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2020年7月22日 (水)

【顚末編】デザインとパロディの関係/批判と忖度の境界(NUMBER 1 SHIMBUN):その後のその後

cf.
2020.05.23~24「デザインとパロディの関係/批判と忖度の境界:上・下」
2020.06.07「デザインとパロディの関係/批判と忖度の境界:その後」

 

(承前)

 

↓この件、また動きがありまして。

 

日本外国特派員協会
NUMBER 1 SHIMBUN
April 2020 Vol. 52 No. 4 表紙
Andrew Pothecary
Pothecaryno1shimbuncoverPothecaryno1shimbuncover_revised

 

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(2020.05.22 スポーツニッポン)

〔前略〕

月刊誌の編集長は辞任したという。
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その辞任編集長のコメントを朝日新聞が取っている。

 

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(2020.07.14 朝日新聞)

 

20200714asahinewspaper

 

(耕論)パロディーとニッポン グレゴリー・スターさん、横山久芳さん、清水ミチコさん

 

物事の本質を射抜こうとすれば、おのずと不謹慎さや毒がこもる。それがパロディーだ。コロナ流行下の日本で起きた東京五輪エンブレムをめぐる騒動を端緒に、その倫理を考えた。

 

■権力への武器、限界に挑め グレゴリー・スターさん(編集者)
パロディーは、人々が権力に向き合うときに手にできる小さいけれど、強力な「武器」になり得るものです。武器を自ら捨ててはいけない。編集長を務めていた日本外国特派員協会の会報誌をめぐる問題を経て、改めて思います。
表紙は当初、大きなマスクのデザインの予定でした。ところが、まもなく印刷という時に「東京五輪・パラリンピック延期」の情報が飛び込んできた。すぐに英国人のデザイナーが送ってきたのが、東京五輪エンブレムと新型コロナウイルスをかけ合わせたパロディー作品でした。私は一目見て「論評として成立する作品だ」と思いました。
発行当初、目立った批判はなかった。しかし1カ月半たって、大会組織委員会が「著作権侵害にあたる。選手への配慮も欠き、遺憾」と特派員協会に抗議。協会は2日後、デザインの取り下げを発表し、謝罪までした。表現の自由のために闘うことなく、自ら手前で線を引いてしまったのです。私とデザイナーは抗議の辞任をしました。
私も東京五輪を楽しみにしていた一人ですが、もはや五輪とコロナを切り離して語ることはできない。パロディーは、くだらないものから権力にあらがうものまで幅がありますが、人々に「こうだ」と答えを示すのではなく、考えさせる役割があります。誰かへの非難ではなく、世界的な感染症拡大による五輪延期という歴史的事件を伝え、考えてもらう。そんな狙いでした。
権力を「からかう」ことで、その弱い部分をさらけ出し、不完全さを明らかにする。強い者に立ち向かえるようになることで、人々は勇気づけられ、新たな表現につながっていく。これは、民主主義にとって重要なことです。
一方で、パロディーがどこまで許されるかという線引きは難しく、ギリギリまで挑戦しなければ、答えはわかりません。だからこそ、常に挑み続ける必要があるのです。
日本で編集やライターの仕事をして40年以上になります。移民国家の米国では「あなたと私の意見は異なる」という前提がある。日本では「あなたと私には共通の認識がある」と考えがちです。
「空気を読む」は中立的な言葉ですが、ときに表現の自由に反することがあります。今回もネットで「空気読め」「これはやっちゃいけない」という投稿を多く見ました。でも誰かが決めた空気ではなく、あなたがどう思うのか。そう考えてほしかったです。
新型コロナの感染拡大の中、いま世界で様々なパロディー作品が生み出されています。ただただ恐ろしかったことが、理解しやすくなったり、恐怖が和らいだりする。パロディーのユーモアはストレスを解放する「ガス抜き」のような役割も果たすのです。(聞き手・荒ちひろ)
     *
Gregory Starr 1951年、米テネシー州生まれ。68年に初来日。「東京ジャーナル」、映画誌「プレミア」日本版の編集長も務めた。

 

■法律あいまい、萎縮生む 横山久芳さん(学習院大学教授)
五輪エンブレムとコロナをかけ合わせたパロディー作品が「著作権法上の問題」を理由に取り下げられた問題。私は、日本の著作権法にパロディーに関する明確な規定がないことが、根源にあると考えています。日本では、パロディーは「法的には黒またはグレー」とみなされるため、萎縮効果が起きているのです。
黒人差別撤廃運動「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切だ)」で「風と共に去りぬ(Gone With the Wind)」が問題になっていますが、米国では20年ほど前、黒人奴隷の視点から批判的に描いたパロディー小説「風は去ってしまった(The Wind Done Gone)」が出版されました。原作の著作権者側の訴えを受けて、地裁は「著作権侵害」を認め、出版差し止めを命令。しかし控訴裁判所はこの命令を破棄しました。米国の著作権法には「公正な利用(フェアユース)はOK」という規定があり、パロディー小説は公正利用にあたりうると判断したのです。
フランスには「パロディー」を明確に認める規定があり、権力や権威をユーモアで笑いの対象とする「表現の自由」が守られてきました。
将来的には、日本も著作権法を改正してパロディーを明確に認める規定を設けるべきですが、現行法の下でも、柔軟な解釈でパロディーを「合法」とみなす余地はある。批評・研究などの目的ならば、他人の作品の一部を自由に使ってよいという「引用」の規定(32条)があるからです。
1980年の最高裁判決ではパロディー作品が「引用」とみなされず、違法と判定されました。パロディーでは元の作品が取り込まれて一体化しており、元の作品との「主従関係」もあいまいなため、「引用」と認められなかったのです。しかし、最近はこの判決に縛られない学説もあり、「引用」をより広く解釈する裁判例も出ています。
今回のパロディー作品はどうか。コロナ禍のいまも五輪開催をめざしている国家権力を風刺する意図が明確で、32条が定める「批評」という引用の目的にかなっています。「五輪選手を不快な思いにさせる」という指摘はありましたが、特定の個人の人格を傷つけるものではない。エンブレム関連商品が売れなくなる心配もない。つまり、「引用」と解釈でき、「合法」とみなせると私は考えています。
日本は、古くから他人の歌の一部を取り込んで詠む「本歌取り」の伝統があります。現代ではファンらが有名漫画の登場人物を使って新たな物語を作る「二次創作」を原作者側が黙認してきました。しかしパロディーの場合は「批評」という毒がこめられるため、元の作者の許可を得るのが難しい。その意味でも、法による支援が必要なのです。(聞き手・赤田康和)
     *
よこやまひさよし 1975年生まれ。知的財産法が専門。著作権の保護期間延長問題などを研究。共著に「著作権法入門」。

 

■「毒」は聴衆の反応で加減 清水ミチコさん(タレント)
モノマネをするのは、私が好きな人や憧れる人です。「こんな風になりたい」と思って顔や声を再現するんですが、人前ではちょっと皮肉るくらいが面白い。ちゃかしたり、発言を盛ってみたり。
権力がある人は余計に面白い。たとえば東京都知事の小池百合子さん。声がきれいなんですが、音節を区切る癖があり、英単語を頻繁に使います。それを少し大げさにマネしています。でも、あまりやり込めると、思想が入るというか、面白くない。ただ冷やかすんです。批評や皮肉がこもる点は、モノマネも他のパロディーと共通しています。
モノマネは演じる側と見る側の共犯関係で成り立っています。どこまで皮肉るかという「さじ加減」は聴衆の反応で決まります。その時はマネされる人への配慮は忘れてしまっていますね。本人が知らないところで無責任にやるのが面白いと思う。マネされる人にとっては迷惑な話ですよね。クレームを受けたこともあります。俳優の大竹しのぶさんには笑いながら「ひどーい」とつねられました。
バブル直後の1990年代は歯にきぬ着せぬ芸がうけていたし、期待もされていました。でも今はかなり変わってきました。若い人はちょっとした皮肉や風刺といった毒にも敏感で、冷めるんです。ユーチューブで作家の瀬戸内寂聴さんのマネを配信したら「寂聴先生に叱られませんか」と言われたことも。
ライブでも100人以上集まると、客席側に変な倫理というか、正義感みたいなものが生まれます。「ここから先は駄目」みたいな空気ができるんですね。お客さんの受け止め方が時代と共に変化したことで、私の芸も変わってきていると思いますね。
五輪エンブレムにコロナをかけ合わせたパロディーは、誰もが笑えるものではなかったんだと思います。デザインは悪くないけど、日本をバカにしている感じで、傷つく日本人もいるでしょう。人の生死に関わることゆえ、笑っちゃいけないという雰囲気が勝ったのでは。日本は「和を乱さないように」という文化。だから、皮肉や風刺といった毒はそこそこにしておかないといけない。ここのさじ加減こそセンスだと思います。
モノマネ芸人って、誰かになるという時点でちょっと変というか、おかしい存在なんですよね。相手を冷やかしたり、意地悪な見方をしたりしつつ、私自身も笑いの対象になっていると思う。自分も恥をかくべきだし、かかないとよくないと思っています。
私はマネをしているだけなので、オリジナルの作品を作る人がうらやましい。その嫉妬がモチベーションにもなります。次はコロナ対策で注目される研究者の岡田晴恵さんに挑戦しようと考えています。(聞き手・西村奈緒美)
     *
しみずミチコ 1960年生まれ。著書「三人寄れば無礼講」など。ニッポン放送「ラジオビバリー昼ズ」やテレビ番組に出演中。
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岡田晴恵と言えば今が旬、飛ぶ鳥落とす勢いの「コロナの女王」。日に日に垢抜けていくというその容姿は清水ミチコならずとも注目するところなのでありましょう。ツルはテレビ見ないし、昨秋の福岡転居時に捨てちゃって以来、テレビ自体まだ買っていないのでよく知らんけど(今住んでる実家にブラウン管の大型テレビはあるけど、地デジ対応以前のモデル💦💦、従ってパッケージソフトなんかのモニター専用💦💦)。

 

戦わずして降参してしまった外国人記者クラブの、会報誌責任者の主張は、まあそうだろうなという程度で取り立てて目新しいところはない。(さすがに作者デザイナーのコメントよりは骨太でしっかりしているとは思うけれど。)
興味深かったのは法学者とモノマネ芸人の意見です。著作権法第32条の基本的なところはもちろん理解しているけれど、その解釈には幅があり得ると思っていたので、実態や直近のトレンドを知りたかった次第。

「1990年代は歯にきぬ着せぬ芸がうけていたし、期待もされていました」というのは、本人をして「あの人のモノマネには軽い悪意を感じる」と言わしめた「松任谷由実作曲法」辺りを指しているんだろうなあ(またフルで映像を見たいものです)。「演じる側と見る側の共犯関係」は金言だろうし、「本人が知らないところで無責任にやるのが面白い」てのも愚blog的には激しく頷けるところww。

編集者とパロディストが斉しく「和を以て貴しとなす」を言挙げしているのも面白いです。

でも一番スゲえのは、外国特派員協会が削ったビジュアルを再現しちゃった朝日の編集方針、そこんとこですかね。「グラフィック・米沢 章憲」とクレジットまでつけて。

 

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著作権法
(引用)
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
2 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が一般に周知させることを目的として作成し、その著作の名義の下に公表する広報資料、調査統計資料、報告書その他これらに類する著作物は、説明の材料として新聞紙、雑誌その他の刊行物に転載することができる。ただし、これを禁止する旨の表示がある場合は、この限りでない。

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