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2022年8月 7日 (日)

【グダグダ編】丸ブーの 正体見たり(五城目町シンボルマーク)

cf.
2016.07.27「知られざるモノたち😞😞」

 

ずっと前に、この↓素性のわからないマークのことを取り上げました。

 

知られざるモノ1

 

平成大合併の時代には世に猖獗を極めた丸ブー、すなわち丸にブーメランの自治体章等を愚blogで斬りまくっていた頃、集めた画像の管理不行き届きでどこの何だかわからなくなっちゃってたものです💦💦。

 

これを取り上げた頃はガラケーでものしていたので、それ以上調べようがなかったんだよなー。その後この画像のことはほとんど忘れてたんですが、たまたま読み返してて見つけまして。
試しにスマホのGoogleレンズで検索かけてみたら一発で判明しちゃいましたww。技術は進歩しとるのねぇ💣。

 

で、正体はこれ↓でした。

 

秋田県南秋田郡五城目町
シンボルマーク
秋田芳廣(愛知県名古屋市)

 

あー、これもやっぱり町章じゃなくてシンボルマークやったか。

 

発表は1995年(1月17日の阪神淡路大震災と3月20日の地下鉄サリン事件で記憶に残る年である)の9月とだいぶ旧い。平成大合併より10年ほども前、丸ブーの先駆けっすww。

 

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(1995.09.01 広報ごじょうめ No.734 抜粋)

 

Gojomeの[G]をモチーフとした秋田さんの作品は、広がりゆく緑の大地、馬場目川の清流、自然の中で躍動する町民の姿、明るい未来と活力を表すようデザインしたそうです。
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まあ、とってもありがちなコンセプト。その意味でも先駆的ww。
でもまさか作者まで判明するとは思わなかった。秋田が秋田の出身かどうかはわかりませんが(微笑)、こんなものにも関わっていたらしい↓。

 

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(2018.11.06 朝日新聞 抜粋)

 

ビートルズ来日パンフ綱渡り 羽田で撮影→名古屋で印刷

 

Akitayoshihiro
ピンナップポスターをみる秋田芳廣さん。秋田さんは名古屋市中村区や西区、南区などの区章のデザイナーでもある=2018年10月21日午後2時11分、名古屋市中村区、田中恭太撮影

 

日本ツアー中のポール・マッカートニーが、ビートルズとして初めて来日したのは半世紀前のこと。ファンの間で「コレクターズアイテム」として取引されるのが、1966年に東京・日本武道館で販売されたパンフレットだ。いまや復刻版や海賊版も含め、少なくとも11種類が出回っている。印刷を請け負ったのは、東京から遠く離れた名古屋・栄にあった「栄印刷」。同社にとって受注はちょっとした“事件”だったという。

 

来日公演は、海外からの招請経験があった中部日本放送(名古屋市)などが主催。百貨店の松坂屋グループの印刷会社として包装紙などを請け負っていた栄印刷が、パンフレットやポスターなどを受注することになった。パンフレットは全36ページ。曲の解説や年譜など、盛りだくさんの内容だった。

 

特に大仕事だったのが、パンフレットに折り込まれていたピンナップポスターだ。後日発売の密着写真集を宣伝するもので、羽田空港に降り立つメンバーの姿が大きく印刷されている。

 

社員だった秋田芳廣さん(80)は「会社中が、むちゃくちゃ慌てとったね」と振り返る。「『今着いた』とか『着かん』とか、電話がようけ掛かってきた」

 

〔中略〕

 

その後、松坂屋と大丸の合併の流れで、石田大成社(京都市)と合併した。

 

〔後略〕
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おそらくは同社のデザイナーだったのだろう(塩崎栄一と同じような立ち位置かも)。2018年に80歳ということは、1995年の五城目町シンボルマークの時は57歳だったことになる。
石田大成社が栄印刷の経営権を取得したのは2009年12月、同社を吸収合併したのは2015年7月、そして2020年4月には石田大成社は「株式会社ITP」に社名変更している。人にも企業にもいろいろ歴史ありです。

 

しかしこのシンボルマーク、今はもう基本的に使われておらず、元から別にあった町章の方が生き残ったようである。ますます、歴史あり。

 

一連の経緯を「広報ごじょうめ」の上で追いかけてみると、まず、募集時には;

 

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(1995.04.01 広報ごじょうめ No.729 抜粋)

 

本町は、今年町制施行四十周年、朝市五百年を迎えることから、これを、記念しシンボルマークを募集します。作品は「二十世紀へ飛翔するすみやすい五城目町をめざす」本町にふさわしいものを表現、象徴し、他のマークのイメージと混同されないもので、自作、未発表のものに限ります。
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となってるんだけれど、これ、変ですよねえ。
1995年段階だったら、「二十一世紀へ飛翔する」のじゃないと時代に取り残されません??💣
それと、「五城目町」というものができたのは1896(M29).01.18である。何の「四十周年」なのかというと、それは「町制施行」ではないんじゃない?
調べてみると、1955(S30).03.31にこの(旧)五城目町と、同じ南秋田郡の内川村・大川村・馬場目村・富津内村が新設合併して新たな五城目町になっており、ここから数えて40年目だったわけ。やれやれ、だったら「合併四十周年」だろ?
「朝市五百年」に至ってはコメントのしようもございません。朝市が1495年(明応4年;室町時代)に始まったって、どうしてわかるんだろww。ま、町のキャッチフレーズが「朝市と城のある町」だからしょうがないんでしょう。

 

その後、結果発表した際には軌道修正されてます。

 

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(1995.09.01 広報ごじょうめ No.734 抜粋)

 

町が合併四十周年を記念し募集していたシンボルマークが決まりました。全国から四百一点のいろいろな図案の応募がありましたが、名古屋市の秋田芳廣さんの作品が選ばれました。
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だから言わんこっちゃない😅。

 

広報ごじょうめの表紙には、この時からシンボルマークがあしらわれるようになった。ところが、2006.03.01発行のNo.860を最後に姿を消している。言い換えれば、平成大合併に伴う丸ブー自治体章が夥しく生まれていたさなかにこのマークを廃したわけです。
「合併40周年」から10年経ったからもうやめよう、というわけではなさそう。制定当初は永続的な使用を想定していたと見られるのに、なぜだろう?

 

さらに探ってみると、この前年、2005.02.20には町長が4期16年務めた佐藤邦夫から渡邉彦兵衛(ご当地の清酒「福禄壽」の十五代当主である(@_@))に変わっており、そのすぐ後、02.28には隣接する井川町・八郎潟町との法定合併協議会が破談になっている。そうした影響があったのかもしれない。
平成大合併のバスには乗れず(でもツルの考えでは令和にもそのバスはまた来るはず)、このマークも「二十一世紀へ飛翔する」ことはできなかった次第。

 

いずれにせよ、ツルが愚blogに2016.07.27にこのことを書いた時にはもうお蔵入り状態になっていたわけで、だから探し出せなかったんだろう。でも、だったら初めはどうやって見つけたんかいな?💦

 

現在、同町サイトの「町の概要」でも、町章は出ているものの、このシンボルマークは登場しません。
もっとも、外郭団体のサイトには今もこのマークが使われているところがあるので、そこら辺を見たんですかね。

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