【手遊び編】職業デザイナーとご当地公募(静岡社会健康医学大学院大学・京都大学医学部附属病院)
このところ、一月近く南の島でヴァカンスを楽しんどりました・・・契約社員の余裕ネ。
それはいいんだけど、戻ってきたら腑抜けちゃってなかなかMotivationが戻ってこん・・・シゴトも愚blogも💦💦
で、COVID-19の勢いが下火になってから書こうと思っていたんだけれど、いつまでいっても収まる気配がないので、しびれを切らしてこのネタいきます。
-----
【2021.07.18「あっぱれシャポー」】
広告宣伝に携わるデザイナーの仕事というものはなべてコロナ禍で大きな打撃を受けているだろうから(このことについてはまたいつか書くことになるだろう)、今現在の状況は苦しいものと思う。
-----
コロナ禍で、そうしたプロのデザイナーがご当地公募にまで手を伸ばしているような気がするわけ。(ご当地公募が隆盛を極めていた平成の自治体大合併、2005年前後より昔はどうだったのだろう?)
その例を2名ほど見てみます。ツルにとってはなかなか難しいんですけどね。自分が一般人だからというばかりではなく、愚blogでウォッチしている「公募ガイダー」が職業デザイナーとはジャンルとして必ずしも一致しないということがあるからです。
まずは株式会社アイドマ(東京都中央区)代表取締役の村上正剛。(どうでもいいけど、「アイドマ」の名を持つ会社は広告業界だけでも数々あるようで、検索をかけるといろいろなところがヒットしてくる。でも村上の会社は出てこない・・・そんなことってあるかしら?)
この作者のことは次のところで取り上げた。
【2021.06.13「青と黄に溺れたエクスタシィ」】
青森県八戸市
八戸工業大学
シンボルマーク
村上正剛
〔2021年4月発表〕
この大学では翌年にこんなことをやったそうです。
-----
(2022.07.05 同学サイト)
特別講義「シンボルマークデザインの秘密」が行われました
7月4日(月)、感性デザイン学部の講義として、株式会社アイドマ 村上正剛代表取締役による講演が行われました。村上さんは、本学が2021年4月に制定したシンボルマークのデザインを考案された方です。当日は、シンボルマークのデザインはもちろんのこと、村上さんのデザインに対する熱い思いを語っていただきました。
官公庁や企業、教育機関のロゴマーク、商品のパッケージなど、多岐にわたるデザインを手掛けている株式会社アイドマ。村上さんは、「クライアントからの信頼が大切」だと言い「使う人の目線を持たないと商業デザインは成り立たない」と話しました。また、マークとロゴタイプは一体だと考えているそうで、本学のロゴマークの和文は一文字ずつ制作したことを教えていただきました。
講義では村上さんの「ネタ帳」も紹介され、興味深そうにページをめくる学生の姿がありました。プロのデザイナーによるリアルなお話を聞けたことが、今後の学生生活に対する刺激になったようでした。
-----
ふむふむ。「フォントメーカーニィス社の顧問アドバイザーをしております関係で著作に関して特別に認可をいただいておりますので、このまま使用が可能」などと平気で宣ってた井口やすひさ(cf. 2015.01.16「Free Lancerの栄光と残照 二:不誠実」)あたりとは格が違うってことですかねww。
このところ、村上は大学モノの公募を集中的に攻めた様子。
静岡県
静岡社会健康医学大学院大学/Shizuoka Graduate University of Public Health
校章
村上正剛(東京都)
2020.05.21~07.17に募集され、応募総数597点(最優秀賞 50,000円、優秀賞(2点) 20,000円というチープな対価だったにもかかわらず、である)を勝ち抜いて2020.09.23に県知事 川勝平太により発表されたもので、翌2021年4月に開学している。
因みにこの校名は、募集時はまだ「仮称」だった。
-----
「静岡社会健康医学大学院大学」から世界に羽ばたく人材を、医療の「医」の旧字[醫]の[草書体]をモチーフに、[鳥]の形にデザインしています。
その中心部には、[ハート]が隠されており、「社会健康医学」が「人々の健康と福祉の向上を図るための学問」であることを表しています。
カラーは清潔感のある[ブルー]の[グラデーション]で、成長・発展を表現しています。
-----
これが「醫」!!でもなんとなく納得できちゃうところがすごいと素直に思います。優美な感じで。ハートのギミックは別に要らないと思うけど、全体的には「まとも」。(グラデは禁じられてなかったんですね?ね?)
-----
(2020.09.23 静岡県知事 記者会見 抜粋)
次の発表項目でございますが、静岡社会健康医学大学院大学の校章のデザインが決定いたしました。田中、鈴木両君であります。どちらが田中さん、あなたが鈴木さん。あなたが書いたんですか。違う。これはですね、読めますか。これはあの、お医者さんの「医」という字です。今は簡略字になっておりますけれども、これの草書体です。これはですね、ベースにして、こういうふうな感じですか。飛翔してる感じしません。飛んでいくっていう。羽が。なんか三光鳥[引用註:静岡県の鳥]、何となくイメージするような、感じですよね。そんなことでございますが、令和3年4月に静岡社会健康医学大学院大学が開学いたします。本学が多くの方に親しまれる大学になるように、大学の校章を決定することになりまして、決定いたしました。この5月21日から7月17日にかけまして、募集を行ったところ、597件の応募がございました。その中から選定委員会によって審査を行い、選定したのが、ここに見せているものでございます、青いのが、そうです。この作品は、静岡社会健康医学大学院大学から世界に羽ばたく人材を医療の「医」の旧字、[醫]の[草書体]をモチーフに鳥の形にデザインをしたものであります。中心部には[ハート]が隠されております。なかなかのものでございます。ハートが隠されておりまして、社会健康医学が人々の健康と福祉の向上を図るための学問であることを表しております。これを作られたのは、東京都にご在住の村上正剛さんであります。今後はこの校章を用いまして、大学の広報活動を積極的に行ってまいります。
-----
これ↑は新設校のものだけれども、一月早い2020年8月には、歴史の割と古いところでここにも採用されていた。
京都市左京区
京都大学医学部附属病院
ロゴマーク
村上正剛(グラフィックデザイナー:株式会社アイドマ 代表取締役)
-----
「KUHP」は、京都大学医学部附属病院(Kyoto University Hospital)の頭文字です。[H]を白抜きで表現することで、健康時には関わり合いがなくても、病気や事故などで必要とされるときには「H=Hospital(医学部附属病院)」が支えになれるようにとの願いが込められています。「H」の2つの矩形は、スタッフと患者さんが互いにきちんと向き合う様子を表現しています。
-----
-----
村上代表取締役からは「歴史ある京都大学医学部附属病院のロゴマークに採用いただき名誉に思います。このロゴマークが患者さんや地域の方とのスムーズなコミュニケーションのお役に立てるよう願います」と挨拶がありました。
-----
あんまし生命感とか躍動感とかを感じないけど(バッサリ)、なるほど、このホスピタルは空なるもの・虚なるものであるのだなww。ツルも遠い昔の学生時代、卒業直前に肝臓を悪くして一時入院してたとこですが・・・。
同病院は2019年に創立120周年を迎えており、その記念で制定されたもの。2019.11.15~12.31に募集され、対価は120,000円(120万円ぢゃありませんよ😅)で400点超の応募を集めた。当初は2020年3月頃の発表を予定していたものの、「著作権等の権利関係の最終確認」のためww2020.08.03までずれ込んじゃったという。でも、そもそも120年目の節目の年に間に合わす計画ではなかったってとここそ残念な感じですがネ。
120年間、or 21世紀に到ってもというか、Icon一つ持たずにやってきた(らしい)というのもちょっと驚きです。なぜ、100周年の時に(も)作らなかったのだろう??
関係ないけど、京大病院は鴨川の東側の聖護院に位置しており、一方西側の上京区河原町広小路には京都府立医科大学/Kyoto Prefectural University of Medicine、および同学の附属病院/University Hospital Kyoto Prefectural University of Medicineがある(うぅ、変な英語ですこと)。こちらは2022年に大学創立150周年をお祝いしたばかりで、実は京大より歴史が古い。京都大学本体は病院の2年前、2017年に創立120周年を迎えていて、案外歴史が浅いんですわ。
ツルが半世紀前に通ってた福岡市立西新小学校なんて、ツルがまだランドセルしょってた1973年に創立100周年だったぞ(あ、ってことは今年150周年だ!おめでとうございます㊗)。
もとい。
これはこういうアナグラムも可能なわけです。
ア、これじゃ「京都府立大学附属病院」になっちゃうかー。
京都府立大学/Kyoto Prefectural Universityというのも別途左京区下鴨半木町(なからぎちょう)に存在しており、京都府立医科大学ともども「京都府公立大学法人」が運営する形である。ただし、京都府立大学には医学部や病院はありません、念のため。
ならばもう一手間かけて、こうですかね。
うぉーー、どんどんダサくなるぅぅwwww。Abbreviationの文字順がこれでいいかどうかは別としてもだねぇww。
もういい加減にしとかないと、はっ倒されるかな💦💦。
さらに脱線しますと。
去年のGWに京都を再訪して、正月に骨折した時世話になった整形外科医の友人に厚くお礼を申し述べてきたんですが、その時出町柳や鴨川デルタ(西の賀茂川と東の高野川が合流して鴨川と名前が変わる地点を最近はこう呼ぶ)から京大病院に近い辺りまで歩き回って、まあ街並みが変わったところもあれば変わってないところもあるって感じで今さらに感慨を深くしました。西部講堂がまだ残っていたのには驚いたけど。
ツルは学生時代、北白川や黒谷の辺りで2回下宿を変わって都合3ヵ所のアパートに住んだのだけれども、今じゃどれも消滅してましたとさ😢。
黒谷の金戒光明寺の境内にあったアパート「清心庵」は今や墓地になってるし・・・終の住処ww。
結論。
ご当地じゃやっぱ坊主と学生に逆らってはやっていけんのよ、という話で。
最近のコメント