文化Field:詩歌/音楽

2015年9月 9日 (水)

虹と雪のバラード vs 花束そえて vs WAになって踊ろう

(承前)

前々回、白鳥英美子のことをちょっと書いたので、1972年2月と1998年2月、日本で開催された2つの冬季オリンピックの音楽のことを。

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虹と雪のバラード
 作詞:河邨文一郎
 作曲:村井邦彦
 歌: トワ・エ・モワ
 (1971.08.25リリース)


虹の地平を あゆみ出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗 叫び そして 唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちの あいだに
眠っている 北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと

雪の炎にゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? 力? それとも 恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の 真下に
生まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと

生まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと


今なお、最強のご当地ソングだと思う。単なるスポーツイベントのテーマという域を超えて、人々が集合離散を繰り返しながらも街ができあがっていくという様子が描き出されているからです。そしてそのことを日本国中が知っていた、見ていた。

トワ・エ・モワは芥川澄夫と山室英美子のデュオ。所属していたナベプロの意向で強制的に組まされたユニットだったんだそうな。山室は白鳥の旧姓です。彼女はその前スクールメイツにいたんですよ。
小樽生まれの河邨文一郎(かわむら ぶんいちろう:1917.04.15〜2004.03.30)の本業は整形外科医で、札幌医科大学教授を勤めていた。一方で詩人としても知られる。

実はこの曲はNHKの委嘱により作られたもので、レコードリリースに先立ち1971.02〜03に「みんなのうた」で放送された。
おなじみWikipediaによれば、こんないきさつがあったそうな。

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委嘱五輪開幕2年前の1970年、NHKは河邨に作詞を依頼する際に、

1.イベントが終わっても長く歌い継がれるもの。

2.オリンピックを待ち焦がれる札幌の人たちの心情を表していること。

3.重々しい式典風のものではなく、屋根裏の落第坊主がギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること。

の3つを要望した。
依頼を受けた当初はなかなか構想がまとまらず、河邨は2週間ペンが進まなかったという。
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この三条件、どれもすごいですねえ。本質をずばりと言い当てている。預言 or 呪文と言ってもいいかもしれない。
難渋しながらも河邨はNHKの期待によく応えてこの詞を書き上げた。「あふれる旗 叫び」の一言だけで、預言の二番目を成就させたのも見事です。
小学校低学年だったツルは当時、『なぜ「影」や「ナイフ」みたいな不穏な言葉なんだろう』と漠然と感じていた気がする。今考えれば、そここそが詩人の仕掛けた技だったんですね。
これに村井(荒井由実をデビューさせたかと思うと、市川 崑の横溝映画「悪魔の手毬唄」のスコアを書いたりしている)がメロディをつけて完成した曲は、山室の清涼感あるボーカルもあって大きなヒットをおさめた。トワ・エ・モワはこの曲で1971年の紅白歌合戦にも出場してます。
そして40年以上を経て今もなお、この曲は人々の記憶に残り歌い継がれている(札幌雪まつりの会場でも流されている由)。長い年月の後、預言の一番目は的中したわけです、二番目、三番目と同じように、いやもっとくっきりと。

長野五輪招致の際に白鳥に白羽の矢が立ったのも、20年前の「札幌の記憶」のためであることは間違いないだろう。

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花束そえて
 作詞:駒井 瞭
 作曲:白鳥英美子
 歌: 白鳥英美子
 (1991.09.21リリース)


連なる山が 朝陽に映える
白銀の大地は 友を迎えて
新しい炎燃やす
このときめきの瞬間を あなたに贈りたい
雪と氷と若い力の
オリンピックに 花束そえて

広い世界を ひとつにつなぐ
虹架ける大地は 花を飾って
幸せの愛育てる
このほほえみの輝きを あなたに贈りたい
雪と氷と若い力の
オリンピックに花束そえて

星はきらめき 歌があふれる
湯煙の大地は 人を結んで
すばらしい夢咲かせる
この限りないあこがれを あなたに贈りたい
雪と氷と若い力の
オリンピックに 花束そえて


見比べてみて、二点指摘しておこう。

まず、ひどくつまらなくなってますよね、本歌取りの「虹」「雪」はまあ大目に見るとしてもだ。はなから「連なる山が 朝陽に映える」じゃ、テンプレ校歌で散々見てきたところと何も変わりはしないじゃないか。「白銀の大地」「虹架ける大地」「湯煙の大地」だってせいぜい雪国の温泉地のご当地ソングどまりである(「虹架けて」のフレーズは小豆島中学の校歌にも出てきたよな)。
一方で、対象への迫り方が圧倒的に不足してるから、全体の印象は曖昧模糊としてるんです。これでは聖火をご当地までたぐり寄せてこられないでしょう。

しかし、視点を変えてみると、後年の駒井の作品に比べれば、まだまともだったと言えると思う。この後、型に嵌まったClicheばかりが肥大する形で、LyricにせよVisualにせよ、駒井の公募仕事は内容を喪失していく。

残念ながらこの歌はほとんど反響を呼ぶことなく、代わりに長野五輪はこの歌一色に染まった。

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ILE AIYE 〜 WAになって踊ろう
 作詞・作曲:長万部太郎(角松敏生)
 歌・演奏:AGHARTA
 (1997.05.21リリース)


うじゃけた顔してどしたの
つまらないなら ほらね
輪になって踊ろ みんなで
遊びも勉強もしたけど
わからないことだらけ なら
輪になって踊ろ 今すぐ

悲しいことがあれば もうすぐ
楽しいことがあるから 信じてみよう

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala すぐにわかるから
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala 夢を叶えるよ
Oh O Oh Oh Oh O O O Oh

大好きな娘がいるなら
はずかしがってちゃダメね
輪になって踊ろ みんなで
大人になってもいいけど
忘れちゃダメだよ いつも
輪になって踊ろ いつでも

一人ぼっちの時でさえも
誰かがいつも君を 見ててくれる

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala すぐにわかるから
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala 夢を叶えるよ
Oh O Oh Oh Oh O O O Oh

ハー ヤッサ ソレ ハイ

Ile Aiye Ile Aiye
Ile Aiye Ile Aiye
Ile Aiye Ile Aiye Ile Aiye

悲しいことがあれば もうすぐ
楽しいことがあるから 信じてみよう

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala すぐにわかるから
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala 夢を叶えるよ ハイ!

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala


例によってカバーバージョンも多くて、曲のタイトルはアーティストやバージョンにより微妙に異なってます。

1997.04〜05にNHK「みんなのうた」で放送され火がついたという経緯は「虹と雪のバラード」とよく似ている。反響は大きく、その後も1997.08〜09、10〜11、1998.02〜03と繰り返し再放送され、その中で長野五輪との関わりができあがっていったのは前に書いたとおりです。(cf. 2012.11.05「WAになって踊ろう」)

五輪ソングというものが、「世界」がやって来る街のことを歌ったものから、出場者を応援するもの、さらには出場者の心情を表すものへと変わってきた気もする(三波春雄の「東京五輪音頭」まで広げて考えればもっとはっきりするような)。ツル的には、この曲のイメージは「吹雪の中、ジャンプ台のスタートポイントに座って風待ちをしている選手」です。
この曲はこの曲で、十分Olympic Anthemたり得ていると思いますけどね。次はどんなものが出てくるんだろう。

2015年8月26日 (水)

I.G.Y.(あるいは流線形の世界)

(承前)

NIKEのSwooshのことを書いていて、この歌を思い出したので、ちょっと。(すみません、また前世紀モノです)

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I.G.Y. (International Geophysical Year)
 作詞・作曲:Donald Fagen
 歌:Donald Fagen
 (1982.10リリース アルバム "The Nightfly" より)


Standing tough under stars and stripes
We can tell
This dream's in sight
You've got to admit it
At this point in time that it's clear
The future looks bright

On that train all graphite and glitter
Undersea by rail
Ninety minutes from New York to Paris
Well by seventy-six we'll be A.O.K.

What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free

Get your ticket to that wheel in space
While there's time
The fix is in
You'll be a witness to that game of chance in the sky
You know we've got to win

Here at home we'll play in the city
Powered by the sun
Perfect weather for a streamlined world
There'll be spandex jackets one for everyone

What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free

On that train all graphite and glitter
Undersea by rail
Ninety minutes from New York to Paris
(More leisure for artists everywhere)

A just machine to make big decisions
Programmed by fellows with compassion and vision
We'll be clean when their work is done
We'll be eternally free yes and eternally young

What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free
What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free...
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"Voice of Steely Dan"、Donald Fagenのファーストソロアルバムに入っている曲です。
「国際地球観測年」なんて、およそ歌のタイトルにはなりそうもない言葉を持ってきちゃった、しかも略称で。でもそれがカッコよかったんだよね(アルバムジャケットもカッコよかった!「青文字系」ですsmile。わからなかったらそこら辺の女子高生に訊いてネ)。ツルは当時レコードで買いました。CDというものが世に出る直前じゃなかったかな。

The Nightfly

International Geophysical Yearとは、冷戦下の1957.07.01〜1958.12.31に行われた国際プロジェクトのことで、日本政府も参加していた。こんな切手、見たことありません?

国際地球観測年記念切手

ツルも子供の頃切手を集めていて、これは持ってました。(発行当時は生まれてなかったっす!キッパリ。)
当初日本は赤道方面を観測する目論見だったのが、いろいろあって南極を担当することになったらしい。「昭和基地」ができたのもこの時です。

で、ドナルド・フェイゲンの歌のこと。確か、ライナーノーツに、「50年代後半の平均的な若いアメリカ人男性の心情を表したものである」みたいな本人のコメントが書いてあって、「80年代の今になんでまた??」と思ったことを覚えている。つまりは「'76年までにはニューヨークとパリが海底列車で90分」とゆーのを歌ったのが'82年なわけよ。
明るい未来とOptimism。青年の頭の中にこだまする米国大統領の演説のようでもある。

そんなわけで、歌詞の中には「International Geophysical Year」の語が一度も登場しない次第。象徴なんですね。

"streamlined world" にはいつまで経っても到達しないこと、それ自体願望と妄想に過ぎないこと。それらが既に社会共通の認識となって久しく、かつ米国が少しずつ地盤沈下を起こし始めていた1980年代初頭という(中途半端な?)時代に敢えてこのコンセプトで発表したセンスに惹かれます。
Reality bites, truth hurts. しかもその頃まだまだ新しい音楽だったレゲエのoff-beatをちょっと利かせて(その意味では単なる過去の準りでもない)。でもこのノンビリしたお気楽その日暮らしの曲調の中に隠されている「毒」を見落としちゃいけないよね。
さすがにDonald Fagen、一筋縄じゃいかない。

因みに "Steely Dan" ってグループ名は、アメリカSF界の問題児 William S. Burroughs(1914.02.05〜1997.08.02)の発禁小説「裸のランチ/Naked Lunch」(1959)に出てくる、男根の張り型 "Steely Dan III from Yokohama" から来てるってご存じでした?(「南極2号」みたいなもんね。)

2015年8月22日 (土)

西條八十 ぼくの帽子 vs 角川春樹 信長の首《二》

(承前)

つまるところ、角川プロデューサーは犬神家に続いて「母もの」を撮りたかったわけです、森村誠一の小説と西條八十の詩の世界を借りて。映画は激ツマで退屈でしたけど。

それにしても「ぼくの帽子」は不思議な詩だと思う。初出は児童雑誌「コドモノクニ」の創刊第2号となる大正11年(1922年)2月号。

ぼくの帽子

夢二風の挿画を見ると、左の絵では冬の日に暖炉の前で語らう母子の姿が描かれているけれども、詩から受けるツルの印象では、母親は既に亡くなっていて、息子が心の中で語りかけているようにしか感じられない。英語版もそこに焦点を当てて書かれてる気がします。
因みに縦書きの原文は全ての漢字にルビつき。「以太利」は「伊太利」ではありません。4文字分のルビがあるから「イタリヤ」と読ませるんでしょう。同様に、「埋める」は「うづめる」だと思う。

腑に落ちないことはまだある。この母子、薬売りに手助けしてもらったぐらいだから父親や男衆は付き添っていなかったということになるだろう。軽井沢駅に程近い碓氷峠から霧積まではどう見積もっても直線距離で6kmはある。しかも碓氷峠は古来中仙道の難所として知られたところだそうな。そんなところを女親と幼子だけでてくてく歩いていったんですかねえ??そこら辺からして詩人の創作なんだろうか。(であれば、まさに「霧積」の響きだけに惹かれて書いたことになりそうだ。Kiss me Mammy.)

西條八十(さいじょう やそ:本名同じ:1892(M25).01.15〜1970(S45).08.12)は、詩人にして仏文学者、早稲田大学仏文科教授。象徴派の詩人だから、「母親他界説」もそれなりに説得力あると思うのだけれど(いや、事実がどうかということではなくてね)。
作詞家としても広く知られ;

「東京行進曲」 ♪昔恋しい 銀座の柳(作曲 中山晋平 / 唄 佐藤千夜子:1929.05.01発売)

「蘇州夜曲」 ♪水の蘇州の 花散る春を(作曲 服部良一 / 唄 渡辺はま子&霧島 昇:1940.08発売 / 唄 李香蘭(山口淑子):1953発売)

「青い山脈」 ♪青い山脈 雪割り桜(作曲 服部良一 / 唄 藤山一郎&奈良光枝:1949.03.10発売)

「王将」 ♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に(作曲 船村 徹 / 唄 村田英雄:1961.11発売)

など戦前戦中戦後の各時代を代表する歌謡曲作品もある。ツルはなんとなく戦前の人だと思っていたけど、そんなことなかったですねsweat01。(いずれもツルの生まれる前です、きっぱり。)
戦後には日本音楽著作権協会/Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers/JASRACの会長も務めていた。作詞界の最重鎮だったことは間違いないでしょう。

そしてジョー山中(1946.09.02〜2011.08.07)のこと。亡くなっていたんですね。ミュージシャン、俳優、そしてプロボクサーでもあった(リングネーム 城アキラ:本名 山中 明)。この映画では主題歌を歌っただけでなく、準主役の扱いで混血青年を演じている。しかし1977年、大麻取締法違反容疑で逮捕、まだこの映画の公開中だったと思う。角川映画の宣伝戦略は多少つまずいたわけだ。

そして再び角川春樹。出版界・映画界の風雲児としてもてはやされたのも1980年代終わりまで。薬師丸ひろ子・原田知世・渡辺典子の「角川三人娘」に去られ、実弟とのお家騒動も表面化し、1993年にはコカイン密輸により麻薬取締法違反容疑で逮捕、最高裁まで争って結局懲役4年の実刑判決を受けた。切り落とされてしまったのは信長ではなく自らの首。

その後も(いや、塀の中でも)作句は精力的に続けてきている。近年は「俳句」と呼ばずに「魂の一行詩」と名づけていて(´ψψ`);

蛭に血を吸はせてをりぬ歌舞伎町
 「朝日のあたる家」(2006年)より

なんて作品もあります。この時64歳前後、やっぱりちょっと精力余り過ぎheart01

ここまで来たら、大野雄二(1941.05.30〜)のことも斬っておかう。いや、この人のことは大好きなんですよ。

前年に角川映画第1弾、「犬神家の一族」のスコアを書いた大野は、しかしその後市川−横溝映画の音楽を作ることはなかった(cf. 2015.03.23「角川映画「犬神家の一族」」・2015.03.25「愛のバラード」)。大監督の意向一つで曲がズタズタにカットされてしまうことに不満があったようです。その代わりに手がけたのが「人間の証明」ということになる。因みに翌年1978年の角川映画第3弾、「野性の証明」の音楽もね(主題歌「戦士の休息」by 町田義人の作曲を含めて)。

でもこの映画の主題歌って、Queenの "Bohemian Rhapsody"(1975.10.31リリース アルバム「オペラ座の夜/A Night at the Opera」より)と、イントロのピアノラインから歌い出しの言葉までが激似だったんですよねえ。有名な話だと思うけど。
テレビからボヘミアン・ラプソディが流れてきたかと思ったら、人間の証明のテーマだったという経験をした人は当時多かったはず。ツルも毎回ハッとしてましたもん。わかっているのに、それだけそっくりだったんです。フレディ・マーキュリーとジョー山中、声がそんなに似てるはずもないのに。

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Mama, just killed a man
Put a gun against his head,
pulled my trigger now he's dead
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大野センセイに聞きたいものです、「Queenにインスパイアされたんですか?角川社長に言われたんですか?」って。

ああ、それにしても。今回名前を出したうち、今も生きているのが角川と大野と町田しかいないなんて。角川三人娘を除けばね。

あっ!!船村 徹先生はご存命でしたっm(__)m!

2015年8月20日 (木)

西條八十 ぼくの帽子 vs 角川春樹 信長の首《一》

(承前)

前回、「霧」がらみのことを書いていてこの詩をふと思い出した。

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ぼくの帽子
 西條八十

――母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
  ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
  谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

――母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
  僕はあの時、ずゐぶんくやしかつた、
  だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

――母さん、あのとき、向から若い薬賣が來ましたつけね。
  紺の脚絆に手甲をした。――
  そして拾はうとして、ずゐぶん骨折つてくれましたつけね。
  けれど、たうとう駄目だつた。
  なにしろ深い谿で、それに草が
  背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。

――母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
  あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
  もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
  秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
  あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも
  知れませんよ。

――母さん、そして、きつと今頃は、――今夜あたりは、
  あの谿間に、靜かに雪が降りつもつてゐるでせう、
  昔、つやつやひかつた、あの以太利麥の帽子と、
  その裏に僕が書いた
  Y・Sといふ頭文字を
  埋めるやうに、静かに、寂しく。――
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今読んでみても、冒頭から引き込まれます。「夏、碓氷から霧積へ」という言葉遣いも、字面、響きともに極めて印象的ですし。

「碓氷」とは、長野県北佐久郡軽井沢町と群馬県安中市の松井田町(*)との県境にある碓氷峠(標高約960m)のこと。いわゆる中央分水嶺に含まれ、この峠より長野側に降った雨は信濃川水系、群馬側に降った雨は利根川水系となる。
一方「霧積」は、松井田町にある霧積温泉。江戸末期に発見されて明治半ばから整備が進み、当時は避暑地として賑わっていたようですが、山津波により温泉地は壊滅。霧積川上流に2軒残った旅館も、2012年にきりづみ館が廃業、現在は金湯館(きんとうかん)ただ1軒のみ。「温泉地」から再び「秘湯」になりつつある現情。

(*)旧 碓氷郡松井田町。2006年3月18日に(大モメにモメた末)安中市と新設合併している。さらに遡ると、1954年5月3日に碓氷郡の(旧旧)松井田町・臼井町・坂本町・西横野村・九十九村・細野村が新設合併して(旧)松井田町となっているので、この詩が書かれた当時に碓氷峠や霧積温泉がどの町村に属していたのか調べてみたけど、よくわからなかった。おそらく臼井町(碓氷峠は旧くは「臼井峠」とも書いた)あるいは坂本町だと思いますが。

この詩、1960年代までに生まれた人にとっては、ある意味すごーく懐かしい作品ですよね、ツルを含めて^_^;。現在オジさんオバさん以上になった世代の心の奥底に消し難く刷り込まれているのは、1977年に公開された角川映画第2弾、「人間の証明」のせいです。森村誠一の同名原作でもこの詩は重要な役割を持って登場するけど、映画化当時、毎日毎日超大量に流されたテレビCMで、冒頭のフレーズはそれこそ日に何度も何度も目に耳にしていたからね。

人間の証明

流れていた主題歌もこの詩を踏まえたものだった。

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人間の証明のテーマ
 作詞:西條八十
    角川春樹
    ジョー山中
 作曲:大野雄二
 歌: ジョー山中


Mama, do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago
flew to the foggy canyon
Mama, I wonder what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side, out of my reach like your heart

Suddenly the wind came up
Stealing my hat from me
Swirling whirling gusts of wind
Blowing it higher away

Mama, that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back like the life you gave me

Suddenly the wind came up
Stealing my hat from me
Swirling whirling gusts of wind
Blowing it higher away

Mama, that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back
like the life you gave me
like the life you gave me
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和文から個別性の要素を引き算した結果、象徴性が前面に出てきた気がします(適当なこと言ってらsweat02)。

しかしツッコミどころも多いねえ。どこからいきましょうか。

角川書店の当時の社長、あるいは同社の娯楽大衆化路線の一大立役者、角川春樹(1942.01.08〜)には俳人としての顔もあり、同人誌「河」を主宰してたりもする。俳句にのめり込んでいったのは1980年代以降のようだけど、このころから自分の映画につける歌にも口を出してたというわけね。

黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る
 「カエサルの地」(1981年)より

向日葵や信長の首切り落とす
 「信長の首」(1982年)より

えげつないほどギラギラしてますなあ。「殺ぎ」は「そぎ」です。

第二句集「信長の首」では、1982年芸術選奨文部大臣賞と第6回俳人協会新人賞芸術選奨新人賞を手にした。
この句、ツルはなぜか;

向日葵に信長の首斬られけり

と長いこと覚え込んでいて、やっと記憶違いを認識した次第っす(*''*)。

俳人として見ると、角川は割と多作というか精力的に活動してきたと思うけど、1990年に第八句集「花咲爺」で第24回蛇笏賞を取った時には身贔屓とだいぶ叩かれた。蛇笏賞(と短歌の迢空賞)が、角川文化振興財団により選ばれるものだからです。親玉の親方に出したんじゃねえ。どこかよそに任せとけばよかったのに。

ツルは、上記の二句に対抗し得る作品というと次のものしか知らない。

黒き凧見つけて天に歩み寄る

虹二重双生児のわれら誰から死ぬ

この二句の作者については愚blogの2012.02.11の記事をご覧下さいませねsweat01sweat01。(だからほれ、こういうのを身贔屓というのよangry

(続く)

2015年3月25日 (水)

愛のバラード(犬神家の一族より)

昭和なお話、もう少し。

犬神家の一族でもう一つ印象的なのは、音楽でしょう。「愛のバラード」と題されたメインテーマは今でも時々テレビのバラエティ番組のちょっと怖いシーンで使われたりしている。前半は確かに横溝ミステリーの世界観にふさわしい「陰」のイメージだけど、後半には素晴らしく美しいメロディが広がります。サワリの部分の大正琴みたいな音色はシタールだと長く思っていたんですが、ダルシマーという近縁の楽器だそうな。

スコアを書いたのは大野雄二(1941.05.30〜)。流麗なオーケストレーションを書かせたらこの人の右に出る者はいないと思う。「ルパン三世」あたりが有名かと思いますが、ツル的には手塚治虫(1928.11.03〜1989.02.09)のTVアニメ「100万年地球の旅 バンダーブック」の音楽が一番好き。1978年8月27日、日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」第1回の中で放送された長編作品です。
いわゆるチャリティテレソンでアニメを使うことには局内に反対もあったらしいけど(当時アニメは所詮子どもの見るものだったわけで)、蓋を開けてみると同番組で最高の28%という視聴率を記録した。しかも放映は午後10時〜12時という時間帯だったにもかかわらず。内容も「愛は地球を救う」の精神を最もよく表していると高く評された。まだ「サライ」ができたり、マラソンやったりするようになる前です、もちろん。
バンダーブックの音楽は番組全体のBGMにも用いられていて、その一晩(or 24時間)の記憶は高校1年の残り少ない夏休みを過ごしていたツルの心に強く長く刻まれました。(大人になった後、これまたDVDを買っちゃってたりなんかするhappy01

おっと。のっけから脱線脱線。

実は、この「愛のバラード」にはボーカル入りバージョンがあるんです(!!)。ジャズ/フュージョンの大野による曲に歌謡曲の作詞家山口洋子(1937.05.10〜2014.09.06)が詞をつけ、シャンソンの金子由香利が歌ったという超異色版。映画公開に合わせて作られたのではないかと思うけど、詳細はわかりません。こんな珍品があるなんて、ツルも数年前に知ったばかり。

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愛のバラード
 作詞:山口洋子
 作曲:大野雄二
 歌: 金子由香利

死んではいけないと 風が今日もささやく
水に映える白い花が 胸に沁みるけど

耐えて生きることも 辛くないの私は
あなたの名前呼べば何も 怖くないから

涙さえ燃えている 光のさざなみ
愛を感じているから 砂の音も愛おしい

死んではいけないと 長い夜も私は
あなたの名前呼んで 朝を待つでしょう

涙さえ燃えている 光のさざなみ
愛を信じているから 鳥の影も愛おしい

ひとりどこにいても そこに見える優しい
あなたの名前呼んで 明日を待つでしょう
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うーん、よくできている(笑)。松子夫人の心境とも、珠世のそれとも取れるような歌詞になってるんですね。当時才媛の名をほしいままにしていた山口の才気が光る。
この金子版はYouTubeに2点ほど載っていて、いずれも映画同様、黒地画面に大きな白抜き文字で歌詞が現れてくるところがニヤリとさせます。エヴァンゲリオンじゃないのよ(笑)。

愛のバラード2 愛のバラード1

なお、この曲のオリジナル版は映画の中で冒頭のタイトルバック以降、キャストやスタッフのクレジットが表示されるところに使われてますが、結構ズタズタにカットされていて、長ーい秀逸なイントロも全部なくなっているし、サワリの部分も相当削られている。サビの盛り上がりのところでうまく石坂浩二や島田陽子の名前がどーんと出てくるようにしたのだろうけれど、これに不満を持った大野は次回作「悪魔の手毬唄」以降、市川作品の音楽を担当することはなかった(翌1977年には「人間の証明」、1978年には「野生の証明」と、初期角川映画3作の音楽を書いているけれど)。
一方、2006年に映画がリメイクされた際には谷川賢作(詩人谷川俊太郎の子)が音楽をつけたけど、このメインテーマだけはほぼ踏襲され再び使用された。それだけインパクトの強い曲だったと言えるでしょう。

この作品、YouTubeに出ている1976年版映画の予告編(の後半)には本編で削られたイントロ部分が一部使われてますが、機会があればオリジナルを是非完全なフルバージョンで聴かれることをお勧めします(サントラ盤も出てます)。「映画音楽」として完成された日本で最初の作品、流麗の一言。

愛のバラード タイトル

2014年12月 5日 (金)

TVの国からキラキラ vs 成人世代

あんなにテレビっ子だったツルも、最近ほとんどテレビを見なくなりましたが。

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TVの国からキラキラ
 作詞:糸井重里
 作曲:筒美京平
 編曲:鷺巣詩郎
 歌 :松本伊代
 (1982.05.21リリース)

TVの国からキラキラ

ねえ こんなの信じていいの
ああ わたしは嘘だと思う
古い少女マンガの まるでヒロインみたい
いつも夢見ていた あの人が
わたしのこと 好きらしいのよ

夜空の星もキラキラ わたしの瞳キラキラ
お花いっぱいフワフワ 飛んでいるわ
見つめられたらキラキラ 彼の瞳もキラキラ
見つめ返せばドキドキ どうなるかしら

ねえ 神様 冗談ですか
ああ 夢なら醒めずにいてよ
だけど少女マンガは いつもハッピーエンド
たぶん夕陽の中 あの人が
わたしのこと 抱きしめるでしょう

涙落ちてもキラキラ 思い出になるキラキラ
街の景色もキラキラ 輝いてる
彼の微笑みキラキラ まぶしいくらいキラキラ
わたしの瞳キラキラ もう 戻れない

"ねえ 君ってキラキラ"

ともだちの顔キラキラ 先生の顔キラキラ
カンニングさえサラサラ なんだかヘン
黒板までもキラキラ 恋の光でキラキラ
なにもかもがキラキラ もう 戻れない
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ツルに言わせりゃ、松本伊代の代表曲は「センチメンタルジャーニー」ではなくてこれである。
糸井重里が力業見せてますなー。「カンニングさえサラサラ」だもんね(@_@)。何よりタイトルがすごく秀逸、「テレビ」ではなく「TV」としたことも、歌詞にその「TV」が一切出てこない乖離も。「テレビに出てる華やかな芸能界の人気者」をこんな感じに搦め手から切り取ったのはそれまでなかったんじゃないかな。小泉今日子の「なんてたってアイドル」だって3年後の1985.11.21のリリース。
それだけじゃない。80年代の歌謡曲をある意味象徴する(代表するとは言わない)のが、この曲と小泉今日子の「ヤマトナデシコ七変化」(1984.09.21リリース)だと思う。歌謡曲自体の転換点という意味で。それは歌謡曲のJ-POPへの遷移をも予告していたと思うけど。

YouTube上のこの曲へのコメントに現在;

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頭よわいんじゃない? バカだったから出来たんだよね。
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とあるのは言い得て妙だと思います。
今だったら、きゃりーぱみゅぱみゅに歌わせてみたい(^。^)y-゜゜゜。

ほぼ同時期、「テレビ」はこんな風にも歌われた。「ビデオ」が一般化する前です。

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成人世代
 作詞・作曲:中島みゆき
 編曲:星 勝
 歌 :中島みゆき
 (1981.03.05リリース アルバム「臨月」より)

臨月

悲しい気持を 抱き締めて
悲しみ知らない ふりをする
笑っているのは 泣き顔を
思い出さずに 歩くため

寂しい気持を 抱き締めて
寂しさ知らない ふりをする
踊っているのは 憐れみを
鎖と共に 捨てるため

テレビの歌は いかにもそこに
いかにもありそうな お伽噺を謡う
夢やぶれ いずこへ還る
夢やぶれ いずこへ還る

隣りを歩いてゆく奴は
誰もが幸せ 昇り坂
転んでいるのは自分だけ
誰もが心で そう思う

大人の隣りを追い越せば
しらけた世代と声がする
子供の隣りを追い越せば
ずるい世代と声がする

電車のポスターは いつでも夢が
手元に届きそうな 言葉だけ選ぶ

夢破れ 何処へ還る
夢破れ 何処へ還る
夢破れ 何処へ還る
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ううむ、これって塩キャラにも言えるかも(そこからもう離れられないツルってのも一体)。いかにもありそうなお伽噺、ね。

ああやだやだ、自分の音楽の引き出しが80年代で止まっているようで。

2014年11月22日 (土)

流浪の民:バスの部

(承前)

でも、ほんとに興味深いのはここからだった(敢えて過去形)。ドイツ語屋氏の記述にはこんな追記が加えられている(いずれも抜粋)。

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このページを見た音楽家の方が、「こんな批評は許せん!害毒だ!」とひどく頭に来てご自分のサイトにこのページへの辛辣な批評をされています。
 ぜひこのページとあわせてご覧になることをおすすめします。
 しかし、音楽家の方々にとっては「書いてあることをそのまま写す」ことが「ただのつまらない薀蓄もどき」に見えるのですねえ。
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ふむ。そうだろうと思った。軽い態度で行われた批判は往々にして再批判に対しnaiveである。
音楽家氏の再批判とはどんなものであったのか。(断っておきますが、こちらの文章はネット上にはもう残されてはいません。)

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私が不満に思うのは、この方の指摘している次の2点です。

1)「ナイル川のことを、ニールと訳していることへの、許しがたいという不満」
2)「ブナが歌詞に登場しないことへの不満」
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お?何やらツルの書いたこととかぶっているような(汗)。

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上記2)にも通じることですが、ドイツ語で書かれた多量の言葉によって成る詩を、日本語でもって歌うのに、全ての言葉を歌詞として踏襲することは不可能です。ブナを後半では省略したことも、文学的なセンスだと思います。意訳も、詩全体を捉えているからこその一級芸術品です。弾むような言葉を慎重に選んで羅列したこの詩は、音読してみますと、素晴しい躍動感を持っています。それだけで「こう歌わんかな」と語っていると感じます。私の推察ですが、石倉さんはシューマンのこの曲を原語で聴かれ、それを愛し、ゆえに日本語での表現をとことん考えられた、音楽を知る人、音楽を愛する方でしょう。言語尊重は、音楽にとっては邪魔者でしかありません。
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おお、そこまで言い切るか。

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1)については、ナイル川のことを“ニール”と訳しては意味が通じないという指摘をされています。なぜ“ニール”としたかについての言及・考察が全くありません。外国語で書かれた詩(文章)を訳すのが専門の人が、Nilesというドイツ語がナイル川のことであることは当然ご存知でしょう。知らない人が適当に訳詞などするわけがありません。こういうところに対する彼の主張(不満)は、あたかも「自分は知らない言葉をそのままにして著作物を公開しています」と言っているかのようで、同業者に対する失礼極まりない行為とも言えます。
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これらに対する再々批判として考えられるのはおそらく、「趣旨はわかる、でも、歴史的背景や音韻を重んじるのと同時に言語そのものも尊重すべきであったのに、岩倉訳はそこに挑戦していない」といったところでしょう。その両方の視点を止揚する対案が欲しいということは、音楽家氏も思ったようです。

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このサイトの方はドイツ語の専門家。「ニールでは意味が通じない」というのは、私はドイツ語を知らないと仰っているのと同義ではないでしょうか。この方には、「よく翻訳できました」というのではなく、シューマンのこの曲につく“歌詞”としての訳を、対案として出してもらいたいと思います。それができないのであれば、ただのつまらない“薀蓄もどき”に過ぎないのです。
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有吉もマツコデラックスも真っ青、鬼神も三舎を避くる勢いの舌鋒ですが、ドイツ語屋氏の訳は、確かに歌曲の詞という以前に詩/言葉としての鑑賞に耐えず、フラストレーションが溜まるというのがツルの率直な感想でした。

結局はこう。

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よく大学の外国語文学部を出られた方が、外国語には堪能だが、文学的センスに乏しい人がいますが、この方はそういうタイプなのかもしれません。
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 VS

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まあ、私にも音楽家の知り合いが何人かいますから、彼らの「言語」に対する態度はなんとなくわかるのですが。
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売り言葉に買い言葉、子供の喧嘩みたくなっちゃいましたcoldsweats01

ツルにとっては、また別の筆者によるネット上の次の文章(抜粋)の方が、まだ得るところがありそう。

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ちなみにこの曲には石倉小三郎氏の名訳があるが、これは日本語としてきわめてすぐれているのであるが、ただ一点残念なことがある。訳詞のアクセントと音楽上のアクセントがばらばらで、まさに「心の旅」[註:往年のフォークグループ、チューリップの代表曲]状態となっていることである。

〔中略〕

これはしかしドイツ語と日本語という語学的構造がまるで異なる言語の移植を行っているのであるから、やむを得ないことなのであろう。(これ以上の訳詞を作れる詩人もいないだろうし)日本の合唱者たちが石倉氏の訳詞で何の違和感もなくこの曲を歌っている状況を見ても、日本人というのは日本語のアクセントには意外と鈍感であることがわかる。
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ううむ、これとて、1980年代初頭までミュージシャン達の間でも真剣に論じられていた(はずの)「日本語でRockはできるか」という議論と根は同じではないのか、なんて空虚さは感じちゃう。
個人的には、かの有名な童謡の冒頭、「♪夕焼け小焼けの あかとんぼ」の「あかとんぼ」の部分は日本語として音韻に無理があるだとか、藤山一郎は「蛍の光」の「♪ほーたーるの ひーかーぁり」の部分のアクセントの不体裁が許せなくて、紅白歌合戦のエンディングでこの歌の指揮をする時に歌い出しだけは口をつぐんでいただとか、そういうのにも?を感じてきたのですけれども。

ツルは断じる。歴史的・文化的な文脈と精神を無視して、表層に表れた言葉だけをもって論じようとするなら、それはやはり害毒です。

2014年11月21日 (金)

流浪の民:テノールの部

(承前)

このドイツ語屋氏にかかったら、森 鴎外(*5)の「即興詩人」(*6)や上田 敏(びん)(*7)の「海潮音」(*8)なんかも大変なことになりそうだ。

(*5) 1862年2月17日(文久2年1月19日)〜1922年(大正11年)7月9日

(*6) Hans Christian Andersenのデンマーク語の小説 "Improvisatoren"(1835年)のドイツ語訳からの重訳:1902年(明治35年)刊

(*7) 1874年(明治7年)10月30日〜1916年(大正5年)7月9日

(*8) 29人の詩人の57篇を集めたAnthology:イタリア語・プロヴァンス語の作品については英語訳からの重訳:1905年(明治38年)刊

え!森鴎外と上田敏、命日一緒なんだ!干支も同じだし(笑)。

明治になって、一挙に新奇な文物、特に文学/Literatureが流入してきた時、西洋の歴史や文化についての理解・素養/Literacyのない当時の日本人にそれらを受容せしめるため、彼の地の故事来歴に関わる内容を漢籍のそれに置き換える手法はしばしば行われた。
これは鴎外が1902年に10年がかりで完成させた「即興詩人」の翻訳で大胆に採り入れて、文壇に大きな影響を与えたものだと思っていたけど、そんなカンタンな話には非ざりき。

既に明治期前半、シェイクスピアの戯曲が紹介された時にはいずれも舞台装置が歌舞伎仕立ての和風に変えられているし、巖谷小波(いわや さざなみ)(*9)が1895年(明治28年)に出した「子猫の仇」はグリム童話の「狼と七匹の子山羊」をヤギからネコに置き換えたもの。騾馬を鳥に変えたのと、趣旨は同じでしょう。
1900年(明治33年)に坪内逍遙(*10)が高等小学校の教科書用に訳した「シンデレラ」なんて、題名も「おしん物語」ですよ。Cinderella=おしんとは(@_@)!!Charles Perraultも橋田壽賀子もWalt Disneyも小林綾子も仰天必至ですが、国民に広く親しまれその蒙を啓くべきものとするために、明治の文豪さんたちは涙ぐましい努力を真剣に続けていたわけです。

(*9) 1870年7月4日(明治3年6月6日)〜1933年(昭和8年)9月5日

(*10) 1859年6月22日(安政6年5月22日)〜1935年(昭和10年)2月28日

見方を変えれば、そうした数多くの先人達の労作のうち、現代に残った数少ない例の一つがこの「流浪の民」と言えるのではないか。時を経て今に至る、というのはそういうことでしょう。
色鮮やかなガジェットに頼ることなくここまで印象的な世界を創り上げた石倉の功績も、そんなところにあるのだと思う。

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と、まあ、日本語歌詞と原詩との間にはこのような違いがあるわけだ。先にも述べた通り、詩の訳というのは難しいし、曲に合わせる必要もあるから、完全に忠実な訳でなければだめだとは言わない。しかし、他の差異は大目に見るとしても、「ニイルの水」だけは私は決して許すことができないのだ。偏狭だろうか。
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ううん、偏狭なんかじゃないんです、浅薄なんです。
「海潮音」の中心をなす象徴派の詩などでは特に、そんな態度で接したのでは訳したことにすらならないでしょう。映画の「日本語版字幕」の大家、戸田奈津子のコメントも是非欲しいところですが(笑)。

ドイツ語屋氏の批判は、次のような呼びかけで締め括られている。

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歌をやる方へ。訳詩があっても、一度は原詩を読もう。私のように原詩主義者になる必要はないけれど、きっと新しい発見があるはずだ。
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いいや、そうではないでしょう。ドイツ語がわかるようになったので原詞を初めて読んでみたら、昔からなじんでいた訳詞と随分違っていたので、何かを新発見した気分になって書いてみた、それ以上のものとは思われない。
なんかね、例えれば、伊勢神宮にお詣りしたら参道の燈籠に六芒星が一つ一つ刻んであった、すわ「日本とユダヤは古代においてつながっていた!!」なんてネットに上げちゃうDQN行為と同じ図式(この手のトンデモ噺はよく見かけますね;笑)。

歴史的視点を持たずに(あるいは持とうとすることなしに)、言葉の表層を軽く触っているだけで何も読み取っていないものを、「原語尊重主義」「原典至上主義」と呼び得るものではあるまい。

そして、「批判」を敢えて行うならば全能全力を尽くせ、でなければ批判の名に値しない、です。その時には己れの不明を恥じるだけである。
(塩キャラ批判、テンプレ公募ガイダー批判を延々展開しているツルが言うんだからホントです(笑))

(続く)

2014年11月20日 (木)

流浪の民:アルトの部

(承前)

今回、Agressiveにガッツリいきますえ。

石倉小三郎の訳詞については;

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歌曲・合唱曲の名曲として古くから名高い、「流浪の民」。しかし、その歌詞をよく見てみると、「詩を訳する」ということの厄介さが浮かび上がってくる。
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として論じているサイトがある。興味津々覗いてみたんですが。

冒頭二番目の連についてはこうです。

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ここでちょっと気になるのが、「ニイルの水」である。この訳詩では、現に彼らがいる森の中にある泉か何かのように聞こえる。水浴びでもしているところなのだろうか。
…だが、これは実は

〔中略〕

という意味なのだ! そう、あのエジプトの大河、東アフリカ大地溝帯から出でて地中海に注ぐ、あのナイル川である!
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とまあ鬼の首を捕ったる風情にて、既に微妙に不吉な予感。〔中略〕の部分には、「ドイツ語屋」「原詩主義者」「原語尊重主義者」と自らを規定する管理人氏の逐語訳がついているけれど、敢えて記しません。

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ツィゴイナー(ロマ)が英語では「ジプシー」と呼ばれていることを思い出してほしい。これは、彼らがもとはエジプト出身の民族である、という俗説に基づいた呼び名である。だからこの詩でも、「ナイル川の」とか「スペインの」とか言う表現が出てくるわけだ。「ニイルの水」では何のことやらさっぱりわからない。
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あのねえ。ナイル川のことを「ニイル」と呼ぶのは常識の範囲内ではなかったのかね、当時の。百歩譲って、少なくとも「これはナイル川を表すのではないか」ぐらいのことは推測できそうなものである、今だって。
こう言っちゃ身も蓋もないけど、ツルだって小学校低学年の時には知識として知ってたぞ(姉が中学で合唱部に入ってたからということもあるが)。

あまりに高踏的でしょうか。しかしそんなこと言ったら、この訳詞には原詞にある肝腎のZigeuner/ツィゴイネル(*4)の語だって出てこない。タイトルからして原語では"Zigeunerleben"、つまり「ツィゴイネルの暮らし」です。けれどそれは誰もが知っている「常識」としての共通項だから、わざわざ登場に及ばずとして意識の裡から弾き出され、「流浪の民」と題されたわけ(ドイツ語屋氏もここは問題にしないのね)。

(*4) [英]Gypsy/ジプシー;[仏]Gitan/ジタン;[西]Gitano/ヒタノ;自称としてRoma/ロマなど

生真面目に調べてみるとやはり、ドイツ語では「Nil」だそうで(この歌の中では「das Niles」として出てくるが)。これはアラビア語の「ニール」に由来していて、フランス語も同様です。英語のように「ナイル」と発音するのはむしろ少数派らしい。日本語中での外国の地名の表記については、慣例的なもの(イギリス/ベニス/エベレスト/揚子江など)を除いて現地での発音・名称を旨とすべしとされているから、その意味でも例外的です。

石倉の時代には、今よりドイツ語が優越していた。てか、明治、大正、昭和(戦前)と、日本の学問は極論すれば独逸一色だったわけでしょ。ツルは大学の第二外国語でフランス語を取ったけど、父親(旧制高校の文乙、つまりドイツ語クラス卒)に「なんでドイツ語を取らんとか」と責められて面食らったものです。

ドイツ語屋氏の批判は、この後、「南の邦」が原詞では「スペイン」であるのにどうだとか、「眠りを誘ふ夜の風」のくだりに「ぶな」が出てこないのはこうだとか、いろいろ続きます。

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ぶなだよ、ぶな。なんでこの一語を抜かすのかね。最初に出ているから今度はいいと思ったのか。土地の雰囲気を出す小道具を平気で切り捨てるというのは、どういう詩人か。
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最終連に対しては、こんなツッコミが。

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だぁーっ、どこで鳥が鳴いてるんだよ! 勝手な想像じゃないか! ラバは出てこないし。
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つまりは「原詩主義者」を標榜する立場からのコメントなんですけど。

ここまでのツルの疑問。そもそも、原語・原典尊重と、「ニイルではナイルのことだとわからないからダメ」という論とは、そもそもが相容れないものなんじゃないんですかねえ?

(続く)

2014年11月19日 (水)

流浪の民:ソプラノの部

久しぶりに文語体、いってみませう。ネット上のいろいろなところで取り上げられている歌曲ですけれども(伏線)。

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流浪の民
 曲:Robert Schumann
 詩:Emanuel Geivel
 訳:石倉小三郎

ぶなの森の葉隱に 宴壽ひ賑はしや
松明明く照らしつつ 木の葉敷きて倨居する

是ぞ流浪の人の群 眼光り髮清ら
ニイルの水に浸されて 煌ら煌ら輝けり

燃ゆる火を圍みつつ 強く猛き男息らふ
女立ちて忙しく 酒を酌みて差し巡る

歌ひ騷ぐ其が中に 南の邦戀ふるあり
厄難祓ふ祈言を 語り告ぐる嫗あり

愛し少女舞ひ出でつ 松明明く照り遍る
管弦の響き賑はしく 連れ立ちて舞ひ遊ぶ

既に歌ひ労れてや 眠りを誘ふ夜の風
慣れし故郷を放たれて 夢に樂土求めたり
 慣れし故郷を放たれて 夢に樂土求めたり

東空の白みては 夜の姿掻き失せぬ
塒離れて鳥啼けば 何處往くか流浪の民
何處往くか流浪の民 流浪の民
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擬古典調、かっくいーー!!

しかし付け焼き刃の悲しさ、石倉小三郎(*1)がいつガイベルの詞を訳したかがよくわからないんだけど、おそらくは明治のことでしょう。

(*1) 1881年(明治14年)6月15日〜1965年(昭和40年)10月30日

壽ひ=ほがひ
倨居=うつゐ
息らふ=やすらふ
厄難=なやみ
祈言=ねぎごと
愛し=めぐし

ですね。頽唐派の歌人、吉井 勇(*2) (実はイメージに似合わず維新貴族の伯爵だった)の処女歌集「酒ほがひ」(*3)は「さかほがい」です。「酒もて寿ぐ」ほどの心なるらん。

かにかくに 祇園は戀し 寝るときも
 枕の下を 水のながるる

(*2) 1886年(明治19年)10月8日〜1960年(昭和35年)11月19日:今日が命日「勇忌」だ!それに合わせて【失われた友を求めて】→【慣れし故郷を放たれて】と書き進めてきたのさsmile

(*3) 1910年(明治43年)刊

さらに当然;

男=をのこ
女=をみな
少女=をとめ
東=ひんがし

となむ読むべかりける。

ツル的には、

慣れし故郷を放たれて
夢に樂土求めたり

のフレーズが真骨頂。これはあくまで「こきょう」ですけど。

男女混声の四部合唱が、
 谺しながら
  幾重にも谺しながら
   幾重にも谺しながら
    幾重にも折り重なって降ってくる。
It will haunt you. 年賀状のモチーフにしたいぐらいだ、能の謡曲本テイストで。

この曲のこの部分は、1977年(昭和52年)3月24日、ある日本人の少女が小学校の卒業式の合唱の中で歌ったソロがYouTubeに残されている。小学生とは思えない、ことのほか美しい歌声なのに驚くとともに、形容し難い何物かが異常な力で迫ってきて、思い切り鳥肌が立ちました。少女の名は横田めぐみ。拉致という北朝鮮の暴虐によって彼女の運命が大きく狂わされたのは僅かその半年後、1977年11月15日です。今から実に37年前、今は50歳。人生の残酷に粛然とする。

慣れし故郷を放たれて
夢に樂土求めたり

たった10秒に満たない歌声だけど、それだけのためにYouTubeにアクセスする価値があります。
そして、彼女がインターネットで昔の自分の歌声を聴く機会は果たしてあるのだろうか。

(続く)

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