文化Field:詩歌/音楽

2019年3月 3日 (日)

朧月夜

高野辰之&岡野貞一のコンビによる作品、3連発でまいります。

叙景歌の優品、「朧月夜」は1914年(大正3年)の『尋常小学唱歌 第六学年用』が初出である。

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菜の花畠に 入り日薄れ
見渡す山の端 霞深し
春風そよ吹く 空を見れば
夕月かかりて 匂い淡し

里わの火影も 森の色も
田中の小路を 辿る人も
蛙の鳴く音も 鐘の音も
さながら霞める 朧月夜
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現代だとねえ、春先にゃ黄砂やらPMナントカやらの飛来でやんやん騒いだりしておるわけですが、色を失いゆく黄昏の世界でなおも鮮やかにこんな和風パステルの情景を描き出した言葉の力にはやっぱり強いものがあると思う。

ふと、奥野和夫が「日本秋祭 in 香港」ロゴマークを制作した際、「一般的に秋というと茶色を連想されることが多いかと思いますが、日本の秋は古来より色鮮やかなイメージがあります」と詞書に書いたことが対照的に思い出されたりもする(cf. 2018.11.18「校章エキスパートの来歴:4」)。

日本秋祭 in 香港

ひらがなで書いてみるとはっきりするけれど、「うさぎおいし かのやま」の「故郷」が「六・四」調(ひょっとしたら「三・三・四」調とも言えるのかもしれない)であるのに対して、こちらはきっちり「四・四・六」調が守られてますな。

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なのはな ばたけに いりひうすれ
みわたす やまのは かすみふかし
はるかぜ そよふく そらをみれば
ゆうづき かかりて においあわし

さとわの ほかげも もりのいろも
たなかの こみちを たどるひとも
かわずの なくねも かねのおとも
さながら かすめる おぼろづきよ
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うううむ!

そして、2番の歌詞は豪速球を続けざまにストレートで投げ込んでくる感覚だと、いつも思う。情景の速射砲でたたみかけて、「さながら霞める」で一気にまとめて受ける剛腕の力業です。しかもそれは聴覚にまで及んでいる。2番が好きって人も多いんじゃないかなあ。ツルもそうですが。

一方、この歌の歌詞の解釈については;

・『芭蕉の「菜の花や 月は東に 日は西に」の句とは異なり、この歌の「月」は三日月である(べきだ)』

とか、

・『「1番から2番へは時間の経過があり、「霞」が「朧」に変わるのがその証左』

とか、

・『2番は木火土金水(もくかどごんすい)の五行説に沿っており、その森羅万象が「さながら霞める」と受けているのだ』

とか、

・『だから(2番は)原典どおり句読点つきの記載とすべき』

といった論考も多いようですが、ほんまにどうでもええ。音律に乗せて歌うことが大前提の歌曲の表記方にさほど深い意義があるとは思えないし、解釈の明確化は時に鑑賞の矮小化を招くと思います。

2019年3月 2日 (土)

故郷

今度は、「故郷」について。この文部省唱歌も「春の小川」と同じく、作詞 高野辰之、作曲 岡野貞一によるもの。

1933年(昭和8年)『新訂尋常小学唱歌 第六学年用』掲載

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一、
うさぎおひし かのやま
こぶなつりし かのかわ
ゆめはいまも めぐりて
わすれがたき ふるさと

ニ、
いかにいます ちちはは
つつがなしや ともがき
あめにかぜに つけても
おもひいづる ふるさと

三、
こころざしを はたして
いつのひにか かえらん
やまはあをき ふるさと
みずはきよき ふるさと
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へー、見事に「六・四」調の連続になってるんだ。

昔からちょっと不思議に思ってるんだけど、「恙無しや」は「恙無きや」ではないのかという個人的疑問が消えない(さほど文語体の文法に詳しいわけではないので)。でもそれだと「恙無きか」としないと文法的に成立しないのかしら。

この歌のことは、「信州ゆかりの不思議な歌」というサイトにいろいろな情報が出ている。

http://home.r07.itscom.net/miyazaki/zakki/uta.html

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文語体だが誰にでもわかる内容で、せつせつと日本人の琴線にふれて美しい。「ウサギを食べると美味しい」と覚えた子どももやがて大きくなると理解する。この歌を作詞したのは高野辰之(たかのたつゆき)(明治9/1876〜昭和22/1947)という信州人だ。長野県北部の寒村、下水内(しもみのち)郡豊田村(合併で現在は中野市)出身の国文学者で、東京音楽学校(現、東京芸術大学音楽学部)教授のとき、同じ学校の声楽の助教授だった岡野貞一とともに、文部省唱歌をつくることを命じられる。
いわば業務命令によるコンビだが、この二人による唱歌は驚くほど多く、しかも今なお歌い継がれている。

〔中略〕

著作権という考え方がない時代で、すべて「文部省唱歌」で片づけられ、家族も戦後になってはじめて知ったものもあるという。
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うんうん。小学校の音楽の教科書にも、「文部省唱歌」には作者名がクレジットされてなかったよね。

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唱歌「故郷」(ふるさと)は海外にいる日本人が涙を流す歌だ。もはや「国民歌」、あるいは「君が代」につぐ「第2国歌」という地位を占めているといってもよかろう。

〔中略〕

戦後ソ連によってシベリアに抑留された日本兵はこの歌に滂沱の涙を流したという。
私もそうした場面に出会ったことがある。一度目は1ドル360円時代のロンドンで、二度目は1ドル100円台のアムステルダムで。この間10数年があいていたが、それぞれ日本企業のビジネスマンと家族がいるパーティーの席だった。日本企業の尖兵としての気負いや、郷愁が入り混じっての涙だろうが、3日前に日本を出たばかりの私もほろりとした。
「うさぎ追いし かの山・・・」の故郷の山河の描写のあたりはともかく、「いかにいます 父母・・・」あたりでもうだめだ。忘却の彼方から一気にそれぞれの人の「故郷」を引っ張り出して懐旧にひたらせてしまうのだ。
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「第2国歌」という指摘が真に的確なものかどうかはわかりかねます、何と言っても「さくらさくら」(作者不明;近世の箏曲にルーツありとなむ)なる強力なライバルもいますので。
しかし、ここに書かれた在外邦人の心情は確かにそのとおりだろうと思う。そこから考えると、「この歌のモデルとなった場所はどこか」などという詮索、じゃない考証はどうでもいい気がしてくる。「名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ」(「椰子の実」:作詞 島崎藤村:cf. 2013.03.13「五七調の歴程」)はどこが舞台かなんてのとは本質的に異なると思う。
そして、地域を超えて、世代を超えて、日本人として共有する/できる原風景ないしは原体験というものがこの歌で(文部省唱歌で?)目指されたのならば、それを特定の「ご当地ネタ」に適用させるというのはちょっと違うんじゃないかと感じる次第。

このサイトには次のようなAnecdoteも紹介されている。

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日本人にとって「故郷」(ふるさと)はいまや国民歌というべき存在になったと思うが、その歌の力を如実に示したのが2011年3月11日日本を襲った東日本大震災だった。被災地で、神戸で、遠く離れた海外で、それぞれ励ましと復興を願ってこの歌が歌われた。
そうした中で圧巻は、世界三大テノールの一人、プラシド・ドミンゴ(70)が震災から1ヵ月後に歌った「故郷」だろう。震災とそれに伴う福島原発のメルトダウン事故で多くの音楽会が公演を中止したなかで彼だけはあえて来日した。これまで20回以上訪れ、コンサートやオペラ公演を行ってきたドミンゴは3000人の聴衆を前に「今回は特別に意義の深いコンサートだと思って来日しました。私もメキシコ地震で親戚を亡くしましたので皆さんの気持ちがよく分かります。いつの日か必ず強い気持ちを取り戻せる日が来ることを皆さんも信じていてほしい」と語りかけ、収益の一部と会場で集めた募金を被災地に送った。
そして「プラシド・ドミンゴ コンサート イン ジャパン 2011」(4月10日、東京・渋谷NHKホール)のアンコール曲に選んだのが「故郷」だった。「皆さんも一緒に」とソプラノのヴァージニア・トーラとともに日本語で最後まで歌い上げた。コンサートを聴いていた銀行家が後に書いているところでは「2番の『如何にいます父母、恙なしや友垣、雨に風につけても、思い出ずる故郷』の部分では、聴衆はほとんど全員が立ち上がり、涙を流していた。想像を絶する被災と苦難の中で、日本の原風景のような東北の風景を思い浮かべ、私もとめどなく涙が流れた。」
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ううう、涙腺をいたく刺激されます。

そしてもう一つ。
3番の「志を果たして いつの日にか帰らん」には、「志を果たすまでは帰らない/帰れない」という含意があるか否かという議論があるらしい。ツルは明確に意識はしていなかったけれど、ずっと肯定説で解釈してきたように思う。
けれど、バブル期に社会人となり、気がついてみればあと数年で定年退職を迎えるような年齢まで生きてみて、すこぅし違う感覚にもなってきている今日この頃(T-T)。福岡に帰ることばかり考えていたりもする。もちろんこんなこと↓も思いますけれども。

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小景異情(その二)
   室生犀星

ふるさとは 遠きにありて 思ふもの
そして悲しく うたふもの
よしや うらぶれて
異土の乞食(かたゐ)と なるとても
帰るところに あるまじや
ひとり都の ゆふぐれに
ふるさとおもひ 涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこに かへらばや
遠きみやこに かへらばや
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2019年3月 1日 (金)

春の小川

春の弥生の三月を迎えまして。
今回は、【その224】で少し書いた「春の小川」のことについて深掘り。文部省唱歌のあれこれについては、既に優れた論考がネット上にも各種存在するので、それらのつまみ食い状態になっちゃいますが

この歌は高野辰之が作詞、岡野貞一が作曲したとされるけれども、「文部省唱歌」の例に漏れず当初は作者名が伏せられており、また、高野の直筆原稿も見つかっていないらしい。

いわゆる文部省唱歌にはよくあることだけど、この歌の歌詞は途中で改変されている、それも2度。
このことについては、東京都渋谷区にある富ヶ谷一丁目通り商店街のサイトに詳しい。

http://www.tomi-1.com/index.asp?patten_cd=17&page_no=192

「春の小川」の舞台となったのは実はご当地の河骨川(こうほねがわ)だったというんですな。この川は1964年、宇田川などと同様に暗渠となり、もはや往時を偲ぶべくもないけれども。(高野の出身地の長野県中野市ではまた違う説もあるようですが。)

歌詞を発表順で見てみよう。

【1】1912年(明治45年・大正元年)『尋常小学唱歌 第四学年用』掲載

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一、
春の小川はさらさら流る。
岸のすみれやれんげの花に、
にほひめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。

二、
春の小川はさらさら流る。
蝦やめだかや小鮒の群に、
今日も一日ひなたに出でて
遊べ遊べと、ささやく如く。

三、
春の小川はさらさら流る。
歌の上手よ、いとしき子ども、
聲をそろへて小川の歌を
うたへうたへと、ささやく如く。
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初出の時は3番まであったんですねえ。

【2】1942年(昭和17年)『初等科音楽 一』掲載

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一、
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いてゐるねと、ささやきながら。

二、
春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、小ぶなのむれに、
今日も一日ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら
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初出から30年経ち、時局柄、国民学校への移行に伴い改められた教科書に載ったもの。文語体から口語体への転換が行われている。

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当時の国民学校令施行規則では国語で文語文を教えるのは5年生以上と定められていた。そのため、林 柳波が歌詞を口語体に変えた。さらに3番の歌詞を削除した。
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3番を削ったことに関しては、誠に大英断だったと思う。

【3】1947年(昭和22年)『三年生の音楽』掲載

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一、
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら。

二、
春の小川は、さらさら行くよ。
えびやめだかや、小ぶなのむれに、
今日も一日ひなたでおよぎ、
遊べ遊べと、ささやきながら。
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【2】から5年、戦争は終わり、1947年に文部省著作により出された最後の音楽教科書に載った歌詞。これがその後、民間発行の教科書にも受け継がれた。

以上のことを今回初めて知って、ツルはかなり驚いている。1番の最後のところを「咲いているねと ささやきながら」と歌うのは、「咲けよ咲けよと ささやきながら」を現代風に崩したものだとばかり思っていたので。
時系列からすると逆だったんですね!!「咲いているねと」が1942年の【2】、「咲けよ咲けよと」が1947年の【3】。もっと言うなら、この部分は1912年の【1】に戻ったわけだ。【3】で習った1962年生まれのツルは、【2】の「咲いているねと」が評判悪かったからだと理解しました。言葉が軽いだけではなく、全体の情景が相当変わってしまう(これは前々からよく指摘されてきたところだと思うが)。

さらに驚いたのは次のくだり。

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現在小学校で教えられている歌詞
1947年版の歌詞を教えるところもあり、また、新仮名遣いに改められた1942年版の歌詞を教えるところもあり、地域、教科書、学校によってまちまちである。また、合唱用としてオリジナルの歌詞を教わる場合もある。
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ホントですか
なんでも、安田祥子・由紀さおり姉妹は【1】で通しているそうな。「合唱用として」の意味するところは、3番まで歌うということなんだろう。渋谷区では、中野市では、どう教えているんでせうねえ。

(続く)

2015年9月 9日 (水)

虹と雪のバラード vs 花束そえて vs WAになって踊ろう

(承前)

前々回、白鳥英美子のことをちょっと書いたので、1972年2月と1998年2月、日本で開催された2つの冬季オリンピックの音楽のことを。

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虹と雪のバラード
 作詞:河邨文一郎
 作曲:村井邦彦
 歌: トワ・エ・モワ
 (1971.08.25リリース)


虹の地平を あゆみ出て
影たちが近づく 手をとりあって
町ができる 美しい町が
あふれる旗 叫び そして 唄
ぼくらは呼ぶ あふれる夢に
あの星たちの あいだに
眠っている 北の空に
きみの名を呼ぶ オリンピックと

雪の炎にゆらめいて
影たちが飛び去る ナイフのように
空がのこる まっ青な空が
あれは夢? 力? それとも 恋
ぼくらは書く いのちのかぎり
いま太陽の 真下に
生まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと

生まれかわる サッポロの地に
きみの名を書く オリンピックと


今なお、最強のご当地ソングだと思う。単なるスポーツイベントのテーマという域を超えて、人々が集合離散を繰り返しながらも街ができあがっていくという様子が描き出されているからです。そしてそのことを日本国中が知っていた、見ていた。

トワ・エ・モワは芥川澄夫と山室英美子のデュオ。所属していたナベプロの意向で強制的に組まされたユニットだったんだそうな。山室は白鳥の旧姓です。彼女はその前スクールメイツにいたんですよ。
小樽生まれの河邨文一郎(かわむら ぶんいちろう:1917.04.15〜2004.03.30)の本業は整形外科医で、札幌医科大学教授を勤めていた。一方で詩人としても知られる。

実はこの曲はNHKの委嘱により作られたもので、レコードリリースに先立ち1971.02〜03に「みんなのうた」で放送された。
おなじみWikipediaによれば、こんないきさつがあったそうな。

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委嘱五輪開幕2年前の1970年、NHKは河邨に作詞を依頼する際に、

1.イベントが終わっても長く歌い継がれるもの。

2.オリンピックを待ち焦がれる札幌の人たちの心情を表していること。

3.重々しい式典風のものではなく、屋根裏の落第坊主がギターを爪弾いて歌え、なおかつ、何千人もの合唱に耐えうること。

の3つを要望した。
依頼を受けた当初はなかなか構想がまとまらず、河邨は2週間ペンが進まなかったという。
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この三条件、どれもすごいですねえ。本質をずばりと言い当てている。預言 or 呪文と言ってもいいかもしれない。
難渋しながらも河邨はNHKの期待によく応えてこの詞を書き上げた。「あふれる旗 叫び」の一言だけで、預言の二番目を成就させたのも見事です。
小学校低学年だったツルは当時、『なぜ「影」や「ナイフ」みたいな不穏な言葉なんだろう』と漠然と感じていた気がする。今考えれば、そここそが詩人の仕掛けた技だったんですね。
これに村井(荒井由実をデビューさせたかと思うと、市川 崑の横溝映画「悪魔の手毬唄」のスコアを書いたりしている)がメロディをつけて完成した曲は、山室の清涼感あるボーカルもあって大きなヒットをおさめた。トワ・エ・モワはこの曲で1971年の紅白歌合戦にも出場してます。
そして40年以上を経て今もなお、この曲は人々の記憶に残り歌い継がれている(札幌雪まつりの会場でも流されている由)。長い年月の後、預言の一番目は的中したわけです、二番目、三番目と同じように、いやもっとくっきりと。

長野五輪招致の際に白鳥に白羽の矢が立ったのも、20年前の「札幌の記憶」のためであることは間違いないだろう。

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花束そえて
 作詞:駒井 瞭
 作曲:白鳥英美子
 歌: 白鳥英美子
 (1991.09.21リリース)


連なる山が 朝陽に映える
白銀の大地は 友を迎えて
新しい炎燃やす
このときめきの瞬間を あなたに贈りたい
雪と氷と若い力の
オリンピックに 花束そえて

広い世界を ひとつにつなぐ
虹架ける大地は 花を飾って
幸せの愛育てる
このほほえみの輝きを あなたに贈りたい
雪と氷と若い力の
オリンピックに花束そえて

星はきらめき 歌があふれる
湯煙の大地は 人を結んで
すばらしい夢咲かせる
この限りないあこがれを あなたに贈りたい
雪と氷と若い力の
オリンピックに 花束そえて


見比べてみて、二点指摘しておこう。

まず、ひどくつまらなくなってますよね、本歌取りの「虹」「雪」はまあ大目に見るとしてもだ。はなから「連なる山が 朝陽に映える」じゃ、テンプレ校歌で散々見てきたところと何も変わりはしないじゃないか。「白銀の大地」「虹架ける大地」「湯煙の大地」だってせいぜい雪国の温泉地のご当地ソングどまりである(「虹架けて」のフレーズは小豆島中学の校歌にも出てきたよな)。
一方で、対象への迫り方が圧倒的に不足してるから、全体の印象は曖昧模糊としてるんです。これでは聖火をご当地までたぐり寄せてこられないでしょう。

しかし、視点を変えてみると、後年の駒井の作品に比べれば、まだまともだったと言えると思う。この後、型に嵌まったClicheばかりが肥大する形で、LyricにせよVisualにせよ、駒井の公募仕事は内容を喪失していく。

残念ながらこの歌はほとんど反響を呼ぶことなく、代わりに長野五輪はこの歌一色に染まった。

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ILE AIYE 〜 WAになって踊ろう
 作詞・作曲:長万部太郎(角松敏生)
 歌・演奏:AGHARTA
 (1997.05.21リリース)


うじゃけた顔してどしたの
つまらないなら ほらね
輪になって踊ろ みんなで
遊びも勉強もしたけど
わからないことだらけ なら
輪になって踊ろ 今すぐ

悲しいことがあれば もうすぐ
楽しいことがあるから 信じてみよう

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala すぐにわかるから
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala 夢を叶えるよ
Oh O Oh Oh Oh O O O Oh

大好きな娘がいるなら
はずかしがってちゃダメね
輪になって踊ろ みんなで
大人になってもいいけど
忘れちゃダメだよ いつも
輪になって踊ろ いつでも

一人ぼっちの時でさえも
誰かがいつも君を 見ててくれる

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala すぐにわかるから
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala 夢を叶えるよ
Oh O Oh Oh Oh O O O Oh

ハー ヤッサ ソレ ハイ

Ile Aiye Ile Aiye
Ile Aiye Ile Aiye
Ile Aiye Ile Aiye Ile Aiye

悲しいことがあれば もうすぐ
楽しいことがあるから 信じてみよう

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala すぐにわかるから
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala 夢を叶えるよ ハイ!

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala

Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala
Oh O Oh さあ輪になって踊ろ
Lalalalala Lalalalalalalala


例によってカバーバージョンも多くて、曲のタイトルはアーティストやバージョンにより微妙に異なってます。

1997.04〜05にNHK「みんなのうた」で放送され火がついたという経緯は「虹と雪のバラード」とよく似ている。反響は大きく、その後も1997.08〜09、10〜11、1998.02〜03と繰り返し再放送され、その中で長野五輪との関わりができあがっていったのは前に書いたとおりです。(cf. 2012.11.05「WAになって踊ろう」)

五輪ソングというものが、「世界」がやって来る街のことを歌ったものから、出場者を応援するもの、さらには出場者の心情を表すものへと変わってきた気もする(三波春雄の「東京五輪音頭」まで広げて考えればもっとはっきりするような)。ツル的には、この曲のイメージは「吹雪の中、ジャンプ台のスタートポイントに座って風待ちをしている選手」です。
この曲はこの曲で、十分Olympic Anthemたり得ていると思いますけどね。次はどんなものが出てくるんだろう。

2015年8月26日 (水)

I.G.Y.(あるいは流線形の世界)

(承前)

NIKEのSwooshのことを書いていて、この歌を思い出したので、ちょっと。(すみません、また前世紀モノです)

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I.G.Y. (International Geophysical Year)
 作詞・作曲:Donald Fagen
 歌:Donald Fagen
 (1982.10リリース アルバム "The Nightfly" より)


Standing tough under stars and stripes
We can tell
This dream's in sight
You've got to admit it
At this point in time that it's clear
The future looks bright

On that train all graphite and glitter
Undersea by rail
Ninety minutes from New York to Paris
Well by seventy-six we'll be A.O.K.

What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free

Get your ticket to that wheel in space
While there's time
The fix is in
You'll be a witness to that game of chance in the sky
You know we've got to win

Here at home we'll play in the city
Powered by the sun
Perfect weather for a streamlined world
There'll be spandex jackets one for everyone

What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free

On that train all graphite and glitter
Undersea by rail
Ninety minutes from New York to Paris
(More leisure for artists everywhere)

A just machine to make big decisions
Programmed by fellows with compassion and vision
We'll be clean when their work is done
We'll be eternally free yes and eternally young

What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free
What a beautiful world this will be
What a glorious time to be free...
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"Voice of Steely Dan"、Donald Fagenのファーストソロアルバムに入っている曲です。
「国際地球観測年」なんて、およそ歌のタイトルにはなりそうもない言葉を持ってきちゃった、しかも略称で。でもそれがカッコよかったんだよね(アルバムジャケットもカッコよかった!「青文字系」です。わからなかったらそこら辺の女子高生に訊いてネ)。ツルは当時レコードで買いました。CDというものが世に出る直前じゃなかったかな。

The Nightfly

International Geophysical Yearとは、冷戦下の1957.07.01〜1958.12.31に行われた国際プロジェクトのことで、日本政府も参加していた。こんな切手、見たことありません?

国際地球観測年記念切手

ツルも子供の頃切手を集めていて、これは持ってました。(発行当時は生まれてなかったっす!キッパリ。)
当初日本は赤道方面を観測する目論見だったのが、いろいろあって南極を担当することになったらしい。「昭和基地」ができたのもこの時です。

で、ドナルド・フェイゲンの歌のこと。確か、ライナーノーツに、「50年代後半の平均的な若いアメリカ人男性の心情を表したものである」みたいな本人のコメントが書いてあって、「80年代の今になんでまた??」と思ったことを覚えている。つまりは「'76年までにはニューヨークとパリが海底列車で90分」とゆーのを歌ったのが'82年なわけよ。
明るい未来とOptimism。青年の頭の中にこだまする米国大統領の演説のようでもある。

そんなわけで、歌詞の中には「International Geophysical Year」の語が一度も登場しない次第。象徴なんですね。

"streamlined world" にはいつまで経っても到達しないこと、それ自体願望と妄想に過ぎないこと。それらが既に社会共通の認識となって久しく、かつ米国が少しずつ地盤沈下を起こし始めていた1980年代初頭という(中途半端な?)時代に敢えてこのコンセプトで発表したセンスに惹かれます。
Reality bites, truth hurts. しかもその頃まだまだ新しい音楽だったレゲエのoff-beatをちょっと利かせて(その意味では単なる過去の準りでもない)。でもこのノンビリしたお気楽その日暮らしの曲調の中に隠されている「毒」を見落としちゃいけないよね。
さすがにDonald Fagen、一筋縄じゃいかない。

因みに "Steely Dan" ってグループ名は、アメリカSF界の問題児 William S. Burroughs(1914.02.05〜1997.08.02)の発禁小説「裸のランチ/Naked Lunch」(1959)に出てくる、男根の張り型 "Steely Dan III from Yokohama" から来てるってご存じでした?(「南極2号」みたいなもんね。)

2015年8月22日 (土)

西條八十 ぼくの帽子 vs 角川春樹 信長の首《二》

(承前)

つまるところ、角川プロデューサーは犬神家に続いて「母もの」を撮りたかったわけです、森村誠一の小説と西條八十の詩の世界を借りて。映画は激ツマで退屈でしたけど。

それにしても「ぼくの帽子」は不思議な詩だと思う。初出は児童雑誌「コドモノクニ」の創刊第2号となる大正11年(1922年)2月号。

ぼくの帽子

夢二風の挿画を見ると、左の絵では冬の日に暖炉の前で語らう母子の姿が描かれているけれども、詩から受けるツルの印象では、母親は既に亡くなっていて、息子が心の中で語りかけているようにしか感じられない。英語版もそこに焦点を当てて書かれてる気がします。
因みに縦書きの原文は全ての漢字にルビつき。「以太利」は「伊太利」ではありません。4文字分のルビがあるから「イタリヤ」と読ませるんでしょう。同様に、「埋める」は「うづめる」だと思う。

腑に落ちないことはまだある。この母子、薬売りに手助けしてもらったぐらいだから父親や男衆は付き添っていなかったということになるだろう。軽井沢駅に程近い碓氷峠から霧積まではどう見積もっても直線距離で6kmはある。しかも碓氷峠は古来中仙道の難所として知られたところだそうな。そんなところを女親と幼子だけでてくてく歩いていったんですかねえ??そこら辺からして詩人の創作なんだろうか。(であれば、まさに「霧積」の響きだけに惹かれて書いたことになりそうだ。Kiss me Mammy.)

西條八十(さいじょう やそ:本名同じ:1892(M25).01.15〜1970(S45).08.12)は、詩人にして仏文学者、早稲田大学仏文科教授。象徴派の詩人だから、「母親他界説」もそれなりに説得力あると思うのだけれど(いや、事実がどうかということではなくてね)。
作詞家としても広く知られ;

「東京行進曲」 ♪昔恋しい 銀座の柳(作曲 中山晋平 / 唄 佐藤千夜子:1929.05.01発売)

「蘇州夜曲」 ♪水の蘇州の 花散る春を(作曲 服部良一 / 唄 渡辺はま子&霧島 昇:1940.08発売 / 唄 李香蘭(山口淑子):1953発売)

「青い山脈」 ♪青い山脈 雪割り桜(作曲 服部良一 / 唄 藤山一郎&奈良光枝:1949.03.10発売)

「王将」 ♪吹けば飛ぶよな 将棋の駒に(作曲 船村 徹 / 唄 村田英雄:1961.11発売)

など戦前戦中戦後の各時代を代表する歌謡曲作品もある。ツルはなんとなく戦前の人だと思っていたけど、そんなことなかったですね。(いずれもツルの生まれる前です、きっぱり。)
戦後には日本音楽著作権協会/Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers/JASRACの会長も務めていた。作詞界の最重鎮だったことは間違いないでしょう。

そしてジョー山中(1946.09.02〜2011.08.07)のこと。亡くなっていたんですね。ミュージシャン、俳優、そしてプロボクサーでもあった(リングネーム 城アキラ:本名 山中 明)。この映画では主題歌を歌っただけでなく、準主役の扱いで混血青年を演じている。しかし1977年、大麻取締法違反容疑で逮捕、まだこの映画の公開中だったと思う。角川映画の宣伝戦略は多少つまずいたわけだ。

そして再び角川春樹。出版界・映画界の風雲児としてもてはやされたのも1980年代終わりまで。薬師丸ひろ子・原田知世・渡辺典子の「角川三人娘」に去られ、実弟とのお家騒動も表面化し、1993年にはコカイン密輸により麻薬取締法違反容疑で逮捕、最高裁まで争って結局懲役4年の実刑判決を受けた。切り落とされてしまったのは信長ではなく自らの首。

その後も(いや、塀の中でも)作句は精力的に続けてきている。近年は「俳句」と呼ばずに「魂の一行詩」と名づけていて(´ψψ`);

蛭に血を吸はせてをりぬ歌舞伎町
 「朝日のあたる家」(2006年)より

なんて作品もあります。この時64歳前後、やっぱりちょっと精力余り過ぎ

ここまで来たら、大野雄二(1941.05.30〜)のことも斬っておかう。いや、この人のことは大好きなんですよ。

前年に角川映画第1弾、「犬神家の一族」のスコアを書いた大野は、しかしその後市川−横溝映画の音楽を作ることはなかった(cf. 2015.03.23「角川映画「犬神家の一族」」・2015.03.25「愛のバラード」)。大監督の意向一つで曲がズタズタにカットされてしまうことに不満があったようです。その代わりに手がけたのが「人間の証明」ということになる。因みに翌年1978年の角川映画第3弾、「野性の証明」の音楽もね(主題歌「戦士の休息」by 町田義人の作曲を含めて)。

でもこの映画の主題歌って、Queenの "Bohemian Rhapsody"(1975.10.31リリース アルバム「オペラ座の夜/A Night at the Opera」より)と、イントロのピアノラインから歌い出しの言葉までが激似だったんですよねえ。有名な話だと思うけど。
テレビからボヘミアン・ラプソディが流れてきたかと思ったら、人間の証明のテーマだったという経験をした人は当時多かったはず。ツルも毎回ハッとしてましたもん。わかっているのに、それだけそっくりだったんです。フレディ・マーキュリーとジョー山中、声がそんなに似てるはずもないのに。

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Mama, just killed a man
Put a gun against his head,
pulled my trigger now he's dead
-----

大野センセイに聞きたいものです、「Queenにインスパイアされたんですか?角川社長に言われたんですか?」って。

ああ、それにしても。今回名前を出したうち、今も生きているのが角川と大野と町田しかいないなんて。角川三人娘を除けばね。

あっ!!船村 徹先生はご存命でしたっm(__)m!

2015年8月20日 (木)

西條八十 ぼくの帽子 vs 角川春樹 信長の首《一》

(承前)

前回、「霧」がらみのことを書いていてこの詩をふと思い出した。

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ぼくの帽子
 西條八十

――母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
  ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
  谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

――母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
  僕はあの時、ずゐぶんくやしかつた、
  だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

――母さん、あのとき、向から若い薬賣が來ましたつけね。
  紺の脚絆に手甲をした。――
  そして拾はうとして、ずゐぶん骨折つてくれましたつけね。
  けれど、たうとう駄目だつた。
  なにしろ深い谿で、それに草が
  背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。

――母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
  あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
  もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
  秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
  あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも
  知れませんよ。

――母さん、そして、きつと今頃は、――今夜あたりは、
  あの谿間に、靜かに雪が降りつもつてゐるでせう、
  昔、つやつやひかつた、あの以太利麥の帽子と、
  その裏に僕が書いた
  Y・Sといふ頭文字を
  埋めるやうに、静かに、寂しく。――
-----

今読んでみても、冒頭から引き込まれます。「夏、碓氷から霧積へ」という言葉遣いも、字面、響きともに極めて印象的ですし。

「碓氷」とは、長野県北佐久郡軽井沢町と群馬県安中市の松井田町(*)との県境にある碓氷峠(標高約960m)のこと。いわゆる中央分水嶺に含まれ、この峠より長野側に降った雨は信濃川水系、群馬側に降った雨は利根川水系となる。
一方「霧積」は、松井田町にある霧積温泉。江戸末期に発見されて明治半ばから整備が進み、当時は避暑地として賑わっていたようですが、山津波により温泉地は壊滅。霧積川上流に2軒残った旅館も、2012年にきりづみ館が廃業、現在は金湯館(きんとうかん)ただ1軒のみ。「温泉地」から再び「秘湯」になりつつある現情。

(*)旧 碓氷郡松井田町。2006年3月18日に(大モメにモメた末)安中市と新設合併している。さらに遡ると、1954年5月3日に碓氷郡の(旧旧)松井田町・臼井町・坂本町・西横野村・九十九村・細野村が新設合併して(旧)松井田町となっているので、この詩が書かれた当時に碓氷峠や霧積温泉がどの町村に属していたのか調べてみたけど、よくわからなかった。おそらく臼井町(碓氷峠は旧くは「臼井峠」とも書いた)あるいは坂本町だと思いますが。

この詩、1960年代までに生まれた人にとっては、ある意味すごーく懐かしい作品ですよね、ツルを含めて^_^;。現在オジさんオバさん以上になった世代の心の奥底に消し難く刷り込まれているのは、1977年に公開された角川映画第2弾、「人間の証明」のせいです。森村誠一の同名原作でもこの詩は重要な役割を持って登場するけど、映画化当時、毎日毎日超大量に流されたテレビCMで、冒頭のフレーズはそれこそ日に何度も何度も目に耳にしていたからね。

人間の証明

流れていた主題歌もこの詩を踏まえたものだった。

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人間の証明のテーマ
 作詞:西條八十
    角川春樹
    ジョー山中
 作曲:大野雄二
 歌: ジョー山中


Mama, do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago
flew to the foggy canyon
Mama, I wonder what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side, out of my reach like your heart

Suddenly the wind came up
Stealing my hat from me
Swirling whirling gusts of wind
Blowing it higher away

Mama, that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back like the life you gave me

Suddenly the wind came up
Stealing my hat from me
Swirling whirling gusts of wind
Blowing it higher away

Mama, that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it, no one could bring it back
like the life you gave me
like the life you gave me
-----

和文から個別性の要素を引き算した結果、象徴性が前面に出てきた気がします(適当なこと言ってら)。

しかしツッコミどころも多いねえ。どこからいきましょうか。

角川書店の当時の社長、あるいは同社の娯楽大衆化路線の一大立役者、角川春樹(1942.01.08〜)には俳人としての顔もあり、同人誌「河」を主宰してたりもする。俳句にのめり込んでいったのは1980年代以降のようだけど、このころから自分の映画につける歌にも口を出してたというわけね。

黒き蝶ゴッホの耳を殺ぎに来る
 「カエサルの地」(1981年)より

向日葵や信長の首切り落とす
 「信長の首」(1982年)より

えげつないほどギラギラしてますなあ。「殺ぎ」は「そぎ」です。

第二句集「信長の首」では、1982年芸術選奨文部大臣賞と第6回俳人協会新人賞芸術選奨新人賞を手にした。
この句、ツルはなぜか;

向日葵に信長の首斬られけり

と長いこと覚え込んでいて、やっと記憶違いを認識した次第っす(*''*)。

俳人として見ると、角川は割と多作というか精力的に活動してきたと思うけど、1990年に第八句集「花咲爺」で第24回蛇笏賞を取った時には身贔屓とだいぶ叩かれた。蛇笏賞(と短歌の迢空賞)が、角川文化振興財団により選ばれるものだからです。親玉の親方に出したんじゃねえ。どこかよそに任せとけばよかったのに。

ツルは、上記の二句に対抗し得る作品というと次のものしか知らない。

黒き凧見つけて天に歩み寄る

虹二重双生児のわれら誰から死ぬ

この二句の作者については愚blogの2012.02.11の記事をご覧下さいませね。(だからほれ、こういうのを身贔屓というのよ

(続く)

2015年3月25日 (水)

愛のバラード(犬神家の一族より)

昭和なお話、もう少し。

犬神家の一族でもう一つ印象的なのは、音楽でしょう。「愛のバラード」と題されたメインテーマは今でも時々テレビのバラエティ番組のちょっと怖いシーンで使われたりしている。前半は確かに横溝ミステリーの世界観にふさわしい「陰」のイメージだけど、後半には素晴らしく美しいメロディが広がります。サワリの部分の大正琴みたいな音色はシタールだと長く思っていたんですが、ダルシマーという近縁の楽器だそうな。

スコアを書いたのは大野雄二(1941.05.30〜)。流麗なオーケストレーションを書かせたらこの人の右に出る者はいないと思う。「ルパン三世」あたりが有名かと思いますが、ツル的には手塚治虫(1928.11.03〜1989.02.09)のTVアニメ「100万年地球の旅 バンダーブック」の音楽が一番好き。1978年8月27日、日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」第1回の中で放送された長編作品です。
いわゆるチャリティテレソンでアニメを使うことには局内に反対もあったらしいけど(当時アニメは所詮子どもの見るものだったわけで)、蓋を開けてみると同番組で最高の28%という視聴率を記録した。しかも放映は午後10時〜12時という時間帯だったにもかかわらず。内容も「愛は地球を救う」の精神を最もよく表していると高く評された。まだ「サライ」ができたり、マラソンやったりするようになる前です、もちろん。
バンダーブックの音楽は番組全体のBGMにも用いられていて、その一晩(or 24時間)の記憶は高校1年の残り少ない夏休みを過ごしていたツルの心に強く長く刻まれました。(大人になった後、これまたDVDを買っちゃってたりなんかする

おっと。のっけから脱線脱線。

実は、この「愛のバラード」にはボーカル入りバージョンがあるんです(!!)。ジャズ/フュージョンの大野による曲に歌謡曲の作詞家山口洋子(1937.05.10〜2014.09.06)が詞をつけ、シャンソンの金子由香利が歌ったという超異色版。映画公開に合わせて作られたのではないかと思うけど、詳細はわかりません。こんな珍品があるなんて、ツルも数年前に知ったばかり。

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愛のバラード
 作詞:山口洋子
 作曲:大野雄二
 歌: 金子由香利

死んではいけないと 風が今日もささやく
水に映える白い花が 胸に沁みるけど

耐えて生きることも 辛くないの私は
あなたの名前呼べば何も 怖くないから

涙さえ燃えている 光のさざなみ
愛を感じているから 砂の音も愛おしい

死んではいけないと 長い夜も私は
あなたの名前呼んで 朝を待つでしょう

涙さえ燃えている 光のさざなみ
愛を信じているから 鳥の影も愛おしい

ひとりどこにいても そこに見える優しい
あなたの名前呼んで 明日を待つでしょう
-----

うーん、よくできている(笑)。松子夫人の心境とも、珠世のそれとも取れるような歌詞になってるんですね。当時才媛の名をほしいままにしていた山口の才気が光る。
この金子版はYouTubeに2点ほど載っていて、いずれも映画同様、黒地画面に大きな白抜き文字で歌詞が現れてくるところがニヤリとさせます。エヴァンゲリオンじゃないのよ(笑)。

愛のバラード2 愛のバラード1

なお、この曲のオリジナル版は映画の中で冒頭のタイトルバック以降、キャストやスタッフのクレジットが表示されるところに使われてますが、結構ズタズタにカットされていて、長ーい秀逸なイントロも全部なくなっているし、サワリの部分も相当削られている。サビの盛り上がりのところでうまく石坂浩二や島田陽子の名前がどーんと出てくるようにしたのだろうけれど、これに不満を持った大野は次回作「悪魔の手毬唄」以降、市川作品の音楽を担当することはなかった(翌1977年には「人間の証明」、1978年には「野生の証明」と、初期角川映画3作の音楽を書いているけれど)。
一方、2006年に映画がリメイクされた際には谷川賢作(詩人谷川俊太郎の子)が音楽をつけたけど、このメインテーマだけはほぼ踏襲され再び使用された。それだけインパクトの強い曲だったと言えるでしょう。

この作品、YouTubeに出ている1976年版映画の予告編(の後半)には本編で削られたイントロ部分が一部使われてますが、機会があればオリジナルを是非完全なフルバージョンで聴かれることをお勧めします(サントラ盤も出てます)。「映画音楽」として完成された日本で最初の作品、流麗の一言。

愛のバラード タイトル

2014年12月 5日 (金)

TVの国からキラキラ vs 成人世代

あんなにテレビっ子だったツルも、最近ほとんどテレビを見なくなりましたが。

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TVの国からキラキラ
 作詞:糸井重里
 作曲:筒美京平
 編曲:鷺巣詩郎
 歌 :松本伊代
 (1982.05.21リリース)

TVの国からキラキラ

ねえ こんなの信じていいの
ああ わたしは嘘だと思う
古い少女マンガの まるでヒロインみたい
いつも夢見ていた あの人が
わたしのこと 好きらしいのよ

夜空の星もキラキラ わたしの瞳キラキラ
お花いっぱいフワフワ 飛んでいるわ
見つめられたらキラキラ 彼の瞳もキラキラ
見つめ返せばドキドキ どうなるかしら

ねえ 神様 冗談ですか
ああ 夢なら醒めずにいてよ
だけど少女マンガは いつもハッピーエンド
たぶん夕陽の中 あの人が
わたしのこと 抱きしめるでしょう

涙落ちてもキラキラ 思い出になるキラキラ
街の景色もキラキラ 輝いてる
彼の微笑みキラキラ まぶしいくらいキラキラ
わたしの瞳キラキラ もう 戻れない

"ねえ 君ってキラキラ"

ともだちの顔キラキラ 先生の顔キラキラ
カンニングさえサラサラ なんだかヘン
黒板までもキラキラ 恋の光でキラキラ
なにもかもがキラキラ もう 戻れない
-----

ツルに言わせりゃ、松本伊代の代表曲は「センチメンタルジャーニー」ではなくてこれである。
糸井重里が力業見せてますなー。「カンニングさえサラサラ」だもんね(@_@)。何よりタイトルがすごく秀逸、「テレビ」ではなく「TV」としたことも、歌詞にその「TV」が一切出てこない乖離も。「テレビに出てる華やかな芸能界の人気者」をこんな感じに搦め手から切り取ったのはそれまでなかったんじゃないかな。小泉今日子の「なんてたってアイドル」だって3年後の1985.11.21のリリース。
それだけじゃない。80年代の歌謡曲をある意味象徴する(代表するとは言わない)のが、この曲と小泉今日子の「ヤマトナデシコ七変化」(1984.09.21リリース)だと思う。歌謡曲自体の転換点という意味で。それは歌謡曲のJ-POPへの遷移をも予告していたと思うけど。

YouTube上のこの曲へのコメントに現在;

-----
頭よわいんじゃない? バカだったから出来たんだよね。
-----

とあるのは言い得て妙だと思います。
今だったら、きゃりーぱみゅぱみゅに歌わせてみたい(^。^)y-゜゜゜。

ほぼ同時期、「テレビ」はこんな風にも歌われた。「ビデオ」が一般化する前です。

-----
成人世代
 作詞・作曲:中島みゆき
 編曲:星 勝
 歌 :中島みゆき
 (1981.03.05リリース アルバム「臨月」より)

臨月

悲しい気持を 抱き締めて
悲しみ知らない ふりをする
笑っているのは 泣き顔を
思い出さずに 歩くため

寂しい気持を 抱き締めて
寂しさ知らない ふりをする
踊っているのは 憐れみを
鎖と共に 捨てるため

テレビの歌は いかにもそこに
いかにもありそうな お伽噺を謡う
夢やぶれ いずこへ還る
夢やぶれ いずこへ還る

隣りを歩いてゆく奴は
誰もが幸せ 昇り坂
転んでいるのは自分だけ
誰もが心で そう思う

大人の隣りを追い越せば
しらけた世代と声がする
子供の隣りを追い越せば
ずるい世代と声がする

電車のポスターは いつでも夢が
手元に届きそうな 言葉だけ選ぶ

夢破れ 何処へ還る
夢破れ 何処へ還る
夢破れ 何処へ還る
-----

ううむ、これって塩キャラにも言えるかも(そこからもう離れられないツルってのも一体)。いかにもありそうなお伽噺、ね。

ああやだやだ、自分の音楽の引き出しが80年代で止まっているようで。

2014年11月22日 (土)

流浪の民:バスの部

(承前)

でも、ほんとに興味深いのはここからだった(敢えて過去形)。ドイツ語屋氏の記述にはこんな追記が加えられている(いずれも抜粋)。

-----
このページを見た音楽家の方が、「こんな批評は許せん!害毒だ!」とひどく頭に来てご自分のサイトにこのページへの辛辣な批評をされています。
ぜひこのページとあわせてご覧になることをおすすめします。
しかし、音楽家の方々にとっては「書いてあることをそのまま写す」ことが「ただのつまらない薀蓄もどき」に見えるのですねえ。
-----

ふむ。そうだろうと思った。軽い態度で行われた批判は往々にして再批判に対しnaiveである。
音楽家氏の再批判とはどんなものであったのか。(断っておきますが、こちらの文章はネット上にはもう残されてはいません。)

-----
私が不満に思うのは、この方の指摘している次の2点です。

1)「ナイル川のことを、ニールと訳していることへの、許しがたいという不満」
2)「ブナが歌詞に登場しないことへの不満」
-----

お?何やらツルの書いたこととかぶっているような(汗)。

-----
上記2)にも通じることですが、ドイツ語で書かれた多量の言葉によって成る詩を、日本語でもって歌うのに、全ての言葉を歌詞として踏襲することは不可能です。ブナを後半では省略したことも、文学的なセンスだと思います。意訳も、詩全体を捉えているからこその一級芸術品です。弾むような言葉を慎重に選んで羅列したこの詩は、音読してみますと、素晴しい躍動感を持っています。それだけで「こう歌わんかな」と語っていると感じます。私の推察ですが、石倉さんはシューマンのこの曲を原語で聴かれ、それを愛し、ゆえに日本語での表現をとことん考えられた、音楽を知る人、音楽を愛する方でしょう。言語尊重は、音楽にとっては邪魔者でしかありません。
-----

おお、そこまで言い切るか。

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1)については、ナイル川のことを“ニール”と訳しては意味が通じないという指摘をされています。なぜ“ニール”としたかについての言及・考察が全くありません。外国語で書かれた詩(文章)を訳すのが専門の人が、Nilesというドイツ語がナイル川のことであることは当然ご存知でしょう。知らない人が適当に訳詞などするわけがありません。こういうところに対する彼の主張(不満)は、あたかも「自分は知らない言葉をそのままにして著作物を公開しています」と言っているかのようで、同業者に対する失礼極まりない行為とも言えます。
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これらに対する再々批判として考えられるのはおそらく、「趣旨はわかる、でも、歴史的背景や音韻を重んじるのと同時に言語そのものも尊重すべきであったのに、岩倉訳はそこに挑戦していない」といったところでしょう。その両方の視点を止揚する対案が欲しいということは、音楽家氏も思ったようです。

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このサイトの方はドイツ語の専門家。「ニールでは意味が通じない」というのは、私はドイツ語を知らないと仰っているのと同義ではないでしょうか。この方には、「よく翻訳できました」というのではなく、シューマンのこの曲につく“歌詞”としての訳を、対案として出してもらいたいと思います。それができないのであれば、ただのつまらない“薀蓄もどき”に過ぎないのです。
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有吉もマツコデラックスも真っ青、鬼神も三舎を避くる勢いの舌鋒ですが、ドイツ語屋氏の訳は、確かに歌曲の詞という以前に詩/言葉としての鑑賞に耐えず、フラストレーションが溜まるというのがツルの率直な感想でした。

結局はこう。

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よく大学の外国語文学部を出られた方が、外国語には堪能だが、文学的センスに乏しい人がいますが、この方はそういうタイプなのかもしれません。
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 VS

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まあ、私にも音楽家の知り合いが何人かいますから、彼らの「言語」に対する態度はなんとなくわかるのですが。
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売り言葉に買い言葉、子供の喧嘩みたくなっちゃいました

ツルにとっては、また別の筆者によるネット上の次の文章(抜粋)の方が、まだ得るところがありそう。

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ちなみにこの曲には石倉小三郎氏の名訳があるが、これは日本語としてきわめてすぐれているのであるが、ただ一点残念なことがある。訳詞のアクセントと音楽上のアクセントがばらばらで、まさに「心の旅」[註:往年のフォークグループ、チューリップの代表曲]状態となっていることである。

〔中略〕

これはしかしドイツ語と日本語という語学的構造がまるで異なる言語の移植を行っているのであるから、やむを得ないことなのであろう。(これ以上の訳詞を作れる詩人もいないだろうし)日本の合唱者たちが石倉氏の訳詞で何の違和感もなくこの曲を歌っている状況を見ても、日本人というのは日本語のアクセントには意外と鈍感であることがわかる。
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ううむ、これとて、1980年代初頭までミュージシャン達の間でも真剣に論じられていた(はずの)「日本語でRockはできるか」という議論と根は同じではないのか、なんて空虚さは感じちゃう。
個人的には、かの有名な童謡の冒頭、「♪夕焼け小焼けの あかとんぼ」の「あかとんぼ」の部分は日本語として音韻に無理があるだとか、藤山一郎は「蛍の光」の「♪ほーたーるの ひーかーぁり」の部分のアクセントの不体裁が許せなくて、紅白歌合戦のエンディングでこの歌の指揮をする時に歌い出しだけは口をつぐんでいただとか、そういうのにも?を感じてきたのですけれども。

ツルは断じる。歴史的・文化的な文脈と精神を無視して、表層に表れた言葉だけをもって論じようとするなら、それはやはり害毒です。

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