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2020年6月 6日 (土)

蘭亭序 vs 般若心経 / 行書 vs 篆書

TOKOLOネタがようやっと尽きたので、この件を少しばかり。書いた時には気がついていなかった、ほんの小ネタを一くさり。

 

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【2020.01.25「第七結節」】

 

どうせなら王 羲之の「蘭亭序」本文324文字で作りゃよかったのに。諸本あるけど300文字に数十文字足りない般若心経より多少労力は食いますが、古来から行書の最高峰扱いされてきたこの詩集序文の新しい解釈ってな意味合いでウケたかも。まあ、この九畳篆が「般若心経」であることにどんな意味性があったのか、そこがわかっていないので世迷い言と思って下さい。

 

だんだん、香道由来の紋様「源氏香」のことも再び気になってきた(cf. 2009.04.07「団 家紋夜話」)。
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これのことです↓。旧字体がバンバン出てくるので(趣旨からして新字体に変えては意味がないでしょ)、ガラ系なんかだと表示されないかもしれない、悪しからず。

 

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蘭亭序

 

永和九年歳在癸丑暮春之初會于會稽山陰
之蘭亭脩禊事也群賢畢至少長咸集此地有
崇山峻領茂林脩竹又有清流激湍暎帶左右
引以爲流觴曲水列坐其次雖無絲竹管弦之
盛一觴一詠亦足以暢叙幽情是日也天朗氣
淸惠風和暢仰觀宇宙之大俯察品類之盛所
以遊目騁懷足以極視聽之娯信可樂也夫人
之相與俯仰一世或取諸懷抱悟言一室之内
或因寄所託放浪形骸之外雖趣舎萬殊靜躁
不同當其欣於所遇蹔得於己怏然自足不知
老之將至及其所之既惓情隨事遷感慨係之
矣向之所欣俛仰之閒以爲陳迹猶不能不以
之興懷況脩短隨化終期於盡古人云死生亦
大矣豈不痛哉毎攬昔人興感之由若合一契
未甞不臨文嗟悼不能喩之於懷固知一死生
爲虚誕齊彭殤爲妄作後之視今亦由今之視
昔悲夫故列叙時人録其所述雖世殊事異所
以興懷其致一也後之攬者亦將有感於斯文

 

永和九年、歳(とし)は癸丑(きちう)に在り。暮春の初め、会稽山陰の蘭亭に会す。禊事(けいじ)を脩(をさ)むるなり。群賢(ぐんけん)畢(ことごと)く至り、少長(せうちやう)咸(みな)集まる。此の地に、崇山(すうざん)峻領(しゆんれい)、茂林(もりん)脩竹(しうちく)有り。又、清流(せいりう)激湍(げきたん)有りて、左右に暎帯(えいたい)す。引きて以て流觴(りうしやう)の曲水と為(な)し、其の次(じ)に列坐す。糸竹管弦の盛(せい)無しと雖(いへど)も、一觴一詠、亦以て幽情を暢叙(ちやうじよ)するに足る。是の日や、天朗(ほが)らかに気清く、恵風(けいふう)和暢(わちやう)せり。仰いでは宇宙の大を観(み)、俯しては品類の盛んなるを察す。目を遊ばしめ懐(おも)ひを騁(は)する所以(ゆゑん)にして、以て視聴の娯しみを極むるに足れり。信(まこと)に楽しむべきなり。夫(そ)れ人の相与(あひとも)に一世(いつせい)に俯仰(ふぎやう)するや、或いは諸(これ)を懐抱(くわいはう)に取りて一室の内に悟言(ごげん)し、或いは託する所に因寄(いんき)して、形骸の外(ほか)に放浪す。趣舎(しゆしや)万殊(ばんしゆ)にして、静躁(せいさう)同じからずと雖も、其の遇ふ所を欣び、蹔(しばら)く己(おのれ)に得るに当たりては、怏然(あうぜん)として自(みづか)ら足り、老(おい)の将(まさ)に至らんとするを知らず。其の之(ゆ)く所既に惓(う)み、情(じやう)事(こと)に随ひて遷(うつ)るに及んでは、感慨(かんがい)之(これ)に係(かか)れり。向(さき)の欣ぶ所は、俛仰(ふぎやう)の閒(かん)に、以(すで)に陳迹(ちんせき)と為(な)る。猶(な)ほ之(これ)を以て懐(おも)ひを興(おこ)さざる能はず。況んや脩短(しうたん)化(か)に随ひ、終(つひ)に尽くるに期(き)するをや。古人云へり、死生も亦(また)大なりと。豈(あ)に痛ましからずや。毎(つね)に昔人(せきじん)感を興(おこ)すの由(よし)を攬(み)るに、一契(いつけい)を合(あは)せたるが若(ごと)し。未(いま)だ甞(かつ)て文に臨んで嗟悼(さたう)せずんばあらず。之(これ)を懐(こころ)に喩(さと)ること能はず。固(まこと)に死生を一(いつ)にするは虚誕(きよたん)たり、彭殤(はうしやう)を斉(ひと)しくするは妄作(まうさく)たるを知る。後(のち)の今を視るも、亦(また)由(な)ほ今の昔を視るがごとくならん。悲しいかな。故に時人(じじん)を列叙し、其の述ぶる所を録す。世(よ)殊に事(こと)異(こと)なりと雖も、懐(おも)ひを興(おこ)す所以(ゆゑん)は、其の致(むね)一(いつ)なり。後(のち)の攬(み)る者も、亦(また)将(まさ)に斯(こ)の文に感ずる有らんとす。
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王 羲之(A.D.303?~361?)は東晋の人。そんな時代から「宇宙」という言葉はあったんやねえ。「蘭亭序」(らんていじょ、らんていのじょ)は永和9年春(353.03.03)、会稽郡山陰県(現 浙江省紹興市)で曲水の宴を張った際に各人が詠んだ詩をまとめた詩集の序文です。上記の本文の字数は324字(異本には325字のものもあるけど無視;伏線)。真筆の原本は彼の他の作品と同様失われているが(その書の熱狂的ファンだった唐の太宗が自らの墓に入れさせたと伝わる)、行書を学ぶ者はまず王 羲之を学べとまで言われて神格化された彼の代表作である。

 

その蘭亭序と般若心経を見比べて、文章量以外に何が違っているのか。

 

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佛說摩訶般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舍利子色不異空空不異色色卽是空空卽是色受想行識亦復如是舍利子是諸法空相不生不滅不垢不淨不增不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顚倒夢想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等咒能除一切苦眞實不虚故說般若波羅蜜多咒卽說咒曰
揭諦揭諦波羅揭諦波羅僧揭諦
菩提薩婆訶
般若心經

 

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界 乃至無意識界
無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃
三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦 真実不虚
故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経
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そりゃー、サンスクリットからの漢訳だし、異本も多いし、どこまでを本文とみなすかにも諸説あるみたいだから、文字数カウントも様々あるらしい。「書」「字」としての完成度がもてはやされた蘭亭序とはまずそこからして違うみたいです。

 

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神道では最初の「仏説」は省略されます。また、仏教でも宗派などによって省略して唱えられます。
般若心経の本文は262文字とされますが、題目などを全て数えると、一般的には278文字とされます。
題目などを数えるかどうかで何文字とするかが違ってきますが、最初の「仏説」を除くと276文字、尾題の四文字「般若心経」を除くと274文字、最初の「仏説」と尾題四文字「般若心経」を除くと272文字、最初の経題十二文字「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」を除くと266文字となります。
“わずか260余文字の”、“わずか300字足らずの”などと表される場合もあります。
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などというサイトも見つかる。
因みに最後の「ぎゃーてーぎゃーてー・・・」に出てくる「揭」の字は「掲」とは異なります。「羯」とも書く。

 

文章を一見してわかるのは、般若心経では出てくる文字に偏りが大きいんですね。お経だからそりゃまあ仕方ない。群を抜いて登場が多いのは「無」で(笑)20回を超え全体の7%強。

 

Tokorokanji_null

 

そして「不」「是」「羅」「波」「空」「般」「若」「多」「故」「色」「蜜」「咒(呪)」と続き、これら13文字で全体の3分の1超を占めるそうな。つまりは「般若波羅蜜多」や「色即是空/空即是色」のフレーズがそれだけ何回も出てくるってことでせう。(えー、蘭亭序と般若心経の間でどの程度文字の重複があるか、それは調べとりませんが、少なくとも「不」「無」あたりはすぐ見つかる。)

でも今回の注目ポイントはそこじゃない。

 

蘭亭序の324字という数を素因数分解すると、2×2×3×3×3×3となるんですわ。つまり、18字×18行。おおーーーーー!!!!!

 

(できれば、17×17=289字であればもっとよかったのかもしれないが。)

 

おわかりにならない?野老先生。

「個」が「群」となり、また「群」となるための「律」が自ずから備わっているのですよ、1700年以上前のこの書には。

 

えーと、仮にこれを、最もスタンダードであろう1文字17×17マスで九畳篆化するとすると;

 

17×17×18×18=306×306マス

 

の荘厳なる障壁画が出来上がるわけです(93,636個のマス目と格闘することになりますけど)。しかも「18」には「九」が因数として入っている!!どおです??

 

1文字の寸法は、そうねえ、1ドット=1cmと考えて、余白まで入れて20×20cmぐらいでどうっすかねえ。トータル360cm×360cmの小宇宙。畳8枚分の(or 一辺が畳の長辺2枚分の)九畳篆曼荼羅。
旧字体が多いことを考慮すれば、25×25マスぐらいに設定した方がいいかもしれませんがね。202,500マス。

 

あー、いろいろとめまいがするわ。

 

因みに、王 羲之のもう一つの代表作とされる、約1,800字に及ぶ「聖教序/しょうぎょうじょ」の中には、玄奘(「西遊記」の三蔵法師ね)の漢訳した般若心経も入っているのですよ。ここは一つ古今の能筆の行書と当代の美術家の篆書と、見比べてみたいものである、般若心経も蘭亭序も。

 

ああ、生きてく上でまるで必要じゃない、けれど死んでいく時には唱えることが必要になるかもしれないぷちネタ。

 

 

P.S.
源氏香のことはいまだ再考中。中学時代の昔からわからないままになっていることが一つあるのだけれど。

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