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2017年12月17日 (日)

【対決編】丸ブー艶競べ [64](にかほ市章・村上市章)

(承前)

今度はひらがな丸ブーです。豪華常連陣よ(誰かツルを止めて)。

秋田県にかほ市
市章
栗山照州(福岡市)
にかほ市章

変な形やね(ばっさり)。デザインの趣旨はこうだった。

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にかほ市の[に]の文字をモチーフにして、新市の豊かな自然環境のイメージと、その中で未来に向かって力強く躍動する人の姿を併せてデザインし、将来像「夢あるまち 豊かなまち 元気なまち」を象徴的に表現しました。
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でも合併協の事務局に言わせりゃちょっと話が違う。

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(2005.08.01 かけはし 第24号)

仁賀保の[に]、金浦の[K]、象潟の[K]とも取れるデザインで、人が「がんばろう」と手を上げているように見える素晴しい作品です。
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こんなところで懐柔を図るなってば(笑)。ご当地ではやはり、新市名等を巡って熾烈な闘いがあった。因みに「金浦」は「このうら」。

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(Wikipedia にかほ市 抜粋)

平成の大合併において、2002年6月に法定合併協議委員会を秋田県内でもっとも早く設立した。しかし新市の名称が「にかほ市」となり、本庁舎の所在地が金浦町役場と決まったことにより、象潟町が反発。町民アンケートでも単独立町が合併推進を上回り多数を占めたため、2003年10月に合併協の離脱を申し入れ、議会もこれに同意した。他の二町はこれに同意せず、合併協議会は枠組みを残したまま中断状態になった。

〔中略〕

中断中の2004年3月、「新市の名称と事務所の位置」を再協議することについて秋田県知事寺田典城が三町長に対して提案したが、象潟町長はアンケートで自立を選択した町民が多数を占めたことを理由に2点の再協議が行われるのみでは法定協議会に復帰しない意思を示した。
その後、離脱申し入れ当時の象潟町長が任期満了で退任し、それに伴う町長選挙で、合併推進を掲げた元象潟町職員の横山忠長が当選した[引用註:2004年6月就任]。象潟町は新市の名称と事務所の位置の再協議を含む三項の申し入れを合併協議会に行い、それに対する合併協議会の了承を受けたうえで、町民アンケートを行い、協議会復帰の意見が多数だったことを受けて、合併協議会に復帰した。再協議の結果、自治体名を「にかほ市」のままとし、本庁舎の所在地を象潟町役場とすることとなった。その後の協議を経て、2005年10月に合併。にかほ市が誕生した。初代市長には、旧象潟町長だった横山が元県職員の候補を退けて就任した。
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もっとも、名前でモメた事例などいくらでもある。前回出した兵庫県丹波市もそう。

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(Wikipedia 丹波市 抜粋)

氷上郡6町の合併にあたっては、新市名候補の公募がなされた。この結果では「氷上」の応募が最多となったほか、「ひかみ」が3位となるなど郡名(あるいは町名)に因んだ応募が比較的多かった。これに対し、氷上郡合併協議会は「ブランド力の活用」などの理由で応募数では2位の「丹波市」を合併協議会委員の投票により選定したが、これに対して地元住民のほか篠山市や綾部市など丹波地域内の周辺自治体などから見直しを求める声が上がった。これを受けて合併協議会は改めて検討を行ったが、「公募は人気投票ではなく、応募数は参考に留めるものである」「公正なルールに従って選定された」「旧国名を採用している事例はほかにも多い」といった理由により見直されることはなかった。
なお、一連の経緯については、竹内正浩が平成の大合併で誕生した各地の地名を考察した著書『日本の珍地名』の中で「京都府をはじめ全国的な反発を買ったという“事件”」と評価している。
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かくて丹波市は僣称地名の引け目を負い続けることになった次第(丸ブーじゃないから市章画像はオミット)。

それに比べりゃ「にかほ市」って名前は適度なマイナー感もあってwまだまとも。けれど、奥の細道に出てくる名前はなかなか思い切れなかったわけだね。

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松島は笑ふが如く、象潟は憾むが如し。寂しさに悲しみを加へて、地勢魂を悩ますに似たり。
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もっと異形なのがここ。

新潟県村上市
市章
信貴正明(44歳:新潟県燕市:グラフィックデザイナー)
村上市章

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[む]の文字のフォルムで村上地域の豊かな自然と共に未来へ向かって躍動する市民の姿を表現。[グリーン]は市の美しい自然と環境、[オレンジ]はすこやかな社会、産業・文化のエネルギーを表した。
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む?む!?!?これが!?そりゃねーだろwwってなことはまだ目をつぶるとしても、全体にわたって無理がある。大方の反応は「何を表しとるかさっぱりわからん」というものではなかったかと想像(コメントまた然り)。平成大合併でもだいぶ後発の2007年12月決定だから、類似をハネていったら丸ブーデザインもこんなのしか残らなかったのかねえ(T-T)。437点も集まったというのに。

しかしだよ。アドバイザーとしてついた吉川賢一郎は長岡造形大学視覚デザイン学科助教だったんだぜえ。
長岡造形の視覚デザイン学科と言えば、愚blogには因縁浅からぬところ。

あの2000年3月制作の「もち-うさぎ」の作者maki/新潟まきだとか(cf. 2016.05.01〜02「野心と不安 → 挫折と希望」・2017.05.29〜30「もう一度、野心」・2017.05.31「もう一つの野心」)
2013年12月決定の長岡市中之島地域「なかのん」の作者高橋雅代 & 選考オブザーバーについた准教授の御法川哲郎だとか(cf. 2016.04.27「「ご当地」をつくる人々:川下編 その2」)
2006年6月発表の五泉市章で選考委員だった学科長の福田 毅だとか(cf. 2017.12.12「罪と罰のあとさき ― 後編」)
直近では先月決定の自動車用長岡ナンバープレートで検討委員会委員長を務めた学科長の山本 敦だとか(cf.【その197】)
2004年7月決定の南魚沼市章で補整を手がけた学長の鎌田豊成も視覚デザイン(cf. 2017.12.04〜05「丸ブー艶競べ [60]」)

私立じゃないんですよ、公立ですよ。地域のデザイン文化の興隆に×××××の××と××とを×××するところの云々(自己規制により一部伏字)。

ご当地の合併は2008年4月で、その年にふるさと納税制度を採用し、3年後の2011年5月にはもうご当地キャラ「サケリン」by 前田昌克が作られている(cf. 2013.01.05「泣きキャラ そして 大阪−東京、漢字−ひらがな」)。急ぎ過ぎた感、なきにしもあらず。来春の10周年に向けて、またぞろロゴマーク公募とかバイクのナンバープレート作成とかもやるんですかね。長岡造形のセンセ方、その時はもっとお気張りやす、恥かかんように。

(続く)

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