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2016年8月 6日 (土)

【番外編】恐怖の "Spec Work"(その3)

(承前)

あのHIRANO KEIKO'S OFFICIAL BLOGにも、2016.06.25開催のJAGDA/Japan Graphic Designers Association/日本グラフィックデザイナー協会の総会でAIGAの公開書簡の件が取り上げられたことが出ているけれど、読むのが正直キツいです。037章を読んでツルが得たのは、AIGAはなぜ書簡の宛先をJAGDAではなく五輪組織委員会にしたのかという疑問のみだった。(書簡を読んだ時から、なんでAIGAは日本のグラフィックデザインを中途半端に誉めちぎるのかとは思っていた。)

Spec Workの問題については、ツルが(全く勝手に)私淑する「デザイン芸人」、ヤシロタケツグ氏(cf. 2015.09.26「Problems in Emblems:3」・2016.05.04「野老案に目がテン!第2回」)も明確な視点は持っていないように見える。

何らか共感し得たのは、欧文書体デザイナー、「大曲都市」氏による次のblog記事。抜き書きするのはあまり適切じゃないと思うけど、ちょっと長いので。

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(2015.10.15 抜粋)

〔前略〕

どういうわけかデザインに限らず音楽、執筆を含めたクリエイティブ業界全般でこういうコンペはタダ働きの問題を指摘されぬまま慣習になっていますし、それは残念ながら他の国でもそうです。少なくとも悪であるという認識は浸透しており、大規模なものはほとんど無いように思われますが。限られた業界で起きる理由は確かなことは言えませんが、例えばロゴのコンペだとロゴを作らなければ評価のしようがありませんし、作った時点でデザイナーはもう大部分の仕事をしています(ロゴがシンプルな一枚絵だからといって仕事も簡単ということにならないとは前回書きました)。コンペ参加時点で既に仕事していること、これが大きな理由の一つなのではと思います。見積りを評価するタイプのコンペでは、仕事の大部分はコンペ後に行われるため見積りにかける費用は比較的少額で吸収可能なバランスになっており、またデザインと比べると成果物が明確なので同じ土俵の比較はできないのでは、と思います。見積もりとは値札、売買契約書であり、これがないのは「これいくら?」という質問に答えないのと同様ですので、そこまで絶対有料であるべきだとは思いません(もちろん依頼の内容によっては人件費が無視できないケースもあるでしょうが)。

コンペで安価にたくさんのアイデアが集められることがどうしてマズイのか、参加はどうせ自由なはずだろう、と思われるかもしれませんが、重要なのは数ではなく質であり、それを二つに分けて説明します。第一の問題は、ベストなデザインはクライアントとデザイナーとの綿密なコミュニケーションから生まれるのですが、コンペでは基本的に疎通機会が要項のみに限られることです。あとは当てずっぽうになるので、参加者は主催者の意図に応えられているか分かりませんし、主催者も参加者の意図を汲み取れません。審査は「好み」に大きく左右されるようになり、こうなるとランダムに選ぶのとあまり変わりません。参加者からすれば、作品の質により多少は確率が上下するとはいえ、基本的に運任せです。良い作品が作られる可能性、選ばれる可能性が共に下がります。
次に、アイデアがたくさん集められるからといって、すべてがいいアイデアとは限りませんし、オリジナルであるとも限りません。参加者が意識しているか否かに関わらず、コンペは参加作品の質を下げます。期待値が低いことから、参加者は基本的にタダ働きになる前提で作業することになります。プロのデザイナーならば本来同じ作業で確実に収入を得られるため、よほどの理由がない限りコンペには参加しません(賞金が見合っているか、それ以外の価値を見出せるか)。まともに参加コストを計算できる人間ならば誰でも節約しようとします。どう労力を節約するかというと、過去の自分のアイデア、ひどい場合は他人のそれを流用(つまりパクリ)するわけです。コンペに日常的に参加している人間ほど参加コストの問題は大きいのでパクリが常態化するでしょう。そうでなくとも「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」タイプのデザイナーを長期的に増やすだけです。
「作品が存在する前から支払いを確定させなきゃいけないなんて、どうすれば良いの?」と思うかもしれませんが、だからこそプロに仕事を依頼するのです。ウェブサイトを見るなりポートフォリオを募集したり人づてに紹介してもらうなり、デザイン年鑑などを見て気に入ったデザイナーを見つけるなり、選定する方法はいくらでもあります(ドイツの有名なデザイナーであるエリック・シュピーカーマンは「調べ物ぐらいやれ。世間ではそれは仕事と呼ぶんだ」と言ってました)。アイデアの数が欲しければ、ニーズをちゃんと理解している一人の人間からでも十分な数を引き出すことができます。
上にも書いたように本来ならクライアントは一人のデザイナーまたはスタジオに仕事を依頼すべきですが、もっと予算があって、もっと案が欲しいのであれば理想のコンペをすることができます。つまり信頼できる複数の参加者に、全員に参加費を支払い、全員の参加者とコミュニケーションを十分に取り、一人一案に限らず募集することです。現実にこんな美しいコンペが起きる可能性はあまりないでしょうが、これに近ければ近いほど人道的だと思います。
相手が大きな企業、団体であればあるほど、タダ働きをすべきではないと思います。たとえオリンピック規模のプロジェクトでも、その名誉とやらを盾に人件費を潰していいことにはなりません。スペックワークに相当するコンペを主催することは無償労働の推進になりますし、それに参加するということは依頼主に賛同していることになります。もちろんコストと見返りだけが全てではありませんし、何か他の価値を見出して参加するのは自由です(個人ではなく全体の問題だとは思いますが)。少なくともスペックワークという言葉とその意味は覚えて、何かの機会にふと目にしたコンペがスペックワークかどうか考えるようになってもらえれば、本記事の目標は達成です。

〔後略〕
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まだ、完全には理解できません。あまり精緻な論理だとも思えないし。

(1)「本来ならクライアントは一人のデザイナーまたはスタジオに仕事を依頼すべき」と言うけれども、そこにコンプライアンス上の問題が生じる危険はどう防止するのか。「情実」は佐野エンブレム騒動であれほど(本質的問題ではないとツルは思っているけれども)非難されたことではないの??
これは、Spec Workに陥りやすいというコンペにおいて、そうなることを回避するにはどうすればよいのか、という議論と背中合わせのはずでしょ。

(2)例えばオリンピックに出たいと願うどこかの国のスポーツ好きの12歳の少女が、頑張って頑張って、いいとこまでいけたとする。けれども最終選考で選ばれなかったと。(バイオリンの上手な15歳の少年が、日々研鑽を重ねてチャイコフスキーコンクールの手前までいった、なんてのでもいいけど。)それは、ここにいうSpec Workとどのように違うわけ??才能と引き換えに失うものがあってはいけないの??そんなの人生のどこにだって転がってるじゃん。

ツルの言ってることはズレているのかなあ。PrimitiveかつNaive過ぎて取り上げるに値しないのかもしれない。しかし、ギョーカイの常識かもしれないこの考え方が、一般社会にもスルッと受け入れられるものとも思えない。もう少し噛み砕いた説明が欲しいです。

それでも、「コンペは参加作品の質を下げます」と言い切ったことに対しては、目から鱗。

遺憾ながら、これ以上論じるに足るリテラシーを現在持ち合わせていないので、この辺でやめておこうか。願わくば2020年までにはそのぐらいの智恵がついてますように。

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