【もやもやの蛇足】Rock on the Road! お祭りソングに注いだ情熱:作詞家と振付師と・・・
(承前)
妻の阿木燿子も華やかに応じて曰く。
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清水みなと祭りとの『美縁、ビエン、bien』
作詞を担当させて頂きました阿木燿子です。私にとっても遺作になるかもしれないのですが、初めてメロディを聴きました時は、次回作には最高に華やかなものを、というイメージを持っていたので、主人には「お祭り!」という弾け感がもっとあった方がいいのでは、と申しただけで、別にメロディにクレームを付けたわけではありません。今までの四作もそうでしたが、今回も夫婦の危機スレスレのところで、新しい作品が仕上がりました。
清水みなと祭りに来させて頂いて、皆様が踊って下さる姿を拝見すると、本当に作詞家冥利に尽きるなと感じます。作詞家というのは作品を産みっぱなしで、レコーディングが済んだ後は、その曲がヒットするかしないか、運まかせなところがございます。人の耳にあまり触れることがないような場合は、残念な気持になります。でも清水ではどの作品も皆様に愛して頂き、大事に育てて頂いたという実感がございます。作詞家として、こんな素敵な仕事はないな、と常々感じさせて頂いております。
主人から、新曲のキィワードにフラメンコはどうだろうと言われた時、「それは良いかも」とすぐ思いました。私はフラメンコが大好きで、自分でも習っていたり、「フラメンコ曽根崎心中」というフラメンコと曽根崎心中を合体させた作品をプロデュースしたりしているので、フラメンコの持っている陽気さ、明日は明日、今日は今日、今宵一夜を踊り明かそう、といった心意気みたいなものが、清水みなと祭りに共通すると感じたからです。
今日は詞がお手元にないと思いますが、私が知っている数少ないスペイン語に「ビエン(bien)」という言葉があります。フラメンコ・ショーを観ていても、ダンサーや歌手に「ムィ・ビエン(muy・bien)と声をかけたりします。「とても良いよ、素敵だよ」という意味らしいのですが、私はその言葉の響きが好きで、いつも頭にありました。
去年の東日本大震災以来、「絆」ということが言われます。今、私達日本人に最も大切なものとして、いえ、世界にとっても、地球にとっても絆という言葉は大事なキィワードになりつつあります。でも、昨今あまりに使われすぎて、作詞家としては避けたいなと、いう思いがございました。そこで「縁(えん)」ならどうだろう、とひらめきました。それも美しい縁という意味で「美縁(びえん)」。スペイン語にも引っ掛けた造語ですが、美しい縁(えにし)を、今回の作品のテーマにしました。
人と同じく私も、清水みなと祭りに関係していらっしゃるすべての方々、そして踊って下さる大勢の市民の皆様と良い縁で結ばれていると信じております。縁という糸は目には見えませんが、そう感じれば必ず美縁となって世界を巡ってくれるものだと思います。
今回はとくに私達の自信作です。ぜひ聴いて頂きたいし、皆様が清水みなと祭りで踊って下さる日を、楽しみにしています。
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この時宇崎竜童は66歳、阿木燿子は67歳だったので、遺作とするにはまだちょっと早いと思いますがネ。
「絆」を使いたくなかったという心情はツルも共感します。
振付の佐藤浩希の言葉がまた力強い。
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民衆が主役になる踊り・フラメンコ
フラメンコ・アーティストの佐藤浩希です。偉大な二人のアーティストの熱い思いを聞いた後で、私が何を語ろうか、少々緊張しています。
皆さん、フラメンコってご覧になった事がありますか?薔薇を口にくわえて手を叩いてオーレというようなイメージだったり、女性が長いスカートを翻しながら、激しいステップを踏んで踊るというのがフラメンコなんですけれども、本来の姿はスペインのアンダルシア地方の盆踊りなんです。お祭りの時に一般の民衆が、普段の生活の中で、例えば誕生会があったり、友達と遊んでいてふと楽しく踊ったり歌ったりというのが、フラメンコ本来の姿なんです。私が修行して、足の技術を磨いて、ステージ上でお客様に見せる踊りとは違うフラメンコがスペインにはあります。私はそれが大好きで、そこにこそフラメンコの原点があると感じ、ずっとアンダルシアに通って民衆の人たちの踊りを見て来ました。
おじいちゃん、おばあちゃんが歌う歌で、孫や赤ちゃんがヨチヨチ歩きしながら踊ったり、又はその反対で子供達が歌って背骨が曲がって身体があまり動かないおばあちゃんが、お尻を振るだけで拍手喝采が起こる。そういった世代や言葉を超えたコミュニケーションツールとして、地域の中で愛されている。私は日本でフラメンコ・アーティストとして活動する中で、ステージ上でお客様に自分の踊りを披露するだけではなくて、スペインで行われているように、生活の中で民衆の方が主役になるようなフラメンコのあり方って無いのかな、という事をずっと模索して来たんです。
そういう活動の一環として静岡県の湖西市で「湖西市手をつなぐ育成会」という、障害のあるお子さんをお持ちになっている親御さんの会なんですが、ご縁がありまして子供達にフラメンコを教えて、一緒に舞台を作る活動を2004年からずっと続けており、3月にも湖西市民会館で舞台を行いました。そんな風に、私たちだけが主役じゃない。みんなが主役になれるような、フラメンコのあり方をずっと模索し続けています。
そうした中、宇崎さんから「清水みなと祭りでフラメンコをやってみないか」というお話しを頂いた時に、1万人もの踊り手の方々がフラメンコを踊る、これこそ自分がフラメンコに携わっていてやりたかった仕事だったなと、本当に嬉しくて嬉しくてその時身体が震えたのを今でも覚えています。
祭りというのは、世代を超えて老いも若きも一緒に楽しめる文化だと思うんです。こんなに素晴しい文化は無い。で、明日また元気に生きて行こうという力を得る場所でもある。そして踊っている人たちみんなが主役になれる。自分達が今生きているんだって事を、こんなに素晴しい事なんだって事を、実感出来る場が祭りだと思っています。フラメンコは正にその力を持っている民俗芸能なので、その力を借りて、今回私が携わらせて頂く事で、少しでもこの清水みなと祭りのお力になれたらなと、頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
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はー。ツルは感嘆を惜しまない。
Wikipediaの宇崎竜童の項には、「これ以降毎年清水みなと祭りの時期には清水を訪れ、地元の住民らと交流を続けている。2007年放送の『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK)では、このエピソードをもとにして、笑福亭鶴瓶と宇崎が清水を訪れた。」とある。
ご当地ではこのお祭りの踊りの講習会、ほぼ年中行われてます(@_@)。そんな熱意こそが、アーティストを後押ししたんだろう。
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