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2017年11月25日 (土)

【番外編】幾久しく御栄えあれ(横浜市栄区シンボルマーク)

(承前)

つい先日斬った尾浦孝夫のこと、さらに深く抉る。
今を去ること30年前、尾浦は自分の地元のシンボルマーク公募に採用されていた。

神奈川県横浜市栄区
シンボルマーク
尾浦孝夫(47歳:栄区犬山町:会社員)

横浜市栄区シンボルマーク

1988年2月の決定である。驚くべきことに、当時の広報紙の内容が今も栄区役所サイトに転載されている(以下抜粋)。

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シンボルマーク よろしくね(263人の投票をもとに決定!)――昭和63年2月号の広報よこはま・栄区版から――

〔中略〕

シンボルマークの作者・尾浦さんは、47歳の会社員。
「マークを作るのが好きです。水道100周年のマーク募集に応募した後、次はひと目でわかるものを作ろうと考えました」と。
尾浦さんは、地域の中学生サッカークラブの指導者。栄区サッカー協会の会長でもあります。「サッカーは、一人だけが上手でも、試合では勝てません。みんなの協力が必要ですね。それで、栄区にも、同じことが言えると思ったのです。栄区に住む、いろいろな個性の人が協力すれば、きっと素晴しい区ができると思うのです」
……13年前、犬山町に越してきたとき、まだ、付近に建つ家も少なく、「何もないところ」だと思った尾浦さん。せめて「子どもたちにとって、住みよい環境を作りたい」とも考えたそうで、その思いが、今、こうしてマークに託されているのです。
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尾浦作品の得票数は「109通と、実に総投票数の40パーセントを超える人気」だったそうな(しかし当時の栄区の人口12万人弱、対して投票総数が263票というのはなんぼなんでも少な過ぎるぜ)。しかも、ですよ。

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どれがイイかな さかえのマーク ――昭和62年11月号の広報よこはま・栄区版から――

ワークショップ、一般応募合わせて400点以上の作品の中から、区民投票の候補として選ばれた作品は、どれも力作ぞろい。

〔中略〕

ワークショップと一般公募
栄区誕生1周年を記念して、区のシンボルマークを制定するための区民投票を実施します。
ここに6つの侯補作品を紹介するまでには、まず昨年8月、区内の小・中学生代表の参加をえて「栄区シンボルマークデザインワークショップ」を実施しています。このワークショップでは、参加者の自由な発想を引き出すために、デザイナーを中心としたスタッフがいろいろ工夫した手法を試みました。

〔後略〕
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と、事前の仕込みも十分にした(つもりだった)のに。時代が時代だけに、投票は葉書だけで行われたそうな。

さらに驚くことに、同じネタが今年の元日、神奈川県内をカバーするこのローカルメディアにも載った。

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(2017.01.01 タウンニュース 栄区版 人物風土記)

尾浦孝夫さん
犬山町在住 75歳
町と共に残る作品を

尾浦孝夫

○…栄区が誕生[引用註:1986.11.03 泉区とともに戸塚区から分区]した翌年に制定された区のシンボルマークを、30年前に考案した。マークは400点以上の作品から区民投票で決定。「皆が助け合う良い町であってほしい」と、組体操のようなイメージで[栄]の文字が一目で分かるように表現したという。「自分が作ったものが今でも使われているのは喜ばしいこと」と目を細める。

○…出身は現在の香川県高松市。電機メーカーで製品の形状をデザインする仕事を担い、長年にわたりスピーカーなどをデザインしてきた。デザイン好きが高じて1961年には日本宣伝美術会(日宣美)の工場内標識試案に応募すると、見事に特選を受賞。それ以来、マーク作りに魅せられ、自治体や企業のマークに毎月のように応募し、徳島県阿波市の市章などが実際に採用された。「マーク作りは趣味みたいなもの。オリジナルのものを考えている時が楽しい」。

○…仕事の都合で現在の地に移り住んできたのは約40年前。当時の戸塚区上郷町で1982年、少年サッカークラブ「上郷JFC」を創設した。「サッカーは1人では勝てない。11人で協力して戦う面白さを知ってほしかった」。子どもたちのために審判の資格を取得したり、指導者の研修を受けるなど努力を重ね、発足当初は連戦連敗だったチームも全国大会で準優勝するまでに成長した。現在、チームは「横浜栄FC」と改称。今でも顧問として練習グラウンドの確保などに励みチームを支えている。

○…自宅には実際に採用された自治体のシンボルが書かれた紙や賞状から、作成中のアイデア用紙などが多数並び「頭の中ではいつも何かしらの形を考えている」。近年では東京五輪のエンブレムにも応募。「今でも自分の作品の方が良いと思っているよ」と笑みを浮かべる。「町がある限りは自分が死んでもマークは残る」。マークと共に栄区がいつまでもあり続けることを願っている。
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地元コミュニティへの参加、それはそれで大変よろしい。栄FCのサイトには、今も尾浦孝夫・和子夫妻の名前がファウンダー的な立場で載っている。
孝夫はサッカーのみならず、2010年2月発行の「栄区まちづくり行動計画」by 横浜市栄区役所区政推進課「栄区まちづくり行動計画検討委員会」には、公募による委員として名を連ねる。今や地元の名士の仲間入りなんだろうな。

それに、電機メーカーでスピーカーをデザインしてきた、ですと???ツル的には真っ平御免だけど(謎。)、これも確かに「公募以外での社会との関わり」であることは間違いない。
前田昌克がパナソニックの企業デザイナーであった(と思われる)ことを別にすれば、こうした社会的キャリアが明らかとなるケースは大変珍しいと思う。

採用時に尾浦が得た金銭的対価は、おそらく大した額ではなかったろう。その一方で、「名誉」という非金銭的対価は30年にわたって神通力を保ち続けているわけ。

しかし。
【2015.12.09〜11「アは阿呆のア,A is for Absurd ― 1〜2」】でツルが書いたところはあくまでも「確からしい推測」の域を出ないものではあるが、そこに基づくと、田舎名士もよそに出稼ぎに出れば、阿漕な真似して頬被りを決め込む不逞の輩だった。その顔に泥を塗るのは己れ自身であろう。

福井県あわら市
市章
(入賞)
〔2003年10月〕
あわら市章(作品番号7)

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「いやし」「ゆうゆう」「自然と創作の和・環」をイメージし、あわら市の頭文字[あ]を表現している。
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福岡県朝倉市
市章
(優秀賞)
〔2005年9月〕
朝倉市章(受付番号1049)

北海道勇払郡安平町
町章
(応募作品)
〔2005年10月〕
安平町章(応募作品)

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