【番外編】“サルでも採用されるtechnique”の嘘:その4(堺市・宗像市・上富田町 ナンバープレート)
(承前)
ご当地ナンバープレートの一つの特徴と言えば、変形プレート(微笑)ということになるわけで。
大阪府堺市
堺市原動機付自転車オリジナルナンバープレート
北野公一(68歳:和歌山県田辺市:デザイナー)
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(2011.09.29 Kyodo News 抜粋)
[古墳]のイメージを形状とラインで表現し、[旧堺燈台](現地に現存する木造洋式燈台としては、わが国で最も古いものの一つ)のイラストを右側に配したデザインで、歴史と文化を活かしたまちづくりを推進する堺市にとってふさわしいデザインです。
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応募総数 211点だからこの手の公募としてはかなり多い方だと思うけど、その中からこれをわざわざ選んだというのはなかなかのブラックジョークですね・・・バイクの後ろにお墓のデザイン。
この盛りアイテムとくれば、これを思い出す。
【その100】
大阪府堺市堺区
マスコットキャラクター
(佳作)さかいくん
塩崎エイイチ
しかし、[古墳]+[旧堺燈台]でなぜ「文化」が表され得るのか疑問です、「歴史」、あるいは「文明」ならよろしいとしても。
ツルはScubaをやるんですが(愚blogではほとんど書いたことないけど)、海中からエキジットする時の感覚にさせてくれるのが次のデザイン。
福岡県宗像市
世界遺産登録PRナンバープレート
北野公一(69歳:和歌山県田辺市:デザイナー)
[宗像大社](正確にはその辺津宮というべきだろう)と、[玄海灘]の彼方に見はるかす[沖ノ島](宗像大社の沖津宮である)を描いたと思われますが、波の底にも宮居の候ふかや。平家物語状態、あるいはわだつみのいろこの宮ですかねww。
この公募はある意味、他とは最も大きく異なるかもしれない。担当したのが税務畑ではなく、宗像市世界遺産登録推進室という部署だからです(新市制10周年記念事業でもあった)。
海の正倉院、宗像大社のことは以前深掘りしましたが(cf. 2012.03.18〜19「八王子 − 三女神・宗像大社・厳島神社に近づいてみた」)、現在、世界文化遺産の暫定リスト入りしてます。
これを受けて2009年1月から福岡県内に以下の組織ができていて、目指せ世界遺産登録ってなことでイロイロ取り組んでいるという現状。既に推薦書も先月日本政府からユネスコに提出され、来年夏に審査を受けるらしい。今も女人禁制の島なので、現地審査の際にモメるに違いないわ。
「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議
会長:
福岡県知事 小川 洋
副会長:
宗像市長 谷井博美
福津市長 小山達生
事務局:
福岡県企画・地域振興部 総合政策課 世界遺産登録推進室
連絡先:
福岡県企画・地域振興部 総合政策課 世界遺産登録推進室
宗像市経営企画課 世界遺産登録推進室
福津市世界遺産登録推進室
で、ナンバープレートは2012年10月に発表された後、交付初日の2013年7月1日には、市役所で宗像大社に報告に行ったり「交付式」を行ったり、地元の郵便局とJAでは所有バイク全てをこれに交換して「出発式」をやったりと大わらわだった次第。
和歌山から駆けつけた北野曰く;
「素晴らしいナンバープレートが完成して感動しました。多くの人に、このプレートを気に入ってもらえて大変うれしいです。これからも世界遺産登録活動をさらに盛り上げていってほしいです」
と^ロ^;。
堺市と同じく変形プレートとしたのは次のケース。
和歌山県西牟婁郡上富田町(にしむろぐん かみとんだちょう)
ご当地ナンバープレート
北野公一(和歌山県田辺市:自営業)
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上富田町のフレーズの「水も緑も人情も」にそって、水−[富田川]、緑−町の木[ヤマモモ」と町の花[サクラ]、人情−ひょうたんを配した“上富田町らしさ”を表現し、形状では[ひょうたん]をモチーフにしたプレートに仕上げました。
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まあね。カットアウトしなかったらそれこそ何の辺哲もないものになっていたことでしょう。
ここでも2013年7月29日の発表に北野は列席していて;
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(2013.07.29 紀伊民報 抜粋)
この日、町役場でデザインした田辺市稲成町、自営業北野公一さんに小出隆道町長が「すてきなデザインをありがとうございます」と賞状を贈った。北野さんは「このナンバープレートを付けて走ってもらえればうれしい」と話した。
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あ、おそらくその時一緒に「3万円相当の金券」も渡されたのね💰。
もっとも、田辺市在住の北野にしてみれば上富田町はお隣ということになるので、そこは宗像市とは大きく違います。
・・・ハッ(゜ロ゜)、もしやご当地出来レース?(こらこら)
〔参考①〕
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(平家物語 「先帝身投」より)
この国は粟散辺土と申して、心憂き境にて候ふ。あの波の下にこそ、極楽浄土とて、めでたき都の候ふ。それへ具し参らせ候ふぞと、様々に慰め参らせしかば、山鳩色の御衣に角髪結はせ給ひて、御涙に溺れ、小さう美しき御手を合はせ、先づ東に向かはせ給ひて、伊勢大神宮に御暇申させ給ひ、その後西に向かはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位尼先帝を抱き参らせて、「波の底にも都の候ふぞ」と慰め参らせて、千尋の底に沈み給ふ。悲しきかな、無情の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、いたましきかな、分段の荒き波、玉体を沈め奉る。
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〔参考②〕
わだつみのいろこの宮
青木 繁(1882(M15).07.13〜1911(M44).03.25:福岡県久留米市出身)
*:「いろこ」=「いを」の「うろこ」=「魚の鱗」
(続く)
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