流浪の民:テノールの部
(承前)
このドイツ語屋氏にかかったら、森 鴎外(*5)の「即興詩人」(*6)や上田 敏(びん)(*7)の「海潮音」(*8)なんかも大変なことになりそうだ。
(*5) 1862年2月17日(文久2年1月19日)〜1922年(大正11年)7月9日
(*6) Hans Christian Andersenのデンマーク語の小説 "Improvisatoren"(1835年)のドイツ語訳からの重訳:1902年(明治35年)刊
(*7) 1874年(明治7年)10月30日〜1916年(大正5年)7月9日
(*8) 29人の詩人の57篇を集めたAnthology:イタリア語・プロヴァンス語の作品については英語訳からの重訳:1905年(明治38年)刊
え!森鴎外と上田敏、命日一緒なんだ!干支も同じだし(笑)。
明治になって、一挙に新奇な文物、特に文学/Literatureが流入してきた時、西洋の歴史や文化についての理解・素養/Literacyのない当時の日本人にそれらを受容せしめるため、彼の地の故事来歴に関わる内容を漢籍のそれに置き換える手法はしばしば行われた。
これは鴎外が1902年に10年がかりで完成させた「即興詩人」の翻訳で大胆に採り入れて、文壇に大きな影響を与えたものだと思っていたけど、そんなカンタンな話には非ざりき。
既に明治期前半、シェイクスピアの戯曲が紹介された時にはいずれも舞台装置が歌舞伎仕立ての和風に変えられているし、巖谷小波(いわや さざなみ)(*9)が1895年(明治28年)に出した「子猫の仇」はグリム童話の「狼と七匹の子山羊」をヤギからネコに置き換えたもの。騾馬を鳥に変えたのと、趣旨は同じでしょう。
1900年(明治33年)に坪内逍遙(*10)が高等小学校の教科書用に訳した「シンデレラ」なんて、題名も「おしん物語」ですよ。Cinderella=おしんとは(@_@)!!Charles Perraultも橋田壽賀子もWalt Disneyも小林綾子も仰天必至ですが、国民に広く親しまれその蒙を啓くべきものとするために、明治の文豪さんたちは涙ぐましい努力を真剣に続けていたわけです。
(*9) 1870年7月4日(明治3年6月6日)〜1933年(昭和8年)9月5日
(*10) 1859年6月22日(安政6年5月22日)〜1935年(昭和10年)2月28日
見方を変えれば、そうした数多くの先人達の労作のうち、現代に残った数少ない例の一つがこの「流浪の民」と言えるのではないか。時を経て今に至る、というのはそういうことでしょう。
色鮮やかなガジェットに頼ることなくここまで印象的な世界を創り上げた石倉の功績も、そんなところにあるのだと思う。
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と、まあ、日本語歌詞と原詩との間にはこのような違いがあるわけだ。先にも述べた通り、詩の訳というのは難しいし、曲に合わせる必要もあるから、完全に忠実な訳でなければだめだとは言わない。しかし、他の差異は大目に見るとしても、「ニイルの水」だけは私は決して許すことができないのだ。偏狭だろうか。
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ううん、偏狭なんかじゃないんです、浅薄なんです。
「海潮音」の中心をなす象徴派の詩などでは特に、そんな態度で接したのでは訳したことにすらならないでしょう。映画の「日本語版字幕」の大家、戸田奈津子のコメントも是非欲しいところですが(笑)。
ドイツ語屋氏の批判は、次のような呼びかけで締め括られている。
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歌をやる方へ。訳詩があっても、一度は原詩を読もう。私のように原詩主義者になる必要はないけれど、きっと新しい発見があるはずだ。
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いいや、そうではないでしょう。ドイツ語がわかるようになったので原詞を初めて読んでみたら、昔からなじんでいた訳詞と随分違っていたので、何かを新発見した気分になって書いてみた、それ以上のものとは思われない。
なんかね、例えれば、伊勢神宮にお詣りしたら参道の燈籠に六芒星が一つ一つ刻んであった、すわ「日本とユダヤは古代においてつながっていた!!」なんてネットに上げちゃうDQN行為と同じ図式(この手のトンデモ噺はよく見かけますね;笑)。
歴史的視点を持たずに(あるいは持とうとすることなしに)、言葉の表層を軽く触っているだけで何も読み取っていないものを、「原語尊重主義」「原典至上主義」と呼び得るものではあるまい。
そして、「批判」を敢えて行うならば全能全力を尽くせ、でなければ批判の名に値しない、です。その時には己れの不明を恥じるだけである。
(塩キャラ批判、テンプレ公募ガイダー批判を延々展開しているツルが言うんだからホントです(笑))
(続く)
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