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2019年3月 2日 (土)

故郷

今度は、「故郷」について。この文部省唱歌も「春の小川」と同じく、作詞 高野辰之、作曲 岡野貞一によるもの。

1933年(昭和8年)『新訂尋常小学唱歌 第六学年用』掲載

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一、
うさぎおひし かのやま
こぶなつりし かのかわ
ゆめはいまも めぐりて
わすれがたき ふるさと

ニ、
いかにいます ちちはは
つつがなしや ともがき
あめにかぜに つけても
おもひいづる ふるさと

三、
こころざしを はたして
いつのひにか かえらん
やまはあをき ふるさと
みずはきよき ふるさと
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へー、見事に「六・四」調の連続になってるんだ。

昔からちょっと不思議に思ってるんだけど、「恙無しや」は「恙無きや」ではないのかという個人的疑問が消えない(さほど文語体の文法に詳しいわけではないので)。でもそれだと「恙無きか」としないと文法的に成立しないのかしら。

この歌のことは、「信州ゆかりの不思議な歌」というサイトにいろいろな情報が出ている。

http://home.r07.itscom.net/miyazaki/zakki/uta.html

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文語体だが誰にでもわかる内容で、せつせつと日本人の琴線にふれて美しい。「ウサギを食べると美味しい」と覚えた子どももやがて大きくなると理解する。この歌を作詞したのは高野辰之(たかのたつゆき)(明治9/1876〜昭和22/1947)という信州人だ。長野県北部の寒村、下水内(しもみのち)郡豊田村(合併で現在は中野市)出身の国文学者で、東京音楽学校(現、東京芸術大学音楽学部)教授のとき、同じ学校の声楽の助教授だった岡野貞一とともに、文部省唱歌をつくることを命じられる。
いわば業務命令によるコンビだが、この二人による唱歌は驚くほど多く、しかも今なお歌い継がれている。

〔中略〕

著作権という考え方がない時代で、すべて「文部省唱歌」で片づけられ、家族も戦後になってはじめて知ったものもあるという。
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うんうん。小学校の音楽の教科書にも、「文部省唱歌」には作者名がクレジットされてなかったよね。

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唱歌「故郷」(ふるさと)は海外にいる日本人が涙を流す歌だ。もはや「国民歌」、あるいは「君が代」につぐ「第2国歌」という地位を占めているといってもよかろう。

〔中略〕

戦後ソ連によってシベリアに抑留された日本兵はこの歌に滂沱の涙を流したという。
私もそうした場面に出会ったことがある。一度目は1ドル360円時代のロンドンで、二度目は1ドル100円台のアムステルダムで。この間10数年があいていたが、それぞれ日本企業のビジネスマンと家族がいるパーティーの席だった。日本企業の尖兵としての気負いや、郷愁が入り混じっての涙だろうが、3日前に日本を出たばかりの私もほろりとした。
「うさぎ追いし かの山・・・」の故郷の山河の描写のあたりはともかく、「いかにいます 父母・・・」あたりでもうだめだ。忘却の彼方から一気にそれぞれの人の「故郷」を引っ張り出して懐旧にひたらせてしまうのだ。
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「第2国歌」という指摘が真に的確なものかどうかはわかりかねます、何と言っても「さくらさくら」(作者不明;近世の箏曲にルーツありとなむ)なる強力なライバルもいますので。
しかし、ここに書かれた在外邦人の心情は確かにそのとおりだろうと思う。そこから考えると、「この歌のモデルとなった場所はどこか」などという詮索、じゃない考証はどうでもいい気がしてくる。「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ」(「椰子の実」:作詞 島崎藤村:cf. 2013.03.13「五七調の歴程」)はどこが舞台かなんてのとは本質的に異なると思う。
そして、地域を超えて、世代を超えて、日本人として共有する/できる原風景ないしは原体験というものがこの歌で(文部省唱歌で?)目指されたのならば、それを特定の「ご当地ネタ」に適用させるというのはちょっと違うんじゃないかと感じる次第。

このサイトには次のようなAnecdoteも紹介されている。

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日本人にとって「故郷」(ふるさと)はいまや国民歌というべき存在になったと思うが、その歌の力を如実に示したのが2011年3月11日日本を襲った東日本大震災だった。被災地で、神戸で、遠く離れた海外で、それぞれ励ましと復興を願ってこの歌が歌われた。
そうした中で圧巻は、世界三大テノールの一人、プラシド・ドミンゴ(70)が震災から1ヵ月後に歌った「故郷」だろう。震災とそれに伴う福島原発のメルトダウン事故で多くの音楽会が公演を中止したなかで彼だけはあえて来日した。これまで20回以上訪れ、コンサートやオペラ公演を行ってきたドミンゴは3000人の聴衆を前に「今回は特別に意義の深いコンサートだと思って来日しました。私もメキシコ地震で親戚を亡くしましたので皆さんの気持ちがよく分かります。いつの日か必ず強い気持ちを取り戻せる日が来ることを皆さんも信じていてほしい」と語りかけ、収益の一部と会場で集めた募金を被災地に送った。
そして「プラシド・ドミンゴ コンサート イン ジャパン 2011」(4月10日、東京・渋谷NHKホール)のアンコール曲に選んだのが「故郷」だった。「皆さんも一緒に」とソプラノのヴァージニア・トーラとともに日本語で最後まで歌い上げた。コンサートを聴いていた銀行家が後に書いているところでは「2番の『如何にいます父母、恙なしや友垣、雨に風につけても、思い出ずる故郷』の部分では、聴衆はほとんど全員が立ち上がり、涙を流していた。想像を絶する被災と苦難の中で、日本の原風景のような東北の風景を思い浮かべ、私もとめどなく涙が流れた。」
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ううう、涙腺をいたく刺激されます。

そしてもう一つ。
3番の「志を果たして いつの日にか帰らん」には、「志を果たすまでは帰らない/帰れない」という含意があるか否かという議論があるらしい。ツルは明確に意識はしていなかったけれど、ずっと肯定説で解釈してきたように思う。
けれど、バブル期に社会人となり、気がついてみればあと数年で定年退職を迎えるような年齢まで生きてみて、すこぅし違う感覚にもなってきている今日この頃(T-T)。福岡に帰ることばかり考えていたりもする。もちろんこんなこと↓も思いますけれども。

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小景異情(その二)
   室生犀星

ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
そして悲しく うたふもの
よしや うらぶれて
異土の乞食(かたゐ)と なるとても
帰るところに あるまじや
ひとり都の ゆふぐれに
ふるさとおもひ 涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこに かへらばや
遠きみやこに かへらばや
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