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2019年6月

2019年6月30日 (日)

【危急存亡編】『@niftyよりご連絡いたします』 ⑤

【2019.07.15 追記】

2019.07.11 18:54、本稿は、@niftyから、刑法第230条の名誉毀損罪のかどで「侵害情報の送信防止措置請求」があった旨の通知を受けた。
これにより、同社が「侵害情報の送信防止措置」を講じる前の対応として、当該請求に係ると考えられる15文字を伏字とする。

 

【2019.08.10 追記】

2019.08.07、@niftyから、本稿等の削除を条件に本ブログの一時停止を解除する旨の通知を受けた。
これに伴い、本稿の公開を停止する。

2019年6月29日 (土)

【危急存亡編】『@niftyよりご連絡いたします』 ④

【2019.08.10 追記】

2019.08.07、@niftyから、本稿等の削除を条件に本ブログの一時停止を解除する旨の通知を受けた。
これに伴い、本稿の公開を停止する。

2019年6月28日 (金)

【危急存亡編】『@niftyよりご連絡いたします』 ③

【2019.07.15 追記】

2019.07.11 18:54、本稿は、@niftyから、刑法第230条の名誉毀損罪のかどで「侵害情報の送信防止措置請求」があった旨の通知を受けた。
これにより、同社が「侵害情報の送信防止措置」を講じる前の対応として、当該請求に係ると考えられる5文字を伏字とする。

 

【2019.08.10 追記】

2019.08.07、@niftyから、本稿等の削除を条件に本ブログの一時停止を解除する旨の通知を受けた。
これに伴い、本稿の公開を停止する。

2019年6月27日 (木)

【誤植編の蛇足】校正まだまだ畏るべし

(承前)

cf.
2012.02.11「あ、今日は母親の命日だ。」

誤植や校正ミスの問題については、ツルもシゴトの上で似たような経験があって、全社員に宛てたメールの「インサイダー取引防止教育を実施します」という見出しを危うく「インサイダー取引教育を実施します」としそうになったことがある。すっごく微妙、でも株式担当者としては決してゆるがせにできないところネ(大汗)。

そもそもツルがこの問題に関心を持つようになったのは、昭和四十九年(1974年)、小学校6年だった時、母親が句集を出版することになって(九州の現代俳句の同人誌「自鳴鐘」の問程叢書第五輯だった)、父親もそれを手伝って校正をしていたから。だからその時、次の本も薦められて読んでいた。

「本と校正」
長谷川鑛平
中公新書
1965年刊

半世紀前、鉛の活字を組んでいた時代の本なのでさすがに内容が古いです。けれども、社会人になって株式業務だの情報開示業務だのを担当するようになって、正確でミスのない文書(印刷物を含め)を作成することが職務上の絶対条件となるに及んで、何度か読み直した。時代を超えて、知的刺激あふれる稀書にして名著です。
エピソードも満載で、『森鴎外はよほど腹に据えかねることがあったか、「鸚鵡石」で校正子のことをボロクソに書いている』とか『与謝野晶子は子福者であったが、ある時「お腹を痛めて産んだ我が子」を「お股を痛めて産んだ我が子」と誤植されて赤面を強いられなさった』とか『石原慎太郎は極めて悪筆で、どこの出版者にも専門の解読家がいた』なんてのを思い出す。

虹二重双生児のわれら誰から死ぬ 京子(昭和二十八年)
今は猟夫の夫に言葉を殺し蹤く 京子(昭和三十三年)
黒き凧見つけて天に歩み寄る 京子(昭和三十三年)
逝く春や子の粥一匙ずつ冷ます 京子(昭和三十九年)
藤昏るる砂場は酷使されしまま 京子(昭和四十三年)

父親は旧制中学だの旧制高校だの海軍だのの同窓会あれこれの幹事をやるのがえらく好きだったので、何百ページの分厚い会員名簿の編纂やら会報発行やら何やらにもあれこれ関わって「印刷物」を作ることに縁があり、よく「校正畏るべし」と言ってたっけ。一番覚えているのは、『会員名簿のゲラ校正を全頁終えてヤレヤレとほっと一息つき、さて印刷所に持っていこうとして何の気なしに一番最初の頁に目を落としたら、背表紙の文字が「会員名簿」ではなく「会名員簿」になっていることに気づいてゾッとした』という話。あまりに大き過ぎて誰の目もすり抜けていたというわけです。
ツルはちょうどその頃読んだエドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」のことを思い出して、ああほんとにそんなことってあるんだと面白く感じた。

それから約十年の後、昭和六十年(1985年)に母親の第二句集(遺句集でもあった)を出した時には、ツルも多少手伝いました。

蛇展の玻璃に晩夏の指紋殖ゆ 京子(昭和四十九年)
秘密の樹持つ少年に冬夕焼 京子(昭和五十年)
鶴発ちて一糸まとわぬ天残る 京子(昭和五十三年)
氷砂糖すぐ噛み砕く少年期 京子(昭和五十四年)
遠き闇の蛍ひからす子の手紙 京子(昭和五十六年)

因みに、「逝く春や」の句(第十二回全国女流俳句大会で二席に入った句らしい。これが!?である)には1歳頃の、「冬夕焼」には中学生の、「氷砂糖」には高校生の、「遠き闇」には大学に進学した年のツルが閉じ込められている。友人と二人でに実家近くの神社の裏山から掘り採ってきた秘密の樹、ヤブニッケイ/Cinnamomum japonicum(最近は "yabunikkei" の種小名を使うらしい^^;)は、今でも実家の地上庭園@博多にある。洛東の疎水沿いの哲学の道は桜の名所として知られるけれど、それから二月もすると蛍が出ます。

で、その後、父親も同じ同人に入って俳句を始めちゃった。こっちは句集出すようなレベルにはとても達しませんでしたが(お父さんごめんなさい)。

風花やマリアの像の憂いおび 健一(平成七年)
水仙咲く隣の人は去りしまま 健一(平成十年)
老桜は散り初む鷺は悠然と 健一(平成十年)
あじさいの咲き初む色のなき如く 健一(平成十年)
明月を隠して薄き雲流る 健一(平成十年)

あ、雪月花ばかりになりにけり。

というわけで、今日は父親の丸20年目の祥月命日。もうそんなにも過ぎてしまったか。ツルも母親の享年は越えてしまったし。

2019年6月26日 (水)

【誤植編】校正畏るべし:2

(承前)

「児童虐待推進キャラ」の報道記事を読んで、「姦淫聖書」のことを思い出した人は多いと思う。旧約聖書のモーセ五書(*1)の二番目、出エジプト記第二十章第十四節に出てくる「十戒」の第七、"Thou shalt not commit adultery." の "not" が抜けて "Thou shalt commit adultery." となり、「汝姦淫する勿れ」が「汝姦淫すべし」となってしまったというもの。焚書を免れた実物が少数現存しており、当然大変な値段がついているという、「史上最も有名な誤植」です。

(*1)
創世記/Genesis
出エジプト記(出埃及記)/Exodus
レビ記/Leviticus
民数記/Numbers
申命記/Deuteronomy

確かこれもお上の作ったものではなかったかと思って調べるとやはりそうで、1631年、イングランド・スコットランド・アイルランドの王チャールズ1世(1600.11.19~1649.01.30;処刑)の命により出版されたイングランド国教会(*2)の欽定訳聖書(*3)。王立印刷所で印刷されたというから念が入っている。東京都福祉保健局どころの騒ぎではなかったわけです。

(*2)Church of England。イングランド王・アイルランド王ヘンリー8世(1491.06.28~1547.01.28)が、王妃キャサリン・オブ・アラゴン(元は早世した兄の妻だった)との離婚および愛人の王妃侍女アン・ブリンとの再婚(後に離婚 → 処刑)を望んだことに端を発して、1534年にバチカンから独立した一派。因みにこの王様は生涯に6度結婚しており、最初の妃キャサリンとの間に生まれたのがBloody Maryことメアリー1世(1516.02.18~1558.11.17)、二番目の妃アンとの間に生まれたのが処女王エリザベス1世(ユリウス暦1533.09.07~グレゴリオ暦1603.04.03)、三番目の妃ジェーン・シーモアとの間に生まれた待望の男子がエドワード6世(1537.10.12~1553.07.06;つまり15歳で死去)である。

(*3)一般に「欽定訳聖書」として知られているのは、20年前の1611年に父のイングランド王・アイルランド王ジェームズ1世(=スコットランド王ジェームズ6世)(1566.06.19~1625.03.27)が命じて作らせたもの。

以上ややこしいけど、ヨーロッパの外れの弱小な島国が統一され強大になっていく時代の話で、即位の順で言うと、ヘンリー8世 → エドワード6世 → メアリー1世 → エリザベス1世 → (スコットランド王ジェームズ6世 →) ジェームズ1世 → チャールズ1世となる。

で、この「姦淫聖書」は、重版時の組版ミスということになるわけ。

因みに、Wikipediaには;

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歴史的に、notの欠落は、よく見られる誤植である。例えば、AP通信のスタイルガイドでは、この誤りを防ぐために「無罪」を表すのにnot guiltyの代わりにinnocentを用いるように勧めている。
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と書いてあるけど、そんなの限りなく言葉狩りに近いじゃん。ミスを起こしにくいプロセスや体制を整備・強化していくことは無論大切、でもこんな↑簡単な話で済ませようとするのは何の解決にもならないと思う。

石川や浜の真砂は尽きるとも
世に過ちの種は尽きまじ

そう言えばちょっと前、こんな仰天ニュースもあった。

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(2019.05.10 09:59 ロイター 抜粋)

Australian50dollar

オーストラリアで発行された新デザインの50豪ドル札(約3830円)に、恥ずべきスペルミスが見つかった。すでに数百万枚が出回っており、印刷・流通の前に中央銀行が見落としていたもようだ。
この誤植はラジオ局「トリプルM」のリスナーが、新50豪ドル札の拡大写真を送付したことで知れ渡った。このお札では、「responsibility(責任)」のつづりが3カ所、「responsibilty」となっており、「i」が1個抜け落ちている。
この紙幣は2018年10月18日に発行され、偽造防止のための新機能や視覚障害者向けの触覚要素が導入されている。中銀によると、50豪ドル札は同国で最も広く流通しており、他の紙幣の半分近くを占めている。
中銀の広報官はロイターへの電子メールで「中銀はそれを認識しており、次回の印刷時に修正される」と説明。「これらは法定通貨であり、これまで通り継続使用できる」と述べた。発行されている新紙幣の正確な数や、新紙幣が回収されるかどうかについては直ちに回答しなかった。

〔後略〕
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「マイクロ文字」と呼ばれる微細文字の印刷技術を用いたものだけど、とんだところで足元をすくわれたわけです。偽造防止以前の問題だよねえ。逆に正しい綴りのものがあったらそれが偽札だというww。「責任」以前の問題とも言えるのか(爆笑)。

しかし、この失敗で一番恥ずかしいのは、「綴りを間違った」ことではなく(そこは "To err is human" である)、「スペルチェックかけなかったの?」でもなく、「同じミスを3回も繰り返した」ことである。コピペしてたの??豪快なるかの国の中央銀行さんよww。
結局、数百万枚どころか既に約4,600万枚も出回っており、回収はなさらず「次回印刷分から修正」となる由。だから東京都福祉保健局さんも、あんまりくよくよしなさんな。話が小さい小さい(冷笑)。

(次回は6月27日に続く)

2019年6月25日 (火)

【誤植編】校正畏るべし:1(OSEKKAIくん)

先日こんなニュースがネットに出ていて、笑った。

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(2019.06.11 21:05 毎日新聞)

東京都福祉保健局が児童虐待の防止を呼びかけるインターネット上のサイトで、マスコットキャラクターを「児童虐待推進キャラクター」と紹介していることがツイッターで指摘され、「一番、誤字をしてはいけないところ」などと話題になっている。サイトを運営している家庭支援課は、ツイッターで指摘される前から誤植に気づき、サイトを制作した業者に修正を依頼。11日午後8時ごろ修正されたが、修正前の画像はネット上で拡散している。
同課によると、サイトは「東京OSEKKAI化計画」を紹介するもので、地域の親子への心づかいや声かけなどを重視し、児童虐待を防止するだけでなく、子供を育てる親を精神的に支えようという取り組みだ。サイトでは警察や児童相談所全国共通ダイヤル(189)などの窓口に加え、里親制度なども紹介している。
「児童虐待推進キャラクター」と誤って紹介された「OSEKKAIくん」は[巻き貝]の形をしたマスコットキャラクターで、正しくは「児童虐待防止推進キャラクター」。サイトを開いた際に最初に出てくるページは誤っていたが、他では正しく表記されており、同様の誤植は印刷物を含めて現時点では見つかっていないという。
同課の担当者は「東京OSEKKAI化計画は数年前に始め、このサイトも更新を続けてきた。(今回の誤植が)いつごろからなのか調べてみないと分からないが、最近更新した時に誤った表記をしたようで、直後に職員がサイトをチェックした際に気づいていた。すでに業者に修正の依頼を出した」と説明した。【大村健一/統合デジタル取材センター】
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こういうことです↓。

〔Before〕
Tokyochildabusepreventionsitebefore

 ↓

〔After〕
Tokyochildabusepreventionsiteafter

翌朝の産経新聞の記事では、「4月10日ごろにサイトをリニューアルした際に間違ったとみられ」とある。ミスの翌日にはもう広まっちゃったわけ。「189」つまり「イチハヤク」のとおりにねww。

そりゃま「本サイトアップ前にきっちりチェックせんかい手パンチ」とは痛烈に思うが、ツルが一番気になるのは、妙なところを間違ったもんだとか、サイト管理体制はどうなっとるんだとかいう点ではない。「ツイッターで話題になっている」、「修正前の画像はネット上で拡散している」というその書き方です。報道記事としてどうなのよ。これでは素人がいろいろ検索をかけてみてオモロイことがあったというのと変わらんではないか(ツルがどの口で言うか;汗)。マスメディアがSNS(その本質はSocialでも何でもなくて、MinimalでPersonalなものだと思う)等のスモールメディアに従属しつつある現状を表していると思う。

しかし、どうも話が微妙に噛み合わんな、なぜペアキャラなのに「OSEKKAIくん」という男名前一つにしてあるのだろう、こりゃまたモメるぞと思って調べてみると、かなーり驚きました。「OSEKKAIくん」とはこれのことだったんですね・・・。

東京都福祉保健局少子社会対策部家庭支援課
児童虐待防止推進キャラクター
OSEKKAIくん
Osekkaikun

まさか、少女Aでも少年Bでもなく、[赤ん坊C]が「OSEKKAIくん」の正体だったとは!!しかも[巻き貝]にくるまれて大切に育てられる小さな生命のIconというわけではなかったのだよ(貝は形状と色彩からしてツメタガイ/Glossaulax didymaと思われます;よく考えると爆笑)
裏取りは常に必要ですな。

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名前:
OSEKKAIくん

性別:
男の子

年齢:
KAI(貝)年齢 5歳

性格:
優しく温か。親子を見守ることを生きKAIとしている。都民すべての人をOSEKKAI化することを夢見ている。

趣味:
子供を救う。親子のSOSを見つけること。

好きな言葉:
「愛」

好きな食べ物:
お母さんがつくってくれるみそ汁。
(貝は入っていない)
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え?もう5歳なのにその姿??まだそのなりなのに子供、つまり少女Aや少年Bを救う??てなことはおいといて(苦)。

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OSEKKAIくんは、
東京をOSEKKAI化することを
夢見ています。
人を見つけると
OSEKKAIというKAI(貝)を与え、
都民みんなを
OSEKKAI人にしていきます。
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何だか、微妙に筋が悪い。児童虐待の防止は、一義的には地域の見守り(勢い高齢者に負担と責任を負わせることにつながりやすいだろう)の問題ではないはずだ。このキャラは問題をすり替えている、というより児童の犯罪巻き込まれ防止や非行防止などと混同していると思うが、どうだろうか。

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(東京都福祉保健局サイト)

東京OSEKKAI化計画とは?
東京OSEKKAI化計画の目指す「OSEKKAI」は、従来の「おせっかい」とは違います。

OSEKKAIとは、地域の親子に向けられる優しい心遣いであり、温かいまなざしや優しい声かけなど、ちょっとしたこと、どんなことでもいいのです。
カタチに決まりはありません。

それはきっと子供を虐待から救うだけでなく、パパとママの心と体も楽にします。

そんな心遣いであふれた街にする。それが東京OSEKKAI化計画です。
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次の画像を見ると、混迷は一層深まる。

Tokyoosekkaiplan

少女Aと少年Bにだけは、当該[貝]が背中についていないからです。
つまり、少女Aと少年Bはここに至って初めて「与えられる存在」であることが明らかになる。誰もそうとは思わなかったでしょ?初めは。

Tokyochildabusepreventionchara

コンセプトとビジュアルに齟齬がある。キャラクター運営としては、肉付けがしっかりされていないということだろう。広告代理店臭がぷんぷんすると言ってもよい。

新聞記者も、きちんとこの辺りを理解して書いたのだろうか。

(続く)

2019年6月23日 (日)

【加筆編】犬と熊のどちらが医師にはふさわしいか(日医君・日本医師会キャラ)

(承前)

「看護」ネタを取り上げたついでに、テンプレガイダーの近作、一ついっとこう。

東京都文京区
公益社団法人 日本医師会
キャラクター
日医君
(作者不明)
_hachiya_nichiikun

一見塩キャラと見紛うけれど、下ぶくれと左右対称性の強さにより、八谷早希子作品と断定します。

募集は2016年4月1日からから8月31日まで、丸々5ヵ月もかけて行われた。賞金は30万円。まだその頃はそんな価値が(辛うじて)あったんですかね。

しかし、何があったか知らないが、発表は1年以上もずれ込んだ。

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(募集要項)

審査結果は、平成28年11月を目途に日本医師会ホームページ上で発表するほか、採用者本人に直接通知します。
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 ↓

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(2017.02.05 日医ニュース 第1002号)

日医の新キャラクターの発表時期につきましては、現在、権利関係の調査を行っているため、当初の予定よりも大幅に遅れています。ご応募頂きました皆様始め多くの方々にはご迷惑をおかけしますが、最終決定まで今しばらくお待ち下さい。
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 ↓

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(2018.02.05 プレスリリース 抜粋)

道永麻里常任理事は1月9日の記者会見で、日医の新しいキャラクターが決定したことを公表した。
日医では、「医療に関する専門家集団」である日本医師会を、医師だけでなく国民にも、より身近で親しみのある団体として認知してもらうことを目的として、新キャラクターを募集していたが、このたび、応募作品1300点以上の中から、「日医君(にちいくん)」を新キャラクターとして決定した。

〔中略〕

≪選考理由≫
日医は、「国民と共に歩む専門家集団」として、常に「国民の皆さんが住み慣れた地域で安心して健康に暮らしていくためには何ができるのか」という視点に立ち、さまざまな政策を国に提言しています。
今回のキャラクターのモチーフとなっている[犬]は、古来より人と共に暮らし、盲導犬や災害救助犬など、人のパートナーとしての役割を現在でも担っていますが、“人々に寄り添う”という点で、日医の活動の理念と相通ずるものがあると感じました。
また、犬は時には自分より大きな動物にも立ち向かう勇敢な性格であると言われ、その点でも病の克服に向けて日々闘う日本の医師の団体を表すキャラクターとしてふさわしいと考え、本作品を選びました。
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前回斬った日本准看護師連絡協議会シンボルマークとの対比で言うと、アチラは2017年5月1日~6月30日募集だったので、スタートはコチラの方が1年も早かったわけです。しかし、発表はアチラが2017年7月27日、コチラが2018年1月9日と先を越されちゃった。
ダラダラやってるうちに、賞金額も相場をかけ離れたもんになっちまったじゃねーか。決定の理由なんてどーでもいいんだよ、この際(攻撃的)。ツルは募集終了から決定まで1年4ヵ月もかかったその理由が知りてーんだよ!!!!!

ええ、調べました。
栃木県足利市にある、さる医院のブログの記述が突破口になった。

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(2018.04.23 ロックな耳鼻科 抜粋)

たしか、以前、日本医師会は
鼻が赤いハートの白クマがキャラクターで、
白クマ通信なる連載記事もあったのですが、なぜ変更になったかは不明。
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ほう。検索ワードは「日本医師会」「キャラクター」「白クマ」ね。

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(2003.06.05 日医ニュース 第1002号)

日医は,かねてから,「赤いハートの鼻をもつ白いクマ」をキャラクターグッズとして,ポスターなどに使用していたが,このたび,意匠登録された.
この白クマは,医師会が,一般国民から親しまれ,身近な存在として感じてもらえるようにとの趣旨で作成された.[クマ]は,国境・世代を超えて愛されるキャラクターであり,知識の代表とされている.また,[赤]は血液の色であり,生命力を象徴しており,[ハート]は心臓(慈悲のシンボル),[白]は医師の白衣を表わし,医師会のキャラクターグッズにふさわしいものとなっている.
日医は,平成十四年一月二十九日に特許庁に意匠登録を出願,本年三月十四日付をもって,正式に意匠原簿に登録された.単なる動物のぬいぐるみが意匠登録されることはかなり難しく,まして,日医のように一度目は拒絶され,改めて意見書を添えて再出願したものが受理されたという例は希である.
この登録によって,今後十五年間にわたり,日医が意匠権を有することになった.
-----

これです↓。

Japanmedicalassociationchara

いろいろ結構笑えます・・・。「単なる動物のぬいぐるみ」。
15年間の権利が切れる直前まで待って、2018年1月に新キャラを発表したというわけ。そんな事情があったんだ。上述の「白クマ通信」も2018年4月から「『日医君』だより」に衣替えしとります。

でもさ。

≪だったら初めっからそういう計画立てやがれ≫

ってことですわ。

どうでもいいけど、日本医師会の建物ってツルの仕事場のすぐそばにあるんだよね。歩道に伸び出たプリベットの植栽、いつもすっごく邪魔なんですけど・・・。この時期、猛烈に虫が食ってるのも気がついてないんだろうなあ。ダライ・ラマの記念植樹を大事にするなんてのより、大切なことだと思うよ。

2019年6月22日 (土)

もうやめようよ、ご当地キャラとか。(その234:日本准看護師連絡協議会)

(承前)

「山口 類」に引き続いて、またまた塩崎一族の別名義と見られるものを発見してしまいました。

東京都港区
日本准看護師連絡協議会
シンボルマーク
今井泉州(ペンネーム)
Sijapanpracticalnursecouncil

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看護職の心を[ハート]でイメージし、
日々の質の高いケアを目指す准看護師の姿を、笑顔とともに描かれています。
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応募側のコメントなんだか制定側のコメントなんだかよくわかりません。2017年7月に発表されたもの。

「今井泉州」には結構笑った。
「今井」は「今井好美」「今井弘美」「今井弘実」「今井健二」など今まで見てきた一族の別名義に用いられている。
「泉州」は和泉国を指す地域名で、現在の大阪府南西部に当たる。ここはかつて「泉州黄玉葱」の産地として知られ、昭和初期には全国のタマネギ生産高の3分の1を占めていた。その品種に「今井早生」があって、明治期にタマネギ栽培を広めた田尻村(現 泉南郡田尻町)の篤農家、今井佐治平に因むものだと思う。
タマネギは一般に、早生種ほど扁平な形をしており、水分が多くて辛味がなく甘味が強いという特徴を持つ。反面、輸送時に傷がつきやすく、日保ちもしないところから現在は丸形の中生種が主力で、泉州黄玉葱も全国シェア1%に満たないが、「なにわの伝統野菜」18品目の一つとして府のお墨付きを受け、再評価が図られているところ。

そして泉州は、大阪市生野区に住む塩崎一族(生野区は摂津国と河内国だが、塩崎さんちは前者である)にとって別天地。頭にこの玉葱をかぶった田尻町「たじりっち」(cf.【その102】)をはじめ、岸和田市「ちきりくん」(cf.【その31】)、泉大津市「おづみん」「ハートちゃん」(cf.【その34】)。次点まで含めれば堺市「さかいくん」(cf.【その100】)、泉南郡岬町キャラ(cf. 2015.10.11【無明の闇(その9)】)もあった。

たじりっちについて調べた時に今井早生の名前は目にしていたので、今回ハハンと思った次第。ああ、でもペンネームだと明かされているのだから、愚blogとしては【PNまつり】に入れるべきだったかな。いずれにせよ「今井」名義の謎解明に向けた一歩ですがw、ここは取り敢えず「今井泉州」「山口 類」ともに性別不詳の名前となっていることを指摘するにとどめます(どうしてもZARDの「坂井泉水」がちらついちやってさあ^^;)。

デザインの方は、【その231】の山口 類による2017年7月決定の日本看護福祉学会シンボルマークや、2015年12月発表の福井県理学療法士会ロゴマークと同様、細長の[ハート]が使われている。看護系で全く同じ時期に学会ネタだけじゃなく准看護師ネタも拾っていたとはねえww(別名義とした理由も自ずと明らかと思う)。
そこに[笑顔]を付加したという意味では、これ↓に極めて近い。

【その59】
長野県小諸市
セーフコミュニティ推進協議会
セーフコミュニティこもろ
キャラクター
こもえみちゃん
塩崎歩美
〔2010年8月デザイン決定〕
こもえみちゃん

ハァあ・・・。

で、この「日本准看護師連絡協議会」のことなんですが、その前に予備知識として、法改正により保健婦・助産婦・看護婦が保健師・助産師・看護師に変わったのは2002年。「助産師」ってスゴいですねえ。ああ、でも産婦人科医は普通に男性もいるか。

「正」「准」(「準」でも「凖」でもありませんよ)については;

保健師助産師看護師法
第7条第3項
看護師になろうとする者は、看護師国家試験に合格し、厚生労働大臣の免許を受けなければならない。

第8条
准看護師になろうとする者は、准看護師試験に合格し、都道府県知事の免許を受けなければならない。

国家資格か、知事資格かという違いがあるわけです。

同団体は、「准看護師養成制度の存続そして全国レベルで准看護師の更なる看護知識と技術の向上を目指した生涯教育研修体制確立を主な目的とし」て、2015年11月に設立された。法人化は2017年11月で、シンボルマーク制定もそのための体制整備の一環だったようです。公益社団法人ではなく一般社団法人なのが意外。
目につくのは「存続」の2文字・・・。

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(Wikipedia 日本の看護師 抜粋)

〔前略〕

准看護師は看護師と異なり、自らの判断で看護行為ができない。医師または歯科医師、看護師の指示を受けて看護を行う必要がある。准看護師が日本で設けられている背景には、戦後の看護師不足に対応するための暫定措置という性格がある。看護師には、ますます高度な専門的知識や技術が要求されるようになりつつあり、日本看護協会は、准看護師制度の廃止を希望しているが、慢性的な看護師不足に悩み、幅広い労働条件の看護労働力を求める日本医師会などの要望もあり、検討段階にある。
厚生労働省の准看護婦問題調査検討会報告[引用註:1996年12月]では、21世紀初頭の早い段階を目途に看護婦養成制度の統合に努めることを提言しているが、直後に日本医師会は反対意見書を取りまとめている。

〔中略〕

現在、准看護師の養成校は徐々に減りつつあり、2004年から、10年以上の臨床経験のある准看護師(2018年からは7年以上の臨床経験に緩和)を対象に看護師となるための通信制の移行教育が始まり、2006年にはこうした教育を受けた者が国家試験を受験している。なお、神奈川県のように准看護師の養成廃止(2013年度)をする自治体も見られる。

〔後略〕
-----

ええと、この問題、1980年代の段階で男性の准看護士というものはほとんど自衛隊関係だったというぐらいの認識しかなかったけど、こうした団体が組織化されるということは、現状は変わってきているのだろうか、それとも進んでいないのだろうか。雇用と労働の流動化、少子高齢化に伴う労働力の低下も加わってきている中で。

ああ、塩ロゴの方は何も変わってないですけれども。

2019年6月16日 (日)

【危急存亡編】『@niftyよりご連絡いたします』 ②

【2019.08.10 追記】

2019.08.07、@niftyから、本稿等の削除を条件に本ブログの一時停止を解除する旨の通知を受けた。
これに伴い、本稿の公開を停止する。

2019年6月15日 (土)

【危急存亡編】『@niftyよりご連絡いたします』 ①

【2019.08.10 追記】

2019.08.07、@niftyから、本稿等の削除を条件に本ブログの一時停止を解除する旨の通知を受けた。
これに伴い、本稿の公開を停止する。

2019年6月 9日 (日)

似て非なるもの - ダークダックス vs デューク・エイセス vs ボニージャックス(後編)

(承前)

回答と解説です。

①「いい湯だな」
♪いい湯だな ハハハン
作詞:永 六輔
作曲:いずみたく
歌:デューク・エイセス

1966年2月発売。ドリフの「8時だョ!全員集合」のエンディングで有名だが、もとは群馬県内の温泉を歌ったご当地ソングのこちらがオリジナル。

②「一週間」
♪テュリャ テュリャ テュリャ
原曲:ロシア民謡
訳詞:森 おくじ / 音楽舞踏集団カチューシャ
歌:ボニージャックス

1963年8月発売。NHK「みんなのうた」発。丸々一週間、「支出」する仕事はあっても「収入」を得る仕事を一切行わないという夢のような共・・・ああいやいや。「音楽舞踏集団カチューシャ」はハバロフスクの日本人捕虜有志による芸能集団で、だから日本語版のルーツも1940年代後半まで遡るだろう。因みにカチューシャとはエカテリーナの愛称形である。
ダークダックスも発表しているので正答とする(以下同様の扱い)。

③「おさななじみ」
♪おさななじみの 想い出は
作詞:永 六輔
作曲 中村八大
歌:デューク・エイセス

NHK「夢であいましょう」で、1963年5月の「今月の歌」として作られたもの。当時、「♪青いレモンの味がする」を実体験したことのある日本人なんてほとんどいなかったと思うが。

④「女ひとり」
♪京都 大原 三千院
作詞:永 六輔
作曲:いずみたく
歌:デューク・エイセス

1965年8月発売。「きょうと~~ おおはら さんぜんりぃ」と聴き覚えたヒトも少なくないハズ。

⑤「銀色の道」
♪遠い遠い 遥かな道は
作詞:塚田 茂
作曲:宮川 泰(ひろし)
歌:ダークダックス

1966年10月発売。NHK「夢をあなたに」発。ザ・ピーナッツもレコーディングしている。

⑥「ちいさい秋みつけた」
♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋
作詞:サトウハチロー
作曲:中田喜直
歌:ボニージャックス

1962年4月発売のアルバムに収録。ダークダックスも1972年1月に発表している。当初、1955年にNHKの特別番組「秋の祭典」のために作られたものだった(歌:伴 久美子)。

⑦「手のひらを太陽に」
♪僕らはみんな 生きている
作詞:やなせたかし
作曲:いずみたく
歌:ボニージャックス

1965年5月発売。オリジナルは宮城まり子(1927.03.21~:女優 → ねむの木学園設立)が1961年にNET(日本教育テレビ:現 テレビ朝日)のニュース番組で歌い、翌年NHK「みんなのうた」で取り上げられたものだが、ボニージャックスが歌ってヒットさせた。ダークダックスも1976年12月にカバーしている。

⑧「遠くへ行きたい」
♪知らない街を 歩いてみたい
作詞:永 六輔
作曲:中村八大
歌:デューク・エイセス

1971年5月発売のアルバムに収録。オリジナルはNHK「夢であいましょう」の1962年5月の「今月の歌」として作られ、ジェリー藤尾が歌ったが、むしろ1970年10月放送開始の日本テレビ「遠くへ行きたい」のテーマ曲としてデューク・エイセスがカバーしたものが有名ではないかと思う。

⑨「山男の歌」
♪娘さん よく聞けよ
作詞:神保信雄
作曲:不詳
歌:ダークダックス

1966年2月発売。元歌は広島県安芸郡江田島町(現 江田島市)の海軍兵学校で愛唱されていた「巡航節」らしく、さらに遡ると、岡山県笠岡市北木島の石切り場で歌われていた「石切唄」がルーツの一つという。海のものだか山のものだか。

⑩「雪山讃歌」
♪雪よ岩よ 我らが宿り
作詞:西堀榮三郎・京都大学学士山岳会
原曲:アメリカ民謡 "Oh My Darling Clementine"
歌:ダークダックス

1958年9月発売。西堀榮三郎(1903.01.28~1989.04.13)は化学者・工学者・登山家で京都大学教授であり、1958年の第一次南極観測隊の副隊長 兼 越冬隊長も務めた。京都帝國大学の山岳部員だった1927年(1926年とも)1月、スキー合宿の帰りに仲間と訪れた群馬県吾妻郡嬬恋村で大雪に降り籠められ無聊の慰みに作ったという、いわば替え歌。デューク・エイセス、ボニージャックスも発表している。

以上10曲、全問正解のお人はいるのかしらん。どれが一番親しまれていると考えるかは、アナタの年齢によっても違ってくることでせう。

ツルもおよそ記憶にありませんが、これらのグループのピークは、「歌声喫茶」なるものが日本に流行った時期とも重なっているのではないかしらん。ダークダックスなんて「カチューシャ」「トロイカ」「カリンカ」あたりも持ち歌にしていて、往時はこうしたロシア民謡が大人気だった(それにしても短調表情がっかりが多いなあ)。これも調べてみると、Wikipediaの歌声喫茶の項には「1955年前後の東京など日本の都市部で流行し、1970年代までに衰退した」と書かれているので、すこうしズレがあるようなないような。

やっぱり今でも思うけれど、こんなにもIdentityの似通ったグループが同時代に3組も必要だったわけ??日本に。つまりは、基本、「正統派」であればよくって、「個性」が重視されるようになる前の話だったってことなのかな??
しかし一方、新しい胎動として、初代ジャニーズ(あおい輝彦・真家ひろみ・飯野おさみ・中谷 良;ツルも記憶にございません。きっぱり。)は1964年12月に、その路線を引き継いだ形のフォーリーブス(北 公次・江木俊夫・おりも政夫・青山 孝)は1968年9月にレコードデビューしていた。その間には、ブルー・コメッツ(1957年結成;ボニージャックスより古いんだ!!)、スパイダース(1961年結成)、ワイルド・ワンズ(1966年結成)などのグループサウンズ人気の沸騰があった。
そしてその流れは現在に至る。前回挙げた宇崎竜童のダウン・タウン・ブギウギ・バンドの結成は1973年(いささか飛躍があるか)。

そういう時代感の昭和中期のお話でした。

2019年6月 8日 (土)

似て非なるもの - ダークダックス vs デューク・エイセス vs ボニージャックス(前編)

祭りと言えば、子供の頃3、4年住んでいた福岡県大牟田市に「大蛇山」という夏祭りがあった。祗園会系の祭礼で、無論今でもご当地最大の行事。ご当地キャラの「ジャー坊」(cf. 2018.11.13「ゆるキャラGP2018投票のこと」・2018.11.19「仍って件の如し ―― ゆるキャラGP2018の結末」)はこの大蛇の山車を象ったもの。
その頃、「大蛇山ばやし」なる曲が作られて、確か小学校5年の運動会で踊りを踊らされた記憶がある。歌っていたのがダークダックスかデューク・エイセスかボニージャックスかだったんだよね。なぜか実家にも豪華仕様のシングルレコードがあった(父親が職場でもらってきたものだったような)。子どもの頃からいつも見分けが(もちろん聴き分けも)つかなかったけど、どのグループだったんだろう??

というわけで、今回は昭和の時代の男性4人組の歌手のお話です。

ぶっちゃけ、どれも嫌いだったんよねーー、すっごく。なんでこんなにコーラスが薄っぺらいんだろう、ぐらいに思っていた(個人の感想です)。さりながら、嫌いなものを前にすると燃える質。

以下、結成順に並べてみます。メンバーには変動もあるので、取り敢えず1970年現在で。半世紀前、大阪万博の年にFlash Back!


【ダークダックス/Dark Ducks】
活動期間:1951年~2016年

〔トップテナー〕
高見澤 宏(ひろむ)(1933.11.09~2011.01.07)
〔セカンドテナー〕
佐々木 行(とおる)(1932.02.18~2016.06.20)
〔バリトン〕
喜早 哲(きそう てつ)(1930.11.08~2016.03.26)
〔バス〕
遠山 一(はじめ)(1930.05.26~)

慶應義塾大学の男声合唱団ワグネルソサエティのメンバーにより在学中に結成されたクァルテット(当初は3名で、翌1952年に入学した高見澤を加えて4名となった)。ロシア民謡といえばダークダックス、てなもんであったそうな。
このグループのみメンバーが一度も変わらず(最年少の高見澤が亡くなった後も補充はしなかった)、そのことは誇りだったようである。1987年には、「メンバーが変わらない日本で最も長期にわたって活動するコーラスグループ」というすっごく微妙なギネス世界記録に認定されてます。また、リーダーを明確な形では決めていなかったようで、一番自然発生的な経緯を持つということらしい。
因みにメンバー全員スキーが趣味(微伏線)。


【デューク・エイセス/Duke Aces】
活動期間:1955年~2017年

〔トップテナー〕
谷口安正(1939.06.28~1990.12.31)
〔トップテナー → セカンドテナー〕
吉田一彦(1936.01.25~:2015.03引退発表)
〔バス → バリトン:リーダー〕
谷 道夫(1934.11.08~)
〔バス〕
真木野(槇野)義孝(1936.02.24~)

「Aces」を「エイセス」と読んだのが時代を感じさせます。一番ポップス路線に近かったらしい。一方で「ゴスペル」と呼ばれるようになる前の「黒人霊歌」なんかも歌ってたそうな(ひょっとしたら両者は別物なのかしら)。3グループ12名の中で一番若かった谷口(とはいえ1939.09.01の第二次世界大戦開戦より前の生まれである)が一番早く亡くなったのが皮肉です。享年51、脳出血だった。


【ボニージャックス/Bonny Jacks】
活動期間:1958年~

〔トップテナー〕
西脇久夫(1936.01.29~)
〔セカンドテナー〕
大町正人(1937.07.20~2011.07.08)
〔バリトン〕
鹿島武臣(1934.01.01~)
〔バス:リーダー〕
玉田元康(1934.05.31~)

こちらは早稲田大学グリークラブのメンバーで結成。どうやら、レパートリーのジャンルは最も広かったらしい。「歌の伝道師」の異名を取ったとやら(詳細不明)。

「大蛇山ばやし」は、調べてみたら、1972年7月に大牟田市制55周年を記念して発表されたものだった。あれ、そうするとツル的にはアレは小4の運動会の時だったのかな??
作詞 安元 薫、作曲 中村八大(はちだい)、歌はデューク・エイセス。中村は時代の寵児だった超大御所で、生まれは中国・青島ながら、ご当地にも近い福岡県久留米市で育ったので、その辺の引きがあったのかもしれない。安元は大牟田市教育長だったヒトで、ご当地の夏祭り実行委員長なども務めていた。あーーー、だから小学校で踊るような羽目になったのか!!この1回だけだった気がするけど。次の年だったか、学校の先生に「今年は大蛇山ばやしは踊らんとですか」と聞いたら「いいや。ひゅうなかったろうが、あの歌は」と言われて、「ああ、大人もそう思ってたんだ」と妙に納得した記憶がある。「ひゅうなか」とは筑後弁で・・・いや、やめとこう。適宜ご想像下さい。ま、宇崎竜童の言葉を真似て言うなら、めっきり「ご当地ソングのようなもの」だった印象。でも、今でも踊られているらしい、「炭坑節」に次ぐ第二の踊り唄として。


で、いきなりですが、ここで抜き打ち試験です。

【問題】
以下の10曲はいずれもダークダックス、デューク・エイセス、ボニージャックスのいずれかによってレコード化された楽曲である(五十音順)。これらにつき、下記の問いに答えよ。

(1) 各楽曲をレコード化したグループを答えよ。(答は1つとは限らない)

(2) これらの楽曲は主に1960年代に発売されているが、1950年代のものが1曲、1970年代のものが1曲含まれている。それはどれか。

①「いい湯だな」
♪いい湯だな ハハハン

②「一週間」
♪テュリャ テュリャ テュリャ

③「おさななじみ」
♪おさななじみの 想い出は

④「女ひとり」
♪京都 大原 三千院

⑤「銀色の道」
♪遠い遠い 遥かな道は

⑥「ちいさい秋みつけた」
♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋

⑦「手のひらを太陽に」
♪僕らはみんな 生きている

⑧「遠くへ行きたい」
♪知らない街を 歩いてみたい

⑨「山男の歌」
♪娘さん よく聞けよ

⑩「雪山讃歌」
♪雪よ岩よ 我らが宿り

(回答は次回)

2019年6月 2日 (日)

【もやもやの蛇足】Rock on the Road! お祭りソングに注いだ情熱:作詞家と振付師と・・・

(承前)

妻の阿木燿子も華やかに応じて曰く。

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清水みなと祭りとの『美縁、ビエン、bien』

作詞を担当させて頂きました阿木燿子です。私にとっても遺作になるかもしれないのですが、初めてメロディを聴きました時は、次回作には最高に華やかなものを、というイメージを持っていたので、主人には「お祭り!」という弾け感がもっとあった方がいいのでは、と申しただけで、別にメロディにクレームを付けたわけではありません。今までの四作もそうでしたが、今回も夫婦の危機スレスレのところで、新しい作品が仕上がりました。

清水みなと祭りに来させて頂いて、皆様が踊って下さる姿を拝見すると、本当に作詞家冥利に尽きるなと感じます。作詞家というのは作品を産みっぱなしで、レコーディングが済んだ後は、その曲がヒットするかしないか、運まかせなところがございます。人の耳にあまり触れることがないような場合は、残念な気持になります。でも清水ではどの作品も皆様に愛して頂き、大事に育てて頂いたという実感がございます。作詞家として、こんな素敵な仕事はないな、と常々感じさせて頂いております。

主人から、新曲のキィワードにフラメンコはどうだろうと言われた時、「それは良いかも」とすぐ思いました。私はフラメンコが大好きで、自分でも習っていたり、「フラメンコ曽根崎心中」というフラメンコと曽根崎心中を合体させた作品をプロデュースしたりしているので、フラメンコの持っている陽気さ、明日は明日、今日は今日、今宵一夜を踊り明かそう、といった心意気みたいなものが、清水みなと祭りに共通すると感じたからです。

今日は詞がお手元にないと思いますが、私が知っている数少ないスペイン語に「ビエン(bien)」という言葉があります。フラメンコ・ショーを観ていても、ダンサーや歌手に「ムィ・ビエン(muy・bien)と声をかけたりします。「とても良いよ、素敵だよ」という意味らしいのですが、私はその言葉の響きが好きで、いつも頭にありました。
去年の東日本大震災以来、「絆」ということが言われます。今、私達日本人に最も大切なものとして、いえ、世界にとっても、地球にとっても絆という言葉は大事なキィワードになりつつあります。でも、昨今あまりに使われすぎて、作詞家としては避けたいなと、いう思いがございました。そこで「縁(えん)」ならどうだろう、とひらめきました。それも美しい縁という意味で「美縁(びえん)」。スペイン語にも引っ掛けた造語ですが、美しい縁(えにし)を、今回の作品のテーマにしました。

人と同じく私も、清水みなと祭りに関係していらっしゃるすべての方々、そして踊って下さる大勢の市民の皆様と良い縁で結ばれていると信じております。縁という糸は目には見えませんが、そう感じれば必ず美縁となって世界を巡ってくれるものだと思います。
今回はとくに私達の自信作です。ぜひ聴いて頂きたいし、皆様が清水みなと祭りで踊って下さる日を、楽しみにしています。
-----

この時宇崎竜童は66歳、阿木燿子は67歳だったので、遺作とするにはまだちょっと早いと思いますがネ。
「絆」を使いたくなかったという心情はツルも共感します。

振付の佐藤浩希の言葉がまた力強い。

-----
民衆が主役になる踊り・フラメンコ

フラメンコ・アーティストの佐藤浩希です。偉大な二人のアーティストの熱い思いを聞いた後で、私が何を語ろうか、少々緊張しています。

皆さん、フラメンコってご覧になった事がありますか?薔薇を口にくわえて手を叩いてオーレというようなイメージだったり、女性が長いスカートを翻しながら、激しいステップを踏んで踊るというのがフラメンコなんですけれども、本来の姿はスペインのアンダルシア地方の盆踊りなんです。お祭りの時に一般の民衆が、普段の生活の中で、例えば誕生会があったり、友達と遊んでいてふと楽しく踊ったり歌ったりというのが、フラメンコ本来の姿なんです。私が修行して、足の技術を磨いて、ステージ上でお客様に見せる踊りとは違うフラメンコがスペインにはあります。私はそれが大好きで、そこにこそフラメンコの原点があると感じ、ずっとアンダルシアに通って民衆の人たちの踊りを見て来ました。
おじいちゃん、おばあちゃんが歌う歌で、孫や赤ちゃんがヨチヨチ歩きしながら踊ったり、又はその反対で子供達が歌って背骨が曲がって身体があまり動かないおばあちゃんが、お尻を振るだけで拍手喝采が起こる。そういった世代や言葉を超えたコミュニケーションツールとして、地域の中で愛されている。私は日本でフラメンコ・アーティストとして活動する中で、ステージ上でお客様に自分の踊りを披露するだけではなくて、スペインで行われているように、生活の中で民衆の方が主役になるようなフラメンコのあり方って無いのかな、という事をずっと模索して来たんです。

そういう活動の一環として静岡県の湖西市で「湖西市手をつなぐ育成会」という、障害のあるお子さんをお持ちになっている親御さんの会なんですが、ご縁がありまして子供達にフラメンコを教えて、一緒に舞台を作る活動を2004年からずっと続けており、3月にも湖西市民会館で舞台を行いました。そんな風に、私たちだけが主役じゃない。みんなが主役になれるような、フラメンコのあり方をずっと模索し続けています。

そうした中、宇崎さんから「清水みなと祭りでフラメンコをやってみないか」というお話しを頂いた時に、1万人もの踊り手の方々がフラメンコを踊る、これこそ自分がフラメンコに携わっていてやりたかった仕事だったなと、本当に嬉しくて嬉しくてその時身体が震えたのを今でも覚えています。
祭りというのは、世代を超えて老いも若きも一緒に楽しめる文化だと思うんです。こんなに素晴しい文化は無い。で、明日また元気に生きて行こうという力を得る場所でもある。そして踊っている人たちみんなが主役になれる。自分達が今生きているんだって事を、こんなに素晴しい事なんだって事を、実感出来る場が祭りだと思っています。フラメンコは正にその力を持っている民俗芸能なので、その力を借りて、今回私が携わらせて頂く事で、少しでもこの清水みなと祭りのお力になれたらなと、頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
-----

はー。ツルは感嘆を惜しまない。

Wikipediaの宇崎竜童の項には、「これ以降毎年清水みなと祭りの時期には清水を訪れ、地元の住民らと交流を続けている。2007年放送の『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK)では、このエピソードをもとにして、笑福亭鶴瓶と宇崎が清水を訪れた。」とある。

ご当地ではこのお祭りの踊りの講習会、ほぼ年中行われてます(@_@)。そんな熱意こそが、アーティストを後押ししたんだろう。

2019年6月 1日 (土)

【もやもやの蛇足】Rock on the Road! お祭りソングに注いだ情熱:作曲家と・・・

(承前)

伊那まつりの「Dancing on the Road」を1997年に作った宇崎竜童は、実は各地で『新しいお祭りソング』を提供している。

これは伊那より前から始まっており、ちょっと調べただけでも;

1987年
静岡県清水市(現 静岡市清水区)
清水みなと祭り(1947年~)
「港かっぽれ~KAPPORE FUNK」

1988年
愛媛県宇和島市
和霊大祭・うわじま牛鬼まつり(1950年~ 宇和島商工祭り:1996年~ うわじま牛鬼まつり) ガイヤカーニバル(1988年~)
「GAIYA ON THE ROAD」

1988年(?)
愛媛県八幡浜市
八幡浜みなと夏まつり てやてやウェーブ(1988年~)
「TEYA TEYA I WANT YOU」

あたりが見つかる。他にもあるかもしれません。
宇和島と八幡浜で祭りの名称が2段に分かれているのは、若年層向けにアップテンポの踊りの場を用意したということのようです(しかし同じ愛媛県内で同時期に同様の動きがあったというのはどういうわけだろう?)。伊那と宇和島に「on the Road」が共通してる理由となると・・・もう怖すぎて書けません表情ひえ~。どこもいろいろ苦労してんのね。

ここで滅法面白かったのが、皮切りとなった「清水みなと祭り」のサイトに載っている、2012年の宇崎竜童のスピーチ。実は四半世紀にわたる経緯がありまして・・・。

-----
5月10日(木曜日)完成したばかりの清水文化会館マリナートにおいて、第65回清水みなと祭りの記念事業の一つである、新曲『かっぽれ・フラメンコ』の制作発表会が開催されました。

〔中略〕

港かっぽれ誕生から25年。清水の街との縁

今から25年前、当時の実行委員長をはじめ、実行委員会の方々が、清水みなと祭りのために曲を書いて欲しいといらっしゃいましたが、2度お断りをしました。それはご当地ソングのようなものを依頼しに来られたと思ったからでしたが、3度目にいらしたときに、清水みなと祭りという伝統的なお祭りの中で、年齢を超えて、若い人も子供も、大人もお年寄りも、みんなが踊れる踊りの曲を書いてもらいたい。それが清水の街を活性化するために助けになるんだという話を聞き、三度目の正直で、是非という事でお引き受けしました。

この時書いた「港かっぽれ」がきっかけで、色々な土地のお祭りのためのダンスミュージックをあちらこちらで書きましたが、どの土地も1曲頼んだら、もう後は僕の所へ来ないんです。なのに清水はそれから5年経ったらもう1曲欲しいと言って来ました。で、さらに5年経ったらまた欲しい。その時には、これはもう腐れ縁になるんだなと思ったんですが、4曲目を書いた時には、これはもう腐れ縁ではなくて、深いご縁でこの街の人たちと僕が繋がっているんだなと嬉しく思いました。
そして10年経って、去年「もう1曲書いて欲しい」と言われた時には、感動的でもありました。
この10年間やりたいと思ってたんです。だけど色々事情があったようで、この10年は新曲の依頼がありませんでした。なぜ来ないのかとしびれを切らしていました。でも昨年願いが叶ってオファーを頂きました。

1曲目の「港かっぽれ KAPPORE FUNK」は大阪の住吉神社から船で清水へ来た人が、この地にかっぽれを残して行ったという事が発端だったので、かっぽれをR&Bのファンクとぶつけて、老若男女全ての人が踊れる楽曲にしようという事でスタートしました。2曲目の「活惚レゲエ」は南の国の音楽のサウンドを清水へ持ち込もうとレゲエを使いました。次は北で、国内のねぶたの囃子を取り入れて「かっぽれ侫武夛」ができました。そして5年後は南へ向かい、沖縄の華やかなお祭りであるエイサーの囃子とかけ声をぶつけてみました[引用註:「かっぽれエイサー」]。

それから10年の間、次に来たらどうしようとずっと考えていましたが、なかなか依頼が来ないものですから、頭の中は世界中駆け巡っていましたが、去年話が来た時に、これはフラメンコしかないという事で、今日初めて曲名を申し上げますが「かっぽれ・フラメンコ」という曲を書きました。
フラメンコにしようと思った瞬間に、フラメンコと文楽の曾根崎心中とのコラボレーションの仕事を通じて、もう12年程のお付き合いをさせていただいている、フラメンコ・アーティストであり、振り付け師でありダンサーである佐藤浩希さんに振り付けをお願いする事にしました。今、佐藤さんはどんな振り付けにしようかと考えられている最中だと思います。

清水から日本中に、世界中に発信を!

これまで何年も清水みなと祭りの「港かっぽれ・総おどり」に参加させて頂いておりますけれども、今までの曲の振り付けは、なかなか前に進む事が無かったので、僕からの佐藤さんへの注文の一つとして、前へ進む、前へ動いて行く振り付けを組み込んで欲しいという事をお願いしてあります。また、フラメンコは変拍子がベースになっておりますが、ダンスミュージックですから、新しい盆踊りという認識をして頂いて、フラメンコのベースになっている変拍子は一部分で取り入れる形になっております。
それと今までの曲の冒頭には「かっぽれ、かっぽれ、よーいとな、よいよい」というかけ声が入っておりましたが、今回はそれをスパニッシュなサウンドの中で歌に乗せました。その後に「オーレ」ということばを入れました。

デモテープは完成しましたが、まだここで皆さんにお聞かせする事は出来ません。現在アレンジャーが編曲をしている最中で、今月中には完成する予定です。まだ皆さんに聴いて頂けないんですけれども、発表をこの新しく完成した清水文化会館マリナートで行える事を感謝しております。
建築中のマリナートを無理を言って施設を全て拝見しました。この立派な会館でテストランとして「かっぽれ港響曲」というタイトルで、20年前に行った「一万人の港響曲」をタイトにした形を、この舞台で行える事をとても嬉しく思います。その時は、ぜひ皆さんに参加して戴いて、満員の会場の中で、20年前にやった事と、これからやろうとしている事両方を、皆さんに聴いて見て頂いて、清水には伝統になりうる楽曲がこんなに沢山あるんだという事を知って頂きたいと思います。

僕は日本の中心は清水にあると認識しております。ここ清水から、日本中に、世界中に、このかっぽれの音を発信出来たら、受け止めてもらえたらと思っております。壮大な計画で100年後の事まで考えて、100年後極楽か地獄か解りませんが、そこから見下ろすか見上げるかした時に、清水で壮大なお祭りが続けられている姿を拝見したいと思って、今回新しい曲を作らせて頂きました。
新しい曲を作った時に、同じ屋根の下に住んでおります作詞家の阿木燿子に最初の聴衆として聴いてもらいましたが、その時のことばが「あなた、25年清水みなと祭りに関わらせていただいて、楽曲を提供させて頂いて、この5曲目があなたが清水へ提供する遺作になるのかもしれないんですよ。遺作になるのかもしれないのに、これで良いんですか」という非常に厳しい批評がありまして、僕はそれを聞いて考え込んで、そうか、もしかしたら遺作になるのかと思い、それからもう一度イントロから考え直して作り直して聴いてもらったら、「これなら詩を乗せても良いかな」というお返事を妻から頂きまして、何とか楽曲が仕上がりました。
ですから、僕としては入魂の一作。そしてこれは何十年も皆さんが引き継いで踊って下さる楽曲。遺作にならないと良いんですけれども、遺作になってもこれでも良いだろうという気持ちで作りましたので、ぜひ7月15日にマリナートで行われる発表会の時には、皆さんお誘い合わせの上、いらして頂きたいと思います。
よろしくお願いいたします。
-----

聴衆の心に強く訴えかける言葉の花束。今や、清水みなとの名物は次郎長親分以外にもいろいろあるんですよ(笑)。でもご当地としてはさっすがに「かっぽれYOSAKOI」だけは頑として受け入れませんっ爆弾

「どの土地も1曲頼んだら、もう後は僕の所へ来ないんです」にはもう大笑いしましたが。

(続く)

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