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2015年8月28日 (金)

【番外編】秋田・福岡ストーリー(あるいは断ち切られた未来)(秋田県章・福岡町章)

(承前)

もちろん、Swoosh以前からも丸ブー的なものは存在している。例えば日本でも。

秋田県
県章
潮 美鶴(群馬県吾妻郡六合村(あがつまぐん くにむら:現 中之条町))
秋田県章

(Wikipediaに載っている県章はいい加減な作りだし、情報にも不正確なところがあります。)

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(2009.02.20 県職員blog「秋田で元気に!」抜粋)

〔前略〕

ところで、昭和34年に県章に決定したこのマークの作者のことをご存じでしょうか。
このマークをデザインしたのは、群馬県吾妻郡から応募された潮 美鶴さん(故人)です。
しかしお名前は偽名、住所も実在のものではありませんでした。
実は、ハンセン病を患い、誤った隔離政策のために、強制的に家族からも故郷からも離されて療養生活を余儀なくされた本県出身の方が、秋田を想いながら身元を隠して応募した作品だったのです。
当時は、本人を確認することができませんでした。
それでも、勝平得之氏などの審査員がデザインの完成度が高く、大変優れた作品であるとし、ほとんど補作することなく、県章に選定しました。

〔後略〕
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ローカル紙にはより詳細な経緯が書かれている。

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(2005.07.01 秋田魁新報 抜粋)

〔前略〕

県章には、三百九十六人から六百九十点の作品が寄せられた。この中から入選作に選ばれたのが、ハンセン病の元患者の作品だった。
当時の資料によると、応募封筒には「群馬県吾妻郡六合村栗生、潮 美鶴、公務員、三十四歳、男、『(昭和)三十二年まで県内に在住、転勤した』」と書かれてある。添え書きとして「アキタの“ア”を図案化し、秋田県の地形をかたどり、文化、産業、歴史、観光に飛躍する姿を表徴」とある。
審査は三次まで行われ、優秀作品七点まで絞られた。県側が七人の氏名、住所を確認したが、潮さんについては確認できなかったという。このため、九月に開かれた最終審査会では、潮さんの作品を入選作と決めたが、「本県出身者と確認されれば入選。県外の人だった場合は、次点の作品を入選とする」との条件が付けられた記録が残っている。
県では潮さんの確認のため、昭和三十四年九月上旬に応募封筒にあった住所に速達や電報を送ったが、返事はなかったようだ。送られた二通の電文は「あなたと秋田県との関係を(九月)十一日まで知らせたし。返なきときは失格とす。企画室」「本名とご尊父の住所氏名をお知らせ請う」とある。佐藤さんによれば、本人からの返事があったかどうかは不明だが、その後の入選作品発表で、「平鹿郡出身で病気療養中の潮 美鶴氏(三三)」とあることから、県が潮さんを確認できたことがうかがえる。
同年十一月三日には、秋田市山王体育館で発表会と表彰式が行われたが、潮さんは出席しなかった。賞金三万円と賞状は郵送されたという。

〔後略〕
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この作者に再び光が当てられたのは、実に半世紀の後。

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(2005.07.03 朝日新聞 抜粋)

〔前略〕

昨年10月、大潟村のホテル。県が年1回ほど催しているハンセン病元患者の「里帰り事業」の式典が開かれた。
そのあいさつの中で、群馬県草津町の療養所「栗生楽泉園」の県人会会長を務める鈴木幸次(本名・光司)さん(81)が、ふともらした。
「秋田県章は、我々の療友がこしらえたものなんです」

〔中略〕

鈴木会長はこう明かす。
当時、療養所内では、患者20人ほどのグループがあり、公募された全国の自治体や企業などの記章に応募していた。
重度の患者を別の患者が世話などして生活する中、懸賞金などを少しでも足しにしていたらしい。
県章に選ばれたとわかったときは、みんなで喜び合ったという。その「潮氏」も10年ほど前に他界した。
「家族にさえ存在を明らかにしたくないと、住所を違えたり、名前を変えたりした人もいた。我々が偏見の中におかれていた時代の話です」
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そうだったんだ・・・。住所も、療養所の「草津町」から隣の「六合村」に変えて応募したんですね。草津は、近代になってハンセン病に効果があると認められた温泉だとか。Swoosh Storyが少しお化粧した「いい話」なら、こっちは「深い話」。真実の重みが胸に迫る。

この顕彰には当時秋田県健康対策課副主幹だった佐藤一枝(48歳)の尽力があった。しかし佐藤は「個人の特定が目的ではない」として、敢えて本名は調べていない。それもまた見識です。

1959年にこのデザイン(これで[ア]がモチーフだなんて驚嘆する)を作り出した、見出したというのは大変な先進性&審美眼だと思う。勝平得之(かつひら とくし:1904.04.06〜1970.01.04)はご当地生まれの版画家。

因みに、7年後の1966年4月には次の作品が公募で制定されている。

岐阜県恵那郡福岡町
町章
潮 美鶴
福岡町章

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福岡町の[フ、ク]を図案化して、[二ツ森]と[三界山]を象り、町の躍進発展を表現するとともに、[円]は町民相互の信頼融和と、協力団結を力強く象徴する。
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同姓同名であっても必ずしも同一人物とは限らないということでしょう、この場合。差別の歴史に思いを致せば。
旧 福岡町は2005年2月に合併により消滅して中津川市の一部となっているから、残念ながらこの町章も今はもうありません。人間ならずとも形あるものは全て滅びる。

これらを知った後では、平成大合併に伴うガイダー丸ブーがいかにも水ぶくれのぶよぶよしたものに見えてきちゃう。
塩崎一族が、工藤一族が、井口一族が、平山一族が、あるいは信貴正明/美和が、海山 幸/増田繭美が、小山朝子/柿沼朝子が、渡辺光仰/光お/光が、様々に名義を変えながら公募に勤しんでいるのも改めてケチな話に思えてくる。名前を変えて応募せざるを得なかった潮 美鶴の例とは全く違うわけで。
一体、公募の世界は進歩してると言えるのかね。

昔のものは何でも良かったなんて言うつもりは死んでもないし、ペンネーム使用も基本的にはアリだと思いますが、「のっぴきならなさ」の点において、やはり雲泥の差があると思います。

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