流浪の民:アルトの部
(承前)
今回、Agressiveにガッツリいきますえ。
石倉小三郎の訳詞については;
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歌曲・合唱曲の名曲として古くから名高い、「流浪の民」。しかし、その歌詞をよく見てみると、「詩を訳する」ということの厄介さが浮かび上がってくる。
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として論じているサイトがある。興味津々覗いてみたんですが。
冒頭二番目の連についてはこうです。
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ここでちょっと気になるのが、「ニイルの水」である。この訳詩では、現に彼らがいる森の中にある泉か何かのように聞こえる。水浴びでもしているところなのだろうか。
…だが、これは実は
〔中略〕
という意味なのだ! そう、あのエジプトの大河、東アフリカ大地溝帯から出でて地中海に注ぐ、あのナイル川である!
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とまあ鬼の首を捕ったる風情にて、既に微妙に不吉な予感。〔中略〕の部分には、「ドイツ語屋」「原詩主義者」「原語尊重主義者」と自らを規定する管理人氏の逐語訳がついているけれど、敢えて記しません。
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ツィゴイナー(ロマ)が英語では「ジプシー」と呼ばれていることを思い出してほしい。これは、彼らがもとはエジプト出身の民族である、という俗説に基づいた呼び名である。だからこの詩でも、「ナイル川の」とか「スペインの」とか言う表現が出てくるわけだ。「ニイルの水」では何のことやらさっぱりわからない。
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あのねえ。ナイル川のことを「ニイル」と呼ぶのは常識の範囲内ではなかったのかね、当時の。百歩譲って、少なくとも「これはナイル川を表すのではないか」ぐらいのことは推測できそうなものである、今だって。
こう言っちゃ身も蓋もないけど、ツルだって小学校低学年の時には知識として知ってたぞ(姉が中学で合唱部に入ってたからということもあるが)。
あまりに高踏的でしょうか。しかしそんなこと言ったら、この訳詞には原詞にある肝腎のZigeuner/ツィゴイネル(*4)の語だって出てこない。タイトルからして原語では"Zigeunerleben"、つまり「ツィゴイネルの暮らし」です。けれどそれは誰もが知っている「常識」としての共通項だから、わざわざ登場に及ばずとして意識の裡から弾き出され、「流浪の民」と題されたわけ(ドイツ語屋氏もここは問題にしないのね)。
(*4) [英]Gypsy/ジプシー;[仏]Gitan/ジタン;[西]Gitano/ヒタノ;自称としてRoma/ロマなど
生真面目に調べてみるとやはり、ドイツ語では「Nil」だそうで(この歌の中では「das Niles」として出てくるが)。これはアラビア語の「ニール」に由来していて、フランス語も同様です。英語のように「ナイル」と発音するのはむしろ少数派らしい。日本語中での外国の地名の表記については、慣例的なもの(イギリス/ベニス/エベレスト/揚子江など)を除いて現地での発音・名称を旨とすべしとされているから、その意味でも例外的です。
石倉の時代には、今よりドイツ語が優越していた。てか、明治、大正、昭和(戦前)と、日本の学問は極論すれば独逸一色だったわけでしょ。ツルは大学の第二外国語でフランス語を取ったけど、父親(旧制高校の文乙、つまりドイツ語クラス卒)に「なんでドイツ語を取らんとか」と責められて面食らったものです。
ドイツ語屋氏の批判は、この後、「南の邦」が原詞では「スペイン」であるのにどうだとか、「眠りを誘ふ夜の風」のくだりに「ぶな」が出てこないのはこうだとか、いろいろ続きます。
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ぶなだよ、ぶな。なんでこの一語を抜かすのかね。最初に出ているから今度はいいと思ったのか。土地の雰囲気を出す小道具を平気で切り捨てるというのは、どういう詩人か。
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最終連に対しては、こんなツッコミが。
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だぁーっ、どこで鳥が鳴いてるんだよ! 勝手な想像じゃないか! ラバは出てこないし。
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つまりは「原詩主義者」を標榜する立場からのコメントなんですけど。
ここまでのツルの疑問。そもそも、原語・原典尊重と、「ニイルではナイルのことだとわからないからダメ」という論とは、そもそもが相容れないものなんじゃないんですかねえ?
(続く)
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