文化Field:詩歌/音楽

2022年8月20日 (土)

町田義人にドハマり(2番)

(承前)

 

70年代へのノスタルジィ、引き続き猛威を振るいます。

 

声の特質からしてもと言うべきか、バラード/ブルースシンガーだからと言うべきか、町田義人にはMinorの歌が多い/似合うような印象を持ってるんですが、こんな「元気のいい」歌も歌っていて、またちょっとびっくり。

 

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宝島

 

さあ行こう 夢に見た島へと
波を越えて風に乗って海へ出よう
行く手には みんなまだ知らない
不思議な昼と夜とが 待っているだろう

 

いつも信じよう 真心を
勇気を胸に進もうよ
ただ一つの憧れだけは
どこの誰にも消せはしないさ

 

さあ行こう 歌声が流れる
青空の真下に白い帆を上げよう
海が呼ぶ 冒険の旅路で
苦しいことや嵐に きっと遭うだろう

 

いつも微笑みを 忘れずに
勇気を胸に進もうよ
ただ一つの憧れだけは
どんな時にも消せはしないさ

 

ただ一つの憧れだけは
どんな時にも消せはしないさ
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日本テレビ系アニメ「宝島」(1978.10.08~1979.04.01)の主題歌(オープニングテーマ)です。ロバート・ルイス・スティーヴンソン/Robert Louis Stevensonによる冒険小説をベースにしたアニメ番組。作詞・作曲がかなり意外な人物なんですが、種明かしは取り敢えず置いといてと・・・。

 

Treasureisland

 

1978.10.25リリース。クレジットは「町田よしと」表記となっている。「テレビ漫画」って書いてあるところが時代感たっぷりです。

 

聴いてみると、壮大なスケール感やら高揚感やらがもう尋常じゃなくって、一体何なんだ!胸をダイレクトに打つボーカルもやっぱり素晴らしいです。「アニソン」のレベルを超えている。
このアニメが放映された時はツルはもう高1になっていたし、絵柄がちょっと子供っぽくて・・・だったので見てませんでしたが、音楽がこんなにスゴいとは今の今まで知らなかった!抜かったわー、痛恨。
ツル的にTVアニメのいわゆる劇伴音楽の最高峰は「海のトリトン」by 鈴木宏昌であると今まで固く信じてきたんですが、この歳になってそこに少し軌道修正かけにゃならんかいなとも思っている次第。

 

この歌、曲先行で作られて後から詞がつけられたものなんだそうな。それって結構意外。
ちびっ子たちの元気いっぱいコーラス(日本コロムビア発売なので当然のように「コロムビアゆりかご会」=「音羽ゆりかご会」である)がバックに入って盛り上げるのも悪くないと思ってたら、小学校の音楽の教科書にも取り上げられて今や合唱曲の定番になっている由。うーん、ツルも歌いたかったなあ子供時代に。

 

因みにこのアニメ、アラビア語圏(国は不明)でも放送されたそうで、この主題歌のアラビア語版もYouTubeに載ってます。聴き比べてみると面白いよ、ぶっちゃけレベル差歴然で(無論、歌ってるのは別の人ですが)。

 

そして、B面の挿入歌(エンディングテーマ)がまた・・・。

 

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小さな船乗り

 

潮風よ お前も 友だちならば 伝えて
故郷に残してきた 懐しい母に一言

 

僕は元気でやってます
かばん一杯の 希望(のぞみ)と夢と宝物
抱えて帰りたい

 

夕焼けを背中に かもめを肩に留まらせて
僕は吹きます 口笛を

 

星屑よ いつでも 一人ぼっちでさみしいね
君は空 僕は海で 幸せ探す旅人

 

僕は明るくやってます
やがてお土産に 希望と夢と宝物
抱えて帰りたい

 

夕暮れの港で 陽に焼けた腕振りながら
僕は歌うよ 舟歌を
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ここでの伸びやかなボーカルもまた素晴らしく魅力的。潮風が薫ってくる。他の人ではなかなかそうはいくまい。

 

アニメに限らずTV番組でアップテンポのオープニングとスローテンポのエンディングという組み合わせは現在もごく一般的と思うけれど、なんだかテレビ朝日系アニメ「一休さん」(1975.10.15~1982.06.28)を思い出しました。「♪好き好き好き好き 好きっ好き 愛してる・・・」と「♪母上さま お元気ですかー・・・」ね。離れて暮らす母親への想いというエンディングが共通してるってだけのことなんだけれど。

 

もとい。
どちらの作品も、作詞は岩谷時子(1916(T5).03.28~2013.10.25)、作曲はハネケンこと羽田健太郎(1949.01.12~2007.06.02)。
岩谷は越路吹雪(1924(T13).02.18~1980.11.07)の歌を多く作詞・訳詞し、エディット・ピアフ/Édith Piaf(1915.12.19~1963.10.10)の「愛の讃歌/Hymne à l'amour」も岩谷訳が大定番ですな。
羽田にとっては作曲家としてのデビュー作だったらしい。当時29歳の新進気鋭の音楽家が62歳の大御所詩人と組んだわけです。
羽田はその後メディア受けする作曲家・ピアニストとして名を成し昇り詰めた。本人もよくテレビに出てましたね。最も有名な作品はTBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(1990.10.11~2019.09.16)の音楽だろう。渡鬼のテーマ曲でもそうだけれど、一曲の中に異なる複数の主題を注ぎ込む特徴は、宝島のこの2曲にも表れていると思う。クラシック的というか、Woody Allen的先の見えない展開っつうか。

 

こう見てきて改めて思うのは、町田義人は当時の「男」のStereotypeをよく表現する/してくれる歌い手だったのだろうということです。英語で言えば“nerd”に対する“jock”といったところの。裏町マリアだって実はそうかもしれない。時代の寵児だった角川春樹が映画化を前提に森村誠一に書かせた「野性の証明」(それでも原作と映画は後半大きく異なる)の主題歌に起用したのもむべなるかな。日本の世間一般のGender概念が大きく変わり始めたのはそれから一世代以上も経って、2010年代に入ってからではなかろうか。

 

さて。
実力には申し分のないこの人、歌手としてのキャリアはしかし必ずしも順風満帆とはいかなかったようです。

 

1969年の「白いサンゴ礁」の翌年にはズー・ニー・ヴーを脱退して音楽活動を続け、1978年初頭のつかこうへいロックオペラ「サロメ」出演、同年7月公開のサンリオ映画「キタキツネ物語」の主題歌「赤い狩人」(*1)、翌月公開の角川映画「野性の証明」の主題歌「戦士の休息」につながっていく。

 

(*1 2019年頃から株式会社小糸製作所の企業CMに使われている。)

 

この辺りを調べていてすごくびっくりしたんだけれど、尾崎紀世彦が歌った「また逢う日まで」(1971.03.05リリース)って、実はズー・ニー・ヴーのシングル「ひとりの悲しみ」(1970.02.10リリース)を改題・改詞したリメイクものだったんですね!!ご存知でした?ツルは全く知らんかった。どちらも作詞は阿久 悠(1937.02.07~2007.08.01)+ 作曲・編曲は筒美京平(1940.05.28~2020.10.07)でアレンジもほとんど同じです。ツル的にはこのスーパーコンビは初期の岩崎宏美のシングル曲の作り手として記憶に残っている。ファンだったんです。
尾崎版は大ヒットして1971年のレコード大賞を獲得したから知ってる人も多いはず。ソロに転向した町田義人は、そしてグループに残った(*2)メンバーは、どういう思いでこのヒットを見ていたことだろう。

 

(*2 ただし、ズー・ニー・ヴー自体1971年の暮れに解散しているから、大晦日には存在していなかったことになる。)

 

その後はねー、CMソングを数百曲歌ったりとか、タケちゃんマンのナントカとかがあるわけだけども、目立った作品は残していないようです。これには角川映画の幻影が常につきまとったことも与って大きいのではないかと思われる。やっぱり、僕らは町田義人のことを正当に評価してこなかったのではないかな・・・
今やこの人も既に御年75歳、数えで言うなら喜寿(言い方が古いがな。間もなくツルも還暦なので最近その辺敏感なんです)。

 

ここでもう一つ、衝撃的なネタを。
Wikipediaの町田義人の項には1行、次の記述がある。

 

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現在では、歌手活動を休業、メルボルンで彫刻家として活動している。
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(@_@) (@_@) (@_@)
2019年7月にご当地の日本国総領事館のFacebookに展覧会開催の記事が出て近況が判明したものらしい。
Wikipediaは少し前にはこういう記述だったとか↓。

 

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現在では、歌手活動を休業し、日本国外に在住しているとのことである(オーストラリアで陶芸家として活動した後、香港に移住したとの情報がある。TV番組『速報!歌の大辞テン』(日本テレビ)による情報である)。
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情報にちょっと錯綜があるようだけど。
詳細はわからないものの、80年代いっぱいぐらいまでで音楽活動から遠ざかったようです。

 

非凡な才能を持ったボーカリストだったことは間違いないと思う。しかし、年齢的なこともあり、再び歌手活動を行ったり、日本で里帰り公演をやったりといったことはもうないんだろうなあ。そこがとても残念ですが、もう40年以上前の「角川映画の」「戦士の休息の」といったラベリングからは解放してあげなくちゃいけないのかもね。1946年9月生まれで厚労省の定義による「団塊の世代」(1947~1949年生まれ)の直前、後期高齢者(いつ見ても不躾でヤな言葉だが)の入り口に立っているってことですもん。
どうかいつまでもお元気で。

 

おまけ。
もっと若い世代にはどう聞こえるのだろうと思って姪っ子に聴かせてみたら、曰く「松山千春みたい」と。
まー、全然違うよとは思いましたけどね。松山千春が80年代に「ニューミュージック」の旗手になれたのは、歌のうまさとかよりむしろその世界観やミュージシャンとしての在り方によってでしょ。ついでに言えば町田義人は基本的にシンガーソングライターではなかったわけで、そこが時代の潮流の中での立ち位置としてはちょっと弱かったのかなと。
しかし姪っ子も(町田のことはもちろん)松山のことをリアルタイムでは知らないわけだから、「ああ、髪の毛があった頃のネ」とだけ返しておきました。

2022年8月14日 (日)

町田義人にドハマり(1番)

このところなぜか愚blogへのアクセスが急増していて、その理由がわからないのでいささか不安でもある。そんなわけで今日は冷やし玉としてちょっと毛色の違う御題をば。(JASRACがまたきいきい言ってくるかな?)

 

近ごろなぜか、町田義人(1946.09.21~)にえらくハマっている。70年代後半、映画やドラマ、CMなどの歌を歌っていた歌手です。今になってなぜ?というところは忘れちゃった。(あ、そうだ、島田陽子死去 → 犬神家の一族 → 角川映画 → 野性の証明、ときたんだ。)

 

世に一番知られているのは何と言ってもこの曲だろう。1978.10.07公開の角川映画第3弾「野性の証明」(主演 高倉 健)の主題歌。毎日毎日大々的にTVCMが流れてましたよねえ。今やすっかりお母さん俳優になっちゃった薬師丸ひろ子のデビュー作でもある。

 

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戦士の休息
 作詞:山川啓介
 作曲・編曲:大野雄二
 歌: 町田義人
 (1978.08.10リリース)

 

ありがとう ぬくもりを
ありがとう 愛を
代りに 俺の生命(いのち)を 置いてゆけたなら
男は誰も皆 無口な兵士
笑って死ねる人生 それさえあればいい

 

ああ 瞼を開くな
ああ 美しい女(ひと)よ
無理に向ける この背中を
見られたくはないから
生まれて初めて辛い
こんなにも 別れが

 

ああ 夢から醒めるな
ああ 美しい女よ
頬に落ちた 熱い涙
知られたくはないから
この世を去る時 きっと
その名前 呼ぶだろう
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意外に短い歌だったんですね。作曲が前々年の角川映画第1弾「犬神家の一族」と同じ大野雄二というのも当時ツル的には大変意外だった(cf. 2015.03.23「角川映画「犬神家の一族」」・2015.03.25「愛のバラード」)。だってぇ、大野雄二って「♪ピロピロピロピロピロ」が特徴でしょぉ?「ルパン三世 カリオストロの城」や「100万年地球の旅 バンダーブック」だってそうだったじゃん。それがここでは片鱗も見えない。
リアルタイムでも知ってるけど、当時はそんなにいい曲とも思わなかったんです。Stereotypeな「漢」を前面に打ち出した角川映画の戦略にもちょっと反発を感じないではなかったし、むしろ、町田義人って大作映画やドラマのタイアップの歌ばっか歌ってるよね、みたいな感覚が(一般的にも)あったような気がする。ちゃんと評価してなかったんだなあと今さら悔やまれます。

 

でもね。誰が作ったとか、詞がいいとかメロディが印象的とか、そういったことで評価してるんじゃないのだ、ツルは。ひたすら町田義人というSinger/Vocalistの圧倒的な歌唱力と説得力にメロメロになってまして。

 

当時「夜のヒットスタジオ」に出演した時の映像がYouTubeにアップされていて、このパフォーマンスがもう絶品よ。(愚blogのDisclosure Policyとしてリンクは張らんっ。)

 

Machidayoshitosings

 

カッケー、この首この血管この喉仏😍。そして、男は誰も皆、斯くも美しい顎のラインをどんな歳にも保ちたいものである(アラ還ツルは現在まで好位置をキープ✌)。

 

続いて、やっぱり「漢」路線でこの歌。エド・マクベイン/Ed McBainの小説の翻案によるフジテレビ系ドラマ「87分署シリーズ・裸の街」(1980.04.14~10.06;主演 古谷一行)の主題歌だったもの。

 

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 作詞:吉田 旺
 作曲:中村泰士
 編曲:高田 弘
 歌: 町田義人
 (1980.05.01リリース)

 

翼なくしたピエロよ もう涕くな
やがて化石の都会(まち)にも 陽が昇る
人間(ひと)は涙で心を 洗うたび
一つ強くなれるもの
見果てぬ悲しみの河一つ 越えるため

 

うつむくな ふりむくな
愛の歌 甦るまで
人間は一人じゃ生きられない
愛がなければ 生きられない
愛こそ命炎(いのちび)・・・・・LOVE!

 

光忘れた空にも 鳥は舞い
夢も見えない窓辺に 花は咲く
生きる辛さに背中を 向けるより
胸の炎掻き立てて 明日の波間へと
漕ぎ出せよ ひとすじに

 

うつむくな ふりむくな
愛の歌 甦るまで
人間は一人じゃ生きられない
愛がなければ 生きられない
愛こそ命炎・・・・・LOVE!
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時代が鮮烈に蘇りますなー。この曲は当時からカッコいいと思っていて好きだった。トランペットを華やかに鳴らす大げさな(ホメてるんですよ)イントロは、内山田洋とクール・ファイブの「そして、神戸」(1972.11.15リリース)とも通い合うものがある。それを言ったら、ボーカルの力ということ自体、昭和的概念なのかもしれないが。
なんといってもその伸びやかな声が印象的ですよねえ。やや鼻にかかっていて、常にビブラートがかかって揺らぎが入っている感じ、でも過剰ではなく。それがダイレクトに心に突き刺さってくる、そこが大きな魅力。声そのものに説得力があるって、こういうことなんだろう。バラードやブルースではとても大切な要素だと思う。

 

この歌声を端的に表すならどんな言葉がふさわしいだろう。なんつーかな、「うまい」「表現力豊か」「格好いい」「男っぽい」「渋い」「泣ける」なんかでは表し切れない感じ(脱線するけど、Dreams Come Trueの吉田美和もすごくうまいとは思うが「表現力豊か」とは必ずしも言えない気がする)。これを「哀愁」と呼ぶのもちょっと違う感覚。「哀しみ」「切なさ」「ひたむき」「誠実」あたりは近いかもしれない。あれこれ考えていたら、ツルの高校時代(福岡県立筑紫丘高等学校でした)の文化祭のテーマで「力と熱と哀しみと」というテーマフレーズが使われていたことを40年ぶりに思い出しました。2年生の時だったかな。だったら1979年5月だ(ツルは化学部だった・・・・・・)。結構ぴったりくる。
聴く人のその時々の心次第で、こうした諸々のどれを強く感じるかが変わってくるということかもしれない。「琴線に触れる」っていうことなのかも。
あるいは、それらをひっくるめて「やさしさ」という名前を与えたのが1970年代という時代だった気もする。

 

だからと言って、カラオケで自分で歌おうという気持ちになるかというと、それはあまりないよって思いもある。こんなに胸に迫る説得力をもって歌える気がまるでしないから。これはヘタクソに歌っちゃいかん歌やろってツルは思う。いや、そうじゃないな。上手下手の問題じゃなくて、フツウの声じゃダメやろって感じ。
言い換えれば、ツルがもし女の子だったら、ですよ、男子からこんな声でこんな風に歌われたひにゃあ泣いちゃうよなー、きっと。
山口智充が戦士の休息を歌ってる動画もあるけど、「うまいんだけど歌詞の切なさが消えてしまうのが惜しい」というコメントがついていて、それはずばりと的を射抜いていると思う。

 

町田義人は基本的に男歌の歌い手だろうし、ニットキャップに革ジャンにサングラスという無骨なイメージングからしてもそういう戦略だったと思うけれど、次のような女歌(?)もある。

 

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裏町マリア
 作詞:山口洋子
 作曲:むつひろし
 編曲:京 建輔
 (1977.07.21リリース)

 

あの人だけはと 信じてきました
闇夜の 闇夜の向こうの 小さな灯(ともしび)
騙されて 傷ついて 恋に生きる女は
生まれたまんまの 心が欲しいの

 

真っ赤に咲いても いつかはきっと
夜風に 夜風に悲しく 散るのでしょうか
夢もなく 明日もなく 一人生きる裏町
流れるあの星 女の運命(さだめ)か

 

涙のロザリオ まさぐる指に
憂き世の 憂き世の木枯らし なぜ吹きつけるの
いつの日か きっと来る
光満ちた夜明けを
信じて待ちます 裏町マリア
祈りも遥かな 裏町マリア
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ビブラートかかりまくりのこぶし回りまくりっす(笑)。裏町感ハンパねえしww。後にキングトーンズや三好鉄生がカバーしている。この歌もずっと昔から知ってて心に残ってはいて、でも今回調べ直すまで「戦士の休息」より前の曲だったとは知らなかった。こちらはTBS系ドラマ「ムー」(1977.05.18~1977.11.09;主演 郷ひろみ)の挿入歌。
バックコーラスに讃美歌312番(日本基督教団編纂「讃美歌」による付番)のメロディがアレンジして忍び込ませてあることも初めて知りました。「慈しみ深き 友なるイエスは・・・」で始まるアレな。キリスト教の結婚式なんかでよく歌われて、讃美歌としては最も一般に知られた曲だよね。ツルは小学校で「輝く夜空の星の光よ・・・」で始まる「星の世界」という曲として習いました。確か教科書にも「もとは讃美歌」みたいなことが書いてあったっけ。

 

で、この稀代の歌い手についてなんですが、これにも大変驚いたことがいくつかあるんだけど、次回回しってことでここは一つだけネタを。

 

町田義人は「白いサンゴ礁」という歌を歌っていたことがあった(1979.06.01リリース「白いサンゴ礁'79」)。もっと昔、グループ・サウンズ時代末期に「ズー・ニー・ヴー」というグループが歌ってヒットしたナンバー(1969.04.01リリース)のリバイバル(今はカバーって呼ぶんでしょうが)。ツルはリアルタイムでの元歌の記憶はあまりないけど、これも名曲です。もともとはR&Bを中心としたグループだったらしい。
で、ツルはこのことを知った大学生の頃、「事務所かレコード会社が一緒なのかな?それとも何かお友だち?」ぐらいに思っとったんですが、それどころじゃない、町田義人ってそのズー・ニー・ヴーのボーカルだったんですね(@_@) (@_@)。つまりセルフカバーだったわけ。歌唱法も違っているので全く気がつかなかった。上述のヒットスタジオ動画にもちょこっとその話が出てきますが、一般にはこれはあまり言われてなかったのではないかなあ?
アレンジは当時まだ「新しい」ジャンルだったレゲエのoff-beat調になっていて、この曲でそれはどうなのよって感じもあるけど、歌の真実味は元歌よりぐっと増してる気がします。

 

(続く)

2021年8月 2日 (月)

2021.07.28の夕焼け(@選手村)

赤黒く空にのぼれる火の下に死につつあるもわが東京は
     齋藤 史

 

20210728tykelly

Photo by Ty Kelly

2021年7月22日 (木)

オリンピック開会前夜:この閉塞状況を打ち破ろう(BREAKOUT.............!!)

以下の記事は、2021.09.06、オリパラが全て終了した翌日に載せようと思って準備していたものだけれど、2021.07.19、オリンピック開会式・パラリンピック開会式の楽曲製作担当の小山田圭吾(52歳)が過去の「障害者いじめ自慢」問題により辞任したことに伴い、思うところあってアップを急遽早めます。

 

もう、アナタもほとほと嫌気がさしているでしょう?言わずと知れた佐野研二郎騒動、フランス当局の手が入ったJOCの買収疑惑(cf. 2016.09.17「パロディの不在 下」・2019.03.28「黒五輪、黒歴史」)、新国立競技場設計(故 ザハ・ハディド案)のやり直し、組織委員会委員長だった元総理 森 喜朗の女性蔑視発言、渡辺直美のブタをプロデュース!を一瞬考えたクリエイティヴディレクター佐々木 宏(66歳)の“Olympig”開会式演出、これまで幾たりの人が馘になったんだろう。他にもあったっけ?(そして最後に来たやつが最も汚辱に満ちているという。)
(と思ったら、この翌日の2021.07.20には絵本作家「のぶみ」の過去の「教師いじめ」が明るみに出、そして土壇場も土壇場、開会式前日の今日になって元ラーメンズの小林賢太郎(48歳)が過去の「ホロコースト」コントネタで開閉会式ディレクター解任かよ!!もう啞然呆然😱)

 

だからね。

 

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そう、ハジケるんだ、あのナンバーで!

 

https://www.youtube.com/watch?v=IIOJdMdS56k

 

Breakout (1986)
Swing Out Sister (Andy Connell, Martin Jackson and Corinne Drewery)

 

Swingoutsisterbreakout

 

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And breakout......

 

When explanations make no sense
When every answer's wrong
You're fighting with lost confidence
All expectations gone
The time has come to make or break
Move on, don't hesitate
And breakout

 

Don't stop to ask
And now you've found a break to make at last
You've got to find a way
Say what you want to say
Breakout

 

When situations never change
Tomorrow looks unsure
Don't leave your destiny to chance
What are you waiting for
The time has come to make or break
Breakout

 

Don't stop to ask
And now you've found a break to make at last
You've got to find a way
Say what you want to say
Breakout...

 

Don't stop to ask
Now you've found a break to make at last
You've got to find a way
Say what you want to say
Breakout

 

Some people stop at nothing
If you're searching for something
Lay down the law
Shout out for more
Breakout and shout
Day in day out
Breakout

 

Breakout

 

Don't stop to ask
And now you've found a break to make at last
You've got to find a way
Say what you want to say
And breakout

 

Don't stop to ask
And now you've found a break to make at last
You've got to find a way
Say what you want to say
And breakout...

 

Breakout

 

Lay down the law
Shout out for more
Breakout and shout day in day out

 

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はーーー、楽しい歌だよねえ。
新しい日々が今日からまた始まる。
ええい、これまでの日々なんかクソ喰らえ。

 

  ス ポ ー ツ 観 戦 で は 得 ら れ な か っ た
  熱 中 と 高 揚 を 見 つ け よ う

 

その気になれば、コロナ下でもそんな手段はいくらでも探し出せるはず。
ツルならさしずめ、約40年ぶりに福岡の実家に住み始めて以来、ずうっと取り組んでいる地上庭園復活計画(と、たまには近隣の公道の草取りなんかも)ですかねーーww。

 

福岡県内の名所巡りとか行事見物とかも数十年ぶりにやりたいのに、そこが完全に滞っているのは想定外ですが。どんたくは2年連続中止だし、山笠も舁き山はまた中止されて、飾り山が立っただけだし。

 

Img_20210702_195601 Img_20210702_195511

 

でもまあ、そこそこ幸せ(汗)。
何十年ぶりかで見た飾り山は立派できれいだった(ええと、わざわざ見に行ったわけじゃない。毎日通勤途中に前を通るんです)。これ、博多に昔疫病が流行った時に街を救った中国帰りの偉いお坊さんを描いたもので、これが博多祇園山笠の発祥となったと伝わる。象徴的な場面が選ばれたわけです。ちょっと感動した。
実は小さなアマビエの人形が紛れ込ませてあるとですよ。

2020年11月21日 (土)

I’ve Never Been to Me/愛はかげろうのように(34年目の宿題):2番

(承前)

 

日本語版がまたひどくてねー。一般に知られてるのは椎名 恵(1959.08.13~)によるバージョンだと思う。

 

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LOVE IS ALL 〜愛を聴かせて〜
 日本語詞:麻生圭子
 歌:椎名 恵
 (1986.11.05リリース)

 

幼い頃に描いてた
そしていつしか忘れた 夢の続きが
あなたに逢って今鮮やかに
この胸に満ちていく Ah目覚めてく

 

Love is all
女なら何よりも 愛を選ぶわ
たとえそれが苦しみでも かまわない
そうよ
遠くても大切な ものが見えるから
生きていける
You know my love is true

 

逢えない夜の数だけ
信じることを覚えていくわ
嘆くことより何ができるかを
今日もまた確かめて Ah瞳を閉じる

 

Love is all
誰だって弱いから 愛されたいわ
いつだって温もりが 欲しくなる
だけど
あなた以外の人は愛せないから
強くなれる
You know my love is true

 

Love is all
愛だけは越えられる すべてのものを
真実の愛ならば眠らない
Sweet fairy
I'm waiting what you just take out me
It's really my dream
I want the wedding bell

 

Tonight
Everything is you

 

I want the wedding bell
Everything is you
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麻生圭子は当時アイドルもの中心にばんばん書きまくっていたヒットメーカーです。内容の薄っぺらい曲のクレジット見てみたらこの作詞家だった、てことがよくあった気がする。かと思うとToshitaro(稗島寿太郎)の「Am9にジェイ 〜鋭角ボーイでいてくれよ〜」(えーまいなーないんすにじぇい:1985年リリース:太陽誘電のカセットテープ That’s のTVCM曲)みたいなとんがった詞も書いてたのになー。

 

原詞の持つ意味性と価値観は全て失われ否定され、何の深みもないつまらないラブソングになってしまった(ばっさり全否定)。「女なら何よりも 愛を選ぶわ」とか「誰だって弱いから 愛されたいわ」とか、Stereotype オンパレードで嫌になる。英語フレーズも内容なんかどうだっていいのね。80年代的洋楽カバーの悪しき典型という気がします(cf. 2020.02.22「Goin’ Back to China」)。

 

一方、原詞の薫りは、椎名版より前の1982年10月に、「聖母たちのララバイ」でノリにノっていた23歳の岩崎宏美(1958.11.12~)がライブで歌ったバージョンが、割と荒削りな詞だけどよく伝えてます(訳詞者不明)。

 

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愛はかげろうのように
 歌:岩崎宏美

 

ねえ lady どうして幸せが
訪ねてこないと悲しまないで
あなたの見てる夢は 多分
きのうまで追いかけてきた 私の夢

 

華やかなスポットライト 浴びる暮らし
美しい思い出を 作る恋
だけど心の片隅でつぶやく私
誰のために今生きてるの

 

Hey lady 自由とさみしさは
同じ顔をしてる双子だったの
あなたの夢を縛るものは
私にはこの孤独癒すぬくもり

 

欲しいものを手にしたつもりだったのに
笑顔に忍び込むこの虚しさ
それはきっとささやかな暮らしに抱かれた
愛のやすらぎを知らないから

 

(台詞)
ねえ 幸せって何かしら
腕の中で眠る子供の重み
喧嘩しては赦し合い
抱き合う相手
ありふれているのに
世界に二つとないあなただけの毎日が
多分 幸せ

 

一人まどろむこの両手が 探しているの
もう一つの人生を 生きてる私
それは素顔の幸せを 見慣れたあなた
誰かのために生まれ 生きてゆく夢

 

誰かのために生まれ 生きてゆく夢
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ツルは中学生の頃、アイドル岩崎宏美の大ファンでした。だからこのバージョンの方を先に知っていて、4年後に椎名版が出た時には「何じゃこりゃー」と思ったものです。昨年の福岡Uターンの際、パッケージメディアの類を処分してきてしまったので訳詞者が誰かわからないのが残念。
当時、椎名版の詞を誰が書いたのかはすごく気になっていて、そしてそのままになって、それが今回の大統領選で記憶の奥底から再び浮かび上がってきて、遂に判明した次第。
もちろん、別の作品を作り上げたのだ、という言い分はあるでしょうが、ね。

 

歌唱力を武器に岩崎宏美はアイドルから大人の歌手への階段を軽やかに駆け上り、ミュージカルやテレビドラマへの出演、外務省のジャパンウィーク事業におけるエジプトのピラミッドとスフィンクスの前での公演、チェコのプラハ交響楽団と共演したレコーディングなど芸域を着実に広げて成長していった。
一方私生活では、1988年に結婚して益田弘美と名乗った(お相手は旧三井財閥の重鎮益田鈍翁の玄孫/やしゃごだったため御曹司との玉の輿婚と騒がれた)ものの、1995年に離婚して岩崎宏美に戻った。二人の子供の親権を取れなかったことが一番残念だったと述懐している。そして2001年には声帯ポリープの手術、その頃からの甲状腺の病気など、浮沈はいろいろあるわけです。
それらを知ってこの歌詞を眺めると感興が深まる。今ひとたび、今だから、この歌を歌ってほしいと願っています。

 

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さて。なんでこの歌を愚blogで取り上げたかというと、このたびのアメリカ大統領選でジョージア州が大激戦区だったから。(因みにカリフォルニア州は無難にバイデンが獲った。)

11月11日段階で、開票率99%でバイデンが247万1,981票(得票率 49.5%)、トランプが245万7,924票(同 49.2%)とバイデンが勝利に王手をかけていたが、その差は僅か1万4,057票、0.3ポイントに過ぎなかった。同州の基準では、票差が0.5ポイント未満の場合は再集計を請求することができる。まーねー、がさつなアメリカ人のやるこったからねー。で、約500万票を全て再集計することになったわけ。手作業で期限の11月20日(現地時間)、つまり実質的に日本時間の今日までに終わらせなくちゃいけない。これで仮にトランプが勝ったとしても同州の選挙人は16人であり、合衆国全体のバイデン306 vs トランプ232という獲得選挙人数からして結果は動かないけど(法廷戦術を除けば)。

日本の感覚としては、「再集計なんて赤っ恥だよ、ちゃんとやれよ全く😔」といったところだと思うけど、それがアメリカ人の考える Fairness というものなのだろう。2000年(ブッシュ(子) vs ゴア)の選挙戦で、フロリダ州で再集計(その結果次第でどちらが大統領になるか決まるという緊迫した状況だった)が行われた際、アメリカ人の友人とそんな議論を戦わせたのを覚えている。

 

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【2020.11.22 追記】

 

再集計の結果は、11月19日(現地時間)に出ていたようです。バイデンが247万5,141票、トランプが246万2,857票、票差は1万2,284票となったらしい。
「らしい」というのは、「バイデン247万4,507票、トランプ246万1,837票で1万2,670票差でバイデンの勝利確定をジョージア州政府が発表した」とも報じられているから(2020.11.21 BBC(日本語版)記事)。おそらく、最終時点と確定時点の差なのだろう。
Bloomberg(日本語版)は「当初の集計結果ではバイデン氏の得票数が1万4,007票上回り、得票率で約0.3ポイント上回っていた」としており、これも微妙に数字が合わない。

 

しかしそこよりも、CNN(日本語版)で「全体として5,800票余りの未集計票があり」と出ていることの方が気になる。え、5,800票も!?という感じです。「未集計票」の意味するところが不明確だけど、普通に解釈すれば、どこぞの倉庫にでも未開封のまましまい込まれた投票箱があった、的な感じじゃないかしらん(投票者の意思を判別し難く無効票扱いとしていたものを再判読の結果有効票とした、のではなく)。

票差が縮まったことに伴い、再々集計を(今度は機械的スキャンにより)行う可能性もあったとのことですが、結局現地時間の20日の最終期限までにそれをやったという報道もないから、これで投票結果としてはほんとに一件落着なんでしょう。
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♪I've been to Georgia and California
 anywhere I could run
 I've been to paradise, but I...

 

これが今回の政治的に正しいオチ。

 

・・・誰か、叶姉妹二人に出演してもらってこの曲(原曲の)の新しいPV作ってくれないかしら(爆)。メラニアちゃんでもいいけど。それが今回のエンタメ的に正しいオチ😜。

2020年11月20日 (金)

I’ve Never Been to Me/愛はかげろうのように(34年目の宿題):1番

まだ米国大統領選は完全に決着がついたとは言えないようだけど、それにこと寄せて、古い古いこの歌を斬りませう。

 

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I've Never Been to Me
(邦題:愛はかげろうのように)
Music: Ronald Norman Miller & Kenneth William Hirsch
Vocal: Charlene

 

Hey lady, you, lady,
cursin' at your life
You're a discontented mother
and a regimented wife

 

I've no doubt you dream about
the things you'll never do
But I wish someone had a talk to me
like I wanna talk to you

 

Ooh I've been to Georgia and California,
oh, anywhere I could run
Took the hand of a preacher man
and we made love in the sun

 

But I ran out of places and friendly faces
because I had to be free
I've been to paradise,
but I've never been to me

 

Please lady, please, lady
Don't just walk away
Cause I have this need to tell you
why I'm all alone today

 

I can see so much of me
still living in your eyes
Won't you share a part of a weary heart
that has lived a million lies

 

Oh I've been to Nice and the isle of Greece
While I sipped champagne on a yacht
I moved like Harlow in Monte Carlo
and showed 'em what I've got

 

I've been undressed by kings
and I've seen some things
That a woman ain't supposed to see
I've been to paradise,
but I've never been to me

 

(monologue)
Hey, you know what paradise is?
It's a lie.
A fantasy we create about
People and places as we'd like them to be.
But you know what truth is?
It's that little baby you're holding,
and it's that man you fought with this morning,
the same one you're going to make love with tonight.
That's truth, that's love.

 

Sometimes I've been to cryin' for unborn children
That might have made me complete
But I, I took the sweet life
and never knew I'd be bitter from the sweet
I spent my life exploring the subtle whoring
that cost too much to be free
Hey lady, I've been to paradise,
but I've never been to me

 

I've been to paradise, never been to me
(I've been to Georgia and California,
and anywhere I could run)
I've been to paradise, never been to me
(I've been to Nice and the isle of Greece
While I sipped champagne on a yacht)
I've been to paradise, never been to me…
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ツルはこの歌、大嫌いでした。魅力的なメロディだとは思うけど、歌唱が過剰にナヨナヨしてて。椎名 恵の日本語カバーも腑抜けててもっと嫌いだった。

 

Charlene版が有名ですが、調べてみるとこの歌、1979年の “Street Life” のヒットで知られる Randy Crawford の1976年のアルバムに入ったものが最初らしい。ただし、男性目線に置き換えたバージョンもあって、そちらが本当のオリジナルなのをMotownのヒットメーカー Ron Miller が書き直したという説もあり。

Charleneが出したのは1977年だけれど当時はあまり注目されず、1982年になってフロリダのラジオ番組のリクエストバトルで Olivia Newton-John のメガヒット “Physical” を負かしちゃったことから火がついて世界的なヒットとなった。その時彼女は既に芸能界から引退しており、3度目の結婚をしてイギリスに移り住みロンドンの「街角の小さな菓子屋の店員として働きながら、ごく平凡な主婦として暮らしていた」のだそうな(店員やってるんならその時点で主婦とは言えないと思うが)。Motownに呼び戻されて再デビューを果たしたものの、その後はパッとしなかったようです。

 

歌詞を読むと、Wikipediaの同曲の項に「歌詞の内容は、老境にさしかかった孤独な女性が、親を呪い己の不幸を嘆く若い女性にむけて、真実とは何かを教えている」と書かれているのが明らかな誤訳であるとわかる。「親を呪い」じゃありません。「あなたは不満だらけの母親かもしれない、夫からの束縛に辟易している妻かもしれない」と歌っているんです。
そしてもう還暦に近い(@_@)ツルに言わせりゃ、「老境にさしかかった」ではなく「もう若くはない」だと思う。その方がかえってリアルでしょう。極論すれば、語りかけている女性と語りかけられている女性とが同年代であってもいいわけで。

 

案外過激な歌詞なので驚きます。敢えて訳は載せないけど、“Harlow” はハリウッドの伝説のセックスシンボル、私生活でもスキャンダラスな話題に事欠かなかった元祖「プラチナ・ブロンド」、Jean Harlow(1911.03.03~1937.06.07;享年26!)のこと。Kim Carnesの1981年のビッグヒット “Bette Davis Eyes”(邦題:ベティ・デイビスの瞳)の歌い出しにも “Her hair is Harlow gold ...” と出てきます。

“whore” は「売春婦」の意で、“preacher” との対比が図られているはず。「淫売まがいのことまでして」といったところだろう。(インターネットには「高級娼婦の歌である」と断定したものもあるが承服しかねます。もしもそうならば、“subtle” はないでしょ。)

 

このほどYouTubeでRandy版を聴いてみて、ツルはやっとこの歌に対して納得がいきました。“Took the hand of a preacher man and we made love in the sun” なんて突拍子もないところも「並の女が見るはずもない夢も」(とツルは解釈した)というところも、パワフル姐さんRandy版で初めてリアルに迫ってきた次第。
まあ、いずれにせよ保守的な、1980年代的(いや1970年代的?)「真実の愛」像であることは間違いないと思うけれど。

 

で、ですね。
“I've been to Georgia and California” というのは、多分アメリカ人ならすぐにピンとくるものがあるだろうと思うんですわ。南東部のジョージア州は伝統的に共和党の強い保守王国の土地柄であり、1984~2016年の9回の大統領選で共和党が負けたのは1992年(クリントン vs ブッシュ(父))だけだったんだそうな。片や西部のカリフォルニア州はいうまでもなくリベラルの風吹く民主党の牙城。
そこへもってきて黒人女性シンガーの Randy Crawford が歌うとなると、このフレーズはまた別の意味合いも持つと思うんだけど。「規律も差別も厳しいジョージアだって自由奔放なカリフォルニアだって見てきたわ」な感じで。その意味では “preacher man” はジョージアの、“made love in the sun” はカリフォルニアの暗喩かもしれない。
因みにこの曲はMotown(発祥の地ミシガン州デトロイトの通称から来ている)から出ていて、このレーベルでこんな曲調で白人女性アーティストという取り合わせがまたすっっごく意外です。

 

そして、遂に探し出してまいりました、男性版。

 

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I've Never Been to Me
Vocal: The Temptations

 

Hey mister, hey mister, I just want a dime
'Cause I need a cup of coffee
And a moment of your time
I can see you're raisin' hell the way I used to do

 

But I wish someone had a talk to me
Like I wanna talk to you

 

Listen...

 

I've been to Georgia, California
Any place I could run
Stole a woman in Tennessee
And we made love in the sun

 

But I ran out of places with friendly faces
Because I had to be free
I've been to paradise,
but I've never been to me

 

Thank you mister, thank you kindly
Please don't walk away
'Cause I have this need to tell you
Why I'm all alone today

 

I can see so much of me
Still livin' in your eyes
Won't you share a part of an old man's heart
Just the once before he dies

 

I've been to China and Asia Minor
On any ship that could sail
Made some noise with some good old boys
And we wrecked the county jail

 

I've seen the best men crawl
and some teardrops fall
There ain't nothing I didn't see
I've been to paradise,
but I've never been to me

 

I've even been to marriage
Had children cryin'
for someone they couldn't find
Never knowin' that I was searchin'
For things I left behind

 

I thought my heart could wait
But I learned too late
Only love can make people free
I've been to paradise
But I've never been to me

 

I've been to paradise... I've been to paradise
But I've never been to me

 

I've been to Georgia, California (oh yeah)
Any place I could run (can't you see?)
Stole a woman in Tennessee
And we made love in the sun

 

But I ran out of places with friendly faces
Because I had to be free
I've been to paradise,
but I've never been to me
I've been to paradise
But I've never been to me
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あはは、ニースやギリシャが中国や小アジアになってるんだ。

 

比較すると、男性版の方は確かに「老境にさしかかった」、いやはっきりと「老境」の男の歌で、ある意味ライバルは Frank Sinatra の “My Way”、みたいな立ち位置かな。“a weary heart” ↔ “an old man's heart”、“lived a million lies” ↔ “before he dies” からしても、それぞれで想定されている主人公の年齢には差があると思う。
堅物の “preacher man” と太陽の下で愛を交わすという唐突さも、テネシー女を盗み取る話になっているので、ジョージア、カリフォルニア、そして南部のテネシーでも、てな女泣かせで家庭を顧みなかったちょい悪男の末路という文脈になるんだろう。やはり多分、男性版が先にできたもの、という気がするけどどうでしょう。

 

(続く)

2020年2月22日 (土)

Goin’ Back to China(何を求めて帰っていくの)

返す刀で、「フライディ・チャイナタウン」の前年のこの中(?)ヒットもいっとこう。(対偶意識が強いんです、愚blog💦)

 

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ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ
 作詞:岡田冨美子
 作曲:Pim Koopman
 編曲:井上 鑑(あきら)
 歌 :鹿取洋子
 (1980.03.01リリース)

 

港の灯りキラキラ 夢みたいにきれい
そっと私をつねって 好きになった人

 

ゆらり あなたのお船に
ゆらり 揺られて揺れて

 

今夜 連れて行かれたい CHINA
今夜 異国で抱きしめて
今夜 連れて行かれたい CHINA
今夜 異国で愛してね

 

外人墓地を歩けば 哀しいほど素敵
生きてることを忘れて 今口づけして

 

ゆらり あなたのお船に
ゆらり 揺られて揺れて

 

今夜 強く結ばれて CHINA
今夜 あなたと眠りたい
今夜 きっと必ずよ CHINA
今夜 すべてになりたいの

 

ゆらり あなたのお船に
ゆらり 揺られて揺れて

 

今夜 連れて行かれたい CHINA
今夜 異国で抱きしめて
今夜 連れて行かれたい CHINA
今夜 異国で愛してね

 

今夜 強く結ばれて CHINA
今夜 あなたと眠りたい
今夜 きっと必ずよ CHINA
今夜 すべてになりたいの
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これまた懐かしいなあ(若い子は知らんがな)。アレンジャーが「フライディ・チャイナタウン」と同じとは知らなかった!

 

ホント、どうでもいいような歌詞っすけどね~~、この頃の洋楽カバーってこんな内容のばっかだったんですよ↓。

 

〔1986.11.05リリース〕
椎名 恵「LOVE IS ALL ~愛を聴かせて~」(原曲 “I’ve Never Been to Me” by Charlene)とか

 

〔1984リリース〕
羽賀健二「ネバーエンディング・ストーリーのテーマ」(“Never Ending Story” by Limahl)とか

 

〔1984.07.05葛城盤リリース・1984.11.05麻倉盤リリース〕
葛城ユキ/麻倉未稀「ヒーロー」(“Holding out for a Hero” by Bonnie Tyler)とか

 

〔1984.04.21リリース〕
小林麻美「雨音はショパンの調べ」(“I Like Chopin” by Gazebo)とか

 

〔1983.07.21麻倉盤リリース・1983.08.05畑中盤リリース〕
麻倉未稀「What a feeling 〜フラッシュダンス」/畑中葉子「愛はMUSIC」(“Flashdance... What a Feeling” by Irene Cara)とか

 

〔1980.02.21リリース〕
葛城ユキ「哀しみのオーシャン」(“Sitting on the Edge of the Ocean” by Bonnie Tyler)とか

 

〔1979.05.01麻生盤リリース・1979.05.05布施盤リリース〕
麻生よう子/布施 明「恋のサバイバル」(“I Will Survive” by Gloria Gaynor)とか。

 

一番笑えるのは羽賀健二(現 羽賀研二)の曲(作詞:ちあき哲也)、ということになっているらしいけど、ツル的には松任谷由実が日本語詞をつけた小林麻美(あさみ)のですね。原曲の世界を離れて歌い手に寄り過ぎているというのなら、羽賀より小林の方がむしろ極大値です。因みに、ロック姐さん葛城ユキは現在御年70歳ということで、そこにもびっくりした。

 

話を戻して。
フライディ・チャイナタウンとゴーイン・バック・トゥ・チャイナ、他の共通項は「China」 ーーしかも神戸南京町や長崎新地などではなくここは横浜中華街のChinatownでなくてはーー ぐらいしかないが。「外人墓地を歩けば」は上海租界あたりの話と取れなくもないけど、やっぱ横浜山手のそれでしょう。「衣ずれの月あかり」はさしずめ山下公園界隈かね?(その頃はみなとみらい21地区もまだ存在してなかったわけだし。)

 

1979年リリースの元歌を歌ってたDIESELはオランダのロックバンドだそうな。歌詞の内容は相当違っている。

 

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Goin’ Back To China
 作詞・作曲:Pim Koopman

 

When I saw Annie she was head over heels
For a guy she had met in the streets
He told her she meant all the world to him
So there’s no need in goin’ back east

 

Annie, where in the world would your love be
Annie, where in the world has he gone

 

Hey Lee, what’s the deal, you’re goin’ back to China
Hey Lee, what’s the deal, what you’re running for
Hey Lee, what’s the deal, you’re goin’ back to China
Hey Lee, what’s the deal, what you’re runnig for

 

I knew she’d cling to anybody at all
Isolation was a part of her game
No French, no Dutch, had no connection at all
Til she found out, she was a part of the frame

 

Annie, where in the world would your love be
Annie, where in the world has he gone

 

Annie, where in the world would your love be
Annie, where in the world has he gone

 

Hey Lee, what’s the deal, you’re goin’ back to China
Hey Lee, what’s the deal, what you’re running for
Hey Lee, what’s the deal, you’re goin’ back to China
Hey Lee, what’s the deal, what you’re runnig for

 

Hey Lee, what’s the deal, you’re goin’ back to China
Hey Lee, what’s the deal, what you’re running for
Hey Lee, what’s the deal, you’re goin’ back to China
Hey Lee, what’s the deal, what you’re runnig for
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この歌も知ってたけど、こんな歌詞だったんだ。世界の違う男女の恋愛関係、中国男と欧州女の。これまた薄いけど。

 

以上、“China” が多分まだ一般用語としては中国大陸のみを指していた80年代あたりのお話です。

2020年2月16日 (日)

Fly-Day China Town(私も異国人ね)

この終末、じゃなかった週末、福岡から上京しています。

 

昨年11月のUターンでのGoin’ Back to Fukuoka以来、早いもので3ヵ月が過ぎ、遂に20年間に及ぶ「空中庭園@下丸子」の舞台となったルーフバルコニーつきマンションの処分に取り組むこととした次第。
三日三月三年、まあ、郷里に帰ってはみたものの新しい仕事や職場が(あるいは福岡という街が(≧∇≦)b)どうにも性に合わなくて逃げ帰る ――東京に!!―― なんて懸念も杞憂であったと言ってのけられそうな感じになってきたので、東京五輪前に売却しちゃおう、そうしないと値崩れしちゃうよね、でも管理組合の理事長もやってて民泊禁止にした行きがかり上、民泊に使われてしまうのはマズいなあ、といった現状です。

 

金曜夜に仕事を終えてから空路東京に入り、翌日土曜から複数の不動産屋と打ち合わせして、さらに友人達と呑んだくれて、池上梅園の梅を観て、今日日曜夜の便で福岡に戻る、いや帰る予定。金曜の晩も着くなり呑んでました・・・TGIF, It’s So Friday, Friday China Town, 横浜中華街あたりでと言いたいところだけど、実際には下丸子の隠れ家呑み屋で。

 

待ち時間の暇をつぶしていたら、YouTubeにちょっと面白懐かしいものを発見。

 

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フライディ・チャイナタウン
 作詞:荒木とよひさ
 作曲:海老名泰葉
 編曲:井上 鑑(あきら)
 歌 :泰葉
 (1981.09.21リリース)

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
真夜中の人ごみに
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
弾けるネオンサイン

 

肩にぶつかる外人(ジンガイ) ウインクを投げる
知らん顔のあなた とまどいのひとコマ
踊り疲れていても 朝まで遊ぶわ
港の見える場所で 何か飲みたいのよ

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
ジャスミンに口づけを
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
私も異国人ね

 

お店に並ぶ絹の ドレスを指さす
渋い顔のあなた わがままがいいたい
愛想笑いのおばさん きっと似合うわと
どこか静かな場所で着替えてみたいのよ

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
衣ずれの月あかり
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
私も異国人ね

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
ジャスミンに口づけを
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
私も異国人ね
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そう、あのお騒がせ娘、いやおばさんの泰葉のデビューシングル。ツルは京都の学生時代、結構ファンだったんだよねー。歌、すごくうまかった(もとはクラシックの声楽志望だったはず)。仏教大学の学園祭のステージも行ったし、三条河原町にできたライブハウス「H/アッシュ」のこけら落としも泰葉で、入れ替えがなかったから2度見たっけ。途中でPAの音が出なくなった時があって、その曲はアカペラというかマイクなしの肉声で歌い切った。結構凄かったです。
それととともに、トークを聞いてて才気煥発、すごく頭の回転の速い人だという印象を受けた、姉の海老名美どり以上に。それが故の空回りする危うさみたいなものも同時に感じたけど。

 

アレンジャーというものをリスペクトしていて、デビュー後に編曲も学び、自分の名前がやっと「編曲」にクレジットされるようになったのが嬉しい、というようなことを何かで言ってました。確か、「私は努力型の天才」とも公言していたと思う(お母さんのエッセイに出てたんだっけ)。

 

「泰葉」は本名で、父の林家三平(初代)こと海老名泰一郎(やすいちろう)と母の香葉子(かよこ;本名は嘉代子であるという)から一文字ずつ取られたものである。
テレビに進出することでスターダムにのし上がり没後「昭和の爆笑王」に祭り上げられた父親は、もともと音楽好きでその道に進みたかったところ、戦争で兵役(陸軍!)に取られたこともあってか果たせず、我が子にその夢を託し音楽家が出ることを望んでいたそうな。自身の落語ネタにも音楽を取り入れたものがあったっけ。その方面の才能を一番色濃く受け継いだのが二女二男のうち第二子の次女泰葉ということになる。(この話を何で見聞きしたのか、今となっては記憶がはっきりしないけれど、デビュー当時にエピソードとしてメディアに乗ったものだったか、あるいは彼女がライブで話すのを直接聞いたのだったかもしれない。)

 

その後、春風亭小朝と結婚したのには相当驚きました。到底、落語家の嫁として裏方に回ってるような玉じゃねえだろ、てな感じで。そして20年近い結婚生活の末に離婚、「金髪豚野郎」発言、一時的ながらプロレス界入り、イラン人実業家との婚約およびその解消、そして自己破産と、相次ぐお騒がせネタでだんだん、いやどんどん訳わかんなくなっていったのは周知のとおり。「イタい人」のレッテルが貼られるのも致し方のないところでしょう。ミュージシャン活動をしていた時代を知るおっさんおばさん世代からは「惜しい」「残念」の声が上がる(ツルも同感同感>_<)。才能豊かな人だと思うんだけどねえ。双極性障害に苦しんだことも公表している。

 

人となりはそのぐらいにしておいて、ここからが本論。
YouTubeに、デビュー前音源と称するものが上げられていることに気がついた。貴重です。

 

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〔デビュー前Version〕
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
真夜中の人ごみに
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
弾けるネオンサイン

 

肩にぶつかる外人(がいじん) ウインクを投げる
知らん顔のあなた とまどいのひとコマ
踊り疲れていても 朝まで遊ぶわ
港の見える場所で 何か飲みたいのよ

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
ジャスミンに口づけを
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
真夜中の昼下がり

 

お店に並ぶ絹の ドレスを指さす
知らん顔のあなた わがままが言いたい
愛想笑いのおばさん きっと似合うわと
どこか静かな場所で着替えてみたいのよ

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
衣ずれの月あかり
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
私は異国人ね

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
ジャスミンに口づけを
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
ジャスミンに口づけを
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
私は異国人ね

 

It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
・・・の月あかり
It’s So Fly-Day Fly-Day CHINA TOWN
私は異国人ね
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少ぅし歌詞が違ってるんですよ。「真夜中の昼下がり」は力技っすねえ。「・・・」の部分は歌詞を度忘れしたみたい。アレンジはリリースされた最終版よりフュージョン寄り(つまりヒット性には乏しい感じ😅)。

 

ツルも博多に帰ってまだ三月、「私も異国人ね」なのかもしれないな。だからこの歌を思い出したのかも(汗)。

2019年6月27日 (木)

【誤植編の蛇足】校正まだまだ畏るべし

(承前)

 

cf.
2012.02.11「あ、今日は母親の命日だ。」

 

誤植や校正ミスの問題については、ツルもシゴトの上で似たような経験があって、全社員に宛てたメールの「インサイダー取引防止教育を実施します」という見出しを危うく「インサイダー取引教育を実施します」としそうになったことがある。すっごく微妙、でも株式担当者としては決してゆるがせにできないところネ(大汗)。

 

そもそもツルがこの問題に関心を持つようになったのは、昭和四十九年(1974年)、小学校6年だった時、母親が句集を出版することになって(九州の現代俳句の同人誌「自鳴鐘」の問程叢書第五輯だった)、父親もそれを手伝って校正をしていたから。だからその時、次の本も薦められて読んでいた。

 

「本と校正」
長谷川鑛平
中公新書
1965年刊

 

半世紀前、鉛の活字を組んでいた時代の本なのでさすがに内容が古いです。けれども、社会人になって株式業務だの情報開示業務だのを担当するようになって、正確でミスのない文書(印刷物を含め)を作成することが職務上の絶対条件となるに及んで、何度か読み直した。時代を超えて、知的刺激あふれる稀書にして名著です。
エピソードも満載で、『森鴎外はよほど腹に据えかねることがあったか、「鸚鵡石」で校正子のことをボロクソに書いている』とか『与謝野晶子は子福者であったが、ある時「お腹を痛めて産んだ我が子」を「お股を痛めて産んだ我が子」と誤植されて赤面を強いられなさった』とか『石原慎太郎は極めて悪筆で、どこの出版者にも専門の解読家がいた』なんてのを思い出す。

 

虹二重双生児のわれら誰から死ぬ 京子(昭和二十八年)
今は猟夫(さつを)の夫に言葉を殺し蹤く 京子(昭和三十三年)
黒き凧見つけて天に歩み寄る 京子(昭和三十三年)
逝く春や子の粥一匙ずつ冷ます 京子(昭和三十九年)
藤昏るる砂場は酷使されしまま 京子(昭和四十三年)

 

父親は旧制中学だの旧制高校だの海軍だのの同窓会あれこれの幹事をやるのがえらく好きだったので、何百ページの分厚い会員名簿の編纂やら会報発行やら何やらにもあれこれ関わって「印刷物」を作ることに縁があり、よく「校正畏るべし」と言ってたっけ。一番覚えているのは、『会員名簿のゲラ校正を全頁終えてヤレヤレとほっと一息つき、さて印刷所に持っていこうとして何の気なしに一番最初の頁に目を落としたら、背表紙の文字が「会員名簿」ではなく「会名員簿」になっていることに気づいてゾッとした』という話。あまりに大き過ぎて誰の目もすり抜けていたというわけです。
ツルはちょうどその頃読んだエドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」のことを思い出して、ああほんとにそんなことってあるんだと面白く感じた。

 

それから約十年の後、昭和六十年(1985年)に母親の第二句集(遺句集でもあった)を出した時には、ツルも多少手伝いました。

 

蛇展の玻璃に晩夏の指紋殖ゆ 京子(昭和四十九年)
秘密の樹持つ少年に冬夕焼 京子(昭和五十年)
鶴発ちて一糸まとわぬ天残る 京子(昭和五十三年)
氷砂糖すぐ噛み砕く少年期 京子(昭和五十四年)
遠き闇の蛍ひからす子の手紙 京子(昭和五十六年)

 

 

因みに、「逝く春や」の句(第十二回全国女流俳句大会で二席に入った句らしい。これが!?である)には1歳頃の、「冬夕焼」には中学生の、「氷砂糖」には高校生の、「遠き闇」には大学に進学した年のツルが閉じ込められている。友人と二人で実家近くの神社の裏山から掘り採ってきた秘密の樹、ヤブニッケイ/Cinnamomum japonicum(最近は "yabunikkei" の種小名を使うらしい^^;)は、今でも実家の地上庭園@博多にある。洛東の疎水沿いの哲学の道は桜の名所として知られるけれど、それから二月もすると蛍が出ます。

 

 

で、その後、父親も同じ同人に入って俳句を始めちゃった。こっちは句集出すようなレベルにはとても達しませんでしたが(お父さんごめんなさい)。

 

風花やマリアの像の憂いおび 健一(平成七年)
水仙咲く隣の人は去りしまま 健一(平成十年)
老桜は散り初む鷺は悠然と 健一(平成十年)
あじさいの咲き初む色のなき如く 健一(平成十年)
明月を隠して薄き雲流る 健一(平成十年)

 

あ、雪月花ばかりになりにけり。

 

というわけで、今日は父親の丸20年目の祥月命日。もうそんなにも過ぎてしまったか。ツルも母親の享年は越えてしまったし。

2019年6月 2日 (日)

【もやもやの蛇足】Rock on the Road! お祭りソングに注いだ情熱:作詞家と振付師と・・・

(承前)

妻の阿木燿子も華やかに応じて曰く。

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清水みなと祭りとの『美縁、ビエン、bien』

作詞を担当させて頂きました阿木燿子です。私にとっても遺作になるかもしれないのですが、初めてメロディを聴きました時は、次回作には最高に華やかなものを、というイメージを持っていたので、主人には「お祭り!」という弾け感がもっとあった方がいいのでは、と申しただけで、別にメロディにクレームを付けたわけではありません。今までの四作もそうでしたが、今回も夫婦の危機スレスレのところで、新しい作品が仕上がりました。

清水みなと祭りに来させて頂いて、皆様が踊って下さる姿を拝見すると、本当に作詞家冥利に尽きるなと感じます。作詞家というのは作品を産みっぱなしで、レコーディングが済んだ後は、その曲がヒットするかしないか、運まかせなところがございます。人の耳にあまり触れることがないような場合は、残念な気持になります。でも清水ではどの作品も皆様に愛して頂き、大事に育てて頂いたという実感がございます。作詞家として、こんな素敵な仕事はないな、と常々感じさせて頂いております。

主人から、新曲のキィワードにフラメンコはどうだろうと言われた時、「それは良いかも」とすぐ思いました。私はフラメンコが大好きで、自分でも習っていたり、「フラメンコ曽根崎心中」というフラメンコと曽根崎心中を合体させた作品をプロデュースしたりしているので、フラメンコの持っている陽気さ、明日は明日、今日は今日、今宵一夜を踊り明かそう、といった心意気みたいなものが、清水みなと祭りに共通すると感じたからです。

今日は詞がお手元にないと思いますが、私が知っている数少ないスペイン語に「ビエン(bien)」という言葉があります。フラメンコ・ショーを観ていても、ダンサーや歌手に「ムィ・ビエン(muy・bien)と声をかけたりします。「とても良いよ、素敵だよ」という意味らしいのですが、私はその言葉の響きが好きで、いつも頭にありました。
去年の東日本大震災以来、「絆」ということが言われます。今、私達日本人に最も大切なものとして、いえ、世界にとっても、地球にとっても絆という言葉は大事なキィワードになりつつあります。でも、昨今あまりに使われすぎて、作詞家としては避けたいなと、いう思いがございました。そこで「縁(えん)」ならどうだろう、とひらめきました。それも美しい縁という意味で「美縁(びえん)」。スペイン語にも引っ掛けた造語ですが、美しい縁(えにし)を、今回の作品のテーマにしました。

人と同じく私も、清水みなと祭りに関係していらっしゃるすべての方々、そして踊って下さる大勢の市民の皆様と良い縁で結ばれていると信じております。縁という糸は目には見えませんが、そう感じれば必ず美縁となって世界を巡ってくれるものだと思います。
今回はとくに私達の自信作です。ぜひ聴いて頂きたいし、皆様が清水みなと祭りで踊って下さる日を、楽しみにしています。
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この時宇崎竜童は66歳、阿木燿子は67歳だったので、遺作とするにはまだちょっと早いと思いますがネ。
「絆」を使いたくなかったという心情はツルも共感します。

振付の佐藤浩希の言葉がまた力強い。

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民衆が主役になる踊り・フラメンコ

フラメンコ・アーティストの佐藤浩希です。偉大な二人のアーティストの熱い思いを聞いた後で、私が何を語ろうか、少々緊張しています。

皆さん、フラメンコってご覧になった事がありますか?薔薇を口にくわえて手を叩いてオーレというようなイメージだったり、女性が長いスカートを翻しながら、激しいステップを踏んで踊るというのがフラメンコなんですけれども、本来の姿はスペインのアンダルシア地方の盆踊りなんです。お祭りの時に一般の民衆が、普段の生活の中で、例えば誕生会があったり、友達と遊んでいてふと楽しく踊ったり歌ったりというのが、フラメンコ本来の姿なんです。私が修行して、足の技術を磨いて、ステージ上でお客様に見せる踊りとは違うフラメンコがスペインにはあります。私はそれが大好きで、そこにこそフラメンコの原点があると感じ、ずっとアンダルシアに通って民衆の人たちの踊りを見て来ました。
おじいちゃん、おばあちゃんが歌う歌で、孫や赤ちゃんがヨチヨチ歩きしながら踊ったり、又はその反対で子供達が歌って背骨が曲がって身体があまり動かないおばあちゃんが、お尻を振るだけで拍手喝采が起こる。そういった世代や言葉を超えたコミュニケーションツールとして、地域の中で愛されている。私は日本でフラメンコ・アーティストとして活動する中で、ステージ上でお客様に自分の踊りを披露するだけではなくて、スペインで行われているように、生活の中で民衆の方が主役になるようなフラメンコのあり方って無いのかな、という事をずっと模索して来たんです。

そういう活動の一環として静岡県の湖西市で「湖西市手をつなぐ育成会」という、障害のあるお子さんをお持ちになっている親御さんの会なんですが、ご縁がありまして子供達にフラメンコを教えて、一緒に舞台を作る活動を2004年からずっと続けており、3月にも湖西市民会館で舞台を行いました。そんな風に、私たちだけが主役じゃない。みんなが主役になれるような、フラメンコのあり方をずっと模索し続けています。

そうした中、宇崎さんから「清水みなと祭りでフラメンコをやってみないか」というお話しを頂いた時に、1万人もの踊り手の方々がフラメンコを踊る、これこそ自分がフラメンコに携わっていてやりたかった仕事だったなと、本当に嬉しくて嬉しくてその時身体が震えたのを今でも覚えています。
祭りというのは、世代を超えて老いも若きも一緒に楽しめる文化だと思うんです。こんなに素晴しい文化は無い。で、明日また元気に生きて行こうという力を得る場所でもある。そして踊っている人たちみんなが主役になれる。自分達が今生きているんだって事を、こんなに素晴しい事なんだって事を、実感出来る場が祭りだと思っています。フラメンコは正にその力を持っている民俗芸能なので、その力を借りて、今回私が携わらせて頂く事で、少しでもこの清水みなと祭りのお力になれたらなと、頑張ってまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
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はー。ツルは感嘆を惜しまない。

Wikipediaの宇崎竜童の項には、「これ以降毎年清水みなと祭りの時期には清水を訪れ、地元の住民らと交流を続けている。2007年放送の『鶴瓶の家族に乾杯』(NHK)では、このエピソードをもとにして、笑福亭鶴瓶と宇崎が清水を訪れた。」とある。

ご当地ではこのお祭りの踊りの講習会、ほぼ年中行われてます(@_@)。そんな熱意こそが、アーティストを後押ししたんだろう。

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