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2022年2月

2022年2月27日 (日)

【退院記念企画】非にして非なるもの - 東京 vs 福岡:その後の変化

(承前)

 

前回、あれこれ書いていたら思いのほか福岡ネガティブ情報が多くなっちゃったので、何だか気分がすぐれないww。お口直しに、昨年のお正月に書いたことに関するアップデートなどちょっと。

 

・福岡の食いもんはまだ甘い?

 

> あと1年もすればまた何も思わなくなるんでしょうなあ。

 

はい、早いものでその1年が経ちまして、「甘っ!!」とはあまり感じなくなりつつあります、案の定。
でもなー、ツルはまだ芋焼酎のお湯割り、という境地にはまだ到達してないんであるよ。日本酒🍶好きだし😍。なぜ博多っ子はポン酒を飲まんのよ😠。貴様それでも日本人かァ!!てな具合。

 

・なぜ独り吞みをしない?

 

> そもそも福岡では一人で外に飲みに行くという習慣が
> ほとんどないようなんですよ。

 

ここんとこは、ツルはちょっと思い違いをしていたかもしれない。
なぜ福岡では独り吞みをあまりしないのか。実は簡単な話で、マイカー通勤の人が多いからである、さすがに地方都市らしく。日常生活の中で酒を呑むというのは、車の運転を終えてから家でゆっくりと、てなことになっちゃうんですねきっと。
そう言えば、ツルが2年前に転職した時の会社の歓迎会も、一旦家に帰ってから出直してくる人が結構いたのはちょっとしたカルチャーショックだった。通勤はマイカーで、飲み会に出てくる時は公共交通機関でというわけやね。新年会が土曜開催だったのにも驚いたけど。
因みに福岡県は飲酒運転が全国レベルのワーストクラスという不名誉な記録を永く保持してたんであるが、今どうなってるかは知りまっせん(またネガティブ情報が・・・w)。

 

・「糸島」がブランド化している
これまた食の話のついでに一つ。
福岡市の西隣に糸島市というところがあって;

 

福岡県糸島半島

 

玄界灘に突き出た竜の頭の西側の方ね。そのさらに西に行くと佐賀県唐津市になる。
もとは自然豊かでのどかな土地柄、福岡市のベッドタウン化に多少乗り遅れたところ(現在の福岡都市圏の拡大はまず南方向に向かって起こり、次いで東北方向に進んだと考えている)、よくってプチブル熟年博多っ子のちょっとした別荘地というイメージを持っていたんだけど、どうもその辺のイメージを逆手に取ってブラッシュアップしていったのではないかという気がツルはする。

 

で、同市のパンフレット「古今 糸島の食物語」には「やさい」として芥屋(けや)かぶ・キャベツ・ブロッコリー・ネギが挙げられているから、さほど珍しい種類が作られているというわけではなさそう。近郊型農業で都市圏に供給してるってことでしょう。「くだもの」としては、博多あまおう・あま伊都(ブドウ:マスカットベリーA x 巨峰)・はるか(ミカン:日向夏 x 甘夏柑)・柑橘(温州みかん 紅まる君・甘園坊・デコポン・アンコール)が挙げられていて、こちらではやや品種特化が進んでいる様子。
海産物だと、天然マダイ・糸島カキ・特鮮本鰆・天然ハマグリが掲載されている。「糸島市における平成29年度のマダイ漁獲量は955tで、7年連続日本一を誇ります」という記載があるし、近年ご当地の漁港界隈には冬になると「牡蠣小屋」なる飲食店が立って賑わうみたい(コロナ禍でそこはまた様変わりしてるらしいが)。とうとう2019年5月には「糸島カキ」が「地域団体商標」として登録されたそうな。

 

福岡市内の飲食店でも「糸島産の野菜を使っています」とか「糸島野菜のバーニャカウダ」とか謳うところが結構あって、ちょっと微笑ましい。糸島がまさかそんなことになってるとは思わなかったけれど、それがツルが福岡を離れていた年月というものなんでしょう。

 

ま、これには九州大学がキャンパスを福岡市内から糸島市に移転したことも影響してると思いますがね。

 

次回は遂に本編を復活させますばい。

2022年2月26日 (土)

【退院記念企画】非にして非なるもの - 東京 vs 福岡:三驚

不慮の骨折 in 京都からも順調に復活してまいりまして。

 

さて、1年前のお正月にもこのネタで書きましたが、さらに1年を重ねご当地在住満2年を超えた今、ふたたびしてみんとて、するなり。福岡移住のご参考までにどうぞ(爆)

 

・美人が多いか?
三大美人の産地、的な話になると、博多はまず間違いなくその中に入っていると思う。ツルの個人的経験からすれば、高校を卒業するまで住んでいた時代はそんなこと考えたこともなかったけれど、よその土地から友人の男どもが遊びに来て街なかを連れ回して歩いていると、彼らが周りをみ回して、感に堪えないように「美人が多いなあ」と宣うなんてことはよくあった。
で、戻ってきてからのツルの肌感覚なんですが、確かにそれはほんと。顔のきれいな女の人、多いと感じます。おしゃれだとかセンスがいいとか垢抜けているとかお化粧が上手だとか、そんな人はそりゃあ東京の方が多いですよ。でも、顔立ちそのものが美形、出会ってハッとするような美人の割合というのはご当地の方が確実に高い(今の会社も美人率高いんですわww)。
系統的に言うと、意志の強さがそのまま美しさに表れているといったタイプの美人さんが多いです。タレントで言うと(とかく芸能人には困らない土地柄)、例えば牧瀬里穂。彼女が出てきた時は「あ、この子博多出身じゃないかな」と思ったらほんとにそうだった。(芸人のはなわが「佐賀県」で「牧瀬里穂も佐賀 やっぱ公表してねぇ」と歌ったのはガセネタらしいです。)

 

・「食」が本当にうまいか?
東京に長く住んでいて、博多出身だと言うと「食べ物がおいしいんですってね」的なことを返されることがだんだん増えていった気はする。ミシュランの星つきのお店の割合も福岡が全国一だと最近ネットで読んだことがある。
でもそうした諸々、ツル的にはかなり意外なことだった。鶏/かしわの水炊きは確かに別格である(断言)にせよ、焼鳥屋(店舗数が日本一多いとか)に行っても際立って旨いとも安いとも思わない。豚骨ラーメンは所詮B級だし(そのブランディングには「屋台」が果たした役割も大きいとは思う)、辛子明太子や高菜漬けは存在そのものがちょっと食の変化球、辺縁系というものだろうし、もつ鍋がなんで博多名物としてのし上がっていけたのかもよくわかっていないけど。
つい先日、湘南出身の友人と電話で話していたら、「自分は福岡って食のイメージしかないよ」と言われてまたビックリしました。

 

・サバを生で普通に食べるか?
青魚のサバは足が速いことから「鯖の生き腐れ」と言われて、焼き魚とか味噌煮とか、加熱工程を経て食するのが普通なわけです、全国的には。非加熱調理となればせいぜい昆布と酢で締めて〆鯖にするぐらいね、普通は。例外的に、新鮮な魚が手に入る地域では刺身で食べる習慣があって、博多もその一つという話で。
そのことはずっと昔から知っていたんだけれども、それに加えて、福岡にリターンしてみると「ごまさば」なるものの存在感がすごく増大しているのにちょっと驚いた(ゴマサバ/Scomber australasicusという魚の種類のことではなく、料理の名前のことです)。つまりはさばの刺身をすり胡麻と醤油だれで和えたもので、熱い白ご飯のお供にも酒の肴にもぴったり系、例によって甘い(甘じょっぱい)味つけだけど。
これは「博多ではサバが生で食べらるっとよ」というブランディング戦略の結果ではないかと思う。多分、大分の関サバ、関アジのブランド化が進んだ後に出てきたものだろう(いかにも博多小役人の考えそうなことだ)。
因みに魚類の生食の場合に常に問題となるアニサキスは、ざっくり言うと太平洋側と日本海側で種類が違っていて、前者の方が内臓から筋肉に出てくることが多くて格段に危険度が高いのだそうな。従って博多や長崎あたりでごまさばを食べて自分でも作ってみようという東京人のアナタ、いくら新鮮なものが手に入った場合であってもそれは危険なことだからおやめなさいまし(と言って参入障壁を高くしておく。しっかり冷凍すれば死滅するらしいですが)。

 

でもね、博多なんかより佐賀の唐津とか呼子とかの方が魚介類の新鮮度はもっと高いと思うとですよ。

 

・七味唐辛子か一味唐辛子か?
食のついでにこのことも。
基本的にツルは酒飲みなので、週に1回ぐらいは帰りがけに居酒屋とかワインバーとか立ち寄ったりもします。(とは言え最近は入院だのテレワークだのオミクロンだのですっかり足が遠のいてますが。)
焼鳥屋に入ったりもするんだけど、そこでテーブルに置いてあるのはたいてい、七味唐辛子ではなくて一味唐辛子であることに気がついた。都内の焼鳥屋で一味を置いてあるところなんかまず見ませんよねえ。博多っ子は先鋭的な辛さを好むんだろうか?それとも、甘いにつけ辛いにつけ、はっきりした味を好むんだろうか?よくわかりませんが。
ツルは昔っから七味の方が好みなんですけどねえ。一方で糸唐辛子は料理に時々使うけど。

 

・ビジネスの電話で「もしもし」って言う?
えーと、ツルは基本的に東京でしか仕事をしてこなかった(一時神奈川県川崎市くんだりまで落ちのびたこともありましたが)ので、社会人としてのマナーも江戸前で叩き込まれたわけです。新卒の頃、社内で人事部の新人研修を受けていた時、仕事上の電話対応で「もしもし」というのは御法度だと教え込まれたのでそのようにしてきたし、実際、そのように言う人は周りにも(社外を含めて)いなかったと思う。
それがだねえ。福岡に転職後、職場で「もしもし」って言ってるのをよく耳にするんだよねえ。
まだ慣れません。なんかねー、ダメ社会人みたいに思えちゃうんですよね、ツルには。

 

・路上でアレを見かけるか?
「アレ」とはズバリ、立ち小便。と言ってもこっちで日常的に目にするわけじゃありませんがww、この2年間で1回だけ見た。自宅近くで、昼日中に、オッサン(or 団塊の世代のジイサン?)が、路肩でww。南区老司ってどっちかっつうと街なかと言うよりゃ郊外なんだけど(自宅の庭で白昼にイタチを見かけた時はさすがに驚いた)、これには仰天したし、みっともないと思った。そんな行為、何十年と見たことがなかったのでそれなりに衝撃でした。
昭和かよ。

 

・通勤/通学の手段は何?
東京で公共交通機関と言えば一義的に鉄道だと思う。JRにせよ私鉄にせよ東京メトロにせよ、まさに網の目ね。しかも少しずつ延伸を続けている。それは日本の首都が膨張を続けている証しでもあるだろう。
然るに福岡(というか福岡市)では私鉄は西鉄電車(西日本鉄道)しかないし、地下鉄も福岡市営のが3路線ほどあるのみ。最大規模の交通機関は西鉄バスで、網の目に走っているのはこちら。言い換えれば地域独占状態。でもコレが大きな問題でして。
実は福岡市というのは交通渋滞のひどい街です。ツルは中学時代はバス通学だったけど、朝の通学時の渋滞はひどかった、特に雨の月曜日なんてバス停5つ分で1時間かかったりしてました(だから高校では自転車通学に切り替えました)。
2年前にUターンしてきて一番びっくりしたのは、その状況が一向に改善していないこと。むしろ悪化している地域もあるかもしれない。
これが40年ぶりに住んだ福岡の、一番気に入らない、もしくは一番住みにくい点です。ご参考まで。

 

これは、一つには西鉄電車のターミナル駅のある天神地区と、JRの博多駅地区とを蜘蛛の巣の二つの中心として、放射状にバス交通網を発展させてきた政策の限界を示しているのだと思う。インフラがもともと脆弱なところにもってきて、人口増大についていってないときている。
それと、経糸ばかり発展させて緯糸の整備に力を入れてこなかった(というより切り捨ててきた)ために、公共交通機関による緯糸方向の移動はいささか不便なものになっている。そこは自家用車でいいだろという考え方なのだと思います。

 

もう一つ、主役を担う西鉄バスの責任も重いと思う。いつも遅れてダイヤどおりに来ないことが常態化していて、ほんとにイライラします。朝だけじゃなく、夕方の帰宅時にも結構混むんで時間がかかるんだよねえ(ツルは通勤にはバスと電車を使ってますが)。朝夕の所要時間と昼間の所要時間は渋滞状況を織り込んで変えてあると思うけど、それでも実態に合っていない。一体どうやって調査・設定しているんだろう?
それだけではありません。ダイヤ上、ある行き先のバスが例えば20分も来ないかと思うとその次は3分後に来る、みたいな設定がごく普通にある。こげなとって、他の都市の路線バスでも同じなんやろうか??配車繰りの問題があろうことは理解するし、営利目的の私企業であることも理解するけど、利用者の立場の尊重がされているとは到底考え難いです。

 

これだから地方の殿様企業ってダメなんだよ。つまり、福岡を住みにくくしている諸悪の根源は西鉄バスである(暴論だが直言)。
そもそも、設備投資のかかる鉄道増設を捨てて(市営地下鉄を除く)バスを取ったという歴史的経緯があるわけだけど、その結果、現在西鉄バスも人件費負担に苦しんでいるのではないのかね。

 

でも一番異なるのは、マイカー通勤率かもしれません。東京では自家用車を持たないことは割と普通だけど、福岡(いや、地方都市全般に言えることだろうけど)ではなかなかそうはいかない。そしてこのこと自体が交通渋滞を引き起こしているわけだよね。
福岡よ、そんなことじゃ低炭素社会に向けた潮流にも乗り遅れちまうぜ。

2022年2月23日 (水)

【新春編(遅ればせの)】二昔前へのタイムスリップ - 鯉ねがわくば ふたたびの

【前口上】

 

2ヵ月近くぶりに、再開です。お蔭様で経過は良好。もう松葉杖も使ってないし。テレワークとリハビリと庭仕事に励む日々。お外はまだまだ寒いけどねえ。

 

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(承前)

 

cf.
2012.02.20「飛梅(わたしも一夜で飛んでいくと言った)」

 

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そして時は流れ去り、1999年6月に父親が亡くなった後、空き家となるこの家の錦鯉たちをどうするかということは再びなかなかの大問題になった。一族郎党、思案投げ首していたんですが・・・
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今回はその顛末記。

 

以下は、当時東京住まいだったツルが親しい友人たちに宛てて書いていた、2週間に1度の週末博多帰省の報告メール、「帰福日記」より。入院している父を見舞ってたんです(この時にはもう他界していたけど)。取っといてよかったーww。登場人物の名前は適宜いじってあります。

 

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(1999.08.31 メール)

 

件名: Anecdote 1: 錦鯉

 

ここからはそうそう平凡じゃないかもしれない、これがほんとの「うらぼん日記」。

 

懸案事項がひとつ解決しました。14匹の錦鯉のヨメ入り先です。何といっても生き物だし、今は毎週誰かが餌やりに行ってるけど、これもずっと続けるのははっきり言って無理だし、どうしようという話になっていました。

 

いつも買ってた錦翠園という錦鯉屋さんも、引取りはしてないって言うし。錦鯉に関する父のお師匠さんも、自分の所は一杯だとおっしゃるし。そりゃそうだよね、鯉を飼おうという家なんてそうそうはなかろうし、飼ってるところは密度一杯まで飼ってるだろうし、タダでも引き取ろうというところはなかなかないでしょう。

 

鯉屋さんいわく、ライオンズクラブに頼むと、どこぞの川に放流してその後餌やりを引き受けてくれるそうな。でも、「川」なんてねェ。あるいは、家のすぐそばにある老司大池という潅漑用池に放そうかという話にもなっていた。つまりは話が行き詰まっていたわけ。

 

起死回生のヒットを放ったのは姪の結衣ちゃん。高2の彼女が言い出したのが、太宰府天満宮の境内の池!そんなのどうせ無理だろうと思って僕が電話したら、ご奉納はありがたくお受けしておりますとのこと。ラッキー!

 

ただ、さだまさしの歌(「飛梅」)にもうたわれている、一番のメインの「心字池」はただいま大改修工事中で、そこにいた鯉やら亀やらは全部、上の方の「菖蒲池」に仮住まいの身分。心字池の工事は年内一杯かかるそうで、完成後に(全部かどうか知らんが)戻すそうです。

 

ほんとは新しくなってから心字池に放流をと思わないでもないけど、それじゃ福岡の姉たちが餌やりなどで大変だろうからということで、次の帰省を9/10(金)夜~12(日)夜にして、土曜の午後に放しに行きます。もちろんお宮さんの立会いのもとで。

 

父の可愛がってた鯉が、あの太宰府天満宮に泳いでいる!それって、なんか、いいでしょ。初詣での楽しみも増えそう。うちの家紋が梅鉢のせいかどうか、太宰府には昔からなんだか特別な親しみがあった。いいとこに決まってよかったよかった。一同みんな、満足しています。今年のゴールデンウィークに買った、宮田センパイの紅白鯉も一緒に放しますよ。
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実は姪っ子は、心字池の大改修開始の記事が新聞に出ていたのを数日前に読んで、それが頭に残っていたらしい。

 

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(1999.10.24 メール)

 

件名: 錦鯉サン、またね。

 

以下は、随分旧くなっちゃったけど、9月の帰福日記その2。
父が遺した錦鯉を太宰府に納めに行った時の物語。下書きつくって出すの忘れてました。それだけ精神的リハビリが進んじゃったわけだよね。ミクロネシアもとっても楽しかったし。

 

9/11、土曜日の午後に太宰府天満宮で錦鯉の奉納をしてきました。残念ながら太宰府奉納の発案者たる姪の結衣ちゃんは欠席。高校の文化祭が近いので、ブラスバンド(クラリネット)の練習をはずせないとのこと。行きたがってたようですが。真紀ちゃんと隆平くんは出席。

 

3時に錦鯉屋の錦翠園のご主人が到着。14匹の鯉の輸送準備をしてもらうため。発声一番、「随分大きくなりましたねえ」との仰せ。5月に宮田センパイと父と3人で買いに行った紅白もすっかり育ち、大きさではあまり他と見分けがつかないほどになっていました。十分な餌もやってなかったはずなのにねえ。

 

まずプラ製の籠のような箱のようなものを池に入れる。スーパーの買物籠を4倍位にしたようなもの、と言ったら近いかな。この籠に鯉を1匹ずつ網ですくって3~4匹まで入れて、それからでっかい丈夫な透明ビニール袋を二枚重ねにしてこの籠の中に差し入れ、そうっと水ごと鯉を入れるわけ。こう言うと簡単そうですが、相手は生き物、この籠からすぐにバシャッと何度も何度も飛び出しては池に戻っていく、元気な暴れん坊のやつらでした。

 

何より、この籠の中に入れると、池の中にいた時より一層大きく見える。内側に目盛が切ってあり、大体の体長が判るようになっているのですが、大きいものでも30センチあるかないかと思っていたのが、軽く40は超えてるだろ、てな具合でこれにはちょっとびっくり。

 

数匹入れたあと、鯉屋さん持参の酸素ボンベで酸素を満たし、輪ゴムで厳重に止めて一丁上がり。これを全部で4つ作りました。えっと、因みにタダじゃない。2万円也。業界の申し合わせでこういうのは3万円のところ、うちはお得意さんだからということで負けてくれたそうで。ま、例のフィルターも30万はしたはずだから、そりゃ上得意だよなあ。水の消毒用に使ってた粗塩の20キロ入りの袋が一つ、封を開けないままになってたので、これも押し付けちゃいました。そして次姉の車のトランクに4つのビニール袋入りの鯉を入れました。鯉屋さんはここまで。

 

その日は天気がよくて大変蒸し暑い日だったので、すぐに車2台で太宰府天満宮へ。つまり、水温が上がらないようにということ。お宮にはあらかじめ連絡済みだったのですが、丁度その日は境内で市が開かれていて、賑わってました。立ち会っていただいたお宮の人にはけっこうご迷惑だったかも。

 

裏から車を回して「菖蒲池」のすぐ側までつけます。
4つの袋をトランクから出します。
水も入ってるし結構重い。女性の腕ではちょっと無理かな。
池の回りには低い柵があるのですが、これを僕がまたぎ越えて水辺まで降り、
義兄に袋を渡してもらい、ひと袋ずつ水に浮かべて口のゴムを開け、静かに放しました。
水はお世辞にもきれいとは言えない濁った水なのはしょうがない。
今までは浄水機つきの澄み切った水に棲んでたから、鯉たちはちょっとびっくりしたかな。
そのままツイーッと泳ぎ出ていくかと思ったら、そうでもなかったみたい。
結構すぐ近くの底の方で数分ほどじっとしてる影がうっすら見えていました。
まあ、鯉は丈夫な魚だから、慣れれば大丈夫でしょう。

 

菖蒲池には亀もけっこういるのですが、その中で一匹、結構大きいのが寄って来て、ひどく興味ありげに見ていたのがなんだかおかしかった。ビニール袋に鼻先がぶつかるまで寄って来る。そうして放流が済むまで、そばでじっと見守っていたのであった。ツルと亀と鯉が出会った、そして別れた瞬間。写真ももれなく撮ってあったりする。

 

その後で社殿にお参りしました。お賽銭はちょっと奮発して五百円玉を投げたのは、お参りがあとさきになったおわびと、そしてもちろん、鯉が長生きしますようにと。

 

5月に訪れた際には何でもなかったのに、今回、社殿前の楼門が大改装中、完全に白布で覆われていました。一応下は通れるのですが、なんだか白布のアーチをくぐってるよう。観光客はがっかりするでしょうね。11月には終るそうだから、初詣には間に合わせるわけだ。

 

本当は鯉を放すはずだった、さだまさしの歌で有名な例の心字池も大変なことになっていた。水を干し上げて、ブルドーザーが2台入って底の泥を浚渫中。だからここに棲んでた鯉や亀もいま菖蒲池に避難中なわけやね。岸辺もコンクリートユニットなんかも使って補強するようで、水の浄化装置もつけるように見えました。これも12月竣工とか。そうなったら鯉なんかを戻すわけ。今度はおそらく美しい水の中で、うちから嫁入りした鯉に再会できるかもしれません。

 

本殿に近いところにはもう一つ別の小さな細長い池があって、ここには澄んだ水が流れている。ここの鯉は業者から借りているので、ここには放流できないとはあらかじめ電話で聞かされていました。と仰るからにはどんなありがたいお鯉さまかしらと思って見てみたら、けっこう駄鯉(ごめんなさい!)が多い!ただ大きくて太ってるだけ、みたいな。色も柄も全然ぱっとしない。家族全員、こんなのだったらうちのをここに入れた方がずっとましやん、なんて罰当たりなことを言い合いましたとさ。父の薫陶を受けた(!?)錦鯉観賞家として、僕は客観的に見たんですけど、同様に思ったね。

 

その後、次姉お奨めのさる茶店で太宰府名物梅ヶ枝餅をいただいて帰りましたとさ。ああよかったよかった。

 

帰る道々思ったのだけど、太宰府天満宮という歴史の古いところに奉納したことによって、僕らの頭の中ではあの鯉たちも永遠の生命を得たような、そんな気がしています。たとえば僕が父の歳くらいになったとしても、例えば天満宮に観梅に行った時に、父の鯉はいないかと、きっと心字池にかかる太鼓橋の上からその姿をさがすことでしょう。

 

こんなわけで、いざ太宰府の放流記は終わり。書籍や衣類の整理はちっとも進みませんでしたとさ。
-----

 

♪心字池にかかる 三つの朱い橋は
 一つ目が過去で 二つ目が現在

 

御鯉様様やな。参拝客も多くいる中、「なになに?」状態の人だかりになってたっけ(笑)。
この時ツルは36歳だった。父親が宮崎の上椎葉村までダム建設の慰霊碑の案文の着想を練りに行ったのとほぼ同じ年齢だったのねえ(cf. 2012.12.19~22「上椎葉ダム慰霊碑のこと」)。この時、父親が亡くなって早三月が経とうとしていた。肩の荷が下りました。

 

立ち別れいなばの山の峰に生ふるまつとしきかば今かへり来む
     中納言行平

 

そしてまた矢のように20年が過ぎ去り、縁あって福岡に戻ってきて、今住んでいるこの家の庭には、鯉の入っていた池が今もある。今は水を抜いてしまったその池を見るのが少し悲しいです。往時の庭の有様を取り戻し、もっと素敵なものにするために、園芸おたくのツルはそれこそ週末ごとに朝から夕方まで庭仕事ばっかりやってます。もう雑草だらけなんて言わせない。ヤマモモの大木もクロガネモチもモミジもキンモクセイもマキも梯子をかけて剪定かけて、だいぶ姿が整ってきたし、念願の八重紅梅「鹿児島紅」も植えてもらいました(3年前に台風で根元から折れて復活しなかった一重白梅の後釜;でも着生させていた風蘭は救い出して、もう一本の白梅「大輪八重緑萼」とマキに付け直しました)。雨が降ったら降ったで、カーポートの屋根の下であくせく土作り。
池に落ちた木の葉の掃除をちょっと怠っていると(こらこら)いつの間にか少し雨水が溜まっているような場合もあり、先日庭いじりをしてて割と大きな水音が聞こえたので何事だろうと思って見に行ったら、なんとカササギが水浴びしてました。とてもハンサムな鳥なので、これが庭に来てるといつも嬉しい。佐賀平野や筑後平野にしかいなかったのに、最近棲息域を拡げてるんですよね。

 

けれどつまるところ、池の鯉を復活させねばこの庭は永遠に完成を見ないのではないかと思ったりもする。でもあの錦翠園ももう店をたたんでしまったと聞いたし😢。

 

♪あの日と同じように今 鳩が舞う

 

コイは本来大変長命な生き物で、特に水温が低目の環境の場合など、200歳ぐらいまで生きたという確かな記録もあり、言わば一生モノみたい。1970年代、名古屋女子大学学長越原公明(こしはら こうめい)氏の夫人の実家@岐阜加茂郡東白川村越原(おっぱら)(つまり嫁の姓を名乗ったわけね)の池で飼われていた緋鯉「花子」が、鱗の年輪の測定により推定226歳としてギネスブックに載った。
だから、その後も太宰府を訪れるたび、きっとうちの鯉もまだいるはずだと思って菖蒲池を眺めることにしている(書いたとおり、当時きっとそうなるだろうと思っていて、そしてそのとおりになった)。

 

♪東風吹けば
 東風吹かば君は

 

しかし、2年前に福岡に戻ってきてから、まだ参詣していません。それもコロナで外出自粛してたせい。飛梅咲く季節、今年こそまた行ってみようと思います。さして遠くでもないし。

 

♪太宰府は春
 いずれにしても 春

2022年2月22日 (火)

いただいたコメントに関して

IPアドレスから判断し、2021.12.29「色に迷って、型に嵌まって:その4」と、2022.02.02「1ヵ月近くの入院から戻ったら迎えてくれた花」とにコメントされた方は同じ方と思いますので、まとめて書かせていただきます。

 

「ご自身が選ばれないから、選ばれた方の誹謗中傷を行うのでしょうか・・・?」とお考えになること自体、あなたが「デザイナー村」の中に住んでおられることの証しです。
私はキャラクターやロゴマーク、スローガン、校歌歌詞等々の公募に応募したことは一切ありませんし、応募しようとも全く思っていません。

 

また、私の専門は美術ではありません。芸術、特に美術に対する敬意は強く持っている方だと思いますが、大学では法律を学び、東京や福岡の上場会社でIRや企業法務、コンプライアンス等に長く携わってきました。そうした中で、個人的に、少子高齢化・人口減の進む中での地域振興や「東京 vs 地方」といった問題に目を向けるようになり、そうしたところにご当地キャラクターの問題に気づいてこのブログに書くようになったのが10年近く前です。

 

私は、自治体等のこうした施策が真の地域振興に資するものであるとは思いません。他にやることがあるはずだ、そこから目を背けていては近いうちに日本の社会は取り返しのつかないことになってしまう、という考えです。

 

また、それとは別に、いわゆる「ご当地公募」において「類似」があまりに多過ぎることは非常に問題だと思っています。そこは、他人の作品に類似する作品を制作することであれ、過去の自作品の焼き直しを応募することであれ、ごく一部を微修正して何点も応募することであれ、同じことです。「作風だ」とか「選ばれる作法だ」とかの一言二言で済まされる問題とは思えません。利用者たる、「ご当地」の地域住民に対する冒瀆でもあるとさえ考えます。
また、採用確率を高めるため、家族名義や数々のペンネームで応募するようなことも、コンプライアンス上、問題なしとはしません。
つまりは、「公募」というものを後ろ暗い日陰の存在にしているのは公募ガイダー自身なのではないか、という仮説も持っており、残念ながらこれまでほとんどの場合、「そうではない」という確証は持てずにいます。

 

ファインアートとはおそらく異なり、一義的に「人に伝える」使命を持つデザインというものにおいては、自ずと表現方法に制約が内在するであろうことは理解します。しかし、常連の公募ガイダーというものが一般に、デザイナーやクリエイターに本来求められるはずの職業倫理に悖る態度を取っていることは、私にはいまだに理解できかねます。一般の企業人であれば、到底許されないものとして制裁・処分の対象となり得る行為が、なぜ「ご当地公募」の世界ではまかり通っているのでしょうか。

 

このブログでご自身の作品が批判を受けたということは、上述のいずれかに該当する(と私が考えた)ということでしょう。
それについては、いやそうではない、自分には自分のこうした考えがあってこの作品を作ったのだ、という反論も当然お持ちのことと思います。そこのところは常に知りたいと思っていますし、私の考えに対する反論・再批判を封じるつもりはありません。しかし、そのようなものをこのブログに頂戴したことは、今までただ1例を除いてありません。その1例も単なる感情的な書き殴りに過ぎないものでした。
およそ表現者であれば、自分の行った精神活動の所産に対して批判を受けることは(たとえどんなに下らない批判だと考えられる場合であっても)常に想定しておかなければならないものだと考えているので(私自身についても同じです)、そこは大変残念です。

 

なお、ご意見はこのブログ上でお願いしており、メールでお受けすることはしていませんので、悪しからずご了承下さい。あくまで公開の場で、という趣旨です。

2022年2月 2日 (水)

1ヵ月近くの入院から戻ったら迎えてくれた花

えー、1月2日に京都岩倉の妙満寺で怪我をしまして、その日のうちに新幹線で博多に帰ってきて6日に九州中央病院に入院して、接合手術も受けて、1月末日に無事退院しまして。今はリハビリとテレワーク(骨折のせいというより、この一月でオミクロンが猖獗を極めていて、かつツルは公共交通機関を使って通勤しているからだけど)に勤しむ日々。松葉杖も1本でいけるようになってきたところ。

 

退院当日はよく晴れ渡って、タクシーで家に帰り着いたらこんなのがもう咲いていた。

 

八重紅梅「鹿児島紅」

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寒咲日本水仙

Img_20220131_144743

 

咲き揃って主の帰還を出迎えてくれるとはなんとも愛い奴らよのう。
紅梅なんて1年前に植え付けたばかりなのに、花つきが思ったより多くて満足満足。濃き紅梅いとめでたし、清少納言何するものぞ。
水仙も植え替え2年目なので昨年よりよほど花上がりがいい感じ。

 

ま、庭仕事が再びできるようになるのは暖かくなってからかな。

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