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2017年10月20日 (金)

【おまけのおまけ】みさとの夢の その果ての:3(〈うるま市章〉)

(承前)

「三郷」を「みさと」ではなく「さんごう」と読むケースが結構あったことにも気づいた。

富山県中新川郡三郷村(なかにいかわぐん さんごうむら)
 → 水橋町(1954.04.01 新設合併)→ 富山市(1966.05.01 編入合併)

大阪府茨田郡三郷村(まったぐん さんごうむら)
 → 北河内郡三郷村(1896(M29).04.01 郡変更)→ 三郷町(さんごうちょう)(1936.12.01 町制施行)→ 守口市(1946.11.01 新設合併)

愛知県春日井郡三郷村(さんごうむら)
 → 東春日井郡三郷村(1880(M13).02.05 郡分割)→ 八白村(やつしろむら)(1889.10.01 合併)→ 旭村(1906.07.16 合併)→ 旭町(1948.08.05 町制施行)→ 尾張旭市(1970.12.01 市制施行)

山形県村山郡三郷村(さんごうむら)
 → 西村山郡三郷村(1878(M11).11.01 郡分割)→ 左沢村(あてらざわむら)(1889.04.01 合併)→ 左沢町(1896.08.17 町制施行)→ 大江町(1959.08.20 新設合併)

このとおり、明治初期まで遡ると一気に複雑化するわけです(歴史とはそういうものなんでしょう)。これ↓も同様。

若松県耶麻郡三郷村(やまぐん みさとむら)
 → 福島県耶麻郡三郷村(1876(M09) 県合併)→ 長瀬村(1889.04.01 合併)→ 猪苗代町(1955.07.20 編入合併)

中でも最も数奇な運命を辿ったのは次の「みさと」であろう。

沖縄県中頭郡美里村(なかがみぐん みさとそん)
 〔村北部〕→ 石川市(1945.09.26 発足)→ うるま市(2005.04.01 新設合併)
 〔村南部〕→ 前原市(まえはらし)(1945.09.01 発足)&平安座市(へんざし)(1945.09? 発足)→ 美里村(1946.03 再発足)→ 沖縄市(1974.04.01 新設合併)

ひどく不思議な動き、してますよね。つまりはこういうことらしい。

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村の分割で市が誕生するのは異例であるが、これは戦争で生き残った住民を集めた収容所を市としたものである。しかし地方行政緊急措置要綱によって誕生した市は石川市を除いてすぐに廃止された。
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「収容所=市」!?!?という話は初めて知りました。全体を読み解くには、少しガッツリ歴史を調べるしかない。

1666(寛文6) 越來間切(ごえく まぎり)の東半分を美里間切に分離
1908(M41).04.01 「沖繩縣及島嶼町村制」施行により越來間切が越來村、美里間切が美里村に
1945.04 米軍が住民を各地の収容所に収容
1945.08.20 各収容所の代表を美里村石川の収容所に招集し、沖縄諮詢会/Okinawa Advisory Councilを設立
1945.09.12 沖縄諮詢会が「地方行政緊急措置要綱」を発表・美里村北部は石川の収容所を中心とする石川市、村南部は具志川村前原の収容所を中心とする前原市および勝連(かつれん)半島を包括する平安座市とする
1945.09.01 前原市発足
1945.09.26 石川市発足
1946.02.21 前原市・平安座市廃止
1946.03 美里村が(北部を除き)再び自治体に・沖縄諮詢会が置かれていた石川市は存続
1946.04 越來村が再び自治体に
1956.06.13 越來村が改称してコザ村に
1956.07.01 コザ村が市制施行
1972.05.15 沖縄返還
1974.04.01 コザ市・美里村が新設合併して沖縄市に
2005.04.01 石川市・具志川市・中頭郡勝連町・同 与那城町が新設合併してうるま市に

細部は資料によって違っているけれど、概ねこんなところだろう。
ほんでもってこうですわ↓。

うるま市章
工藤元市
(cf. 2013.06.02「Family... Business?? Part 1」)
うるま市章

旧自治体が米軍政権下で分断されたまま固定したのは美里村だけです。因みに平安座市については、実際に1945年9月20日に市議会議員選挙が、同25日に市長選挙が実施されたけれども、10月14日には早くも「平安座地区廃止の件」なる指令が出されている。肝心の市制施行がいつだったかもよくわからず、実態からして市の成立を認めない考え方もありそうです。

こうした米軍による「市」は、当初は地区隊長や副長の一存で置かれるようなものだったらしい。むちゃなことをやったもんだなー。収容者数がどんどん増えていったためか、各地の収容所は収容者の移動を始終やっていたようで、無論栄養失調による死者も多数出た。一方早くも1945年10月から帰村が始まっているから、このやり方もすぐに行き詰まって町村制は旧に復したというわけ。

最後に一つ、個人的引出しから。
自治体ではないけれど、福岡県大牟田市に三里町という地名がある。ツルは小学校高学年の頃、大牟田に住んでいて、隣の校区に市立三里小学校というのがあった。しかしここは2006年4月に三川小学校と統合されて「みなと小学校」となり、ツルの行ってた川尻小学校も2010年4月に諏訪小学校と統合されて「天領小学校」となっている。4校対抗でサッカーとかの競技会をよくやってたものですが・・・。
その辺りまでは知ってたんだけど、さらに、中1まで通った市立右京中学校も、2015年4月に延命中学校・船津中学校と統合され「宅峰(たくほう)中学校」というわけのわかんない名前になっていた。(天領町とか右京町とか、歴史と文化を感じさせる地名が今に残るのは、三池炭鉱の石炭産出と関係があるものと思うけど、よくわかりません。PR下手糞ばい、大牟田市。)

Wikipediaの「大牟田市」の項には;

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全国の10万以上の都市の中では人口減少率・高齢化率が高い。2010年(平成22年)4月1日に過疎地域に指定された。
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とある。石炭→石油のエネルギー転換以来、ゆるやかに滑り落ち続けている地方都市なのだと思う。今でも親戚が住んでいるけれど、口癖のように「大牟田はもうほんなこつ寂れてしもうてから・・・」と聞かされます。願わくば世界文化遺産登録が多少なりとも活性化に資することを。

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