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2015年9月19日 (土)

【緊急投下】わたしはそうは思わない(東京五輪エンブレム):2

(承前)

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(1)選考過程が密室的である(からこんな葬式みたいなダサいのが選ばれるしパクりも排除できなかった)
(2)公募といいつつ高過ぎる資格制限をつけた(のは若い才能の締め出しである)
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密室性の問題については、(いずれ例証しようと思っているけれども)ご当地公募で市民参加型として手間暇かけて結果がまるで伴わないものなどざらにある。公開性が衆愚性と背中合わせであるということから目を背けるからです。公募というシステムに過大な夢を抱いてはならない。
パクり/類似の問題は本質的には密室性と関係するものではないし、公示によって類似作品を炙り出そうとすることの危険性については、これも近々書こうとしているところです。

むろん僕らはデザイン界だの公募界だのに道徳を教える立場にはない(このblogの筆者がどの口をして言うか(-.-)y-~~)。求めているものは実は「結果」だけです。業界の在り方に問題があるのなら、そこを変えていくのは一義的本質的にはメディアの力でもネットの力でもなく、「国民の声」ですらなく、内在的な力ではないのか。そこのところを、お前らに(あるいは自分たち自身に!)そんな自浄力などないだろうと一方的に恫喝しているのが現状ではないのか。

二番目のポイントも、「資格制限なし、プロアマ問わず、実績問わず」の三拍子揃えば目指すものが得られますと言っているのと同じで、一般論としてはPrimitive & Naive過ぎておよそ考慮に値しない。だったら長野五輪のような、公募ではないコンペ形式による制定も(ツルは現時点、後者の方が優れていると思う)、五輪出場選手の選考も(しょっちゅうモメてますけど)、アカンってことになりますね。

無名の若手がポーンと飛び出してくることへの期待と、自分が選ばれるのではないかという期待とが入り交じった状態なんだろうか、社会としては。でもそうしたAmbivalenceは時折容赦なく牙を剥いて襲いかかる。期待が嫉妬と憎悪に転じてしまうからだろうか。小保方問題からは何も学ばれていない。

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2015/08/31
小保方のときも、批判する奴は若い女性研究者の業績に嫉妬しているんだ、といった論点ずらしが結構いたな。
全然通用しなかったが。
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せいぜいこの程度の認識です。ネットほどではないにしろ、マスメディアも大方同様。「メディアは利権と癒着して佐野を不当に擁護している」という主張に至っては、愚blogでは取り上げません。
最低限、テレビはエンブレム発表の際の佐野の映像を繰り返し面白おかしく流すことを中止すべきだと思う。

この二番目のポイントも、だから即却下といきたいところだけれども、ここも深掘りしてみればいろいろ思わされるところはあります。

五輪エンブレムの応募資格は、次の7つのコンペのうち2つ以上で受賞経験のある者とされていた。

・東京ADC(Art Directors Club)賞
・TDC(Typo Directors Club Tokyo/東京タイポディレクターズクラブ)賞
・JAGDA(Japan Graphic Designers Association/日本グラフィックデザイナー協会)新人賞
・亀倉雄策賞
・ADC賞(ニューヨーク)
・D&AD(British Design and Art Direction)賞(ロンドン)
・One Show Design(ニューヨーク)

このうち代表的なものとして、JAGDAの主催する亀倉雄策賞の第1回(1999年)〜第17回(2015年)のあゆみを見てみると以下のとおり。

第1回 田中一光(2002年1月死去)
第2回 永井一正(現 JAGDA特別顧問)
第3回 原 研哉(現 JAGDA副会長)(東京五輪エンブレム 次点)
第4回 佐藤可士和(かしわ)(東京五輪招致ロゴ 審査委員)
第5回 仲條正義
第6回 服部一成(現 JAGDA運営委員)
第7回 勝井三雄(現 JAGDA理事)
第8回 −
第9回 松永 真(現 JAGDA理事)
第10回 佐藤 卓(現 JAGDA副会長)
第11回 植原亮輔
第12回 浅葉克己(現 JAGDA会長)
第13回 −
第14回 澁谷克彦(現 JAGDA運営委員)
第15回 平野敬子(東京五輪エンブレム 審査委員)
第16回 葛西 薫(東京五輪エンブレム 次点)
第17回 佐野研二郎(東京五輪エンブレム → 取消)

えー、本シリーズで3年にわたり取り上げてきたご当地公募の常連陣、いわゆる「公募ガイダー」(業界誌「公募ガイド」の愛読者、といった意の軽い蔑称ネ)は1人もいません
一方、東京五輪エンブレムの審査委員は次の8名。(★印は亀倉雄策賞受賞者)。

永井一正(JAGDA特別顧問)★
浅葉克己(JAGDA会長)★
細谷 巖(東京ADC会長)
高崎卓馬(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 クリエーティブ・ディレクター)
平野敬子(デザイナー/ビジョナー)★
片山正通(インテリアデザイナー)
真鍋大度(メディアアーティスト/プログラマー/インタラクションデザイナー)
長嶋りかこ(グラフィックデザイナー)

それがこのように選んだ。

東京五輪エンブレム
(採用)佐野研二郎 ★
(入選)原 研哉 ★
(入選)葛西 薫 ★

因みに佐野は多摩美術大学で美術学部統合デザイン学科教授、原は武蔵野美術大学で造形学部基礎デザイン学科教授を務める。タマビ vs ムサビ対決でもあったわけ。
他にも出自や所属のことを細かく書き立てられてますが、つまりはコネクションがあるじゃないかという旨の繰り返しになるので省きます。

≪ああ、そういうことだったのね≫

こうした事実を積み上げれば、大抵の人は「な〜んだ、やっぱり出来レースじゃん」という結論にそりゃ飛びつくと思う。

しかし、ちょっと立ち止まって考え込んでみた。そもそもが限られた世界のことではないの?本質的に。そこに閉鎖社会の弊害を想定してあげつらうことはたやすい。しかしそれって的外れな議論になってしまわないか?もっと多面的に考えないといけないんじゃ?
故 田中一光は1999年に第1回亀倉雄策賞を受賞した際、次のコメントを残している(抜粋)。

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この賞は、『JAGDA年鑑』収録のために日本全国から集められたその年のグラフィックデザインの中から、特に優れた作品を十数点選び出し、審査にはこの年鑑のために選出された人たちがあたる。しかし、いざ秀作を集めてみると、そのほとんどが審査員の作品で占められる。デザインの審査員というのはどうしてもその時代をヴィヴィッドに生きている人が選出されるからである。これはデザインという仕事の宿命的なことである。

〔中略〕

成長の可能性、領域の超越、世界的視野、これからのアウォードはこの3つを忘れてはならない。そしてもうひとつ、作品に現代の問題意識があれば更にいいのだが。
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≪ああ、そういうことだったか!≫

食うか食われるか、ちゅうより選ぶか選ばれるか、だったとも言えるわけ。確かにそれは宿命かもしれない。

(続く)

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