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2022年1月

2022年1月 4日 (火)

謹告

管理人ツル、不慮の事故により負傷し、入院することになりましたので、しばらく愚blogの更新はお休みとさせていただきます。

 

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右足首、骨折。

 

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負傷のおよそ24時間前↓、2022年元旦。

 

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2022年1月 3日 (月)

【新春編】半世紀前へのタイムスリップ - 忘れじの鯉のゆくえ

(承前)

 

cf.
2021.12.25「〽️カネに恨みは数々ござる ネタに不足も数々ござる(十六)」

 

さて、三が日までは何か毒気のないネタを、と思ったら案外愚blogでは難しいww。でもこれを見つけました。

 

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ご当地荒尾では錦鯉の養殖も盛んだったので、大牟田を含めた界隈ではその錦鯉を飼っている家も結構あって、ツルんちもそうでした。これも確か、父の部下の人が持ってきてくれたのがきっかけだった(庭には元から池があったので「飼うてみんしゃれんですか」みたいな感じで)。決して成金趣味といったものではなくて、それは地域に溶け込んだ文化の一つだったと思う。
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荒尾の鯉から始まったツル家の錦鯉はその後どうなっていったか?というお話です。

 

(注:実際には、野良猫にやられることも多かったので、飼い始めた頃の個体がそのまま、てなことは全くなかったんだけれど、その話はまた後ほど。)

 

少年時代、福岡県大牟田市に数年住んだ後、福岡市南区老司に今の家を建てることになった時、池の鯉をどうするかということになりまして。既にこの生ける宝石にハマり始めていた父親が池を掘ることに決めて、新居のすぐそばに庭師の親方が住んでらしたのでご近所の誼で庭造りを頼み、鯉たちも一緒にお引っ越ししたのが1975年10月。国勢調査のタイミングだった。
このあたりは、大人になってから父親と話をしていたら、当時中学1年だったツルが「鯉も連れて行く!」と言い出したから池を作らせたのだと言っていてこっちがびっくりした。ツルの記憶の中では、父親がこの道楽に深入りしていってそうなったとばかり思い込んでいたので。記憶はどうあれ、事実は父親の言っていたことが正しいのかもしれない。

 

あれ??でもおかしいな?
庭が完成したのは家が建ってしばらくしてからだった。だから住み始めた初めは庭や池どころか門もカーポートもフェンスさえもなかったのを覚えている。庭造りが始まると、まず、どでかい庭石が次から次に運び込まれて家族みんなびっくりしてたもん。あんまりたくさん入るので心配した母親が「大丈夫ですか」と尋ねたところ、親方の返しが振るっていた。 「庭木は育つばってん、岩は育ちまっせんけん。木が育った時にちょうどようなる」 半世紀近くが過ぎ、その言葉が真実至言であったことを今しみじみと感じます。 閑話休題。 とすると、池ができあがるまで、鯉はどこにいたんだ??大牟田の家に残してきちゃったのかな??
あ、そうだ、母親の実家@福岡市東区馬出(まいだし)の池に半年ぐらい疎開させてたんだ!そうだよ。だんだん思い出してきた。

 

ともかく、その後長く父親は錦鯉を楽しんでいた。
前述したとおり、初めの頃はずいぶん猫に捕られたんですよねー。十数匹いたのが一晩のうちに全滅なんてことさえあった。朝起きて見てみると池の周りに鱗が散らばってるんです😢。金網張ったりもしたんだけど、ちょっとした隙間から手(前脚)を入れてかっさらうのか、ほぼ効果なし。岩の上に何時間も何時間も座って覗き込んで待って狙ってるんですよ、猫って。
しかし、ここで件の親方がこんなことを言ったらしいんです(ツルは既に大学進学で京都に行って、実家を離れていた)。

 

「ツルさん、フィルターをもっとよかとに変えんしゃれんですか。水がきれいになったら猫は捕りまっせんバイ」

 

当時、庭園灯を兼ねたフィルターを入れてはいたんだけど、水の透明度をキープするという意味ではまるで効果なし。夏場だと、1週間程度で水が緑色に濁って鯉の姿なんて見えやしなくなってたんですよね。ぶっちゃけ、これで錦鯉を飼ってると言えるのか、何のために手間ひまかけて飼ってるんだ、というところもあったわけ。飼ってるんだ。水は地下水汲み上げだったので割と掛け流しに近かったんだけど、それを上回るスピードで藻類が繁殖するわけ。それが、水をきれいにしたら捕られなくなるだなんて、俄には信じられなくて。なんかすごく口車っぽい気がするでしょ。普通だったら逆だろと思うよ、誰でも。
でも植木屋さんの言ったことは本当にホントだった。
ある時帰省してみたら、でっかい立派なフィルターが設置されていて、聞けば当時のお金で30万円強かかった由。びっくりしました。とっつぁん、そこまで嵌まったか!
も一つ驚いたのは、夏であろうがいつであろうが、池の水がいつもピカピカに清み切っていたこと。フィルター次第でここまで違うものかといたく感心しました。さすがにそうなると「生ける宝石」感もいや増すというもので。
そして、水が透明になってからというもの、決して猫にやられることはありませんでした。ほんとに不思議なんだけど、水の中の鯉からも猫の姿が見えるから取られなくなるんだろうか??

 

車で15分ほど行ったところに鯉屋さんも(当時は)あったので、父親は孫たちを連れて行って好きな色や模様のを選ばせて買ってきたりもしてました。「○○ちゃんの鯉」にしてたわけ。決して高いものではなくて、一匹で平均千円ちょいぐらい、どんなに高くても3千円を超えることはなかったけれど。
「錦鯉図鑑」みたいな本も家にあって、ツルも結構熱心に読んだから、基本的な錦鯉の観賞のお作法ぐらいはわかります。紅白ならば抜けるような白地に頭の方からくっきりした鮮明な赤が稲妻形に左右バランスよく入るのがよいとか、口元に赤が乗るのは下品とされるとか。

 

そして時は流れ去り、1999年6月に父親が亡くなった後、空き家となるこの家の錦鯉たちをどうするかということは再びなかなかの大問題になった。一族郎党、思案投げ首していたんですが・・・

 

(続く)

2022年1月 2日 (日)

【新春編】燃える夕日を追いかけて

cf.
2021.12.29「色に迷って、型に嵌まって:その4」

 

お正月第二弾はこの話を取り上げましょう。

 

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ご当地は「しずむ夕日が立ちどまる町」をキャッチフレーズにしていた伊予郡双海町が旧 伊予市・伊予郡中山町と2005年4月に新設合併したところ。Archipelagoたる瀬戸内海としては珍しく、ご当地の北西に広がる海は島影も少なく、その海原に沈む夕日は今も何より大切な地域興し資産なわけです。
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「夕日」を用いた双海町の地域興しの仕掛け人は、ご当地出身で漁師から町職員に転じたという若松進一なる人物(1944.10.03~;町職員は1970年から)。若い頃は青年団の活動にも打ち込んでいて、リーダーシップを買われて町にスカウトされたそうだから、やっぱり熱血漢なんでしょう。

 

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ある時TV局がご当地の町興しのことを取材に来て、海辺の駅でクルーがぼーっと海を眺めたまま動こうとしないので不思議に思って訊いてみたら、「こんな夕日は見たことがない」と言われ、それまで気づかなかったふるさとの夕日の美しさを初めて知った、という逸話は広く伝えられている。

 

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そこでこの人、これを利用した地域興しに乗り出し、その無人駅下灘駅(JR予讃線;現 愛ある伊予灘線)のホームで毎年9月に開く「夕焼けプラットホームコンサート」をはじめ、公園の整備(シーサイド公園・潮風ふれあい公園)や道の駅の開設など、数々の「夕日企画」を打ち出してご当地の名を高めていったという次第。このコンサートは1986年に始まったというから、世の中がバブル経済の絶頂に向かう頃、夕日をまっすぐに見つめていたわけです。

 

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1995年1月設立の第三セクター「有限会社シーサイドふたみ」は成功事例として全国の自治体関係者に知られてきた。(しかし、「道の駅ふたみ」の直近の指定管理者の選考に漏れ、2021年1月31日をもって解散しちゃったそうな。)
ついでに言っちゃうと、上記のコンサートも、例の如く2020年の第35回、2021年の第36回は映像配信のみによる無観客開催となっている😞。2022年こそ、壮大な舞台装置でリアルなライブ体験ができますように。バーチャルで見てつまらないものの代表は、いくら美しく撮れてても↑、空の色と蛍の光ではないだろうか。

 

園芸おたくのツルは、でもむしろ次の話がすごく印象的で、この人の名前を覚えていた。岡山県高梁市(たかはしし)のサイトから。頑張って見つけてきました。

 

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(2015.05.18 たかはし移住応援サイト ふらっと高梁 抜粋)

 

■菜の花のお話
菜の花畑をJR予讃線の沿線に作ろうと提案したら、JRに断られた。
モグラが来て、線路がめちゃくちゃになるからダメです!!
じゃあそこに生えている菜の花は良いのですか?
「これは野生だから良いのです」

 

そこで気づいた若松さん。蒔くのはダメだけど、勝手に生えるのはOKだと。
双海の女性会「エプロン会」を集めて何やら作戦会議・・・
「皆さん、エプロンにポケットを粗く縫ってください!完成したら、種をポケットにパンパンに入れて沿線を歩いてください」
あら不思議、気づいたら菜の花畑ができているではありませんか!

 

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JRがカンカンになって、「若松さん!!!なんで沿線が菜の花畑になっているんだ!?」と
「そんな事は花に聞いてください、種は蒔いていませんよ」と若松さん。
その後、沿線は毎年7~8万人の観光地になり、JRも菜の花トロッコを走らせるようになったとさ。
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うはははは、参考になるわー。福岡市南区老司あたりで胸ポケットや腰ポケットをパンパンにして那珂川べりやらそこらの公園やらでさるき回ったりhip hop踊りまくったりしてるおっさんがいたら、それはツルです(多少脚色;「さるく」=歩く、うろつくの意の古博多弁)。菜の花じゃないけど。東京都大田区下丸子で秘かに播きまくっていたZephyranthus citrinaの種は無事に育って花を咲かせているかしら。

 

そう言えば、場所も季節も方角も大きく違うけれど、こんなことを思い出した。
1994年2月、父親が生きていた頃、真冬の北海道、それも道東だけを一緒に旅したことがある。ツルは野生のタンチョウがどうしても見たくて誘ったら、実は父親は若い頃から一度流氷を見たかったそうで、親子の利害が一致したわけw。そこはどちらも大変満足したんですが、その旅の途中、網走駅からJR釧網本線で4駅ほど東へ行ったところにある、やはり海のすぐそばにある小さな駅、北浜駅というのが印象に残った。ここも有名な無人駅です。目の前に青いオホーツク海が開けていて、天気は快晴で、驚くほど寒かったけれど。流氷も遥か彼方に見えてました(その日の夜に北風が吹いて、一気に接岸したのだった。ガリンコ号、もちろん乗りましたとも)。まあ、北東に開けた浜で「朝焼けプラットホームコンサート」なんてのは季節を問わず無理でしょうが😄。
で、ホームにはちょっとした花壇があって、ハマナスがもじゃもじゃ植え込んであって。厳寒期だったからもちろん花も葉もついてなかったんだけど、朱い実がいくらか残っていて、二つほど盗んできました。で、種を取り出して福岡の実家(と当時は呼んでいた)の庭に期待しないで適当に播いといたら、案に相違して適当に芽が出てきて、今でもこの家にあります。ひょろひょろしてるけど、ちゃんと花も咲くし。香りも大変よろしい。正直、九州の平地で育つとは思ってなかったけど、ちょっとしたMemorial Plantです。

 

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話はまた双海町に戻りまして。

 

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さて、そうした若松さんにとっての、今後の課題は後継者の育成だろう。しかし、「意識して後継者を育成しようとすれば、私と同じ発想となり、私のコピーとなりかねない。」「私は、何もないところから“夕日”を見つけてきた。後に続く者にも何かを見つけてほしい。夕日にとらわれず、夕日に替わるものを見つけ、夕日を超えてほしい」と奮起を促す。
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ううぅむ、この言葉にはしみじみと参りました。

2022年1月 1日 (土)

【新春編】粋と鯔背のへのへのもへじ(古町芸妓・さばえ近松座)

🎍謹んで皆々様に新年の御祝詞を申しあげます🎍

 

2022年が明けました。新年の賀詞を姪っ子の娘(つまりツルは大叔父である)とも交わし、はんなり京風のお雑煮をいただいたところです。お屠蘇気分で一筆。

 

當ル寅歳、ツルにとっては(記憶にある限りw)5回目の年男、もう後がないわーーww。トラの年賀状はがんばってかっくいーの作りましたが。公募ガイダーのデザインよりよっぽど上等で、テンプレじゃないやつ。プリントゴッコのインクの劣化には苦労してますが😅。おっとと。
やんちゃガイダーの皆様方におかれましては、本年もツルの毒牙毒舌にかかられることあるまじく、くれぐれもご用心なさいますよう申しあげます。

 

さて。
お正月らしく、いつもの愚blogのようでない、吉にして福なるネタはないものかと考えたところ、真っ先に浮かんだものを一席。

 

旧年中のご当地公募デザインで、ほとんど唯一、ツルが唸らされたのは[イニシャル]使いのこれでした。

 

新潟市中央区古町地域
古町芸妓ブランディング会議
古町芸妓ロゴマーク
畑山(はたけやま)永吉(30歳:新潟市中央区:デザイン会社勤務)
Hatakeyamafurumachigeigi

 

2021年2月に決定されたもの。いいなー、これ。
初めの驚きが治まった後でも、あでやかな舞姿、造形の美しさから目が離せない。色気も愛嬌も程よくあって、古町の芸者衆、どんな別嬪揃いかと想像を逞しくもしようというものです。黒留袖の正装姿、くっきり富士額の島田髷に珊瑚の簪もけざやかなお姐さん方もさぞかし鼻が高いことでしょう。ギミックだけでできているのじゃないんです。

 

経緯を知ると一層惚れ込んじまう。

 

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(2021.02.23 新潟日報 抜粋)

 

〔前略〕

 

43都道府県の10~86歳から484点の応募があり、芸妓を養成する柳都振興(新潟市中央区)の芸妓たちの審査を経て、6点が同日の最終審査に進んだ。
選ばれたのは、新潟市中央区のデザイン会社に勤務する畑山永吉さん(30)の作品。舞い踊る[芸妓]の立ち姿に、芸妓の上品な所作やおもてなしの心、古町花街の文化や伝統などを継承する思いを込めた。マークは横にすると[ふ]の形になり、[扇子]と[かんざし]の部分を[赤]で引き立たせたデザインとなっている。
同会議は、新型コロナウイルス禍で宴会が減少する中、古町芸妓のブランド価値を見詰め直そうと、新潟商工会議所や芸妓のあおいさんらが呼び掛け昨夏に発足。現状分析や今後の在り方について意見交換を続け、活動で使用するロゴマークを公募していた。
1次審査に関わった芸妓の結衣さんと志穂さん、咲也子さんの3人は「全国から多くの方が古町芸妓のことを調べて作品を送ってくれてうれしい。マークを見て古町芸妓らしさが多くの人に伝わってほしい」と話した。
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芸妓衆がBrandingでWorkshop!! 地元商工会議所の男衆(?)が花柳界活性化の裏方を務めてるとは!! 花街にもSDGsやGovernanceの風が吹いているのね、今や。心意気とか矜持とか、そんな言葉がMaterialityとして浮かんでくる。

 

「同会議」というのはこれのこと。

 

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(2020.12.10 募集要項 抜粋)

 

古町芸妓ブランディング会議とは・・・
柳都振興(株)に所属する古町芸妓自身が、自らのブランディングを確立させるため、令和2年7月に立ち上げた会議体で、同社から独立した先輩芸妓やブランディングの専門家を交えて、全員参加の勉強会や意見交換会を実施しています。
今回のロゴデザイン募集は、これまでの成果を可視化し、柳都振興(古町芸妓)を内外に広く周知するため、ブランド価値を象徴するものとして、ロゴデザインを公募して選定するものです。
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前言撤回、「別嬪揃い」で済ませちゃいけないね、「いい女揃い」だねえ。

 

調べてみるとこのデザインは、昨年10月に新潟アートディレクターズクラブの「NIIGATA ADC DESIGN AWARD 2021」で「CI,ロゴ,シンボル,キャラクター部門」の「新潟ADC会員審査部門賞」を、そして翌11月には日本タイポグラフィ協会の「日本タイポグラフィ年鑑2022」の「ロゴタイプ・シンボルマーク部門」で「ベストワーク」を受賞した。愚blogが相手にする「ご当地公募」なんて範疇は飛び越えちゃってる気もします😅。
畑山は株式会社フレーム(新潟市中央区)所属のデザイナーで、他にも2020年9月に花鋏「HAND CREATION」シリーズ(株式会社坂源:新潟県三条市)のパッケージで日本パッケージデザイン協会の「2021日本パッケージデザイン大賞」の「VI・BI部門」銀賞を受賞している。

 

そう言えば、数年前の姪っ子の結婚式は当然このお寺で挙げたんだけど、披露宴は料亭に移って開かれまして、芸妓と舞妓を呼んで舞を披露するという趣向があった(同級生が3人でお祝いの歌を歌う、なんてつまらんことはしてくれるなと厳命しておいた)。よかったですねえ。新郎も実は福岡のさるお寺の息子さん(理系の大学院でシロアリの研究やって、その後お坊さんになったとか。ただ今本山で修業中の身というわけ。いつかは福岡に戻ってくるらしい)なので、招待客は新郎側も新婦側も福岡から大挙して押しかけていて、ということは京の都の芸者衆やら舞妓はんやらを見るのは初めての人が多かったわけで、皆さんこれには大層喜んではりました。舞の途中、顔を伏せがちにしたところから正面を向いて目をすっと上げた時のぞくっとするような色気にはツルも参った。
その後芸妓さんはお酌をして回るのだけれど、話をしたら四国の出身だそうで、小さい頃から日本舞踊は習っていたのでそこは苦労しなかったものの、言葉には難儀したと言うてはりました。立場上、期待値というものがおありでしょうからねー、という笑い話になりました。
脱線ついでに言えば、学生時代、京都の自動車学校で運転免許を取った時、同じ時期に芸妓さんだか舞妓さんだかが一人通ってきていた。確かにきれいな子でした。初日に和服で来てて、教官が「それはちょっと・・・」と言ってたなあ。その子も「言葉が大変」みたいなことを言ってたのを覚えている。

 

さて。粋な越後女に匹敵するものは、次の越前男しかおらぬと見たwwww。

 

福井県鯖江市
鯖江人形浄瑠璃「近松座」
シンボルマーク
工藤和久(青森県)
Kazuhisachikamatsuzatheatre

 

こちらは15年も前、2006年の公募。前から気づいていた作品だけど、今までお蔵入りにしていた理由は言わぬが花、もしくはイワンの馬鹿。今日だけは手放しに褒めてあげる。
文楽で日本の[浄瑠璃人形]の硬質な魅力をMinimalな形で切り取ることに成功している。勝因は何と言っても[片目]遣いにしたことだろう。目の形からして「検非違使」(文楽では「けんびし」と読む)の首(「かしら」と読む)だと思う。[近]の字にさほどこだわっていないところも好感が持てます。

 

以下、この団体の2015.11.01の旗揚げ十周年記念公演の際の謳い文句から。

 

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浄瑠璃作家として元禄文化を築いた近松門左衛門が、立待吉江で幼少期を過ごした史実をもとに、いつの日か地元の人形浄瑠璃劇団を立ち上げたいという関係者の願いが実り平成17年3月、「第8回近松まつり」が「第20回国民文化祭・ふくい2005県民自主企画事業」として開催されるのを機会に結成されました。
発足時は、人形浄瑠璃「たちまち座」という名称でしたが、平成18年4月より鯖江人形浄瑠璃「近松座」に変更になりました。
鯖江市内各地から集まった素人ばかりのメンバーでのスタートでした。
長浜市の冨田人形共遊団の厳しい指導と練習を受け、運営スタッフの支援もあり、気持ちを合わせて近松の情(こころ)を感じながら新しい鯖江の文化創造にチャレンジしています。

 

座長:大橋國利
活動開始:平成17年3月
会員数:17名
活動場所:立待公民館
指導:滋賀県長浜市冨田人形共遊団(平成16年~23年)
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歴史に根差した新たな創造ということですか。コロナ禍でどんな影響を受けているのだろう?

 

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なんかね。令和に入ってから、まともな形で新春を寿いだことはない感じですよね。“COVID-19” はそれ自体一つの歴史上の出来事になりつつあって(いつまで「新型」なんだろう?)、例えばあと30年ほどして令和が終わったら、「令和時代の十大事件」みたいなのには必ず入ってくるんだろう。“With Corona” と大騒ぎをしてたことまでがもはや少し色褪せて見えてきてるけど、当初から懸念されていたとおり、変異株もぽこぽこ出ていて予断を許さない。
しかし時は常に流れていくもの。今の中学生以下の世代が東日本大震災の記憶をほとんど持たないのと同じように、いつかはこのパンデミックの体験を持たない世代も出てくるのでしょうか?
そして1年遅れの2020東京五輪がついこないだ終わったと思ったら、来月にはもう2022北京冬季五輪が控えてるんです(苦)。今度は大人の事情で、日本を含めた諸外国が参加するのしないのと駆け引きを続けてるようですが。

 

あー、すみません、お正月なのに微妙に陰のある話で。でもそれこそが2022年1月、令和4年正月という今の谷間の時代の気分を一番よく表しているのかもしれません。

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