« 【番外編】當世尼崎近松生世話狂言 − 弐段目(尼崎市近松シンボルマーク・尼崎あきんど倶楽部) | トップページ | 雑感:一つの時代の終わり »

2017年11月19日 (日)

【番外編】當世尼崎近松生世話狂言 − 参段目(尼崎市100周年 パロディ)

(承前)

本件に関連して、国立国会図書館の「カレントアウェアネス・ポータル」サイトの中にある「レファレンス協同データベース」で興味深い情報を発見した(適宜抜粋)。

-----
(2017.01.05)

レファレンス事例詳細

提供館
尼崎市立地域研究史料館

質問
平成元年(1989)頃に尼崎市で近松門左衛門に関するシンボルマークが定められた経緯について知りたい。

回答
尼崎市久々知の日蓮宗寺院・広済寺(こうさいじ)には、江戸時代の浄瑠璃作家・近松門左衛門の墓があり、昭和41年(1966)に国の史跡に指定されています。尼崎市では、昭和61年の市制70周年を機に、近松をゆかりの文化人として文化振興のシンボルとする「近松ナウ」事業を開始し、毎年9月から11月にかけて演劇を中心とするさまざまな催しを開催するほか、近松の墓や昭和50年に建設された近松記念館などを核とする「近松の里」の整備などに取り組みました。
シンボルマークは、その一環として制定されたものです。

『市報あまがさき』第936号(平成元年−1989−9月5日付)にシンボルマークの募集要項が掲載されており、「人びとに親しまれ『近松と出会う街・あまがさき』を象徴するような、近松門左衛門の人と世界をモチーフにした」意匠をB4判ケント紙で作成することとあります。作品募集は同年12月1日に締め切られ、全国から390点の応募がありました。審査の結果、近松の作品・時代を象徴する[まげ]と尼崎市の頭文字[a]を組み合わせた、宝塚市・藤井弘明さんの作品が最優秀賞に選ばれ、現在にいたるまで活用されています。

回答プロセス
1 以下の文献を紹介した。

◆『近松のまち あまがさき』(尼崎市市民局文化室編, 尼崎市発行, 1991)
「近松ナウ」事業推進のため設置された尼崎市近松懇話会(座長・米山俊直氏)のメンバーや市民からの近松に関する寄稿、近松の年譜や作品紹介などを掲載し、近松ナウ事業の一環としてシンボルマークを制定したことを紹介している。

◆『市報あまがさき』第936号(平成元年9月5日付)
シンボルマークの募集要項を掲載している。

◆『市報あまがさき』第948号(平成2年3月5日付)
シンボルマークが決定されたことを紹介している。

備考
近松シンボルマーク(尼崎市ウェブサイト、平成29年1月5日確認)
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/chikamatu/055chikamatsu_mark.html

調査種別
文献紹介

質問者区分
社会人

解決/未解決
解決
-----

米山俊直!お懐かしや、京都大学教養部の名物教授だった文化人類学者ですな(1930.09.29〜2006.03.09)。

しかし、いやー、助かりますよ。ツルの知りたい情報が余さず出てるもん(爆)。
市とあきんど倶楽部が協議を持ったのは2017.02.07。先立って調べた「質問者」の「社会人」とはどちら側だったんでしょうねェー。(ツルは、記者じゃなかったのかという気もするけど。それとも学者とか?)

も少しおまけ。
本件でもう一つ気になるのは、2017.04.12の産経新聞記事の冒頭に出ていた、尼崎市100周年ロゴマークにまつわるゴタゴタのことです。

-----
昨年9月、尼崎市議が作成した市政を揶揄する市政報告のビラが問題になった。発端は市民からの通報。もとは昨年[*]、市制100周年を記念して市が作ったロゴのコピー「知れば知るほどあまがすき」。笑顔になるようデザインされた「100」の文字も泣き顔に変えられた。
-----

[*] 尼崎市が100周年を迎えたのは2016.04.01だが、当該テーマの決定は2014.07.22、ロゴマーク↓の発表は2014.10.06。∴「昨年」は正確ではない。

【2015.05.20「百年に一度の邂逅:B」】
兵庫県尼崎市
尼崎市市制100周年 ロゴマーク
北側利彦
尼崎市100周年
 ↓
市政報告ビラ
光本圭佑(37歳:尼崎市議会議員:維新の会)
尼崎市100周年パロディ

うはははは。ここは是非ともジモティ北側のコメントが取りたいところである。パロディとしては極上じゃありませんか。

当時の記事に当たってみますと。

-----
(2016.09.07 読売新聞 抜粋)

〔前略〕

ビラは8月に約7万5000部を配布した。同市が制定を目指す自治基本条例の中身を批判する記事で、[100]の三つの数字をそれぞれ擬人化して[笑顔]にしたロゴのデザインを[泣き顔]に改変。さらに、「知れば知るほど“あまがすき”」というフレーズを「知れば知るほどあまが危機!!」と書き換えていた。
市のガイドライン(運用指針)ではロゴの加工を禁じており、使用には申請が必要と規定。光本市議は市からの改善要請を受け、増刷分からロゴを外した。
同市議は「市政への関心を持ってもらいたい一心でロゴをパロディー化した。ガイドラインを知らず、関係者に不快な思いをさせてしまったことは申し訳ない」と話している。
-----

問題はむしろ、これを政治活動に用いたことなんだろうな。「ガイドラインを知らず」とは大いにうつけたところではあるけれど。アノ政党の所属であったことも手伝ってか、ネット上ではプチ炎上したようですが、いちいち取り上げません。

-----
(2016.09.06 朝日新聞 抜粋)

〔前略〕

ビラは8月上旬、市内で約7万5千部配布したという。市が制定を目指す自治基本条例について、「全国の自治体で左翼系勢力が推進している」などと批判する記事に付けていた。
市によると、8月4日に市民からビラを問題視する声が寄せられた。

〔後略〕
-----

政治的信条とは各人に差があるものであって、それを異にする陣営からはツッコミを受けやすい、単なる「シャレ」では済まされへんでってなことに、なぜ予め思い至らなかったのだろうか。議員センセイともあろうお方が。

でも結局、一連の事象で一番割りを食ったのは、尼崎市自身だったんじゃないですかね。シンボルマークの著作権管理一つ満足にできてなかったことが露呈しちゃったわけだから。およそ「文化振興」にふさわしくないよ。

« 【番外編】當世尼崎近松生世話狂言 − 弐段目(尼崎市近松シンボルマーク・尼崎あきんど倶楽部) | トップページ | 雑感:一つの時代の終わり »

Visual界:キャラクター/シンボル/ロゴ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 【番外編】當世尼崎近松生世話狂言 − 弐段目(尼崎市近松シンボルマーク・尼崎あきんど倶楽部) | トップページ | 雑感:一つの時代の終わり »

2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想