登場する印象で、各地の温泉を祀った神社にもこの二柱を祭神とするところが大変多い。温泉見つけたのも国造りの御業の一つということでしょう。

那須温泉神社

能の演目になった「殺生石」もここにある。瘴気つまりは火山性ガスを発して鳥獣を仆す石ですね。ツルは何となく東北にあるのかと思ってたんだけど。

えーっと、何の話だったっけ。つまりは下野国出身の源氏方の武士が屋島の海で、故郷の山の神々に御加護あれかしと祈ったわけです。

(続く)

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