蘊蓄Field:似て非なるもの

2019年6月 9日 (日)

似て非なるもの - ダークダックス vs デューク・エイセス vs ボニージャックス(後編)

(承前)

回答と解説です。

①「いい湯だな」
♪いい湯だな ハハハン
作詞:永 六輔
作曲:いずみたく
歌:デューク・エイセス

1966年2月発売。ドリフの「8時だョ!全員集合」のエンディングで有名だが、もとは群馬県内の温泉を歌ったご当地ソングのこちらがオリジナル。

②「一週間」
♪テュリャ テュリャ テュリャ
原曲:ロシア民謡
訳詞:森 おくじ / 音楽舞踏集団カチューシャ
歌:ボニージャックス

1963年8月発売。NHK「みんなのうた」発。丸々一週間、「支出」する仕事はあっても「収入」を得る仕事を一切行わないという夢のような共・・・ああいやいや。「音楽舞踏集団カチューシャ」はハバロフスクの日本人捕虜有志による芸能集団で、だから日本語版のルーツも1940年代後半まで遡るだろう。因みにカチューシャとはエカテリーナの愛称形である。
ダークダックスも発表しているので正答とする(以下同様の扱い)。

③「おさななじみ」
♪おさななじみの 想い出は
作詞:永 六輔
作曲 中村八大
歌:デューク・エイセス

NHK「夢であいましょう」で、1963年5月の「今月の歌」として作られたもの。当時、「♪青いレモンの味がする」を実体験したことのある日本人なんてほとんどいなかったと思うが。

④「女ひとり」
♪京都 大原 三千院
作詞:永 六輔
作曲:いずみたく
歌:デューク・エイセス

1965年8月発売。「きょうと~~ おおはら さんぜんりぃ」と聴き覚えたヒトも少なくないハズ。

⑤「銀色の道」
♪遠い遠い 遥かな道は
作詞:塚田 茂
作曲:宮川 泰(ひろし)
歌:ダークダックス

1966年10月発売。NHK「夢をあなたに」発。ザ・ピーナッツもレコーディングしている。

⑥「ちいさい秋みつけた」
♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋
作詞:サトウハチロー
作曲:中田喜直
歌:ボニージャックス

1962年4月発売のアルバムに収録。ダークダックスも1972年1月に発表している。当初、1955年にNHKの特別番組「秋の祭典」のために作られたものだった(歌:伴 久美子)。

⑦「手のひらを太陽に」
♪僕らはみんな 生きている
作詞:やなせたかし
作曲:いずみたく
歌:ボニージャックス

1965年5月発売。オリジナルは宮城まり子(1927.03.21~:女優 → ねむの木学園設立)が1961年にNET(日本教育テレビ:現 テレビ朝日)のニュース番組で歌い、翌年NHK「みんなのうた」で取り上げられたものだが、ボニージャックスが歌ってヒットさせた。ダークダックスも1976年12月にカバーしている。

⑧「遠くへ行きたい」
♪知らない街を 歩いてみたい
作詞:永 六輔
作曲:中村八大
歌:デューク・エイセス

1971年5月発売のアルバムに収録。オリジナルはNHK「夢であいましょう」の1962年5月の「今月の歌」として作られ、ジェリー藤尾が歌ったが、むしろ1970年10月放送開始の日本テレビ「遠くへ行きたい」のテーマ曲としてデューク・エイセスがカバーしたものが有名ではないかと思う。

⑨「山男の歌」
♪娘さん よく聞けよ
作詞:神保信雄
作曲:不詳
歌:ダークダックス

1966年2月発売。元歌は広島県安芸郡江田島町(現 江田島市)の海軍兵学校で愛唱されていた「巡航節」らしく、さらに遡ると、岡山県笠岡市北木島の石切り場で歌われていた「石切唄」がルーツの一つという。海のものだか山のものだか。

⑩「雪山讃歌」
♪雪よ岩よ 我らが宿り
作詞:西堀榮三郎・京都大学学士山岳会
原曲:アメリカ民謡 "Oh My Darling Clementine"
歌:ダークダックス

1958年9月発売。西堀榮三郎(1903.01.28~1989.04.13)は化学者・工学者・登山家で京都大学教授であり、1958年の第一次南極観測隊の副隊長 兼 越冬隊長も務めた。京都帝國大学の山岳部員だった1927年(1926年とも)1月、スキー合宿の帰りに仲間と訪れた群馬県吾妻郡嬬恋村で大雪に降り籠められ無聊の慰みに作ったという、いわば替え歌。デューク・エイセス、ボニージャックスも発表している。

以上10曲、全問正解のお人はいるのかしらん。どれが一番親しまれていると考えるかは、アナタの年齢によっても違ってくることでせう。

ツルもおよそ記憶にありませんが、これらのグループのピークは、「歌声喫茶」なるものが日本に流行った時期とも重なっているのではないかしらん。ダークダックスなんて「カチューシャ」「トロイカ」「カリンカ」あたりも持ち歌にしていて、往時はこうしたロシア民謡が大人気だった(それにしても短調表情がっかりが多いなあ)。これも調べてみると、Wikipediaの歌声喫茶の項には「1955年前後の東京など日本の都市部で流行し、1970年代までに衰退した」と書かれているので、すこうしズレがあるようなないような。

やっぱり今でも思うけれど、こんなにもIdentityの似通ったグループが同時代に3組も必要だったわけ??日本に。つまりは、基本、「正統派」であればよくって、「個性」が重視されるようになる前の話だったってことなのかな??
しかし一方、新しい胎動として、初代ジャニーズ(あおい輝彦・真家ひろみ・飯野おさみ・中谷 良;ツルも記憶にございません。きっぱり。)は1964年12月に、その路線を引き継いだ形のフォーリーブス(北 公次・江木俊夫・おりも政夫・青山 孝)は1968年9月にレコードデビューしていた。その間には、ブルー・コメッツ(1957年結成;ボニージャックスより古いんだ!!)、スパイダース(1961年結成)、ワイルド・ワンズ(1966年結成)などのグループサウンズ人気の沸騰があった。
そしてその流れは現在に至る。前回挙げた宇崎竜童のダウン・タウン・ブギウギ・バンドの結成は1973年(いささか飛躍があるか)。

そういう時代感の昭和中期のお話でした。

2019年6月 8日 (土)

似て非なるもの - ダークダックス vs デューク・エイセス vs ボニージャックス(前編)

祭りと言えば、子供の頃3、4年住んでいた福岡県大牟田市に「大蛇山」という夏祭りがあった。祗園会系の祭礼で、無論今でもご当地最大の行事。ご当地キャラの「ジャー坊」(cf. 2018.11.13「ゆるキャラGP2018投票のこと」・2018.11.19「仍って件の如し ―― ゆるキャラGP2018の結末」)はこの大蛇の山車を象ったもの。
その頃、「大蛇山ばやし」なる曲が作られて、確か小学校5年の運動会で踊りを踊らされた記憶がある。歌っていたのがダークダックスかデューク・エイセスかボニージャックスかだったんだよね。なぜか実家にも豪華仕様のシングルレコードがあった(父親が職場でもらってきたものだったような)。子どもの頃からいつも見分けが(もちろん聴き分けも)つかなかったけど、どのグループだったんだろう??

というわけで、今回は昭和の時代の男性4人組の歌手のお話です。

ぶっちゃけ、どれも嫌いだったんよねーー、すっごく。なんでこんなにコーラスが薄っぺらいんだろう、ぐらいに思っていた(個人の感想です)。さりながら、嫌いなものを前にすると燃える質。

以下、結成順に並べてみます。メンバーには変動もあるので、取り敢えず1970年現在で。半世紀前、大阪万博の年にFlash Back!


【ダークダックス/Dark Ducks】
活動期間:1951年~2016年

〔トップテナー〕
高見澤 宏(ひろむ)(1933.11.09~2011.01.07)
〔セカンドテナー〕
佐々木 行(とおる)(1932.02.18~2016.06.20)
〔バリトン〕
喜早 哲(きそう てつ)(1930.11.08~2016.03.26)
〔バス〕
遠山 一(はじめ)(1930.05.26~)

慶應義塾大学の男声合唱団ワグネルソサエティのメンバーにより在学中に結成されたクァルテット(当初は3名で、翌1952年に入学した高見澤を加えて4名となった)。ロシア民謡といえばダークダックス、てなもんであったそうな。
このグループのみメンバーが一度も変わらず(最年少の高見澤が亡くなった後も補充はしなかった)、そのことは誇りだったようである。1987年には、「メンバーが変わらない日本で最も長期にわたって活動するコーラスグループ」というすっごく微妙なギネス世界記録に認定されてます。また、リーダーを明確な形では決めていなかったようで、一番自然発生的な経緯を持つということらしい。
因みにメンバー全員スキーが趣味(微伏線)。


【デューク・エイセス/Duke Aces】
活動期間:1955年~2017年

〔トップテナー〕
谷口安正(1939.06.28~1990.12.31)
〔トップテナー → セカンドテナー〕
吉田一彦(1936.01.25~:2015.03引退発表)
〔バス → バリトン:リーダー〕
谷 道夫(1934.11.08~)
〔バス〕
真木野(槇野)義孝(1936.02.24~)

「Aces」を「エイセス」と読んだのが時代を感じさせます。一番ポップス路線に近かったらしい。一方で「ゴスペル」と呼ばれるようになる前の「黒人霊歌」なんかも歌ってたそうな(ひょっとしたら両者は別物なのかしら)。3グループ12名の中で一番若かった谷口(とはいえ1939.09.01の第二次世界大戦開戦より前の生まれである)が一番早く亡くなったのが皮肉です。享年51、脳出血だった。


【ボニージャックス/Bonny Jacks】
活動期間:1958年~

〔トップテナー〕
西脇久夫(1936.01.29~)
〔セカンドテナー〕
大町正人(1937.07.20~2011.07.08)
〔バリトン〕
鹿島武臣(1934.01.01~)
〔バス:リーダー〕
玉田元康(1934.05.31~)

こちらは早稲田大学グリークラブのメンバーで結成。どうやら、レパートリーのジャンルは最も広かったらしい。「歌の伝道師」の異名を取ったとやら(詳細不明)。

「大蛇山ばやし」は、調べてみたら、1972年7月に大牟田市制55周年を記念して発表されたものだった。あれ、そうするとツル的にはアレは小4の運動会の時だったのかな??
作詞 安元 薫、作曲 中村八大(はちだい)、歌はデューク・エイセス。中村は時代の寵児だった超大御所で、生まれは中国・青島ながら、ご当地にも近い福岡県久留米市で育ったので、その辺の引きがあったのかもしれない。安元は大牟田市教育長だったヒトで、ご当地の夏祭り実行委員長なども務めていた。あーーー、だから小学校で踊るような羽目になったのか!!この1回だけだった気がするけど。次の年だったか、学校の先生に「今年は大蛇山ばやしは踊らんとですか」と聞いたら「いいや。ひゅうなかったろうが、あの歌は」と言われて、「ああ、大人もそう思ってたんだ」と妙に納得した記憶がある。「ひゅうなか」とは筑後弁で・・・いや、やめとこう。適宜ご想像下さい。ま、宇崎竜童の言葉を真似て言うなら、めっきり「ご当地ソングのようなもの」だった印象。でも、今でも踊られているらしい、「炭坑節」に次ぐ第二の踊り唄として。


で、いきなりですが、ここで抜き打ち試験です。

【問題】
以下の10曲はいずれもダークダックス、デューク・エイセス、ボニージャックスのいずれかによってレコード化された楽曲である(五十音順)。これらにつき、下記の問いに答えよ。

(1) 各楽曲をレコード化したグループを答えよ。(答は1つとは限らない)

(2) これらの楽曲は主に1960年代に発売されているが、1950年代のものが1曲、1970年代のものが1曲含まれている。それはどれか。

①「いい湯だな」
♪いい湯だな ハハハン

②「一週間」
♪テュリャ テュリャ テュリャ

③「おさななじみ」
♪おさななじみの 想い出は

④「女ひとり」
♪京都 大原 三千院

⑤「銀色の道」
♪遠い遠い 遥かな道は

⑥「ちいさい秋みつけた」
♪ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋

⑦「手のひらを太陽に」
♪僕らはみんな 生きている

⑧「遠くへ行きたい」
♪知らない街を 歩いてみたい

⑨「山男の歌」
♪娘さん よく聞けよ

⑩「雪山讃歌」
♪雪よ岩よ 我らが宿り

(回答は次回)

2019年5月 2日 (木)

似て非なるもの - ユウガオ vs ヒョウタン vs トウガン vs ヨルガオ

かんぴょうの話題が出てきたところで、そうだ、このネタ、いこう。1年半ぶりに。

 

そもそも「かんぴょう」とは何なのか。まず、いつものようにお手軽Wikipediaを引いてみると、次のように出ている。

 

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干瓢(かんぴょう)は、ユウガオの果実(ふくべ)を紐状に剥いて、乾燥させた食品(乾物)である。「乾瓢」と表記されることもある。
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実はこの夕顔というのが曲者でして。

 

ユウガオ
ウリ科 ユウガオ属
Lagenaria siceraria var. hispida

 

インド〜アフリカ辺りの熱帯原産のウリの一種で、源氏物語に出てくる「夕顔」はこれ。

 

心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花

 

花は白色、夕方から夜にかけて咲くものですが(確か、蛾による虫媒花ではないかと)、観賞価値が高いとは決して言えない(伏線)。
これを生やしている家というのは、風流でやってるんじゃなくて野菜として育てているので、決して上流階級ではないということになり、夕顔の女もそのように描かれている。

 

次に、瓢箪。
実は、ユウガオとヒョウタンは植物学上の「種」としては同じものです。

 

ヒョウタン
ウリ科 ユウガオ属
Lagenaria siceraria var. gourda

 

「種/species」の下の「亜種/subspecies」のそのまた下の「変種/varietas」レベルの差のようですな(下には下があって、さらに下位の分類は「品種/forma」とするのが一般的だと思う)。

 

もともと、夕顔や瓢箪、それに後述の冬瓜あたりの実を総称して「ひさご」と呼んだものらしい。漢字では「瓢」のほか、「瓠」「匏」とも書かれる。(この古いガラ系携帯でも、「ひさご」と打つとどの字も出てきます。「ふくべ」だと「瓢」だけ。)
「刳る(くる・えぐる)」や「鉋」の字と部首に共通があるのは、どういう理由かしらん。瓢箪は、いわば中身を刳りぬいて使うものだったわけですよねえ。そう言い始めると、「跨」や「袴」や「誇」はどうなんだということになりそうですが。「泡」「抱」「胞」「砲」「飽」「庖」「疱」までくるとウザったくなる

 

で、植物学やら漢字史的な話はこのくらいにしといて(基本シロウトだからこれ以上書けないわ)、コトバが違っているんだから、何らかの違いはあるに違いない。

 

まず、形状。草体はほとんど見分けかつかないけれども、果実にはいささか差異がある。簡単に言えば、丸っこいのがユウガオ、くびれがあったり細長く伸びたりと「面白いカタチ」になるのがヒョウタンです。
やや細かく見ていくと、ヒョウタンでは、実が大きい「大瓢箪」、やたら細長い「長瓢箪」、小形の実が多数つく「千成瓢箪」(秀吉の馬印だというのは後世の創作らしい)などがある。ユウガオにも球形の実がなる「丸夕顔」と、細長い「大長夕顔」の2系統があるそうな。

 

実用上ではどうなのか。こちらもざっくり言うと、「果肉が柔らかくておいしい」のがユウガオで、「固く、苦く、まずい」方がヒョウタンと考えればよろしい。
従って、ユウガオの利用は野菜としてのそれであり、ヒョウタンは、実を水に浸け内部の果肉を腐らせて取り去り酒器などにしたり、実を割って果肉を刳りぬき柄杓やら楽器やら仮面やら何やらかんやらに加工するのが主だった。それぞれの「外見」と「中身」に応じて人間の生活に密着していたわけです。

 

で、干瓢は前者の実を干して剥いたもの、じゃなくて剥いて干したものということになるわけ。
もっとも、単に干すだけではなく、二酸化硫黄(劇物!!)で燻蒸して漂白する工程も加わるので、生産者は大変らしいです。(無漂白タイプもあり、調理法 ―つまり戻し方ね― もちょっと違う、塩もみが入るか否か。)

 

では一方、冬瓜は。

 

トウガン
ウリ科 トウガン属
Benincasa hispida

 

東南アジアからインドが原産らしい。こちらの花はウリ類の基本の(でもねえか)黄色。

 

スープやあんかけに調理される(夕顔も生の実の調理法は同じようなものらしい)夏〜秋口の野菜ながら、保存性が高くて冬まで保つのでこの名があるとされるけれど、うーん、納得性の低いネーミングだと思いません?南瓜/カボチャ(セイヨウカボチャ/Cucurbita maximaやニホンカボチャ/Cucurbita moschata等の総称)なんかだって冬至の頃まであるのに。
古くは「かもうり/加茂瓜/加毛宇利」とも呼ばれ、英語ではwax gourd。gourdとはヒョウタン(やヘチマ/Luffa cylindrica/sponge gourd)の類の総称。winter melonという名前もあるらしい(ホントかしら)。
ついでに脱線すると、往年の天才ピアニスト、グレン・グールド(1932.09.25〜1982.10.04:カナダ)は "Glenn Gould" なのでこの際関係なしです。

 

ここへきて話を一層ややこしくするのが「夜顔」。上記とは縁遠い植物で、しかし名前が似ているので混同しやすい。

 

ヨルガオ
ヒルガオ科 サツマイモ属(ヨルガオ属)
Ipomoea alba (= Calonyction aculeatum)

 

こちらは熱帯アメリカ原産で、明治になって日本に入ってきたもの。大きな白い花が夜に咲く。専ら観賞用で、基本的に実はつかない。ユウガオやヒョウタンより、花の開く時間帯は遅いようです。

 

Ipomoea属といえば、サツマイモもアサガオもそうだと理解していて、一方、園芸上はそこからヨルガオ属/Calonyction、アサガオ属/Pharbitis、ルコウソウ属/Quamoclitを独立させて扱うこともあるらしい。
因みにヒルガオ/Calystegia japonicaはまた別属です。

 

あれ、園芸カタログで見かける、ちょっとアサガオに似てるっぽいコンボルブルス/Convolvulusっていうのもあるなあ。こちらはセイヨウヒルガオという和名がついている。
さらに言うと、セイヨウアサガオというのもあって、これはIpomoea属に分類されているらしい。爽やかな空色の花を秋口にいっぱい咲かせる "Heavenly Blue" が代表品種。また作りたいよぉ・・・

 

で、もちろん、「夕顔」と「夜顔」なんて、一般にはごく当たり前に混同混乱が起きるわけで、ネット上では「庭で咲いた夕顔の花」などと称して夜顔の画像が掲載されているなんてこともよくあります。

2017年10月30日 (月)

似て非なるもの - 福岡 vs 博多 とか

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イメージ戦略の一環か、近年は国道の愛称公募が増えている気がする。
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このことについて。

 

ツルは、「優駿浪漫街道」「沙流ユーカラ街道」「石勝樹海ロード」なんて名前より、「優駿街道」「ユーカラ街道」「樹海ロード」だけの方がいいと思いますがね。それこそ浪漫をかき立てられるというか、想像の翼を広げられるというか。
その意味で、1990年代にできた「天馬街道」の方に軍配を上げる。子どもの頃、家族旅行でよく通った「やまなみハイウェイ」(九州ね)なんてのも懐かしく思い出してます。

 

それでは地域を特定できずご当地の認知度向上につながらない?いいえ、そんなことじゃなくってですね。

 

観光だの地域興しだの外への情報発信だのに阿った色気丸出しのネーミングでは、地域に根づかないと思う。地名、とりわけ道の名前なんていうものはまずその地元に受け入れられることが重要だろう。ご当地住民が日常的に「優駿浪漫街道」なんて呼ぶとは考えにくい。こっ恥ずかしいでしょ。

 

ツルがそんな風に思うのはなぜか。
ツルの出身地、福岡市に「福博であい橋」という名前の橋がある。市の中心地の天神地区と、全国区の歓楽街たる中洲地区とを結ぶ歩行者専用のきれいな橋です。1990年に架けられた際、この名がついた。「福岡」と「博多」が出会う橋だから、という意味です。

 

ここでちょっと解説しますと・・・。
九州圏外の人から、「福岡と博多ってどう違うの?」というのはしばしば訊かれること。それはまだいい方で、学生時代、名古屋出身の友人から「博多市って何県?」って言われてのけぞった記憶があります。まずその疑問にお答えしませう。

 

ざっくり言うと、福岡市のほぼ中心を貫いて北に流れる那珂川より西が福岡、東が博多と思えばよろしい。従って、西に位置する天神は福岡、東にある中洲(正確には那珂川の下流にできた中州であり、境界線上ということになるが)は博多ということになる。
なんで同じ「福岡市」の中でそんな地域分け(あくまでざっくりしたものだけど)がされているかというと、そこは歴史的な問題で、福岡側は黒田藩の福岡城のあった武士の町、博多側は中洲に接する「川端商店街」に代表される商人の町という性格があったからです。言い換えれば、黒田藩が町衆の自治を広く認めていたということでもあると思う。
夏の初めの「博多祇園山笠」は博多側、川端にある櫛田神社の祭礼。毎年ゴールデンウィークに日本一の人出を叩き出すという「博多どんたく」も、お囃子の行列は櫛田神社からスタートするんじゃなかったっけ。この行事は、町衆が日頃精進した芸事を披露して練り歩いた「松囃子」を起源とするもので、この行列は(福岡側の)お城の中へ入っていって殿様の前で披露することができたそうな。

 

明治の頃、「福岡市」にするか「博多市」にするかはご当地全体を巻き込んだ大騒動に発展し、結局、自治体名を「福岡市」とする代わりに国鉄の駅を「博多駅」とすることでやっと折り合いがついたというのはご当地じゃ有名な話(かなり脚色)。
その後、1972年に政令指定都市となって「博多区」ができるまで、行政上は「博多」という地名は存在しなかった。

 

で、その境界ともいうべき那珂川にかかる橋を「福博であい橋」と命名したわけ。この橋ができた時、ツルは地元を離れてもう久しかったけど、由来を聞いて、初め「なかなか考えたもんだなあ」と感心した。でも、現役ジモティにゃあまり評判よくなかったみたいなんですね、このネーミング。「であい橋」だけでいいとに、「福博であい橋」やら説明っぽくてダサかー、という声は帰省時に各方面から結構聞いた(要出典)。確かに、言われてみれば、なぜ「であい橋」というのかなんてところは「地名の謂れ」という蘊蓄の玉手箱の中にしまっておく方が上等だと思える。
それからもう四半世紀以上経っちゃったですけどねえ。

 

で、だよ。「福博であい橋」には観光資源としての配慮なんてところは薄かったと思うのだけれど、「沙流ユーカラ街道」たらいう名前にはその意味合いが濃いでしょうよ。ちいとばかり、厚化粧で品がないと思うわな。

 

おまけ。
今までの経験上、関東で、あるいは関西で、「出身はどちら?」と聞かれて「福岡です」と答えるより、「博多です」と答える方が相手の食いつきがナンボか良いってことはわかっている。だからツルは状況に応じて使い分けてます(爆)。
次に続く相手の言葉は大抵が「へえ!博多っていいところなんですってね」というポジティブリアクション。「福岡」だとこれが「はあ、そうですか」ぐらいで終わっちゃう。祭り好きでラテン気質(???)とか、昔から芸能人を多く輩出してるとか、魚やらの食いもんが安くて旨いとか、美人が多いとか(?)、「博多」の方がイメージが明確なんだろうね。で、こちらも調子に乗って郷土愛を熱く語っちゃうわけです、博多弁交じりで。
実際にはツルは博多側に住んだことはないし(何せ実家は地の果て南区ですから)、生粋の博多っ子は名乗れそうにはなかとですけど。でもラーメンは豚骨の細麺しかいただきまっしぇん(キリッ)。

 

あ、そうか!!「博多っ子」とは言うばってん、「福岡っ子」って言い方は絶対せんとですよ。そこが当世の(上述の分け方はもちろん薄れていて、むしろ今は福岡地区=商業、博多地区=ビジネスという色彩が強いかと)福岡 vs 博多の一番の違いなのかもしれんね。

2015年11月20日 (金)

似て非なるもの - 姿の仏法僧 vs 声の仏法僧

≪魚鳥木申すか?≫ ≪申さぬ申さぬ≫

 

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【2015.10.23「いはばしる バイクの臀の プレートの;B」】

 

ブッポウソウにも興味深いエピソードがあるのだけれども、ここんとこは割愛しまして・・・。
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瑠璃色の入った、可愛らしい鳥です。これは有名な話だから、愚blogで取り上げずとも、とは思うのですがね。面白いので。

 

宮崎県西諸県郡高原町(にしもろかたぐん たかはるちょう)の「町の鳥」となっているブッポウソウ科のブッポウソウ/Eurystomus orientalisは、古来「仏・法・僧」を讃えて音に鳴く有り難い霊鳥と考えられていたところ、その鳴き声が実はフクロウ科のコノハズク/Otus scopsのものであったと解明されたのは、昭和に入ってからのこと。社会的に大きな話題となったらしい。爾来、このブッポウソウ科のブッポウソウを「姿の仏法僧」、コノハズクの方を「声の仏法僧」と呼んだりもするわけです。

 

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(Wikipedia:多少表現を整えています)

 

森の中で夜間「ブッ・ポウ・ソウ」と聞こえ、仏・法・僧の三宝を象徴するとされた鳥の鳴き声がこの鳥のものであると信じられてきたため、この名が付けられた。しかし、実際のブッポウソウをよく観察しても「ゲッゲッゲッ」という濁った鳴き声しか発せず件の鳴き声が直接確認できないため、声のブッポウソウの正体は長く謎とされていた。
結局のところ、この鳴き声の主はフクロウ目のコノハズクであり、このことが明らかになったのはラジオ放送が契機となった。

 

1935年(昭和10年)6月7日、日本放送協会名古屋中央放送局は愛知県南設楽郡鳳来寺村(現在の新城市)の鳳来寺山で「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く鳥の鳴き声の実況中継を全国放送で行った。その放送を聞き、鳴き声の主を探し回った者が、同年6月12日に山梨県神座山で「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴く鳥を撃ち落としたところ、声の主がコノハズクであることがわかった。時を同じくして、放送を聴いた中から「うちで飼っている鳥が同じ鳴き声をする」という者が出てきた。6月10日にその飼っている鳥を鳥類学者黒田長禮が借り受け見せてもらうとコノハズクであり、神座山で撃ち落とされたのと同日の6月12日早朝に、この鳥が「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴くところを確認した。その鳥は東京浅草の傘店で飼われていたもので、生放送中、ラジオから聴こえてきた鳴き声に誘われて同じように鳴き出したという。この二つの事柄はその後日本鳥学会で発表され、長年の謎であった「ブッ・ポウ・ソウ」の鳴き声の主がコノハズクだということが初めて判明した。
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んまァ!日本人ってなーんて素敵なの!鳥の鳴き声の正体確かめるために国じゅう放送しただなんて!!しかもリアルタイムの生でですよ。まだテレビが普及する前だよね。
黒田長禮(ながみち)は旧筑前福岡藩黒田家の第14代当主だった人です。つまり黒田官兵衛の末裔。

 

実はこの話にはもっと面白いAnecdoteがついている。くだんのラジオ中継は6月7日の夜に放送されたのですが・・・

 

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午後9時55分から30分間放送し、その間よく鳴いたが、放送中や放送後にゲストの俳人・荻原井泉水[引用註:おぎわら せいせんすい]、歌人・川田 順、愛知県史蹟天然記念物調査委員・梅村甚太郎の3人の話がうるさいという非難の電話が殺到した。これを踏まえて、翌6月8日はゲストを呼ばずに鳴き声だけにする(番組内容を伝えるアナウンサーだけを置く)こととし、前日と同じく午後9時55分から30分間放送したところ、この晩もよく鳴き、放送終了後、前日とは打って変わって絶賛の電話が殺到した。
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うはははははは延々30分間、仏法僧ことコノハズクの声だけを流し続けたんかいな!?ますますもって素晴らしいがなこの日本最小のフクロウくんも大いに面目を施したわけです。

 

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「魚鳥木申すか」云々のフレーズは、ツルが小学生の頃にやってた遊び、福岡県大牟田市で。どんな遊び方だったかもあらかた忘れてしまったけれど、言葉遊びみたいなもの。同じ県内でも福岡市ではやったことがなかったので、筑後地方限定のものかと思ってたんですが、調べてみたら全国に伝わっているようです。

 

・・・かくして平安のいにしへよりの不思議も、幼子のむかしよりの胸のつかへも暁のひかりと共に露と消えたるとなむ、語り伝へたるとや。あらあらかしこ。

2015年11月19日 (木)

似て非なるもの - アズサミネバリ vs ヨグソミネバリ

≪魚鳥木申すか?≫ ≪申さぬ申さぬ≫

 

えー、もともと植物おたくの園芸blogではあったので、このことは気になっていた。

 

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【2015.10.23「いはばしる バイクの臀の プレートの;B」】

 

一般的には櫛と言えばツゲ/黄楊/Buxus microphyllaだから、知名度の全くないミネバリ/峰榛/Betula schmidtiiなる材を宣伝するために作られた伝説なんでしょう。
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峰榛というのも混乱の多い木です。ここでいう峰榛、つまり長野県木曽郡木祖村の特産品「お六櫛」を作る植物は、高木となるカバノキ科カバノキ属のオノオレカンバ/斧折樺/Betula schmidtiiのこと。成長が遅くて目の詰まった硬い重い材に育ち、イスノキや外来のタガヤサン同様、箸などに加工される(櫛材になるとは知らなかったけど)。またの名をアズサミネバリ/梓峰榛という。

 

これに対し、同じカバノキ属に一名ヨグソミネバリ/夜糞峰榛と呼ばれる木がある。サリチル酸メチル(サロンパスとか、ね)を多く含んで特有の臭気があるからこんな奇天烈な名前がついたんでしょう。こちらは標準和名ミズメ/水目/Betula grossaのこと。

 

さらに。同じくカバノキ科のハンノキ属のヤシャブシ/夜叉五倍子/Alnus firmaのこともミネバリと呼ぶことがあるそうな。こちらは松ぼっくりを超小さくしたような果実にタンニンが多く含まれてて、染料に使われます。
中学の頃家族で登った霧島の高千穂峰に、実をつけたこの木が登山道に沿ってたくさんあって(あるいはヒメヤシャブシ/Alnus pendulaだったかも;土留めのために植えられてたんだと思う)、木彫を趣味にしていた母親が狂喜乱舞してたっけ。木彫りの仕上げの色付けにはこの実を煮出した褐色の液を塗り重ねるのが最上とされていて、その時はだいぶ集めました(微笑)。熱帯魚用のブラックウォーターを作るのにも使われるのじゃないかと思うけど未確認っす。

 

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オノオレカンバ=アズサミネバリやミズメ=ヨグソミネバリの別名にはさらに単なるアズサというのもあって、これがまた大層錯綜している。

 

まず、現代中国語では、「梓」はノウゼンカズラ科キササゲ属の木本、キササゲ/Catalpa ovataを指す。和名のキササゲは、果実の莢の形状がマメ科ササゲ属の草本、ササゲ/Vigna unguiculata(しばしばお赤飯にアズキ/Vigna angularisの代わりに用いられてます)に似ているところから来ている。
キササゲの果実は近縁のトウキササゲ/Catalpa bungei同様、日本薬局方に収録されている生薬で、民間療法的に利尿薬(つまりむくみ取りね)として用いられます。

 

次に、「梓」の字のつく言葉としては「上梓」「玉梓」「梓弓」あたりが思い浮かぶわけですが。

 

書籍を出版/刊行することを「上梓」とも言うのは、梓の材を版木に使ったことによる。
「玉梓/たまずさ」(「玉章」とも)の語も同じOriginなのかと思ってたらだいぶ違っていて、昔、便りを伝える使者は梓の杖を持っていたところから、「使者」の意味でこの言葉が使われ、それが転じて「手紙」、特に艶っぽいものを表すようになったそうな。「玉梓の」とくれば「使ひ」「妹/いも」を導く枕詞になってます。

 

「手紙」にはもっと雅びに「雁の玉章」「雁の使い」てな言い方もある。漢の蘇武が匈奴の虜囚となっていた時、便りを書き綴った帛を故郷のかたへ渡る雁の脚に結わえ付けて漢帝のもとへ・・・って、きりがなくなるからこの辺で。
愚blogでも何度か取り上げてきた中 勘助(1885.05.22〜1965.05.03)の短編集「鳥の物語」にある「雁の話」はこれに基づいたストーリーで、元は「漢書蘇武伝」に出てくる話です。

 

一方、「梓弓」は古来本邦で神事に使われ、出産等の際の魔除けの儀式の定番「鳴弦」もこれで行う決まりだったらしい。しかし、この風習は一部を除いて早くに廃れたことから、この「梓」が何の植物を表すのかについても諸説紛々としていた。現在では、正倉院中倉の収蔵品の梓弓の科学的分析から、これをミズメつまりヨグソミネバリとするのが通説になっている由、QED。「梓弓」なら「張る」「春」などにかかる枕詞です。

 

こってりおまけ。梓弓に対して「我こそまことの弓」の意味で名づけられたとされるのがニシキギ科ニシキギ属のマユミ/真弓/檀/Euonymus hamiltonianus。紅葉や実の美しい木ですが、実際に弓の材料となるほか、これも印鑑や櫛に加工される。
「まゆみ」と打てば「檀」と出てきますよ。宝塚出身の女優、檀 れい(ツルの大嫌いな「金麦」のCMに出てるヒトね)は「だん れい」だけど、これは本名の「山崎まゆみ(及川光博と結婚した後は及川まゆみ)」をいろいろ置き換えたものです。
檀 ふみは本名。火宅の人、父親の作家檀 一雄から受け継いだ名前ね。(NHKの「連想ゲーム」が懐かしいです
壇 蜜は「檀」じゃなくて「壇」。「仏壇」と「お供え」を表した芸名だそうで( ; ゜Д゜)。本名は齋藤支靜加( ; ゜Д゜)( ; ゜Д゜)。

 

ああ、蘊蓄炸裂ぶっぱなし。

2012年11月 4日 (日)

似て非なるもの - 大阪万博 vs 愛知万博

2005年の愛・地球博の時、確か「大阪万博以来初のEXPO!」的なことをアピールしていて、一体これは何なんだろと思った記憶があったんで、調べてみた。

 

厳密には、「国際博覧会」or「万国博覧会」つまり万博と呼べるのは、「国際博覧会条約」に基づき「博覧会国際事務局」(BIE:パリ)で承認されて開かれるものだけ。
で、これには「登録博(旧:一般博)」と「認定博(旧:特別博)」の区分があって、例えば今年開催された韓国の麗水/ヨスは海洋をテーマにした認定博です。

 

昔懐かしい1970年の大阪万博すなわち「日本万国博覧会」は当時の一般博。開催するにはまず国内で上記条約の批准承認手続が必要というわけで、日本は開催申請直前に国会で決議したそうな。来場者数は実に6,400万人超(@_@)

 

大阪万博

 

これとパラレルな関係に立つものは、今のところ、愛・地球博or愛知万博のみ。日本で開かれた唯一の登録博ということになってます。(目標1,500万人→実績2,200万人)
ただこれも、特別博として申請中に制度が変わり、認定博になるのかと思ったら登録博で開催されたという経緯があるそうで。

 

1975-76年の海洋博すなわち「沖縄国際海洋博覧会」(450万人→350万人)、1980年のつくば博すなわち「国際科学技術博覧会」(2,030万人)、1990年の大阪の花博すなわち「国際花と緑の博覧会」(2,000万人→2,310万人)はそれぞれ当時の特別博だった由。
つまりは分野が一つだけか二つ以上にわたるかという区分だった。

 

これが、淡路花博すなわち「ジャパンフローラ2000」や、浜名湖花博すなわち「パシフィックフローラ2004(および第21回全国都市緑化しずおかフェア)」(540万人)になると上記には該当せず、国際園芸家協会(AIPH:ハーグ)の認定する「国際園芸博覧会」という位置づけ。

 

より正確を期すると、大阪花博はAIPH認定の「大規模国際園芸博覧会」であり、従って当時BIEにより「国際博覧会」として自動承認された、ということらしいです。
淡路と浜名湖は「小規模国際博+大規模国内博」認定という格づけね。

 

60億円の黒字を叩き出したポートピア'81すなわち「神戸ポートアイランド博覧会」(1,610万人)、90億円の大赤字を残した1988年の札幌の「世界・食の祭典」(目標400万人→実績170万人)、1989年の横浜みなとみらい21地区の「横浜博覧会」(1,333万人)、同年の福岡のよかトピアすなわち「アジア太平洋博覧会」(誰も覚えとらんか;でも目標700万人→実績823万人)、1995年に中止に追い込まれた東京お台場の都市博すなわち「世界都市博覧会」(1996年予定)、成否もいろいろあるけどこれらはみな「地方博」というポジション。

 

こうして見てくると、つくづく、「万国博」というイベントの意義の低下が感じられる(そんなもの、二昔も前から言われてたじゃねえかよ)。
海外旅行はおろかガイジンさんを街中で見ることも少なかった頃の日本に「世界」が大挙してやってきた大阪万博や、アメリカから返還(1972年)されて間もない時の沖縄海洋博と、ネットが世界をつないでいる今とでは、国際性が違うことはもちろんだけどさ。

 

70年代の博覧会とは何が違うのか。一言で言えば、「熱気」とか「輝き」としか言いようがない気がする。
ツルは大阪万博の時はまだ小2で行かせてもらえなかった(「そんな人混みの中に出て行ったら身体壊すばい!」的な感じで)けど、海洋博は体験しましたよ、母親と二人で。中1の少年の目に沖縄は確かに違って見えた。

 

沖縄海洋博

 

あ、これって、札幌五輪(1972年)と長野五輪(1998年)の違いでもあったような気がします(さすがに1964年の東京五輪は記憶にないぜよ)。

 

そもそも、人類の文明の進歩とかその将来の展望とか、そういったものをテーマに据えること自体、終焉に近づいてるってことでしょう。20世紀型の、工業化を前提とした科学技術はもう万博のテーマたり得ないかもしれない。「ものづくり」を決して否定するわけじゃないけれど。

 

それでもまだ、日本でオリンピックを開くなんてのよりはまだいいかも、なんて思っちゃったり思わなかったり。
つまりはオリンピックも、万博になぞらえて言えば特定分野の特別博ってことでしょ。いくら「スポーツの感動を!」と言ってみたところで、例えばテレビの販売台数にも表れているように、スペシャルなイベントとしての神通力は衰えているはず。オリンピックイヤーだからといってテレビが(あるいはパソコンが?)ばんばん売れまくる、なんてことはもうないわけです。ならば、万博の登録博/一般博みたいな多分野モノをちゅどど〜〜んと打ち上げた方が、「がんばろう日本」とか「この国を元気に」なんて観点からは「効果的」なのかも。

 

現実的には、そんなお祭り騒ぎより前にやることがある、日本が元気になっていくためには東日本大震災にまつわる諸々の問題を避けては通れないだろ、と思いますが。乱暴に言えば、そここそが1995年の阪神淡路大震災と違うところなんじゃないのかと。

 

あ、そういう風に考えていくと、「日本震災復興博」とか「地球温暖化防止博」「少子高齢化博」「世界医療向上博」「緑化農業食糧博」てな考えに行き着いてしまうのか。あんまり元気にもならんかしら。
その意味では上海万博が最後の20世紀型万博だったのかも。

 

現在のBIEの規定では、国際博覧会の登録博は前回開催から5年の間隔を置くことになっているそうで、2005年の愛知の次が2010年の上海だった。へー。次はミラノなんだとか。どんなテーマ性を盛り込むんでしょう。

2012年2月26日 (日)

似て非なるもの - 浄瑠璃 vs 義太夫 vs 常磐津 vs 清元

> 「義太夫」は義太夫節のことでつまりは伴奏音楽だけれども、このあたりがやれ浄瑠璃だ義太夫だ常磐津だ清元だとまたややこしそうなので今回は飛ばしてと。
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ここんとこお勉強ネタが続いておりやす。

 

調べてみたら浄瑠璃というのは、三味線を伴奏に「語る」音曲の総称で、主に舞台音楽に用いられた。義太夫や常磐津や清元というのはその中の流派のことなんだそうな。
同じく三味線を用いる舞台音楽でも、「唄う」ものである長唄とは基本から異なる、らしい。

 

「浄瑠璃」の名は、室町中期の御伽草子「浄瑠璃十二段草子」、別名「浄瑠璃物語」に由来する。
これは牛若丸と浄瑠璃姫の悲恋物語で、浄瑠璃姫の名前は、子宝に恵まれぬ両親が薬師如来に願掛けしてついに得た娘であったため、薬師如来の浄土「浄瑠璃世界」に因んでつけたものであった。おおー。
(さらに言えば、「浄瑠璃」とは、仏典にいう七宝にも必ず入っている鉱物の瑠璃、すなわちラピスラズリの清浄 or 透明なものを指すのではなかったかと。一方、玻璃と言えば水晶 or 硝子のことで、「浄玻璃の鏡」は閻魔大王の前にあって人間の生前の善悪所業一切を隈なく映し出す鏡である)

 

これに巡遊伶人たちが音曲をつけ仏の功徳を説いて回ったのが「浄瑠璃」の起源だとか。主に平曲(平家物語)を演じていた琵琶法師たちが新しいジャンルに飛びついたというところもあったらしい。
ここに、中国→琉球と伝わった三線をルーツに持つ三味線が結びついて飛躍的な発展を遂げる。日本に入ったのが1560年前後らしいから、鉄砲公式伝来から10年ほど経ったあたりですか。ちなみに三味線の撥は、琵琶で使っていたそれを採り入れたもので、表現力を高めるため日本で工夫されたもの。
さらにこれを操り人形の傀儡師/くぐつし/かいらいしが伴奏として取り込んでいき、「人形浄瑠璃」と呼ばれる新たな芸能が確立していく。

 

浄瑠璃には古くは河東節/かとうぶし、大薩摩節、一中節/いっちゅうぶしなどなどの流派があり古浄瑠璃と総称されるが、1684年頃、大坂で義太夫節の竹本義太夫が竹本座を開き、近松門左衛門と組んだことにより芸術性を高め、義太夫節と人形芝居が一体となった人形浄瑠璃が完成を見た。ちなみに菅原伝授も千本桜も忠臣蔵も人形浄瑠璃版の初演はこの竹本座です。

 

ということは猿楽や能・狂言とは兄弟に当たることになりそうだ。そのせいかどうか、人形浄瑠璃を歌舞伎より格上と見なす考え方が今でもかの業界には厳然と存する。能狂言と同じですなあ、ハァ。

 

でもね。観阿弥・世阿弥父子が室町三代将軍足利義満の前で猿楽能を演じたのが1375年頃、世阿弥が風姿花伝を著したのが1400年頃。
出雲阿国が北野天満宮で興行して評判を取ったのが江戸幕府成立と同じ1603年、「かぶき踊り」が中心だった女歌舞伎や若衆歌舞伎から現代の歌舞伎劇につながる野郎歌舞伎となったのが1652年。
なんだ、むしろ人形浄瑠璃の方が歴史が浅いとも言えるんじゃないのか??ちょっと意外。
それでもなお歌舞伎の地位が低いとされるのは、河原者とか遊女とか蔭間とか、そのあたりの歴史がstigmaになっているからなのだろうか。

 

浄瑠璃はその後も次々に流派を生んでゆく。京都の一中節から生まれた豊後節は江戸に下って常磐津節・富士松節を生み、前者の常磐津節は江戸歌舞伎の伴奏音楽として隆盛を見たほか、さらに富本節→清元節を派生する。
後者の富士松節は新内節/しんないぶしに発展して門付けを中心に行われるようになる(吉原なんかの「新内流し」っちゅうやつですな)。
うわー、ここまでですでに10種類の○○節のオンパレード!誠に畏るべし、浄瑠璃世界。

 

要するに浄瑠璃の諸流派は、それぞれの創始者の名を冠したいわば名人芸として成立し、次の代にはまた新たな流派が生まれるという流動的な状態だった。
新しいものを生み出すことが重要な役割(目的?)の一つであったり、新しいものを生み出せなければ廃れていったり。歴史や格式よりそっちの方が大事だったのではないか。ああそうか、伝統芸能ではなくて流行音楽だったとは、つまりこういうことなのか。

 

このうち、人形浄瑠璃と不可分の関係になったのが「義太夫節」で、だから歌舞伎のうち人形浄瑠璃から採られた演目(だけ)を「義太夫物」「義太夫狂言」と呼ぶわけだ。
一方、豊後節系の浄瑠璃、特に「常磐津節」、「清元節」は人形浄瑠璃から離れて歌舞伎と結びつき現在に至る。

 

うーん、まだこんがらがりそうだなあと思って見ていたら、ふと気づいた。「人形浄瑠璃」の名称の中に「浄瑠璃」という総称が入っているところが曲者なんだ。「人形芝居」と置き換えて考えるとか、いっそ「人形義太夫」と呼ぶとかすればless confusingのような。

 

人形浄瑠璃を文楽とも呼ぶのは、さらに下って1790年あたりに植村文楽軒が大坂に建てた人形芝居小屋を、明治になって文楽座と称したことに基づいている。劇場(or その創始者)の名前が芸能そのものを意味するようになった次第。
あ、それも正確じゃないか。日本各地に「文楽ではない人形浄瑠璃」も伝わっていますよね、地歌舞伎もある如く。

 

上演形態の違いは内容にも差異をもたらすわけで、義太夫は「歌う」<「語る」の傾向が最も強く、浄瑠璃の「語り物」としての性格が顕著に表れた重厚な芸風である。
人形浄瑠璃の場合、人形(遣い)が「語る」ことはないわけで、状況説明のト書きから科白まで全て義太夫が受け持つことになるから、自然このようになっていったんだろう。言ってみれば音楽つきの朗読、朗読つきの人形劇。
ただし、義太夫節といっても歌舞伎の場合は役者が科白をしゃべるわけだからまた少し別で、この義太夫は特に竹本といったりするらしい。

 

対して、江戸で育った浄瑠璃ではより「唄う」という音楽的要素が強い。艶麗と豪壮と洒脱を兼ね備えた常磐津、これが長唄と接触してさらに洗練され繊細な情趣を追求した清元はいずれも歌舞伎の音曲としてもてはやされたほか、舞台を離れてお座敷芸や素人の習い事にまで広まってゆく。
落語なんかでも艶っぽい常磐津のお師匠なんてのがよく登場しますね。

 

用いられる三味線の種類にもこうした差異は表れ、義太夫では津軽三味線などと同じ太棹で、より低音の力強い響きを特徴とし、太夫の白熱した語りを盛り上げる。このあたりは琵琶の音色をなんとかこの新しい楽器に移そうとした先達の努力の賜物か。
これが常磐津や清元だと中棹、長唄では細棹になる。

 

もちろん、これだけの諸流派の中には廃れていくものもあるわけで、常磐津と清元との中間的な位置にあった富本は昭和に入って事実上の消滅状態。河東節も、現在の歌舞伎では唯一「助六由縁江戸桜」の冒頭(しかも成田屋宗家、市川団十郎 or 市川海老蔵の演じる場合のみ!)にしか使われず、専門の演奏者もほとんどいないため、興行の際にはアマチュアの愛好会の人たちが交代で演じるのだとか。

 

それでもねー、ぶっちゃけ、流派はこれからも減っていくんでしょうね。どれだけの人がこれら各種の浄瑠璃を「これは○○節、あれは△△節」と聴き分けられるのだろう。後継者難とは古典芸能や伝統工芸につきものの言葉ではあるけれど、そもそも需給のバランスが崩れた世界。実はまだ多すぎる、というのが厳しい真実なのかもしれない。
文楽も松竹の撤退(1963年)以後、既に商業ベースでは成立せず政府予算で保っている状態だし・・・

2011年11月 6日 (日)

創作メモ

金田一数珠丸(男)
年齢不詳 風来坊探偵

当主(男)
60歳 南方のバナナ貿易で財を成した金満紳士 九州博多出身 無教養で粗野な男だが引き取った姪に実の娘同様の愛情を注いでいる
 薮椿亀乃進男爵
 薮椿与太郎
 薮椿金太郎
 金椿満悟郎
 金椿世太郎
 金倉満太郎
 椿好之輔

玉之浦(女)
25歳 男爵の姪 無類の園芸好き
 玉之裏ツル代
[(故人)存命なら50歳 ツル代の母 男爵の妹]
 玉之裏百々千世

夕月(男?)
50歳 男爵の本家(変?)or分家 京都で食い詰めた貧乏公家 東京の男爵家に身を寄せる [和歌の家柄 裏の顔は陰陽師]
 宇多野小路月並斎[麿]
 月並[波]小路宇多之督[頭]
 薮小路幽[夕]月斎
 夢小路三日月麿
 茗荷小路湖月斎
 名賀野渡闇月斎
 三日月夕賀[香佳]里
 京月宇多麿
 日月院馬角斎

金世界(男)
85歳 男爵家の菩提寺の老住職 男爵家の大恩人
 雪椿山金鶴寺 世界坊和尚
 [椿樹山]金福[龍]寺 世界坊和尚
 金地院天界[海]和尚
[or35歳 和尚の孫(or子[or遺児])(僧侶なのに?隠し子?)]
 金満世界丸
 世界一金盛丸
 梵天丸

仏桑華or槿(女×2)
15歳 男爵の兄/姉/弟orいとこの[養女であり実は]孫娘 双生児の姉妹
 扶桑院葵・菫
[(故人)男爵の兄/姉[/弟]orいとこ 出家僧or神官]
 萬之丞/萬寿重65歳
[亀乃進男爵60歳]
 萬次郎55歳
[百々千代50歳]
 扶桑院幸[恒光]萬法師[斎/翁]
 扶桑院[山]上[明]萬尼

百日紅(女?)
30歳 男爵の小間使い 実は愛人 おきゃんな姐御肌
 猿尾[生]ヶ瀬紅緒
 猿渡里茜[朱音]
 猿ヶ京緋美子
[年齢不詳 下男 ツル代の亡母から命に代えても娘を守れと命じられている 無口]
 猿三

75歳 婆や 話好きの江戸っ子
 お種

柊/黐(男)
60歳 七年前に失踪したツル代の実の父 男爵とは無二の親友 [実は九州の隠れ切支丹]
 棘林柊麻呂伯爵
 柊林棘麻呂
 柊林鋭次郎
 棘宮柊司
 ホーリー
 [玉之裏百々千世]

珍宝 三尺芭蕉!

一ッ松
羽二重
三田村
四王寺
源五郎丸
五色沼
六反田
上七軒
八丁堀
九品仏
十文字
五十鈴
九十九
五百旗頭(イオキベ)
三條西
西高辻
東国原
北御門
南波照間(パイパティロマ)
御子左
左文字
左右田
仲村渠(ナカンダカリ)
種子島
有栖川
龍造寺
神宮司
鬼龍院
薬師丸

『空中庭園の奇妙な事件』(Short Version:似て非なるもの - ヒイラギ vs セイヨウヒイラギ)

【『嬉しいことー、その後。』改題&刈込】

 

必死で辻褄合わせ(*)やってたら、なんだかダラダラ長くなるだけで、当初のバカバカしさのスピリットみたいなのが失せ飛んでしまったので、凝縮のShort Version復活です。ま、中島敦「山月記」的に(こらこら)。ぶっちゃけ、横溝正史の「犬神家の一族」、いやむしろ「悪魔が来りて笛を吹く」の不出来パロディですが。

 

*:絢爛たる一族の話のハズなのに当主とその姪しか出てこないのは物足りないし、そうなると皆苗字が違うのに合理的説明つけなきゃいけないし、犯人は何故こんなことをしたのか、そもそもどんな犯罪が行われた(行われようとした)のかが書いてないしで。一方、犯人(or送り主)は結局誰だったのか、木の種類を間違えるとどうしてそんなにマズいのか、なんて核心を書くつもりはハナっからなかったんだけど。(しっかしバカさ加減をなくさないようにするのにはほんと苦労したすよ^^;)

 

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謎を呼ぶ斑入りの木

 

(薮椿邸、秋色深まる空中庭園@下丸子を臨む応接室にて)

 

金田一数珠丸探偵:
「・・・あの朝、一族の方々は、何者かから届けられたあの木をヒイラギだと皆さん信じ込まれた。しかし、そこに犯人の巧妙な心理トリックが隠されていたのです」

 

玉之裏ツル代:
「ええっ金田一先生、でもあれは間違いなく斑入りヒイラギだったはずですわ。犯人からのメールにも確かに『ヒイラギの件』と・・・」

 

数珠丸探偵:
「いいえ、そうではないのですよ。思い出して下さい皆さん、初めにあれがヒイラギだと言い出したのはどなただったでしょう?」

 

薮椿亀乃進男爵:
「そう言やぁ・・・ありゃああんた、ツル代しゃんやったばい」

 

数珠丸探偵:
「そうなのです。小包には六つの鉢植えが入っていました。植物の好きな貴女は素敵な贈り物だわと喜んで、一鉢ずつ取り出していかれた。まず、貴女と同じ名前を持つ薮椿の銘花『玉之浦』」

 

ツル代:
「そうです、あれこそわたくしが長いこと探し求めていた椿でした」

 

玉之浦(上柄!)

 

数珠丸探偵:
「そして白一重の雪椿『夕月』、錦葉椿の『金世界』。それから百日紅、仏桑華と順に声に出していかれて、最後に貴女は、まあなんてきれいな斑入りの柊かしらとおっしゃってあの木を取り出されたのです。いつも庭仕事に精を出しておられる貴女のツルの一声で、居合わせた一族の方は皆あれがヒイラギだと信じてしまわれた、いわば集団催眠にかかったように。犯人はその盲点を巧みに突いたのですよ。メールが届いたのはその直後でした」

 

亀乃進男爵:
「ばってんありゃあ俺も確かめてみたが、ただのヒイラギの斑入りやったばい」

 

数珠丸探偵:
「皆さんが見間違えたのも無理はありません、本職の私も初めは騙されたのですから。確かにあの木はヒイラギとしか見えなかった、でも真相は違っていたのです。おわかりになりませんか、ツル代さん」

 

(ツル代、フランス窓から走り出てバルコニーの鉢をつぶさに調べる、やがて驚愕)

 

ああ、これは・・・!!

 

ツル代:
「ああ、これは・・・違う、違うわ・・・・・・これは、イングリッシュ・ホーリー!!!!」

 

数珠丸探偵:
「そうです、そのとおり。この木は黒い実のなるモクセイ科のヒイラギではなくて、赤い実をつけるモチノキ科のセイヨウヒイラギだったのですよ」

 

ツル代:
「わたくしの・・・罪でしたのね・・・・・・ああ!」

 

亀乃進男爵:
「泣かんでよか、ツル代しゃん。誰でん間違いはあるくさ」

 

ツル代:
「いいえ、いいえ伯父さま、そうではないの。あの時・・・わたくし、あれが父からの贈り物ではないか、いいえそうであってほしい、そうに違いないと思い込んでしまったのです。七年前に失踪したわたくしの実の父、棘林柊麻呂からの」

 

数珠丸探偵:
「だからこの木もヒイラギに違いないと貴女は思われた」

 

ツル代:
「ええ、わたくし、お父さま恋しさのあまりとんでもない過ちを犯してしまった・・・」

 

数珠丸探偵:
「貴女は本当のお父さま、棘林伯爵が今も生きておられると信じていらっしゃるのですね」

 

亀乃進男爵:
「妹の百々千世が親の決めた縁談で玉之裏の家に嫁いた時にゃあ、もう幼馴染みの柊麻呂しゃんの子供ば身籠っとった。それがツル代しゃん、あんたたい。あんたば産んでから産後の肥立ちが悪うてとうとう亡うなってしもうたが・・・
ばってんが金田一しぇんしぇい、あれがヒイラギじゃなかてどげんして気がつきんしゃったとですか」

 

数珠丸探偵:
「初めに妙だと思ったのは、いくら若木とは言え、この時季に一つも蕾をつけていなかったことです。モクセイ科のヒイラギなら秋遅くから冬の初めにかけて花を咲かせますからね。これが姿の似ているモチノキ科のヒイラギモチ、またの名をシナヒイラギやセイヨウヒイラギと呼ばれる植物ならば、花の咲くのは初夏ですから今蕾がなくてもおかしくない」

 

亀乃進男爵:
「ばってん金田一先生、シナヒイラギいうたらちぃと葉っぱの形が違うとりまっしょうが」

 

数珠丸探偵:
「そげんです、ああいや、そうなのです。シナヒイラギつまりChinese Hollyならば葉の棘が少ないからすぐに見分けがつく。けれどもEnglish Hollyにはヒイラギと見分けがつかないほどよく似た葉を持つものがあるのですよ。狡猾な犯人はそこまで計算に入れていたのです」

 

亀乃進男爵:
「ほー、とつけむなか。ふてぇがってぇどうじゃろかい」

 

ツル代:
「わたくし今気づいたのですけれど、他にも違うところがありますわ。ヒイラギの葉なら対生のはずなのに、この木は互生になっていましてよ。モチノキも確かに互生だわ」

 

互生か、対生か・・・??

 

亀乃進男爵:
「ツル代しゃん、あんたよう気のついたなあ」

 

ツル代:
「だって伯父さま、博多のお屋敷にヒイラギもクロガネモチもあるのですもの、それは剪定のたびに気がついてました。だのにわたくしあの時はすっかりとりのぼせてしまって、ちっとも気が回らなくて。恥ずかしいわ」

 

数珠丸探偵:
「いやいやそれも貴女の日頃の精進の賜物ですよ、ツル代さん。
でもよかったですね、お父さまのヒイラギだけではない、貴女のお母さまの名前の中にも「モチ」という言葉が入っているではありませんか」

 

ツル代:
「ええっ!?・・・玉之裏百々千世・・・まあ!!」

 

数珠丸探偵:
「全くもって、不思議な巡り合わせでした」

 

ツル代:
「金田一先生、亀乃進伯父さま、わたくしこの木を心を込めて育てますわ、お父さまともお母さまとも思って。いつの日か輝く赤い実をつけるまで、冬もお部屋の中に取り込んで」

 

亀乃進男爵:
「おうツル代しゃん、そいがよかよか。ばってんあんたも草木ばっかし面倒見よらんと、よか人見つけにゃ行き遅るるばい、ガハハハ」

 

ツル代:
「まあ、いやな伯父さま!」

 

(一同の笑い声、空中庭園に響き渡る)

 

−大団円−
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