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2018年3月31日 (土)

【攻撃 vs 防御編】(7) 夜は若く、アナタも若かった。が、(ちっgo)

(承前)

cf.
2015.03.17「ある犬の伝説:二匹目」

今回はもう少し次元の低いところの話で。

福岡県筑後市
キャラクター(?)
ちっgo
九州産業大学芸術学部デザイン学科北島研究室(教授 北島己佐吉(みさよし)・同学科4年 ○○○○・□□ □)
〔2008年8月決定〕
ちっgo

これを批判的に取り上げた記事に対して、次の削除要請コメントがついた。

-----
(2015.12.02 23:14)

すみません。
掲載内容に個人名を使用しないでください。
削除のお願いをしたいので、
メールアドレスまでご返信をお願いいたします。
-----

これが全文であり、差出人の名前は書いてなかった(!)けれども、アドレスから上記の「○○」の方であることは推測がついた。

だから、今は;

-----
九州産業大学芸術学部デザイン学科北島研究室(教授 北島己佐吉(みさよし))
-----

とだけ表示している。

やり取りの詳細は割愛するけれども、○○の言い分でツルが見逃せなかったのはこれだった。

-----
(2015.12.08 20:40 抜粋)

〔前略〕

個人名の削除もですが、可能であれば、項目そのものの削除もお願いしたいです。

友人との学生の頃の良い思い出なので、そっとおいてほしいです。

〔後略〕
-----

後半の一文です。これには非常に失望した。
学生時代に楽しいことしたり無茶やったりして、それが大切な記憶として一生残るというのはよくある話、よくわかる話。もちろんツルにもそんな経験はあるし、それが困難なものだったり、しんどい目にあったりしたことも。
しかし、本件はそうした私的な体験ではない。学生とは言え、社会的な拡がりを持つ行動を取っていたのであって、上記の態度はそこから目を背けている。「一緒に卒業旅行で海外に出かけて楽しかった」なんてのとおんなじノリです。

何かを生み出すということは常に、それに対して責任を持つことに他ならない。そして毀誉褒貶は世の常。名誉には責任が、称讃には批判が、本質的について回る。
学園の繭の中から出て実践的に動いたのなら尚更であり、このカリキュラムの本旨もそこにあったのではないか。それをノスタルジーの世界に閉じ込めておこうとする。そこには受益者=地元民への眼差しも感じられない。それはツルにはない考え方だった ――学生時代から―― ので、いささか驚きもしたし、正直腹立たしくもあった。

もしこの作者が、ツルの批判に対して、正面から「いいえ、この活動にはこれこれこういう成果がちゃんとあったんです」と自信を持って言ってくれてたらツルも考えを改めたものを。無論、はなから再批判は覚悟の上で書いたSeries。

ここで個人的体験ばなしになるけれど・・・・・。

ツルは京都の学生時代、学内の点訳ボランティアサークルに入っていて、入学時に既に進行していたさる仏和辞典の点訳プロジェクト(当時から視覚障害者に門戸を開放していた京都精華大学から依頼を受けたもの*)にもたまたま深く関わることになった。

(* それまで日本には仏和辞典の点字本はなく、仏語を選択した視障学生は海外出版の点字本仏英辞典を利用するしかなかった。)

数年がかりで作業が完了すると、今度は大阪市の社会福祉法人、日本ライトハウスと組んでこれを複製して出版しようという話が持ち上がり、それには多くの費用がかかって高価となる(墨字本で1冊2千円のわずか5000語収録の辞書が、点字本だと32分冊で2万円ほどになったと記憶している)、となれば世間に広く訴えかけて募金活動を行おうということになった。団体ではなく個人が購入する場合は墨字本と同じ価格まで補償しよう、という趣旨です(このサークルは視覚障害学生の学習権保障を最大の目的としていたので)。怪しい街頭募金なんかじゃなくて、きちんとプロジェクトを立ち上げて、発起人には然るべきお歴々も入れて、メディア発表もやってと。
ツルはその事務局長になることになってたんですが、直前になって大病を患い、他の人(もちろん同じ学生ね)に代わってもらわざるを得なかった。1年間休学し、郷里の福岡に戻って4ヵ月ほど入院して退院し、自宅療養に入って間もない夏のある日。家でご飯を食べていたら、その募金開始の記者会見のニュースがNHKのラジオから流れてきて、誠に感無量だったことを覚えている。
くどいけど、メンバーの移り変わりも激しい、法人格なんて持ってるわけもない、一介の学生サークルが動いて、ですよ。

結局、お金は順調に集まって予定の額に達し、無事、出版にこぎ着けることができた。それはそれでよかったのだけれど、一連の活動の中で自分が果たし得なかった役割、あるいは他の人達にかけた迷惑(好んで休学したんじゃないけれど)のことは、ツルにとっては半分切なくも苦い思い出でもあります。80年代前半のこと・・・・・。

― 夜は若く、彼も若かった。が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。 ―
"The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour."

別に、ご当地キャラより視障者の学習権保障の方が社会的意義が大きいなんて言ってるのではない。ただ、いつの間にか雪だるま式に話が大きくなってきた時に、そこから逃げたり流されたりはせずにいよう、それが人として責任ある行き方だと当時からツルは思っていた(その時はその思いは残念ながら達せられなかったけれども)、ということです。そこは自己に対して冷徹かと。

○○が現在デザインの専門職に就いているかどうかには関心がありません。しかし、芸術学部で、デザイン学科で、何を学び取ったのか。それは大学時代の甘やかな憶い出よりも大事なこと、ツルにとっては。そこが一番言いたかった次第。

だからツルは、これについても熟慮の上、全てを復活させます。

― Inspired by "Phantom Lady" (1942) by William Irish (alter ego: Cornell Woolrich) (1903.12.04〜1968.09.25) ―

(続く)

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