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2022年8月20日 (土)

町田義人にドハマり(2番)

(承前)

 

70年代へのノスタルジィ、引き続き猛威を振るいます。

 

声の特質からしてもと言うべきか、バラード/ブルースシンガーだからと言うべきか、町田義人にはMinorの歌が多い/似合うような印象を持ってるんですが、こんな「元気のいい」歌も歌っていて、またちょっとびっくり。

 

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宝島

 

さあ行こう 夢に見た島へと
波を越えて風に乗って海へ出よう
行く手には みんなまだ知らない
不思議な昼と夜とが 待っているだろう

 

いつも信じよう 真心を
勇気を胸に進もうよ
ただ一つの憧れだけは
どこの誰にも消せはしないさ

 

さあ行こう 歌声が流れる
青空の真下に白い帆を上げよう
海が呼ぶ 冒険の旅路で
苦しいことや嵐に きっと遭うだろう

 

いつも微笑みを 忘れずに
勇気を胸に進もうよ
ただ一つの憧れだけは
どんな時にも消せはしないさ

 

ただ一つの憧れだけは
どんな時にも消せはしないさ
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日本テレビ系アニメ「宝島」(1978.10.08~1979.04.01)の主題歌(オープニングテーマ)です。ロバート・ルイス・スティーヴンソン/Robert Louis Stevensonによる冒険小説をベースにしたアニメ番組。作詞・作曲がかなり意外な人物なんですが、種明かしは取り敢えず置いといてと・・・。

 

Treasureisland

 

1978.10.25リリース。クレジットは「町田よしと」表記となっている。「テレビ漫画」って書いてあるところが時代感たっぷりです。

 

聴いてみると、壮大なスケール感やら高揚感やらがもう尋常じゃなくって、一体何なんだ!胸をダイレクトに打つボーカルもやっぱり素晴らしいです。「アニソン」のレベルを超えている。
このアニメが放映された時はツルはもう高1になっていたし、絵柄がちょっと子供っぽくて・・・だったので見てませんでしたが、音楽がこんなにスゴいとは今の今まで知らなかった!抜かったわー、痛恨。
ツル的にTVアニメのいわゆる劇伴音楽の最高峰は「海のトリトン」by 鈴木宏昌であると今まで固く信じてきたんですが、この歳になってそこに少し軌道修正かけにゃならんかいなとも思っている次第。

 

この歌、曲先行で作られて後から詞がつけられたものなんだそうな。それって結構意外。
ちびっ子たちの元気いっぱいコーラス(日本コロムビア発売なので当然のように「コロムビアゆりかご会」=「音羽ゆりかご会」である)がバックに入って盛り上げるのも悪くないと思ってたら、小学校の音楽の教科書にも取り上げられて今や合唱曲の定番になっている由。うーん、ツルも歌いたかったなあ子供時代に。

 

因みにこのアニメ、アラビア語圏(国は不明)でも放送されたそうで、この主題歌のアラビア語版もYouTubeに載ってます。聴き比べてみると面白いよ、ぶっちゃけレベル差歴然で(無論、歌ってるのは別の人ですが)。

 

そして、B面の挿入歌(エンディングテーマ)がまた・・・。

 

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小さな船乗り

 

潮風よ お前も 友だちならば 伝えて
故郷に残してきた 懐しい母に一言

 

僕は元気でやってます
かばん一杯の 希望(のぞみ)と夢と宝物
抱えて帰りたい

 

夕焼けを背中に かもめを肩に留まらせて
僕は吹きます 口笛を

 

星屑よ いつでも 一人ぼっちでさみしいね
君は空 僕は海で 幸せ探す旅人

 

僕は明るくやってます
やがてお土産に 希望と夢と宝物
抱えて帰りたい

 

夕暮れの港で 陽に焼けた腕振りながら
僕は歌うよ 舟歌を
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ここでの伸びやかなボーカルもまた素晴らしく魅力的。潮風が薫ってくる。他の人ではなかなかそうはいくまい。

 

アニメに限らずTV番組でアップテンポのオープニングとスローテンポのエンディングという組み合わせは現在もごく一般的と思うけれど、なんだかテレビ朝日系アニメ「一休さん」(1975.10.15~1982.06.28)を思い出しました。「♪好き好き好き好き 好きっ好き 愛してる・・・」と「♪母上さま お元気ですかー・・・」ね。離れて暮らす母親への想いというエンディングが共通してるってだけのことなんだけれど。

 

もとい。
どちらの作品も、作詞は岩谷時子(1916(T5).03.28~2013.10.25)、作曲はハネケンこと羽田健太郎(1949.01.12~2007.06.02)。
岩谷は越路吹雪(1924(T13).02.18~1980.11.07)の歌を多く作詞・訳詞し、エディット・ピアフ/Édith Piaf(1915.12.19~1963.10.10)の「愛の讃歌/Hymne à l'amour」も岩谷訳が大定番ですな。
羽田にとっては作曲家としてのデビュー作だったらしい。当時29歳の新進気鋭の音楽家が62歳の大御所詩人と組んだわけです。
羽田はその後メディア受けする作曲家・ピアニストとして名を成し昇り詰めた。本人もよくテレビに出てましたね。最も有名な作品はTBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(1990.10.11~2019.09.16)の音楽だろう。渡鬼のテーマ曲でもそうだけれど、一曲の中に異なる複数の主題を注ぎ込む特徴は、宝島のこの2曲にも表れていると思う。クラシック的というか、Woody Allen的先の見えない展開っつうか。

 

こう見てきて改めて思うのは、町田義人は当時の「男」のStereotypeをよく表現する/してくれる歌い手だったのだろうということです。英語で言えば“nerd”に対する“jock”といったところの。裏町マリアだって実はそうかもしれない。時代の寵児だった角川春樹が映画化を前提に森村誠一に書かせた「野性の証明」(それでも原作と映画は後半大きく異なる)の主題歌に起用したのもむべなるかな。日本の世間一般のGender概念が大きく変わり始めたのはそれから一世代以上も経って、2010年代に入ってからではなかろうか。

 

さて。
実力には申し分のないこの人、歌手としてのキャリアはしかし必ずしも順風満帆とはいかなかったようです。

 

1969年の「白いサンゴ礁」の翌年にはズー・ニー・ヴーを脱退して音楽活動を続け、1978年初頭のつかこうへいロックオペラ「サロメ」出演、同年7月公開のサンリオ映画「キタキツネ物語」の主題歌「赤い狩人」(*1)、翌月公開の角川映画「野性の証明」の主題歌「戦士の休息」につながっていく。

 

(*1 2019年頃から株式会社小糸製作所の企業CMに使われている。)

 

この辺りを調べていてすごくびっくりしたんだけれど、尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」(1971.03.05リリース)って、実はズー・ニー・ヴーのシングル「ひとりの悲しみ」(1970.02.10リリース)を改題・改詞したリメイクものだったんですね!!ご存知でした?ツルは全く知らんかった。どちらも作詞は阿久 悠(1937.02.07~2007.08.01)+ 作曲・編曲は筒美京平(1940.05.28~2020.10.07)でアレンジもほとんど同じです。ツル的にはこのスーパーコンビは初期の岩崎宏美のシングル曲の作り手として記憶に残っている。ファンだったんです。
尾崎版は大ヒットして1971年のレコード大賞を獲得したから知ってる人も多いはず。ソロに転向した町田義人は、そしてグループに残った(*2)メンバーは、どういう思いでこのヒットを見ていたことだろう。

 

(*2 ただし、ズー・ニー・ヴー自体1971年の暮れに解散しているから、大晦日には存在していなかったことになる。)

 

その後はねー、CMソングを数百曲歌ったりとか、タケちゃんマンのナントカとかがあるわけだけども、目立った作品は残していないようです。これには角川映画の幻影が常につきまとったことも与って大きいのではないかと思われる。やっぱり、僕らは町田義人のことを正当に評価してこなかったのではないかな・・・
今やこの人も既に御年75歳、数えで言うなら喜寿(言い方が古いがな。間もなくツルも還暦なので最近その辺敏感なんです)。

 

ここでもう一つ、衝撃的なネタを。
Wikipediaの町田義人の項には1行、次の記述がある。

 

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現在では、歌手活動を休業、メルボルンで彫刻家として活動している。
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(@_@) (@_@) (@_@)
2019年7月にご当地の日本国総領事館のFacebookに展覧会開催の記事が出て近況が判明したものらしい。
Wikipediaは少し前にはこういう記述だったとか↓。

 

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現在では、歌手活動を休業し、日本国外に在住しているとのことである(オーストラリアで陶芸家として活動した後、香港に移住したとの情報がある。TV番組『速報!歌の大辞テン』(日本テレビ)による情報である)。
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情報にちょっと錯綜があるようだけど。
詳細はわからないものの、80年代いっぱいぐらいまでで音楽活動から遠ざかったようです。

 

非凡な才能を持ったボーカリストだったことは間違いないと思う。しかし、年齢的なこともあり、再び歌手活動を行ったり、日本で里帰り公演をやったりといったことはもうないんだろうなあ。そこがとても残念ですが、もう40年以上前の「角川映画の」「戦士の休息の」といったラベリングからは解放してあげなくちゃいけないのかもね。1946年9月生まれで厚労省の定義による「団塊の世代」(1947~1949年生まれ)の直前、後期高齢者(いつ見ても不躾でヤな言葉だが)の入り口に立っているってことですもん。
どうかいつまでもお元気で。

 

おまけ。
もっと若い世代にはどう聞こえるのだろうと思って姪っ子に聴かせてみたら、曰く「松山千春みたい」と。
まー、全然違うよとは思いましたけどね。松山千春が80年代に「ニューミュージック」の旗手になれたのは、歌のうまさとかよりむしろその世界観やミュージシャンとしての在り方によってでしょ。ついでに言えば町田義人は基本的にシンガーソングライターではなかったわけで、そこが時代の潮流の中での立ち位置としてはちょっと弱かったのかなと。
しかし姪っ子も(町田のことはもちろん)松山のことをリアルタイムでは知らないわけだから、「ああ、髪の毛があった頃のネ」とだけ返しておきました。

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