【加筆編】デザインとパロディの関係/批判と忖度の境界(NUMBER 1 SHIMBUN):下
(承前)
ツルは別に、これを「露骨過ぎ」とまでは考えないし、しかし「秀逸なデザイン」とも全く思わない。二次制作であるにしても、どうにもやっつけ仕事に見えてしょうがないんですね、作品のクォリティとして。フォントを野老作品に合わせてあったりはするけれど。
そうした意味合いでは以下のどちらにも劣るだろう。
【2013.10.22「Olympics & Expos その4」】
そして、むしろこっちの方↓がCorona Versionとしてはふさわしいんじゃねえのと思ったぐらい。
東京五輪エンブレムが発表された1ヵ月後の2016.05.30、京都大学大学院エネルギー科学研究科エネルギー社会工学のブログの「準周期タイリング」と題する記事の中に挙げられていたものです。専門用語ぎっしりで難しいぞー。ツルは書いてあることがほとんど理解できませんでしたが。
紙でざっと作ってざっと組んでいったものらしい。作ったところがところなだけに、ウイルス画像というより「なんちゃら物質の光学的構造/現象を撮影することに世界で初めて成功した画像」な感じ(適当)もいたします(笑)。
ちょっと驚いたのは、同ブログでは既にこの時点で十角形だの八角形だのの組市松紋アナログパズルまで作ってあったことで、前々回書いた「必ず正方形が出現するようにするには、正N角形のNは4の倍数」とか、「ピースの種類数は、{(N ÷ 2)- 1}をさらに2で割って(端数が出る場合はroundupして)得られる数」とかが正しい(らしい)ことも取り敢えず確認できました。
そしてだよ。
朝日はなぜ、この4月1日発行の「会員向けの月刊誌」の表紙のことを、コロナ感染の沈静化が多少なりとも見えてきた5月中旬になって記事にしたのか、そこが一番問題だと思う。外国人記者クラブは同業と言えば同業、ライバル関係と言えばそれもまた然り。そこを忖度する意識/無意識はなかったか。
記事の書きぶりも最近ありがちなSNS上の意見の単なる両論併記スタイルだし、作者のコメントもどっちつかずの大風呂敷。「東京五輪の開催延期と新型コロナを関連づけるのは妥当だ」と言っていながら、そして「コロナ五輪と揶揄される」恰好のネタを自ら提供しながら、「東京五輪が新型コロナと結びついて記憶されてしまうのは不幸だ」と言ってるんですね、この作者。ツルとしては、このデザインが「東京五輪と新型コロナを結びつける」以上の役割をどれだけ果たすものなのか、甚だ疑問に思うが。
ジャーナリストともあろう者が、その立ち位置のふわふわ加減を突っ込まんでどうする。結局は「ロンドンでわー」の「デワの守」の煙に巻かれてきただけじゃないのかなあ。「ロンドンもなー」という「ブゼンの守」な話を引き出すことはできなかったわけでしょ。
その一方で、専門家といってもタップリ感あるおじいちゃん2人が雁首揃えてコメントというのもねー。結局StereotypeあるいはDogmatismだと思うんだよね、この記事自体が。
こと芸術が絡むと、朝日ってつまらないよなあ。
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